23、奇跡が生む波紋5
庭の空気が淡く色を変える。光の粒が舞い、私のカメラに、妖精たちの記憶と想いが静かに宿る。
私は、白く小さなベルの花の前で、そっと足を止めた。妖精たちが語った、かつてレナリア様が母と共にこの花を植え、笑顔を浮かべていたという記憶──その断片が、静かな風に重なって胸を打つ。
陽は、ちょうど森の向こうに傾きかけ、金色の光が斜めに差し込んでいた。
その光は木々の葉に散り、幾筋もの木漏れ日となって、花壇や苔むした小径に柔らかく降り注いでいる。蝉の声が遠ざかり、代わりに風が枝葉を撫でる音だけが、微かに耳をくすぐった。
私はゆっくりとカメラを構えた。
「準備はいい?」
ルフェルが、ふわりとリンの肩に乗って囁く。
空の光、風に揺れる草花、花びらの降る藤棚。かつて、レナリア様が両親と笑い合ったその場所に、もう一度“記憶”を写し取りたい。
妖精たちが、ずっと語りかけ続けた“想い”を、カメラに込めて――。その想いが、風となり、祈りとなって、シャッターに込められていく。
四人の妖精たちが、それぞれの力を放ち始める。
エルメルドの銀灰色の粉は時間をやわらげ、ピオラは花々から甘く懐かしい香りを立ちのぼらせ、リィナは淡い光の糸を景色に織り込み、シェルは静かに空気を整えて、その場の温もりを封じ込める。
空気は揺らぎ、庭は過去と現在が重なる不思議な輝きに包まれた。
カメラの中に込められた妖精たちの微細な光が、かすかに脈動し始める。
それは人の目には見えない、けれど確かに存在する、祈りと共鳴する微光。まるで心音のように、かすかに──静かに震えている。
花の間から、小さな光の粒がふわりと現れた。それはまるで、朝露を宿したような羽を持つ小さな妖精たちの舞い。
彼女たちは言葉も音も発さず、ただ私の気配に応えるように、ベルの花の周囲を円を描くように舞い始める。
光の粒がひとつ、またひとつと空中を巡り、やがてそれらは淡く虹色にきらめく靄となって、私とカメラを包み込んでいく。世界は静寂に満ち、音すらも結界の外へと押しやられたようだった。
私は目を閉じる。シャッターを切るその一瞬に、すべての想いを託すために。
──レナリア様に、もう一度だけ、ぬくもりを。
──あの子の世界に、光が戻るように。
──記憶ではなく、「今」というやさしさが、届きますように。
願いは風に乗り、空へと解けた。
そして、私はそっと目を開き、カメラのシャッターに指をかけた。ふっと、妖精の一体が空中で一回転し、ひとひらの花びらが風に乗って宙を舞う。
光を飲み込むようにシャッターを切る。
──カシャリ。
その音は、まるで祈りが世界に刻まれた証だった。
次の瞬間。空気が、ごくわずかに震えた。風が止み、花々が揺らぎ、陽光がまるで深呼吸するように柔らかく脈動する。
そして、白いベルの花のひとつが──確かに、小さく揺れた。誰も触れていないのに、まるで、誰かが「ありがとう」と微笑んだかのように。
私はカメラをそっと下ろし、ただ静かにその景色を見つめていた。
一枚目 ― 「初めての庭」
シャッターが切られた瞬間、
空中に映し出されたのは、小さなレナリアが両親に両手を引かれて庭に降り立った場面。
母は白いドレスに薄紫のショールを纏い、父は穏やかな笑みを浮かべて娘を見つめている。
レナリアはきらきらした瞳で周囲を見渡し、花に駆け寄ろうとして、母に軽く抱き上げられる。
頬の紅潮は、初めての発見に胸を弾ませた証だった。
二枚目 ― 「花の名づけ」
藤棚の下、小さな木製テーブルの上に花が並ぶ。
レナリアは花を一つ手に取り、真剣な表情でじっと見つめる。
やがて、小さな唇から「ミルクちゃん」と名が紡がれる。
母は微笑み、父はその名を小さな帳面に書き留める。
笑顔のやりとりに、庭の妖精たちがひそかに頷く姿も映り込んでいた。
三枚目 ― 「お茶会の日」
藤棚からこぼれる木漏れ日の下、
三脚の椅子に三人が座っている。
母がポットから紅茶を注ぎ、父はケーキを取り分けて娘の皿に載せる。
レナリアはフォークを持ったまま、二人を交互に見上げて笑っている。
その笑みは、幸福が形を持ったような、まっすぐで無垢な光だった。
四枚目 ― 「雨上がりの追いかけっこ」
濡れた芝生の上、レナリアが裸足で駆けていく。
父が笑いながらその後を追い、母はベンチの下から呼びかける。
小さな足はぴちゃぴちゃと水たまりを弾き、
風に乗って家族の笑い声が響く。
妖精たちの翅が陽に反射して、小さな虹が背景に浮かんでいた。
五枚目 ― 「静かな絵本の時間」
庭の片隅、花のアーチの下。
母の膝の上で、レナリアが絵本を開いている。
父は肩越しに覗き込みながら、物語に合わせて声を変えて聞かせる。
レナリアは時折、挿絵を指さし、母の耳に何かを囁く。
頬のすり寄せ方まで、鮮やかに写し取られていた。
シャッターが切られるたび、光の粒が舞い、
その光景は立体映像のように空中に浮かび上がった。
私は夢中でシャッターを押しながら、心の中で同じ言葉を繰り返した。
──どうか、このぬくもりが、今もあなたの中に届きますように。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数後日、私は撮影した写真をガルド様が用意してくれた絵画用のキャンバスに魔法で転写した。
布地に浮かび上がった像は、写真の鮮明さと温もりを同時に宿していた。
光を浴びるたび、淡く色が揺れ、まるでその場の空気まで閉じ込めたようだった。
ガルド辺境伯様は、私からそのキャンバスを受け取った瞬間、言葉を失った。
大きな手で額縁を支えたまま、目を見開き、やがて小さく震える息を吐く。
「……これは……!」
声はかすれ、続く言葉が出てこない。
ただ、視線は絵の中の三人から離れなかった。
その表情には、守り切れなかった無念と、再び出会えた奇跡が同居していた。
数呼吸後、彼は静かに言った。
「……レナリアに見せたい。いや、見せなければならない…!リン殿、申し訳ないが今日はこれで失礼するよ。」
そう言うと挨拶も早々に、写真を抱え応接室を出ていってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ガルドはその足でレナリアの部屋の前に立った。
扉越しに、いつになく柔らかい声で呼びかける。
「……レナリア。君の会いたい人が来ているよ。入室しても良いかな。」
沈黙が落ちた。
しばらくして、かすかな衣擦れの音がして、扉が少しだけ開く。
ガルドはその隙間から中へ入り、キャンバスを彼女の前に置いた。
レナリアは最初、視線を逸らしていた。
しかし、ふと気づいたように絵の中の母の笑顔に目を止める。
瞬きの間に、そこから淡い光が溢れ、
映像が空中に立ち上がった。
──初めての庭、花の名づけ、お茶会、追いかけっこ、絵本の時間。
それらが、鮮やかに彼女の前で再生される。
レナリアは口元を震わせ、囁くように言った。
「……お父さま……お母さま……!」
涙が、静かに頬を伝った。
長く閉ざされていた心の扉が、ほんのわずかに、きしむ音を立てて開き始める。
その隣でガルドは、姪の表情を見つめながら目を伏せながら
「ありがとう、リン殿……。」と、低く呟いた。
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