22、奇跡が生む波紋4
昼食は、静かに終わった。誰も、デザートに手をつけなかった。
その場の重苦しい空気を察してか、ルフェルが私の肩で小さな囁きをくれた。
『……ねぇ、リン。少し、外に出てみようよ?』
その提案は、私の心に小さな光を灯した。
「うん、いいよ。庭園だよね? 行ってみたいよね。」
私はガルド様の方を向き、尋ねた。
「ガルド様、お庭を散策してもよろしいでしょうか?できましたら、写真も撮りながら見てまわりたいのですが。」
私の言葉に、一瞬だけ、辺境伯の瞳に揺らぎが走った。それは迷い、そして……期待の混じった祈りのような色だった。だが彼はゆっくりと頷き、そばに控えていた執事に案内を指示した。
陽が傾き始めた庭園は、まるで物語の一頁のようだった。淡い金色の光が、花の輪郭を優しく縁取る。風にそよぐ草花、透明な音を奏でる噴水。小道の先には、藤棚と古びたベンチ、花に包まれた小さな石碑が佇んでいた。
「この庭……不思議なくらい、静かだね。」
私が思わず呟くと、ルフェルが肩の上でくすっと笑った。
『ここにもね、“妖精”がいるんだよー。』
ルフェルが笑いながら花の陰に手を伸ばすと、空気がきらめき、柔らかな羽音が響いた。羽のような光の粒がふわりと舞い、そこから四人の小さな妖精たちが姿を現す。彼らは、ルフェルの気配に導かれるように、私を見つめていた。
『ようこそ、界渡りの娘。ルフェルに導かれてここへ来たなら、心を許してよい。』
長い髭と銀灰色の翼を持つ老妖精、エルメルドが柔らかく語りかけた。彼の声は、まるで古木の囁きのように深みがあった。彼は初代辺境伯の時代からこの庭を見守ってきた、千年の時を生きる長命の妖精だった。彼の瞳には、この庭が紡いできた無数の記憶が宿っているかのようだった。
『ほんとに来たー! ひとが来てる! 久しぶりー!』
明るく飛び跳ねながら飛び出したのは、ピンクの花を髪に巻きつけた元気な妖精、ピオラ。その無邪気な声に、庭の空気が少しだけ明るくなった気がした。
『静かにしなさい。』
羽をたたんでベンチに座るのは、知的で落ち着いた気配のリィナ。彼女は、かつてレナリアが名づけた花々の名を一冊の記録にまとめていたという。その小さな姿からは想像できないほど、物静かで賢明な雰囲気をまとっていた。
そして草の上にふわりと降り立ったのは、翡翠色の翼を持つシェル。口数は少ないが、レナリアにいちばん懐いていた妖精だった。彼の瞳には、かすかな悲しみが宿っているように見えた。
『みんな……レナリアのこと、覚えてる?』
エルメルドが目を細め、低く重みのある声で語り始める。
『当然だとも。我らは“庭守の妖精”……人と大地を繋ぐものだ。古来より、人間が心を澄ませたときだけ、我らの声は届く。ここセレインの庭も、もともとは“目覚める地”と呼ばれ、土地と心が調和する場所として代々の主に大切にされてきたのだ。』
エルメルドの言葉に、私は静かに耳を傾けた。妖精と人間の関わり。それは、この異世界において、私がまだ知らない深い歴史があることを示唆していた。
『昔はね、人間と妖精って、もっとたくさんお話してたんだよ!』
ピオラがくるくると飛び回りながら言った。その声は、遠い過去への郷愁を帯びているようだった。
『けれど、時代が変わるたびに、少しずつ、妖精の声は届かなくなっていった。人間たちの心が、ざわつき、濁っていったからだ。我らは見えず、声も届かぬ存在へと成り果てた。しかし、レナリアは……あの子は違ったの。あの子は、ちゃんと“聞こえてた”んだよ。』
リィナが、少し寂しげに笑う。その瞳には、レナリアへの深い愛情が見て取れた。
『庭の花に名前をつけて、毎日話しかけていた。私たちにじゃなくても、その心がね……届いてたのよ。あの子の純粋な心は、私たちと通じ合っていた。』
『レナリア様の母君もまた、特別な方でしたな。』
エルメルドが続けた。
『花々と会話し、精霊の気配を感じる繊細な心をお持ちだった。その血は、レナリア様にも確かに受け継がれていたのだ。……あの日、レナリアが初めてこの庭に来たときのことは、今も忘れぬ。』
微かに、庭の一角に淡い残光が灯る。そこには、小さなレナリアが両親に手を引かれ、藤棚の下を歩く姿が浮かび上がっていた。それは、私のカメラの力が具現化したかのように、鮮やかな残像だった。彼女の屈託のない笑顔が、私と妖精たちの心を温める。
『花に『ミルクちゃん』『キャンディちゃん』なんて名前つけて、蝶々を追いかけて……お母様の後ろに隠れてたっけ!』
ピオラが嬉しそうに語る。その声は、まるで幼い日のレナリアが庭を駆け回る姿を再現しているようだった。
『それが、ある日を境に……声が届かなくなった。』
エルメルドの声が、ふと低くなる。庭の空気が再び重くなるのを感じた。
『事故の夜から数日後。光も、風も、すべてが沈黙した。我らはそのとき、見ていたのだ。まだ幼い彼女が、夜明け前の霧の中で、この庭に戻ってきたことを。誰にも知られず、誰にも助けを求めず、ただ……石碑の前で泣いていた。』
シェルが、噴水の縁を指さす。彼の小さな体が、悲しみに震えているように見えた。
『わたしたちは、ずっと声をかけたよ。でも……届かなかった。レナリアの心は、どこか遠いところに行ってしまったみたいだった…。』
リィナが唇を噛むようにうつむいた。妖精たちは互いに顔を見合わせ、そして、エルメルドが深く息をついた。
『だが、我らは諦めてはおらん。妖精とは、風のようなもの。見えずとも、耳を澄ませばそこにいる。そして、願いを抱く者がいるかぎり、その願いに応えるために在る。……旅人の娘よ、どうか我らの代わりに、あの子の心に語りかけてくれ。』
エルメルドは、私をまっすぐに見つめた。彼の言葉には、数多の時を超えてきた存在の重みと、未来への希望が込められている。
『君は界渡りの者。異なる世界からこの地へ来たが、それは偶然ではない。世界と世界の狭間には、時折、”歪み”が生じる。そして、その歪みが、深い”願い”や”強い想い”を持つ者を引き寄せるのだ。君のカメラに宿る特別な力は、まさにその”歪み”の中で生まれた。それはただの道具ではない。人の心を写し、そして心を動かす力を持つ、言わば”魂の器”なのだ。』
ルフェルもまた、私の肩にそっと触れた。
『リンのカメラは、この世界の「絵」とは違う。リンの写真は、ただの形を写すだけじゃない。その瞬間に込められた「想い」や「感情」、そして「真実」を写し取る。だから、それは時に人を癒し、時に心を震わせる。レナリアの閉ざされた心に、届くはずだよ。』
私はそっとカメラを抱きしめた。
この庭が、いくつもの優しい記憶に満ちていたこと。そして、妖精たちがずっとレナリアのことを想い続けていたこと。それを伝えることが、異世界に転移した私の存在の意味、自分に託された役目なのだと、静かに胸に刻んだ。私のカメラが、この世界で果たすべき役割――それは、単なる記録ではなく、心の光を灯すこと。
「……わかりました。私にできることがあるなら、全力で届けます。」
私の決意に、妖精たちは安堵したように頷いた。




