20、奇跡が生む波紋2
「君が……リン殿か」
私は思わず姿勢を正した。貴族、それも領主である辺境伯と直接会うのは、これが初めてだったからだ。
(ど、どうしよう……変なこと言わないようにしないと……!)
私が緊張で固まっていると、横から小さく咳払いが聞こえた。
『リン、肩に力入りすぎ。』
耳元で囁くように言ったのは、ルフェル――私だけに姿を見せる妖精だった。
ルフェルは普段、他人には姿も声も見せないが、このとき、私を気遣ってそっと囁いてくれたのだ。
(……ありがとう)
その声に、少しだけ心がほぐれた。
「評判を聞いてね。現物を見ずに判断するのは、私の流儀じゃない。」
ガルド様は穏やかに微笑みながら、展示された写真板の前に立った。
「これだな……」
飾られている写真板を、静かに見つめた。
それは、妖精の花園で撮影した清楚バージョンの写真だった。
モデルの女性が、白花と共に舞う一瞬。写真の中の光が、実際に微かに揺らいでいるように錯覚するほどの繊細な描写。
その光景に、ガルド様の眼が揺れる。
「……これは、芸術をも超えている。なぜだ……絵ではない。なのに、心に届く。これほどまでに“人の美しさと誇り”を映し出すものを、私は見たことがない。……これは、“生きている証”なのだな。」
しばらく無言のまま写真を見つめたのち、ガルド様は静かに言った。
「写真は、“その人の本当の気持ち”を映すものだと思っています。……これは、私たちの気持ちの結晶です。」
その言葉に、ガルド様は目を細めた。
「……ならば、君に、ひとつ相談がある。この力で、依頼を受けてはもらえないか?」
「依頼……ですか?」
ガルド様は静かに、けれどまっすぐに言った。
「実は――私の姪が、ある事情で人前に出られなくなってしまってね。その子の心を解き放つ手立てを、ずっと探していた。あなたの撮る写真には、人の心に灯をともす力がある……私はそれを信じたいのです。」
目の前の人物が、自分の撮った“写真”に価値を見出し、それを“力”と見なしている――それは、期待と同時に、重圧でもあった。
その眼差しは真剣そのものだった。
私は、胸の奥に熱いものが込み上げてくるのを感じた。
写真が……誰かの、心を救う?
言葉にならない想いが、全身を駆け抜けていく。
ガルド・セレイン――この地域の政治と軍を司る、若くして頭角を現した名領主。だが、その名声とは裏腹に、公の場に姿を現すことは滅多になく、民にとっては“雲の上の存在”とされていた。
それほどの人物が、自分の写真に……心を委ねている。
だが同時に――
(……この依頼、受けても大丈夫なのかな?どうしよう…。)
即答できずに逡巡していると。
『……リン、気をつけて。』
ふわりと風が吹き、肩に小さな重みが乗った。
クリスさんとガルド様には見えないが――私には、ルフェルの姿が見えていた。
だが、ルフェルの表情は、いつもよりも険しい。
『……気をつけて、リン。こういう人たち、悪気がなくても、君を“力”として扱おうとするかもしれない。この男は危険、って意味じゃない。でも、慎重に返事をして。貴族たちは“言葉”と“沈黙”で人を動かす。』
(うん、分かってる……)
私はその言葉に背中を押され頷きながら、答えた。
「……承知しました。私で、よければ。できることがあれば、協力します。」
そう答えると、ガルド様は深く頷いた。
「では、3日後の昼食に招待しよう。使者を送る。」
そう言って、彼は軽く一礼し、白い衣の裾を翻しながら去っていった。
◇◇◇
月光亭の厨房。夕食の仕込みの香りが漂う中、私は静かに包丁を動かしていた。
――が、心はざわついていた。
ガルド・セレイン。辺境伯本人。写真を通して、誰かの心を救いたいと願った人。その真っ直ぐな眼差しが、胸に焼き付いて離れない。
「……本当に、大丈夫かな……。」
ぽつりと漏れた私の独り言に、ふわりと宙から気配が降りてくる。
『心配なの?』
現れたのは、ルフェル。私の肩にちょこんと乗りながら、小さな足をぶらぶらさせていた。
「うん。辺境伯様の目……本気だった。でも、その分、責任も重くて。」
『当然だよ。あの人は“願い”を託した。でも、リンなら大丈夫。君の写真は、誰かの心を映して、癒すことができる。』
「……ありがとう、ルフェル。でも、私一人じゃ、やっぱり不安で……。」
私の言葉に、ルフェルはそっと私の頬に手を伸ばした。
『リン。君は一人じゃない。ボクがいる。アイザックもいる。君が信じる人たちが、ちゃんと君の背中を支えてる。……それに、誰かの涙を拭える力を持ってるのは、君なんだよ。』
その言葉に、じんわりと胸が熱くなった。
「……うん。ありがとう、ルフェル。」
私は微笑んで、そっと目を伏せた。
――その時。
「リン、独り言か?」
厨房の戸がすっと開いて、アイザックが顔を覗かせた。
「あっ……ううん、ちょっと考え事してただけ。」
「ふーん……疲れてないか?クリスの店にも行ってたんだろう?」
「うん……平気。あのね、アイザック……実は、辺境伯のガルド様に依頼したいことがあるって言われて…。」
私の言葉に、アイザックの表情がわずかに動く。
「……やっぱり、そうか。遠目に見てて、どこかで見た顔だと思ったんだ。以前、王都で護衛任務をしたときに、何度か顔を合わせた。」
「えっ……!アイザックって、そんな仕事まで……?」
「ああ、昔ちょっとだけな。王城に出入りしてた貴族の護衛任務だ。今は冒険者ギルドで自由にやってるけど……名前を出されるくらいには、信頼は得てるさ。」
「すごい……!」
『頼もしいな~、この人。見た目以上にいろいろ知ってそう。』
ルフェルが感心したように腕を組んだ。私にしか聞こえないその声に、思わず口元がゆるむ。
少し迷った後、私は意を決して言った。
「ねえ……アイザック。3日後、ガルド様の屋敷で昼食に招待されて……できれば、一緒に来てもらえないかな。付き添いとして。」
アイザックは驚いたように目を見開いたが、すぐに真面目な表情に変わる。
「……もちろんだ。正式な招待なら、俺が同席しても問題ないだろう。何かあったら、俺が君を守る。」
「……ありがとう。心強いよ。」
私は安堵に胸を撫で下ろした。
就寝前、今日の一日を思い返しながら、窓の外を眺めていた。風が夜の街を吹き抜けていく。月の光の下で、私は心を静かに落ち着けていた。
そして、思う。
――その子の心を、写真で救えるのなら。




