16、クリスさんとの挑戦4
朝市に出している花のほとんどは、彼女の自宅に併設された広大な庭で育てられている。撮影は快く了承してくれて、少し驚いた。
「――この庭は、私のご先祖様が植え始めたものなんだ。その人の特別な力は、“妖精の声を聞くこと”だと言っていたそうだよ。」
私は思わず息をのんだ。先程聞こえた、あの不思議な声が頭をよぎる。
「小さな男の子のような声だったって……。花を植えるとき、『そこは日当たりがいいよ』とか、『こっちに水をあげて』とか……風に乗って語りかけてきたって、日記に残されているんだよ。」
「その声……本当に妖精だったんですか?」
「わからない。でも、こう書いてあった。――“姿は見えなくとも、あの声と花の笑い声が重なったとき、私は確かに、何かと心を通わせていた”って。」
ミリアさんの声は穏やかだけど、どこか神聖な気配を帯びていた。彼女の言葉は、私の心の奥に何かを響かせた。
「その後も、代々この家の者は、この庭を大切に守ってきたのさ。親も私も、残念ながらその力を受け継いでいない…。声を聞いたことはないんだ。だけどね、感覚的に花たちの機嫌は少しわかるんだ。
だから、もしも本当に妖精がいるとしたら、声を聞いてくれる人間を、ずっと待っているのかもしれないね。」
私は黙って頷いた。やっぱり、あの声は――。
『やっと来たね。ボクたち、ずっと待ってたんだよ。キミの“目”が、見えるようになるのをね。』
あのとき花の中で聞こえた、いたずらっぽく響く、けれどどこか神秘的な声。きっと、あれが妖精の声なのだ。
◇◇◇
撮影当日。朝もやがまだ残る時間、私は月光亭の面々や、クリスさん、そしてモデルを務めてくれるお姉さんたちとともに、ミリアさんの花園を訪れた。
「まさか妖精の庭で撮影することになるとはな。俺が来て大丈夫だったか?」
アイザックさんは冗談めかして言う。
「大丈夫だよ。むしろ、いてくれると心強いよ。」
「そうか? じゃあそのへんで妖精の気配を察知したら、すぐに教えてやる。」
「頼りにしてる。」
笑いながら返事をして、私は撮影の準備に集中する。
モデルのお姉さんには、まず清楚タイプの白い下着を着てもらい、花園の中心に設けた簡易ブースの中で撮影する。
「リン、準備できたよー!まずは白い方から撮っていこう!」
クリスさんの声に呼ばれて、私は現実に戻る。
「はい、今行きます!」
風がそよぎ、白花が足元に広がる中、光の粒がきらきらと舞う。その姿はまるで妖精そのものだった。
構図を調整しながら、シャッターを切る。
カシャッ。カシャッ。
――カシャッ。
「いいですね……。ちょっと視線を斜めに。そう、今の角度……。」
私は集中してシャッターを切り続けた。
「確認するので、小休憩にします。その場で少し待機していてください。」
そう言ってから、プレビュー画面で撮影画像を確認する。
だが、ふと、風の流れが変わった気がした。
木々がざわめき、微かな風が吹き耳元にふたたび、あの声が忍び込む。あのときと同じ、少年のような声が微かに聞こえた。
『また、来たんだね。』
私は目を開いた。はっとして、辺りを見回すが、誰も反応していない。声は、確かに聞こえた。でも、耳元ではなく――心の中に響くような、ふしぎな感覚だった。クリスさんは衣装の最終チェック、モデルさんはポージングの確認をしている。アイザックさんが荷物の警備をしながら遠くを見ていた。
「今の……また……。」
確信に変わった。この庭には、確かに“妖精”がいる。
『もう少し……奥に来てごらん?』
耳にふれる風が、まるで導くように私の髪をそっとなでた。
私は一歩、カメラを持ったまま花園の奥へ足を踏み出す。だが、後ろから声がかかって立ち止まった。
「リン、どうしたの? 」
クリスさんの声で、ふっと現実に戻る。
「いえ、なんでもありません。次は別の角度から撮りますね。」
私は笑顔で返事をしながらも、さっきの声が頭から離れなかった。
――やっぱり、この庭には、何かがいる。でも心の中には、さっきの声の余韻が、まだ小さく響いていながらも、撮影を続けたのだった。