物憂げな聖女様の影には恋路を邪魔する悪魔が住んでいる
勇者が世界を救った後の後日談です。
場所はエルシスティア王国にある王宮。そこにある大広間のバルコニーで誰もが見惚れる美しい女性が物憂げに月を眺めていた。
金色に輝く長い髪。見るものすべてを慈しむ透き通った青い瞳。それに端正な顔立ち。これらの特徴は彼女の持つ聖女という肩書にピッタリだった。
彼女の名はアリシア=レリー。魔王を討伐したパーティの一人である。神官だった彼女は、その偉業が認められ、教会から聖女の肩書を与えられていた。
アリシア達が死闘の末に魔王を討ち果たしたのはちょうど一年前。今日はそれを記念して国を挙げての祝祭が開催されていた。
主賓として王宮に招かれたアリシアは、朝から様々な催しに駆り出されて、もうクタクタに疲れていた。今すぐにでも部屋に戻って湯浴みをしたい気分だった。
(あと少しの我慢)
アリシアは自身にそう言い聞かせながら近くの椅子に座る。
一階の大広間からは、オーケストラが奏でる華やかな曲が聞こえてきた。舞踏会が始まったのだろう。本当はそこにも顔を出した方がよいのだが、もう出向く気力もなかった。
『君は踊らないの?』
何処からか茶化すような声が聞こえる。
アリシアは何も答えなかった。第一王子のゲイルがこちらにやって来る姿が見えたからだ。
「こちらでしたか。アリシア殿」
「ゲイル殿下、いかがなさいましたか?」
アリシアは立ち上がって出迎える。彼は両手にシャンパンの入ったグラスを持っていた。その一つをこちらに差し出してきたので、彼女は礼を言って受け取った。
第一王子のゲイルはまさに白馬の王子様といった感じの風貌だった。気品に溢れ、きらびやかで物腰も柔らかい。きっと多くの女性が彼の隣に立つことを夢見ているはずだ。
ゲイルは疲れ果てたアリシアを見ると、クスッと笑った。
「一緒に踊って貰おうかと思ったのですが、どうやらお疲れのようですね」
「ええ。もうヘトヘトです」
アリシアは苦笑いを浮かべて肩を竦める。
「本当に一日お疲れ様でした」
ゲイルは労いの言葉を述べて優しく微笑むと、グラスを軽く持ち上げた。アリシアもそれに応えるようにグラスを掲げる。あまりアルコールが得意ではなかったが、礼儀として一口だけ飲んだ。
それからしばらくの間、彼との会話を楽しんだ。話題は近隣諸国の情勢や魔王が討伐されてからの魔物の動向、そんな真面目な話から始まって次第に他愛もない世間話へと移り変わっていった。
そして、最近貴族の間で流行っている甘味の話が終わったとき、ゲイルは意を決したようにシャンパンを一気に飲み干して真剣な眼差しをこちらに向けてきた。
「アリシア殿、私との婚姻を再考して頂けませんか?」
アリシアは唐突な彼の言葉に驚くことはなかった。彼が護衛もつけずにこの場に来た時点で、きっとプライベートな話があるのだろうと予想していたからだ。
アリシアは儚げな表情を作って言葉を返す。
「殿下、以前に申し上げた通り、わたしにその資格はありません」
「そんなことはない。貴女は立派な国母になれる方だ」
「いいえ。この身に受けた呪いは、必ず殿下を不幸にするでしょう。それは国を傾けることにも繋がります。どうかご理解ください」
「呪いなど私が――」
諦めきれないゲイルがそう言ったとき、突然彼が手にしていたグラスが割れた。中の液体が飛び散り、燕尾服が汚れる。
ゲイルは割れたグラスを見つめて呆然としていた。
アリシアはそんな彼から割れたグラスを取り上げると、持っていたハンカチで軽く汚れを拭いた。次に窓際で彼を見守っていたメイドに視線を送ってこちらに呼ぶ。
「殿下、お怪我はないようですが、一度下がってお着替えをなされた方がよろしいかと」
「あ、ああ。すまない」
呆けていたゲイルは声を絞り出すと、メイドに連れられて室内に戻っていった。
「せっかくの玉の輿が……」
アリシアは遠ざかっていくゲイルの背中を見つめてため息を吐く。そして、何故か自身の影を右足で踏みつけた。
『一人で幸せになろうなんて言語道断!』
影からそんな声が返ってくる。
「もう! 早く成仏してよね!」
『酷いなぁ。僕はまだ死んでないのに』
今度は影から拗ねたような声が返ってくる。
アリシアの影にいるのは魔王を討伐した勇者レックスだ。身近な者からはレックと呼ばれている。
彼は魔王が絶命する寸前に放った呪いを受け、そのとき踏んでいた彼女の影に縛り付けられてしまっていた。
パーティにいた魔法使いのエミリが呪いを解析してみると、レックは陽の光を浴びることができない身体になっていた。万が一でも浴びると身体に深刻なダメージを受け、最悪消滅してしまうらしい。
したがって、レックが影から出れるのは日が沈んだ後から夜明けまで。または陽の光が届かない洞窟や地下室のような場所だけである。それ以外の時はアリシアの影に潜んでいるしかない。その点では、プライベートをすべて晒しているアリシアの方が大きな被害を受けていると言っていいだろう。
ちなみに表向きは、レックは魔王と刺し違えて命を落としたことになっている。アリシアも魔王から呪いを受けたことにしており、今のように影に潜むレックが度々する悪戯をそれで誤魔化していた。
「あーあ。エミリ、早く解呪の方法見つけてくれないかなぁ」
アリシアは年下の魔法使いを思い浮かべて嘆く。
『彼女も色々と忙しいんじゃないかな』
「そうよね。今や魔法都市のお偉いさんだものね」
『それにこれから子育てもあるからね。大変だと思うよ』
「そうね。って、ちょっと待って! 子育てって何!?」
アリシアはレックから突然出た爆弾発言に驚く。
『あ、これ内緒の話だった。聞かなかったことにして』
「今更聞き流せるわけないでしょ! いいから早く言いなさい!」
『わかった。わかったから、ちょっと落ち着いて。周りの人から見たら一人で騒いでいるおかしな人だよ』
そう言われて、アリシアは慌てて周りを見回す。幸いにも皆舞踏会に参加しているようで、バルコニーには誰もいなかった。
一先ず彼女は残っていたシャンパンを飲んで気を落ち着かせると、「おしえて」とレックに説明を促した。
『えっと、僕も風の精霊からの又聞きだから詳しくは知らないけど、どうやら意気投合した同僚がいたみたいで、トントン拍子でそんなことになったみたいだよ』
「嘘……」
アリシアは妹のように可愛がっていたエミリに先を越されてショックを受ける。魔法の研究一筋で、恋愛にまったく興味がなさそうだったので余計にショックが大きかった。
だが、動揺したのも束の間だった。一気に嬉しさが込み上げてきて、すぐにでも一緒にお祝いをしたくなった。
「フェイ!」
アリシアは中庭に向かって叫ぶ。すると銀色の大きな狼がこちらに走ってきた。
それは聖獣フェンリル。彼女の相棒だった。
アリシアはバルコニーから飛び下りて相棒の背中に乗ると、「エミリのところまでお願い」と囁いて首筋を優しく撫でた。すると、フェイはキュンと甘えた声で鳴いて、それから勢いよく駆け出した。
フェイは瞬く間に王宮を走り抜けて城門を潜る。そこからは民家の屋根を伝って街中を駆け抜けると、あっという間に郊外へと出てしまった。
城門を通り過ぎたとき、門兵は唖然としていた。多くの住人もこちらを指差して驚いていた。ちょっとした騒ぎになっているので、きっと後で王様から叱られるだろう。でも、今はそんなことどうでもよかった。
『ねえ、気持ちはわかるけど切諌とかはダメだよ。エミリもこの呪いのことがあってアリシアに言いにくかったんだろうし……』
レックが心配そうに言ってくる。
「そんなことしません。わたしを何だと思っているのよ」
アリシアは剥れてみせる。彼女は続けて影に向かって愚痴り始めた。
「元はと言えば、わたしが結婚できないのはレックが邪魔するからでしょ」
『そりゃあ、するでしょ。僕が何度も求婚しているのにさぁ』
「いやよ。至る所に現地妻がいる勇者なんて」
『何、それ。とんだ濡れ衣なんだけど』
平然としらを切るレック。そんな彼に対して、アリシアは「へー」と呆れた声を漏らしてジト目で影を見る。そして、態とらしく惚けた感じでこう言った。
「えっと、何だっけ。雪原の街のアイラちゃんに、砂漠の街のキキちゃんだったかな。この名前に心当たりは?」
『そ、それは……』
影の中の勇者様は言い淀む。
「浮気者……」
アリシアはまた剥れた顔をする。
しかし、直後に少し罪悪感も込み上げてきた。彼にもやむを得ない事情があったことを知っていたからだ。
人間と雪女のハーフとして生まれたアイラは、どちらの種族からも受け入れられずにずっと孤独に暮らしていた。レックはそんな彼女と関係を築き、勇者という肩書を利用して人間社会に溶け込ませることでその心を救った。
キキもそうだ。奴隷だった彼女は水源を守るためにオアシスに住む魔物への貢物にされようとしていた。見過ごすことのできなかったレックは、彼女を高値で買い取り、一時的に保護してその間にオアシスの魔物を倒した。
窮地を救われた二人が彼に惚れるのも無理はないだろう。
(少し意地悪だったかな……)
アリシアの中にほんの少しだけ後悔の念が生まれる。
そんなときだった。林道を走っていたフェイが急に立ち止まって周囲を警戒し始めた。
近くに魔物がいるのだろう。フェイはずっと傍の茂みを睨んで唸っている。案の定、そこから二体のオーガが現れた。
アリシアは久々の戦闘に気を引き締める。しかし、彼女が生きたオーガの姿を見たのは一瞬だった。影から飛び出たレックが、瞬きする間もなく剣で斬り伏せてしまったのだ。
レックは剣を鞘に収めると、こちらに顔を向けて「大丈夫?」と確認してきた。
月夜に照らされた雪のような白い髪はとても美しかった。幼さを残した顔は魔王に挑んだときのように勇ましい。小柄だがその佇まいは、やはり世界を救っただけの風格が滲み出ている。思わず心がときめいてしまった。
「これからは君だけの勇者でいる。だから僕と結婚して」
レックはアリシアに向かって手を差し伸べると、そう告げた。
プロポーズを受けたアリシアは、もう何度目だろうと思って吹き出してしまう。そして、いつものように満面の笑みで返答した。
「お断りです」
レックは頭を掻きながら、やっぱりかといった感じで苦笑いする。
そんな彼を見て、アリシアはまた微笑んだ。
(あなたをわたしだけの勇者にするにはまだ早すぎる。もう少し皆の勇者でいて)
魔王が倒れてまだ一年。今もなお、彼の力を必要とする人は多くいる。レックには悪いが、自分たちの幸せを考えるのは彼らを救ってからだ。それまでは聖女として彼を支える限りである。
(でも、わたしの何がそんなにいいんだろう?)
アリシアはここでふとそんなことを思った。何故飽きずにこんなにも自分に情熱を傾けてくれるのか気になってしまったのだ。彼女は試しに訊いてみることにする。
「ねえ、ところでわたしのどこが好きなの?」
レックはその問いに訝しげな顔をして首を捻る。そして何か閃いたのか、ぱっと表情が晴れるとこう告げた。
「顔!」
「0点!」
アリシアは条件反射でレックの頭を引っ叩く。
「もう最低! さっきのときめき返して!」
一気に不機嫌になり、口を膨らます聖女様。
どうやらレックが自分だけの勇者になるのは当分先のようだと、アリシアは心の中で嘆いた。
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