【短編】 令嬢、配信す 〜あるいは配信者が令嬢を最強にする話〜
眠れないなあ、と寝台から天井を眺めていたら、光るものがあった。
それは不安定にゆらゆら揺れていたかと思ったら、床へと着いた。
ホタルにしては強い光だった。
魔法の光に似ているけれど、少し違う。
『ひどい目にあった……』
ただの魔力光がこんな風に喋ることなんてない。
『というか、ここって、どこ? やけに高く飛ばされたけど、地図表示上は――』
「だれ……?」
訊いたとたんに、ぴたりと声は止まった。
けど、『やべ、人いた……』って声はちいさく聞こえた。
私はベッドから起き上がって、その光に近づいた。
光球は「いま風に吹かれて転がってますよー」という雰囲気で動いて逃げようとしたけど、うん、ここって密閉空間だ。
私は追いついて、足で進行方向を遮って、ツンツンとつついてみた。
『あの、やめて……?』
「だれ?」
『青山一』
「あお……?」
『あー、この世界風に言えばブルー。よろしく』
白い光球なのにそれはブルーと名乗った。
「ブルーはなにしてるの?」
『ちょっとピンチだから逃げようとしているかな』
「ピンチ対象、私?」
『自覚があって嬉しい』
「私、食べたり潰したりしないよ?」
『別に悪意があるとは思ってないよ、けど――』
どこか悲しそうに、その光球はゆらゆらしてた。
『君って、この塔に閉じ込められるくらいとんでもない魔力量なんだよね?』
ああ、そういえば、そうだった。
+ + +
この世界には13歳になったら教会で祝福を受ける制度がある。
その祝福は色々あって、たぶんランダム、だから中にはへんてこなものもある。
家内安全絶対遵守とか、ゲテモノ料理の具現化とか、人間が犬に見えるとか、本当に意味不明だ。
その中で私が得たのは、とてもシンプルだ。
ただの「魔力増大」だった。
普通、これはとても嬉しい。
何にでも魔力を使うのが当たり前の世界だから、増えれば増えるほどいいものだった。
けど、限度ってものがある。
私はもともと人より10倍くらい多いって言われる魔力量だった。
それが、祝福の影響を受けてさらに100倍くらいになった。
着火の魔術を私が唱えたら30メートルくらいの火柱が出来上がる。
九階建ての建物にも届く高さだ。
私の魔術はあらゆる城を壊せる兵器になった。
ここまで行くと普通に歩くだけで魔力耐性のない人がバタバタ倒れることになる、見た目ちょっと大惨事だ。やばい。
ただ、こういう規格外に対するノウハウも、神殿や学園にはあった。
魔力吸収と蓄積をするための塔がそれだった。
私自身がこのとんでもない魔力量を制御できるようになるまで、ここで暮らす必要があった。
……うん、分かってる。
これって、実質的にはただの幽閉だ。
「ブルーはどうしてここに?」
『あー、魔族が攻めて来てることは、知ってる?』
「知らない」
『そっか、割とね、近くまで来てるんだ、僕も含めて色んな人達が対処に駆り出されてる。だから戦って敵にぶん殴られて弾き飛ばされて、今ここって感じかな』
「そうなんだ……」
光球はふわりと浮かび上がる。
『なにか気にしてる?』
「皆大変そうなのに、ここにいて、何もできないから、ちょっとは気にしてるよ……」
『ここの塔からの魔力提供と魔力蓄積があるから楽になってる、って面はあるよ』
「そうなの?」
『潤沢な補給はいつだって大切、逆を言うとここにいる君が魔族に奪われるようなことになれば、こっちの負けは確定だ』
「ふぅん」
『あらら、気にならない話題?』
「私に自覚がないよ」
『なら、皆に代わって僕が感謝しておこうかな、ありがとう、とても助かってる、君の存在は僕らの助けだ』
「う、うん」
とてもヘンな光球だった。
「あなたは、使い魔……?」
『失敬な』
「え、ごめん」
『ちゃんと名乗ったでしょ、僕は青山ことブルー。ちゃんと人格のある人間だよ』
「人間、は無理があると思うよ」
『それはそう』
「頷いちゃうんだね……」
『というか、これ』
ふわり、と宙で一回転した。
『僕の本体、ってわけじゃない』
「そうなの?」
『うん、本体は別の場所にいて、操ってる。だから、そっか、使い魔というのも実はそこまで外れじゃなかったかな』
「どうして、そうしてるの?」
『来るにはちょっと遠すぎるんだよね』
曖昧な言い方をされた。
+ + +
この祝福を授かってから良いことは、あんまり無かった。
家族や友達から離れなきゃいけなかったし、外の景色もあまり見れない。
偉い人が面談とかに来たけど、五分も持たずに戻った。
私の魔力量は、魔術学院学長が耐え切れないレベルだった。
それと、婚約破棄が告げられたけど、これはどうでもいいか。
手紙で長々と言い訳の文章が並んでいたけど、そもそもそんなに好きな相手じゃなかったし、安堵の方が大きかった。
私の方から婚約破棄した形にしたがってたみたいだけど、そんなの知らない。勝手にやってろ。
魔力制御の練習はずっと続けているけど、成果としては、あんまり良くない。
私の魔力量は例がないほど巨大で、それまで効果のあった魔術制御方法が当てはまらなかった。
『ふうん』
そういう略歴を話してみたけど、反応はあんまり良くなかった。
困った。私に出せる話題とか、他にあんまりないんだけど。
『手紙とかのやり取りは、できるんだ?』
「やり取りじゃないよ、こっちからは出せない」
『ああ、なるほど』
「料理とかと一緒に、一方的に転送されるだけ」
『本気で牢獄だ』
言いながら光球は、周囲を探索していた。
壁の石積ぜんぶを調べるような徹底っぷりだ。
『この石、魔力を吸収する素材で出来てるんだ……』
「そうだね」
『魔力で出来てる僕が下手には触れないな、すぐに出られそうにはない』
「そっか、残念だね?」
『なんか声が弾んでない?』
そんなことは多分無い。
「外って今、どうなってるの?」
『んー』
言葉を選んでいるというよりは、言いあぐねているみたいだった。
『僕、そもそもこの辺の出身じゃないんだよね、だから、どこから説明すればいいか迷ってる』
「外国出身なの?」
『日本、ってところから配信してる』
「ハイシン……?」
『その言い方だと背信行為みたい。ええとね、古いパソコンを買ったんだ』
よく分からない単語だった。
『君たち風に言うと、古い魔導書かな』
「ふうん……」
『どんなものなんだろうって調べたら、中にはアイコンが一個しか……あー、呪文が一つしか無かった。無視すべきなんだろうけど、ついつい起動させちゃったんだよね』
「……かなり危険じゃない?」
『うん、ヤバかった。でも、気づけば画面の中にはリアルな景色があって、自由に移動できた。しばらく色々して、僕は光球を操っているらしい、って気がついた』
かなり特殊な呪文なのかな。
遠視と同調も含めた混合呪文?
『だから最初、これってただのゲームだと思ってたんだよねえ』
「ゲーム?」
『誰かの作った幻だと思ってた』
「私、嘘じゃないよ」
『うん、今はもうこれが現実だって判断してる』
「どっちかわからないんじゃないの?」
『単純に、僕がそう信じるってことに決めた』
「根拠とかなしで?」
『結局のところ、人って自分がなにを信じるかじゃない?』
そんなものかなあ。
『ああ、それと、外の状況についてだっけ』
「うん」
『魔族軍の侵攻がかなり厳しいね、具体的には海洋交通の遮断から始まって――』
外は、思ったより大変だった……
最近、提供される料理のレベルが下がってるな、くらいには思ってたけど、そこまでだとは考えてなかった。
『だから、結論としてはかなり分の悪い膠着状態だね、重要拠点であるこの周辺一帯が向こうの手に渡ったら不味い。食糧不足で次の冬を越せなくなる』
「詳しいね?」
『光球だからね』
「それ、理由になってない」
『なってますぅ』
「……あなたの顔とか見えないけど、ぜったい今むかつく顔してる」
『そんなことないですぅ』
「ぜったい今も」
『くやしいのう』
「……いー、だ」
『ねえ、君、表情筋死んでない?』
私もむかつく顔を作ろうとしたけど、思った以上の私の顔面筋肉は硬直化していた。
『まあ、知ってる理由については、僕が勇者だからだね』
「ん?」
『僕が勇者だから、軍事上の重要な情報とかも教えてくれたみたい』
「私、ちょっと疲れてるみたい、ありえない言葉が聞こえたよ」
『現実を見よう、僕、勇者』
「言いたくないけど、自分の姿を顧みようよ」
『でも、定義上はそうだって』
勇者、という言葉は私でも知っていた。
悪魔とか大災害とか魔導王とか、人間じゃどうしようもない脅威が来た時に現れる存在だ。
魔族が魔力減衰領域を出せる代わりに、人間には勇者が現れる、とも言われてる。
勇者は、いつでもどんな場面でも絶対に勝てるわけじゃない。だけど、最終的には勝利する。
うん、最後に、必ず勝つ。
だから、みんなが命がけで頑張れる。戦いがちゃんと価値があるものにつながる。そういう象徴だし、英雄だ。
なにをどう間違っても、こんな風にふよふよ浮かぶ光球じゃない。
『僕が聞いた話だと、勇者っていうのは、異世界から来た祝福持ちなんだって』
「そうなんだ……」
『そして歴代の勇者はだいたい僕みたいなものだったらしい』
「それはさすがに嘘」
『そう説明されたよ?』
「アバタール様とかウルスラ様とかエストランド様が、光球だなんてことはないの。嘘を、言わないで」
『え、なにかの地雷踏んだ? それって歴代勇者の名前?』
「エストランド様の悲恋が酷いことになるから、ぜったい違う……」
『解釈違いかあ』
美形同士の恋愛が、最後のさよならの接吻が、実は片方が光球だったとかこの世の終わりだ。
「次元を切断すると言われた美形剣士のウルスラ様がただの球とか、ないから、ぜったいにないから」
『あ、うん、僕も聞いただけだからね?』
「遠くすべてを見通すアバタール様が故郷が燃えているのをただ見ることしかできない場面なんて、今でも演劇の主題になってるのにーー」
『あ、それは記録に残ってて読んだ。その時は家が火事で大変だったらしいね、幸いにも外に出ていて無事だったし、人死は出なかったけど、パソコンが燃えて絶望したらしい。まだクラウド保存とか無くて、どうしようもーー』
「がう!」
『……威嚇された……』
「違うから、認めないから」
『……でも、僕、勇者……』
「そういう夢を見ているんだよね?」
『君の中での僕、頭のおかしいやつになってない?』
そうしないと、私の正気が保てない。
+ + +
その後もいくらかやり取りをしたけど、後はブルーのハイシンが動画中心だってことくらいだった。
私とのやり取りも動画として上げるらしい。
急いで髪を整えた。
よくわからないけど、ハイシンは色んな人が見る観劇みたいなもの、って説明された。
話はいろいろ興味深かったけど、そもそもの時間が真夜中だった。
私が普通に寝ようとしていた時間帯だ。
さすがに眠気には勝てずに就寝することになった。
ブルーの方も、ここまで吹き飛ばされるようなダメージを負ったこともあって一旦は引き返すらしい。
引き返す、って言っても光球のコントロールを手放すだけだけど。
『その辺を転がってるけど気にしないで』と言われた。
真っ暗な中に光源があるのは、ちょっと慣れない。
今日一日で、というよりも、ここ一時間くらいでの変化は激しすぎた。
修道女みたいな暮らしをしていた日々からすれば天と地ほども違う。
ブルーのせいだし、ブルーのおかげだった。
彼が勇者だっていうのは妄想だと思うけど、それでも関わりのある人は多いみたいだし、外との連絡をどうにかしないと……
そんなことを思いながら、眠りについた。
――起きた時間はいつも通りで、太陽が顔を覗かせていた。
開けてある窓の関係上、日差しがちゃんと降り注ぐ時間帯は限られている。
健康のためにも、この陽光を積極的に浴びるようにしていた。
普段であれば薄着になっての日向ぼっこだけど、さすがにこの状況でそこまではしない。
「起きてる?」
転がった光球を足でつついてみる。
「ねえ、今ハイシン? とかしてたらひどいよ?」
反応はない。
ただの光球のようだ。
私は目覚ましのためにも顔を洗ってから、もう一度光球に触れてみる。
本当に微動だにしなかった。
面白くなって何度もつんつんしてみる。つんつん。
「え」
ずぼ、っと指が入った。
「え……これ、え、大丈夫……?」
感覚的なものだけど、攻撃、にはなってないと思う。
ダメージが入ったとき特有の感覚がなかった。
どちらかというと守備的な結界に侵入したときみたいな感じだ。
人差し指第一関節分だけ、侵入している。
「んー……」
ブルーは、魔導書に一個だけしかない呪文をつい唱えてしまった、と言っていた。
その気持が、今は少しだけ分かる。
人って好奇心には勝てない。
「お、おお……?」
ずる、ずる、と指が入った。
人差し指まるまる飲み込み、さらにその先まで。
手の甲を過ぎて、手首まで、五本指を含めた丸々が入り込む。
「え、え、これ、どこまで、入るの?」
光球の内部に、熱は無かった。
中指、薬指とゆっくりと広げてみるけど、なんの抵抗もない。指は自由に動く。
光球と接触している部分だけはある程度の邪魔というか、弾こうとする部分があるけど、内部はそうじゃなかった。
むしろひんやりとしてた。
ずる、ずる、と進み、進んで、手首をすぎて前腕の半ばまで。
外から見ればできの悪いマジックみたいなことになっている。
「うぇえ……」
さすがに気分が悪くなってきた。
これ、戻せるよね?
広げた指のまま、後ろに引き戻そうとして。
「――っ!」
何かに、触った。
硬いものだった。
金属、じゃないと思う。
あんまり冷たくないガラス、が近いのかな。
私の手が、五本の指ぜんたいが、それを掴むような格好になっていた。
そして、たしかに硬いんだけど、なんか変な感じもある。
こう、なんだろう、動かせる? 軽い?
人は、好奇心には勝てない。
本日二度目の敗北を確信しながら、私は妙に手にフィットしている形の、人差し指を動かした。
カチッ、って小気味いい感触があった。
同時に、何かが起動する音がした。
私が知らない機構が、複雑が、未知が動き始めた。
「え、え、なんかしちゃった? というか大丈夫?」
私ががっつり腕まで入れてしまった光球に問いかけるけど返答はなかった。
いまさらだけど、何か致命的なことじゃないよね、これ。
と、とりあえず、私がこのカチッていうのを鳴らしたら、何かが起きた。
なら、もう一回同じように鳴らせば止まる、かも?
緊張のあまり手がぶるぶると震える。
というか、私が持っているもの、なんかすごく軽い。
多少右方向に動いた気もするけど、魔導アイテムなら魔力を込めて行えば同じ結果になるはず。
よし、カチッと。
「……なんにも、変わらない?」
音というか起動している感じもそのままだ。
それどころか、別のものが動き出しているような、そんな感覚すらあった。
「魔導書……ブルーは、ぱそこん、とか言ってたっけ、私は今それに触れている……?」
ふわ、と何かが流れた。
下から上へ。
◯▲■◎:OO
ってものが移動した。
それは光球の周辺から溢れたように見えた――あ、いや、違うのかな。
見えるというより、感じるに近かった。
ぽつぽつと、やがては大量に現れた。
さっきの「◯▲■◎:」が大量に下から上へと移動する。
左側は固定されてるけど、その後ろにある記号は長さも形も色々だった。
たぶん、文字だった。
どういうこと、これ、と思うと同時に呪文を唱える。
私は大抵の呪文を使える、その中には、翻訳呪文もあった。
知らない言語でも文意を知ることができる。完璧に、ってわけじゃなけど、その意味を知る。
そこにはーー
コメント:ゲリラ配信?
コメント:てか、なにこれ
コメント:ライブ配信はしないって言ってなかったっけ
コメント:放送事故?
コメント:まーたいつものゲーム広告詐欺かよ
コメント:なぜかいつまでも発表されないゲームの広告な、というか、誰この人?
コメント:動画じゃなくて配信やんの久しぶりすぎない
コメント:ありゃ性的すぎてBANくらったから仕方ないだろ
コメント:センシティブがセンシティブすぎた
コメント:え、てか新キャラ!
コメント:誰この美人
コメント:まじかよまた浮気かよこの配信者
コメント:現地妻キタ
コメント:ふぅむ、儚げに見えますが元はかなり元気タイプと見ましたな
コメント:本妻激怒不可避
コメント:修羅場か、修羅場なのか
え、本当になにこれ。
「あの、私、どうなっているのか分からないんですけど、これは――」
言ってから気づく。
たぶんこれ、伝わらない。
私が最初に文字がわからなかったみたいに、きっと別の言語に聞こえるはず。
コメント:あー、翻訳係はやくー
コメント:さすがに同時通訳はむりやろ、あれ動画だから字幕にできるんや
コメント:というかゲームに独自言語まで作成するのは気合い入りすぎだよな
コメント:てか当のブルーはどこだよ
うん、やっぱり伝わっていない。
私は脳内の魔術呪文をさらって精査する。
翻訳呪文の応用。能動的だから難易度は上がる。
文字を読むのと、文字を書くのはぜんぜん違う。
スペルミスなしで書ける気とかしない。
更に言うと今からするのは、発声だ。
頭に一時的に焼き付けられた言語体系だけを参考に、言葉として外へと出す。
言っているのと、実際の口の形がまるで違うことになる、とんでもない違和感だろうけど、それでも伝えるくらいはできる、はず?
右手は光球に入れたまま、左手で呪文を頭に打ち込みんだ、よし。
「こにぃちは」
コメント:ん?
コメント:ふぇ
コメント:お
「ちが、こんばんが?」
コメント:え、おいおい?
コメント:どういこと?
コメント:やべえ、カタコトでも日本語使えるってことは、前々からブルーと繋がりがある相手か……
コメント:え、それって
コメント:本妻に隠れて前から浮気してた……ってコト?!
「うわきぃ、ふぎみっつー?」
コメント:ふぎみっつ、あー、不義密通か
コメント:草
コメント:やめろ、銀髪儚げスタイルで小首傾げた棒読みで、ふぎみっつー?の術は俺に効く
コメント:ミッツーちゃんかあ
コメント:ミッちゃん派
よくわからないけど、これがハイシン、なのかな?
私はどうやら、知らない間にそれをしてしまっているらしい。
+ + +
人は言葉を使える。
言葉を使って情報を伝えられる。
なにか色々と誤解があるみたいだけど、今どうなっているのか、このぱそこん?に教えることくらいはできる。
なので、ちゃんと事態について喋った。
コメント:やべえ、なに言ってるかぜんぜんわかんないんだが!?
コメント:彼女はがんばってるだろ! お前もがんばれよ!
コメント:誰か、翻訳を、翻訳係をー!
コメント:目ぇ覚ませ、彼女が喋っているのは日本語だよ?
あれ?
ちゃんと言えたと思ったんだけど。
コメント:まりょくがまりょくで、すごいーから、いて、で、きた? しゃべった、ふぎみっつーです、ない 朝 私 わかんない 手えいれた
コメント:文字にされると更にわからんな
コメント:異世界言語、ある程度はわかるようになったつもりだったんだが、今回まったくわからん
コメント:さっきからの反応的に彼女、コメントは読めてるっぽいか?
え、もうちょっとこう、流暢に言ってたと思ったんだけど。
私の想いに口がついて行ってない……!?
コメント:さっきからミッちゃんのドアップばっかりで心臓に悪い
コメント:というか、まじでブルーいないのな
コメント:この時間帯、普通に寝てるんじゃないか?
コメント:配信者の午前中は睡眠時間
コメント:これ、たまたま起動して配信? なんか設定ミスったのかな
「押した」
コメント:お
コメント:なんだ?
「かち、音したら、動いた?」
コメント:え、んん?
コメント:どゆこと?
「わかんない、探して、押したら、ぱそこん?動いた」
コメント:たまたま起動させた? いや、スリープ解除か?
コメント:んんんんん?
コメント:待て、待ってくれ、俺たちはいつものようにこれがゲーム配信だと思ってたが、ひょっとして違うのか
コメント:どういうことだ!?
コメント:これは、俺の推測でしかない
コメント:だが、明らかに「マウスをクリックしたら配信が開始しちゃった」って状況だよな? しかも、ちゃんとブルーのアカウントで開始されてる
コメント:つまり……?
コメント:押したのはブルーのパソコンで、そのマウスってことだ。この明らかに異世界人っぽいけど美少女な彼女は、今、実際に、ブルーの家に、いる……?
コメント:はあ!?!?
コメント:おい、今朝の六時なんだが!
コメント:ミッちゃん顔洗ったばっかの感じだよな?!
コメント:やべえ、ガチの炎上騒ぎ!?
コメント:未成年じゃねえよな! 頼むから違うって言ってくれ!
未成年……?
コメントの流れが早すぎて、ちょっと追いきれなかった。
コメント:おいおいおいおい〜?
コメント:はあ? は? はあああ?!!!!
コメント:落ち着け、おまえらおつづけえ
コメント:ガチ恋勢、死亡確認
コメント:俺、本妻ちゃん幸せになってくれ勢なんですけどおおお!!?
ただ、事実はちゃんと言っておかないと。
「私、14歳。成年は来年?」
コメント:はあああああ!?!??!!
コメント:ブルー、見損なったぞ!
コメント:か、家族だよな! 親族が泊まりに来たんだよな!!
コメント:配信者の家族話は八割彼氏彼女話だろぉ!
コメント:おま、ふざ、おまあああ!?
コメント:切り抜け、切り抜け、拡散じゃあああ!!!
コメント:ゲリラ配信かと思ったら告発配信じゃったか
コメント:え、いやまじで洒落になってないって!
コメント:言葉が慣れてないから、発音とか間違っただけだから!
コメント:これで成人済みですはねえだろ!現実を見ろ!
コメント:ま、まだ分からないだろ、別のゲストルームにいただけの可能性だって
ちゃんと事実を言ったのに、コメントの流れがもっと加速した。
よく分からない。
「一緒、ここいる、昨日の夜から」
光球のブルーが、って言い忘れてたなあ、と思った時にはコメントが見えなくなった。
速すぎて。
+ + +
色々と説明しようとしたけど、伝わっているのかどうか微妙なラインだった。
ただ、腕を引き抜いて周囲をちゃんと見えるようにしたら、少しは落ち着いた。
殺風景で、他に人のいない牢獄みたいな風景が初めて役に立った。
私以外の人なんて誰もいないとひと目でわかる。
あとコメントで「陽の差す角度が日本ではありえない」とか言ってたけど、よく分からない。
とにかくそうやって証明した結果、「俺は信じてた」みたいなコメントがたくさんついたけど、なにを信じたんだろう?
ただーー
「これまま、だめ?」
コメント:本人に黙って配信開始は、普通は激怒する
コメント:やっぱりな、やっぱりゲームの子だったよ、俺は信じてたよ
コメント:いや、もうゲームですらないだろ。これって本当に異世界観測だったって証拠じゃね?
コメント:ないない、次元突破してパソコン起動して配信開始とか、話としても荒唐無稽すぎだろ?
コメント:割と確率としても無茶だよなあ
コメント:やっぱり、本当はお泊り……
コメント:いーや、違うね
今の状況は、言ってみれば勝手に書庫を漁って魔導書を起動させたまま放置する、というのに近いものらしい。
無礼云々の前にまず危険だし、場合によっては火事が起こる。
実際、ブルーが炎上?とかする直前だったとか言われた。
だから、また光球に腕をつっこんでなんとかしようとしたけど、かなり難しかった。
「んー」
コメント:だから、やっぱりゲームだっていうのはおかしいって、ここまでリアルタイムで違和感なく反応するAIとか容量どれだけ必要なんだよ
コメント:ねーよ、それ言うならたかがパソコン動かすだけで異世界を覗けるってなんだよ、そんなのが中古パソコンショップで販売されてたとかあるわけないだろ
コメント:俺には頑張って手を動かしてるミッちゃんがかわいい以外には考えられない
コメント:友よ
コメント:だが、ブルーと一夜を過ごした
コメント:一夜を共に(光球と)
手がすかすかと空を切る。
たぶんこれ、一回手を引き抜いたせいで、場所がちょっと移動した。
手を伸ばせばすぐにマウス?がつかめたのに、動かせる範囲のどこにも何もない。
がんばってあちこちにブンブン腕を動かすけど、空を切るばかりだ。
もう肩まで入ってるから、これ以上は入らない。
コメントの、「がんばれー」という言葉を頼りに探してみるけどーー
「え、なに、え……パソコンついてる……?」
もう時間切れだった。
声が聞こえた。
ブルーの声だった。
ただ今のところ、遠いというかほとんど聞こえなかった。
ぴたりと動かすのをやめてみる。
「……何もないところから腕が伸びてるんだけど、なにこのホラー……」
どうやらそういう状態になっているらしい。
カシャ、っていうヘンな音が聞こえた。
「んん……とりあえず、撮ってみたけど、これは……」
「あの……」
見えはしないんだけど、完全に固まったブルーの姿が分かった気がした。
「ごめんなさい」
私がちゃんと頭を下げている姿が、たぶんそのぱそこん、ってところに映っているはずだった。
+ + +
『いや、怒らなきゃいけないんだろうけど、僕はそうして当然なんだろうけど、なんかもう、一周回って怒りが湧かない。こんなことってあるんだ……』
「ごめなさい、じこです?」
『ねえ、言葉、翻訳前に戻さない?』
コメント:それを戻すだなんてとんでもない!
コメント:独占禁止法違反だぞ
コメント:我々からミッちゃんを奪うな!
『というか、着信がガンガンに来て、それで起きたんだけど、なにが起きてるの?』
「寝た、言った、炎上?」
『……配信者として、一番聞きたくない単語が聞こえた気がする……』
コメント:ブルー、本当のことを言おう?
コメント:寝ているミッちゃんの寝室に忍び込んだって本当ですか!
コメント:証拠は上がってるんだぞ!
コメント:証拠(ミッちゃんの証言)
『あー、あー、単語と状況を繋げて妄想膨らませた、いつものやつ? よくあるよくある』
「私、みっちゃん?」
『今更だけど、それもよく分からない命名だよね』
コメント:ブルー、寝起きで割と不機嫌か
コメント:寝不足だとあからさまに態度悪くなるからな、こいつ
コメント:寝ているミッちゃんの寝室に忍び込んだって本当ですか!
コメント:ミッちゃんはミッちゃんだ
『画面に表示できてる? これ、さっき写真に撮った腕が生えてる場面ね』
「うで……?」
コメント:うわ、ガチホラーだ
コメント:真っ白で細い手が生えていらっしゃる
コメント:寝ているミッちゃんの寝室に忍び込んだって本当ですか!
コメント:これが、ブルーの配信部屋、ゴクリ
コメント:いや、たまに映像付きライブ配信やってるだろ
コメント:寝ているミッちゃんの寝室に忍び込んだって本当ですか!
コメント:寝ているミッちゃんの寝室に忍び込んだって本当ですか!
『あ、コピペはBANで。眠いことは眠いんだけど、このまま放置するほうがもったいないかな』
「んー」
私は光球というかコメントを追うので精一杯だった。
入りこませた右腕は、そのままプラプラとさせていた。
これ、そんなにホラーなのかな?
『ちょっと触るよ』
「え、うん」
『握手』
「おお!?」
コメント:ブルーがついに未成年に手を出した!
コメント:まじ偏向報道
コメント:いや、というか、ゲームだろ?
コメント:いきなり握手されて全身びくっとさせたミッちゃんが嘘だと申すか!
『やっぱり触れる、次元が違うから接触はできないかと思ったけど、そういうこともないんだ』
「いきなり、おどろく!」
『ごめんごめん、代わりにこれを進呈するね』
右手に何かを乗せられた。
少し指を動かすだけで、かすかに音がする。
何かと思って手を引き抜くと、そこには棒状のものがあった。
長さとしては私の両手くらい、表面はつるつるしていて、「チョコバー」と書かれていた。
『僕の朝ごはんだったけど、いいよ、あげる』
「む、む……?」
『そのまま包装ごと食べないでね?』
コメント:開けてから食うんやぞ
コメント:まず服を脱ぎます
コメント:あれは、朝日に向かって拝んで万歳しないと呪われるという伝説の
コメント:あー、クソ甘いやつか、あんまり好きじゃない
コメント:火で炙って穴を開けるんやぞ
コメント:嘘を教えようとしてる奴ばっかで草
ふ、よくわからないけど馬鹿にしないで欲しい。
ちゃんと私は文字が読める。
このツルツルとした包装の端には、どこからでも切れます、と書いてある。
「……切れない……」
なんで!?
え、こんな風に、ヘンに伸びるのが正しい状態ってわけじゃないよね!?
コメント:あるある
コメント:実質どこからでも切れないだよな、あれ
コメント:やはり朝日に祈らないから……
コメント:異世界人にチョコレートを食わせる悪逆非道の場面はまだですか!
え、というか、どうしよ。
『んんー、逆はやっぱり無理か。通路っぽいのが残ってるから、僕の手も通せるかなって期待したけど、こっちからだと無理みたいだ』
「え」
『ちょっとまた手、出して』
にむぃ、って感じで光球に手を入れる。
『はい、どうぞ』
「?」
冷たい感触が、手のひらにあった。
『小さいけど、ハサミ』
「ブルーいいやつ!」
『どういたしまして』
ちょきちょきと切って開いた。
中にあったのは、やっぱり棒状の、濃い黒色をしたものだった。
包装に描かれているのと、ほとんど同じものだ。
「食べても?」
『いいよ』
恐る恐る、口にする。
触った感じ硬いから、たぶん保存食とかの系統だ。
けど、噛んだ感触は、案外軽くて――
「!!??」
最初に感じたのは、毒!? だった。
それくらい、まったく感じたことのない、初めての刺激だった。
次にそれが甘さだ、ってことに気づく。
ナッツ類のたくさん入った、複雑に広がる甘味だった。
舌だけじゃなくて、口内で、歯で、それを感じ取る。
甘かった。
とても甘かった。
脳が痺れるような味わいだった。
本当に、別世界の代物だった。
『たしか栄養補給用の、ナッツをヌガーで絡めてチョコでコーティングしたやつ、だったっけ、割と僕は苦手だったから助かった』
コメント:ミッちゃん、踊りだしてんぞ
コメント:草
コメント:うびゃー? うみゃー?
コメント:なんとなく美味い、って言いたがってるのはわかる
コメント:踊るの止めた
コメント:拝んでる?
コメント:朝日に向けて感謝してるな
コメント:草
コメント:しゃがんだ?
コメント:見えないけど、動き的に二口目いったな
コメント:動かなーー動いた!?
コメント:カメラ、追いついてないぞ
コメント:人って、あんなに高く跳躍できるんだなあ
コメント:料理アニメのオーバアクション、ゲームでも実装されたか
コメント:草
「ブルー!」
『なに? ほっぺたにナッツついてるよ』
「これ、美味しい!!!!!!!!!!!」
『う、うん、良かった』
「ブルーすごい!!!!!!!!!!!!!」
『僕が作ったわけじゃないからね?』
コメント:目がマジだ……
コメント:また日本の菓子が他文化を破壊してしまった
コメント:日本の菓子類、値段の割にクオリティが高いとかは言われてるけど、ちょっとこれ違くね?
『まあ、けど、これでわかったよね』
「うまうまうま……」
『ミッちゃんを通じて、そっちの世界に輸出ができる』
「?」
『さっきから見てる感じ、別に疲れてないよね?』
「え、うん、あの、おかわり?」
『ごめん、もう無い。でも、仮にあったら渡せるよね。ミッちゃんの片手でつかめる程度のものなら、日本のものを自由に運べる、何でも、制限なしに』
コメント:え、それ、え?
コメント:どういうこと?
コメント:……あー、割とやばいな
コメント:ミッちゃんが日本のお菓子をコンプリートできる、って話?
「それ、くわしく」
『目の色変わりすぎ、そうじゃなくてね、本当に、なんでもなんだ。塩でも香辛料でも、さっきみたいなチョコレート類でもお酒でも、そして、機械類でも』
コメント:向こうの世界が変わるんじゃないか、それ
コメント:いや、異世界じゃなくてこれはただの……いや、仮にそうだったとしても、これから設定として変えるぞ、って話か?
『うん、ゲームが変わる、文字通りに。ミッちゃんを通じて好きなものを向こうに実装できる、って話だね』
言っていることは正直、よく分からなかった。
けど、ブルーの口調は本気だった。
コメント:え、え、どういうこと?
コメント:ミッちゃんに好きなものをあげようのコーナーだ!
コメント:草
コメント:あー、けど、そういうことか?
コメント:塩砂糖香辛料の安価な輸出経路と考えたら、本気でミッちゃんの価値がうなぎのぼりだな
コメント:機械類ってブルーはなに送るつもり?
『トランシーバー』
コメント:おま
コメント:それ、は? いいのか?
『魔族が使う魔力減衰領域がまったく効かない通信とか、あったらかなり便利だよね。ぽちっとな』
コメント:あ、コイツもう注文しやがった
コメント:待て、待て、まじで無制限で贈れるなら、いろんなことやりたい放題だぞ!?
コメント:クッソリアルなこのゲームに、俺らが好き勝手干渉できるようになった、ってことでいい?
コメント:中世的な世界観だろ? 布とか衣服とか絶対不足してる、それこそ靴下だけでもかなり喜ばれるぞ
コメント:タバコだろタバコ! 禁煙全盛の時代じゃなきゃ世界共通で喜ばれてたんだぞ
コメント:あの世界でタバコ吸ってる奴とかいなかっただろ
コメント:医薬品、それこそ抗生物質とかかなり効くんじゃないか?
コメント:瞬間接着剤とガムテーブがあればできることって、かなり増えるよな?
コメント:似たような魔術なかったか?
コメント:あれ時間制限があったはず、やべえ、というか100円ショップのHPを見るだけでもかなり有用じゃね?
コメント:それだ
コメント:コスメ、大工道具、コップ類は微妙か?
コメント:入院患者用の身体清掃のウェットティッシュみたいなのはあり?
コメント:そういうのも魔法でなかったか
コメント:さすがに一般人も多いだろ、清潔は病気予防になるぞ。というか不潔由来の病気って、子供だと割とかかるんだよ
コメントが、熱かった。
どうすればいいかを、本気で考えていた。
『そういうアイディアは募集中、即効性があった方が嬉しいし、無理なものも多いとは思うけどね』
コメント:く、卑怯だぞブルー、いつの間にか欲しいものリストを更新しやがって……!
『強制はしないよ? 良さそうなのをリストに入れてるだけ。これがゲームだって信じてる人にとっては無駄金だろうしね』
コメント:だけど実際にその「ゲーム」に実装するんだよな、クソ、踊らせやがって(ポチ
コメント:ミッちゃんを日本のお菓子で腹いっぱいにしたいんですが、かまいませんね!(ポチポチ
コメント:日本の自堕落を輸出すんな
コメント:というか割とまじでインスタントコーヒーだけでも、戦略物質になるからなあ
コメント:は、なんで?
コメント:依存性も保存性も高くて美味くて安い。コーラやコーヒーが普及した途端、その土地の伝統的な飲み物が全滅したって話があるんだよ
コメント:カフェイン中毒量産すれば儲け放題やな
『あ、ちょうどいいや、どうぞ、これ』
「なに?」
『甘めのカフェオレ、飲んで感想きかせてくれない?』
さっきからちらほらと怖い単語もあったし、どうかなと思いながらも口をつけた。
神の飲み物だった。
+ + +
その日だけで殺風景な、何もない部屋に色々なものが『輸入』がされた。
ちいさいインテリア家具はもちろん、細長いパイプを何本も使って、簡単なソファも作った。
私は五本目のカフェオレを飲みながら、定期的に光球に手を突っ込む
あと、ぬいぐるみをムニムニとする、ムニムニ。
ブルーの部屋にあったというこれは、なんとも言えない感触だった。
硬くも柔らかくもない。
妙に間が抜けた顔のぬいぐるみで、ついついグニグニのムニムニにしたくなる。
コメント:ミッちゃんさん? あのー、カフェオレ飲み比べしながら一時間ぬいぐるみムニムニ耐久鑑賞は上級者すぎるんですがー
コメント:諦めろ、あれ、中身は人を駄目にするソファとかと同じだ、彼女は今、とても駄目になっているんだ……
「むふぅ……」
コメント:あっちの世界って今、魔族に攻められてるんだよな?
コメント:激戦区やぞ
コメント:職人みたいな真剣な顔でムニムニしてらっしゃるんですが?
コメント:ぬいぐるみムニムニ職人の朝は早い
コメント:カフェインとチョコの糖分でキマった活動力が、ぜんぶぬいぐるみに向かっていやがる……
「むふー」
コメント:そしてまたカフェオレ飲み出した
コメント:俺たちは今、何を見せられてるんだ
コメント:ミッちゃんの生態記録やぞ
コメント:ミッちゃん観察日記、書くこと少なそう
コメント:起床、カフェオレ、ぬいぐるみ、睡眠、以上だ!
『ミッちゃん、次ー』
「あいー」
コメント:しかし、飼い主の呼びかけには反応しましたねえ
コメント:でも片時もぬいぐるみは手放さないのであった
コメント:カフェオレもな
コメント:左手にぬいぐるみ、右手は光球に、口にカフェオレ、完璧な体勢だ!
コメント:俺たちは今、完璧な駄目人間を作成しようとしてないか?
コメント:やだ、この子、染まりやす過ぎる(トゥンク
コメント:何にときめいてんだよ
コメント:美少女を堕落させることに
コメント:即レスされるとは思わんかった、こわ
手にとって引っ張ってきたのは、小さめの板だった。
描かれてる絵は凄いけど、なにこれ。
コメント:お、タブレット?
コメント:安いやつだな、まあ、便利だけど
コメント:あんなん、どうするんだ?
『それ、真ん中の方にある横三角のやつ、うん、それ、ちょっと押してみて』
「ん?」
押した途端、円形のものがぐるぐると回った。
三秒くらいしてから映ったのは――動く絵だった。見覚えが、あった。
「ここ……私……?」
『そう、配信画面だね』
「これが……」
中には板をすごく珍しそうに見ている私の姿があった。
周囲はいつもの殺風景な塔の景色だけど、なんだか見慣れないものに見えた。
「私、太ってない?」
『そんなことない、って言いたいけど実物見てないからわからないね』
コメント:テレビとかだと太って見えるとかあるんだっけ?
コメント:レンズによって横に広がってるように見えるのは、あるらしい、けど本当かは知らね
「むぅ……」
画面の中の、動画の私はイメージとはだいぶ違った。
その横には文字が流れている。
光球から溢れてるのと同じだけど、どこか違ってるようにも見えた。
「あ、コメント……」
コメント:いやん、見ないで
コメント:前から見られとるがな
コメント:眉間にシワが寄ってる姿がいとおかし
コメント:んー? でも、んん……なんかヘンじゃね??
『それと、これも持って行って』
「あ、うん、わかった」
トランシーバーだった。
美味しくもなければ柔らかくもないものだ。
『この塔に窓というか、上の方に隙間があるよね』
朝日の入って来る地点だ。
『渡したものを衝撃吸収バッグに入れて、そこから落として』
「りょ」
『……ちゃんとやってね?』
「報酬は?」
『なにが欲しいのか言ってみ』
「おかわり」
『六本目かあ』
神の飲み物を更に手に入れるためにも私は跳躍する。
飲みすぎてお腹がぽよぽよする感じもしたけど、それでも遥か上の窓からバッグを外へと押し出すことには成功した。
窓の大きさ的に私は抜け出せないけど、この程度なら可能だった。
「よ、っと」
『ナイス、助かった』
ダンクシュートだとコメントが湧いていた。
『……ねえ』
「なに?」
『君、自由にここから出れるよね?』
私はすぐには答えられなかった。
+ + +
出来るか出来ないかで言えば、たぶんできる。
私が全力で魔力を放出すれば、この塔は耐えきれない。
この一年くらいの間でも、私の魔力は成長を続けた。
人並みに抑えることは無理だったけど、増大させる方は際限なく可能だった。
『魔力吸収する場所なのに、魔力強化で跳躍した。それって君の魔力を吸いきれてないってことだ、なら、他の魔術も使える』
私は自分の頭に手をおいて、翻訳魔術を解除した。
カタコトだと、伝えきれない。
「うん、たぶん出来る。脱出も、無理やりすれば可能。だけど、やらないよ」
『どうして?』
コメント:お
コメント:ん、言葉が……
「私、魔族になりたくない」
『……ああ、このまま外に出れば、そういう扱いになるって話?』
私は頷いた。
私の魔力量は、魔術学園の学長がその場で五分間佇むことすらできないほどだ。
それって、私という人間を誰も止められない、ってことを意味する。
互角に戦えるのは、魔力減衰領域を持つ魔族くらいだ。
『ちょっとおかしいとは思ってたんだ、次元を突破できるくらいの魔力持ちなら、もっといろいろと有効に使うことができる。なのに塔に閉じ込めてるのは、つまり――』
「うん、怖かったんだと思う、私のことが」
私がその気になれば、国の転覆すら可能だ。
そこまでの膨大な力は、もう人間として扱われない。
ただの天災か、それともなければ魔族としてーー異なる敵対的なものだと見なされる。
『国レベルで制御できない膨大な力は排斥される、ただの危険物として厳重に封印される……道理ではあるよね。だけど、ミッちゃん、君はそれでいいの?』
「私、支配も破壊もしたくない」
学園長が青い顔をしてそそくさと去った時点で、私の命運は決まっていた。
「婚約者はどうでもいいけど、友達も家族もいる、巻き込みたくはないよ」
『なるほどね』
コメント:おいおい何を内緒話をしているんだい?
コメント:はー、なるほど、人間って度し難いな
コメント:なんか聞き取り出来るやつが納得してるんだが
コメント:翻訳係はほんやくして、役目でしょ!
コメント:というかブルーまで自然とそっちの言葉使いだすのは卑怯だと思いまする
コメント:異世界言語を学んでないやつは動画化まで待ってどうぞ
うん、なんかコメントで力が抜けた。
ハイシン中って、たぶん真面目な話があんまりできない。
「はは……」
『ミッちゃん』
「なぁに?」
『自由にはなりたくない?』
「できるならね、でも、他に迷惑はかけたくないよ」
『そう思って塔から魔力を提供する役を続けたのか。僕なら絶対に耐えられない』
「ブルーならそうかもね」
『ミッちゃん』
「なに?」
『僕は君の意思を尊敬する、僕がそういう風に耐えることはできない。だけど、こういう状況にあることは軽蔑する』
「え、うん?」
そう思われても仕方ないかな、とは思う。
失望されちゃったかな、と残念な気持ちもあった。
けど、それも仕方がない。
私の人生って、だいたいこういう感じだ。
私はまた翻訳呪文を頭に打ち込んでから、見上げる。
そこにある窓を。
「次は……ブルー?」
放り投げたバッグは、ちょうど光球と同じくらいの大きさだった。
だから、外へと押し出せる。
私はいつでも脱出できると言ってたけど、それはブルーも同様だった。
『僕は、もうちょっとここで待つ』
「いいの……?」
『うん』
コメント:お、戻った
コメント:視聴者を蚊帳の外に置くのは良くないと思います
『さっき落としたバッグ、トランシーバーだけじゃなくて手紙やタブレットも入れてある、レイならこの辺りに僕がいることは推測できるはずだから、きっと見つける』
コメント:本妻への熱い期待
コメント:修羅場まだー?
コメント:だが、すでにもう時遅く、無理やりに部屋にまで侵入されて、ひどいことをされてしまったのであった
コメント:ミッちゃんとブルー、どっちに対しても言えるな、それ
コメント:ひどいこと(パソコンを勝手に起動
コメント:ひどいこと(カフェオレとぬいぐるみまみれの自堕落生活をリアルタイムで配信中
コメント:ミッちゃんの方がダメージでけえ!
コメント:だがその引き金を引いたのはミッちゃん、従ってドロー!
コメント:異議あり!
「さっきの板、タブレットも入れたの、どうして?」
『さっき、そっちでもタブレットは使えた、動画を見ることができた』
「うん」
『この光球を通じて、電波のやり取りができている、それだけの『穴』が、もう既に継続的に開いている』
コメント:ミッちゃんの手によって、異世界の通路がガバガバに……
『あんまりなコメントだとBANするからね。とにかく、普通に配信が見えるくらいには、通信が行えている。きっと無駄にはならない』
「ふぅん」
『ミッちゃん』
「なに?」
『君がこの戦いの鍵になる』
いきなりの言葉に、私は目をパチパチさせた。
私は出れないし、出る意思もないのに?
コメント:このカフェオレとぬいぐるみ中毒者が鍵に!?
コメント:たしかにブルーと組み合わせて輸出入が可能になってるけど
『だから僕はこの場所で待って、味方に発見してもらう』
「なに、する?」
『んー』
私からブルーの顔は見れない。
だけど、真剣な表情をしているとは、分かった。
『勇者をしようと、思ってる』
「え」
『協力してくれる?』
「う、うん」
コメント:あ
コメント:あー
コメント:mate
コメント:待った!
コメント:間に合わなかった……!
コメント:頷いちゃったかあ
コメント:あかん……
コメント:ナチュラルに誘導しやがった……
「え」
『人聞きが悪い』
コメント:悪魔の契約をしてしまった……
コメント:みんなね、最初は軽い気持ちだったんですよ……
コメント:全員、いつの間にかひどいことに巻き込まれて……
コメント:事前に許可は取ったとか強弁するからタチ悪いんだよ、この悪魔……
コメント:ミッちゃん、強く生きような
訳の分からない心配をされてた。
このコメントの人たち、基本的にからかうというか他人事で楽しむ雰囲気なのに、今は全員が真剣に私のことを案じていた。
「ブルーなにした?」
『結果的には、全員を助けたよ』
コメント:嘘じゃねえのが最悪ってあるんだな
コメント:こう、上手く説明がしにくい
コメント:最後にハッピーエンドなら、なにやってもいいと思ってる輩
コメント:人当たりいいけど、サイコパスな部分けっこうあるよなブルー
『前々から思ってたけど、みんな僕のことなんだと思ってるの?』
コメント:え、悪魔?
コメント:人でなし
コメント:真正の嘘つき
コメント:犯罪起こしたら「いつかやると思ってました」と心から言える相手
コメント:理由はあるんだろうな、とは思うけど、犯罪行為が必要だと思ったらためらわずにやるタイプではある
☆レイ :結局、ただのクズでは
コメント:え
コメント:お
コメント:本妻……?
コメント:これ本物……?
『あ、思ったより早い、そしてレイも含めてみんな酷い』
☆レイ :どこに行っていたんですか、これだけを投擲ですか、状況は悪化の一途を辿っています、連絡くらいよこせ
コメント:すごい顔してコメント打ってそう
コメント:微妙にまとまってないのが混乱を表していますな
私はこっそりと画面に映らないように移動した。
まだ口からカフェオレは手放せない。
☆レイ :そこの逃げようとしているミッちゃんさん?
「ひゃい!」
☆レイ :逃げる必要はありません、あなたはなにも悪くない。これから先どうするか、わたしはあなたの意思を尊重します
「は、はい」
『相変わらず固いね』
☆レイ :そして、そこの光球はあとで説教だ
『なんで!?』
コメント:残当
コメント:残念でもなく当然
コメント:レイさんレイさん、このブルー、ミッちゃんと思いっきり触れ合ってましたぜ
コメント:依存性の高いものを次々にあげて、もはやそれ無しではいられない身体に……(カフェオレとぬいぐるみ
コメント:彼女、ブルーのまだ誰もふれたことのなかった部分を遠慮なく触ってた(パソコンのマウス
「ち、ちが!?」
『君らって、物事を捻じ曲げるのが上手いね?』
☆レイ :……気になる点は、ええ、非常に気になる点が多々ありますが、事態は急を要します。
『どうしたの』
☆レイ :魔族軍本体が動き出しました。
+ + +
レイさんが淡々と伝えたところによると、近くで停止していた魔族の軍がゆっくりと、けど今度こそ攻め滅ぼすという意思を持って動き出したとのこと。
それはいままでの動きとは違った。
それは、強者と強者がぶつかり合う戦闘じゃなくて、数に任せて蹂躙する『侵略』だった。
『方針が変わった? 向こうのトップが変わったのかな、魔族らしくないやり方だ』
☆レイ :不明です
『というかレイ、ちゃんとトランシーバーも上げたんだから、コメントじゃなくてそっちで会話しようよ』
☆レイ :使い方、わかんない
コメント:草
コメント:草
『……説明書が読めないタイプだったのか……えー、あー、ランダ辺りに教わってから、トランシーバーを全員に配布して』
☆レイ :はい、しばらく失礼します
どうやら遠くに移動したみたいだった。
レイさんからのコメントが止まる。
『さて、事態は割とやばい』
「そんなに?」
『いままでは戦闘力が高い魔族が一対一を熱望して、それに応えるだけで良かった。けど、本格的に『戦争』を始めようとしているやつがいる』
「それは――」
『うん、君の家族や友人も含めて、全員が戦火にさらされる』
それは、許せないことだった。
そうしたくなくて、知っている人たちを被害に遭わせたくなくて、私は閉じ込められることを了承した。
『止めたい?』
「うん、もちろん」
『僕はブルーだ』
「え、そ、そうだね?」
『君はミッちゃんだ』
「う、うん」
『そして勇者だ』
「うん。………うん?」
コメント:やりやがったコイツ
『よし、言質取った! ミッちゃん、今から君を勇者にする!』
「待って待って、どういうこと!?」
『歴代勇者が光球? 僕が勇者? そんなわけがないじゃないか! この僕の姿を見て奮い立つような奴はどこにもいない、いつだって、どの時代でも『代役』が立てられた! ミッちゃん、今回は君がそれだ!』
「騙した!??」
コメント:せやで
コメント:簡単に頷くから……
コメント:しかも二回もな
『両者同意の元に勇者魔法を接続するから抵抗しないでね!』
「え、ちょ、え!?」
『ここにカフェオレのおかわりあるよ』
「飲む」
聞いて反射的に、光球に手を入れてた。
『確保した! 魔力経路接続確認!』
「ひきょう!??」
光球の中は、前と違う感触があった。
中身が詰まってる、空間じゃなくて魔力がある。
それが私の回路を辿り、繋がった。
伸ばした先にあったのはカフェオレじゃなくて、頭の中に浮かぶ勇者呪文の一覧表示だった。
『ミッちゃん、君の膨大な魔力なら、これらの呪文を使用できる』
たしかにその感触があった。
『誰にも止められない危険物? ここから外に出たら魔族扱い? だったら「誰もが知る勇者の証」を手に外へ行けばいいだけだ』
私は手に取る。
作動させる。
ウルスラ様の次元剣。
すべてを切断する絶対の攻撃――その形を。
私が持っていたのは光球じゃなくて、光剣になっていた。
『よし、まずは脱出!』
「え、身体がーー」
マウスのクリック音?あとキーボードの打鍵が聞こえたと思ったら、身体が勝手に動いた。
頭からじゃない指令で最適の動作を行う。
刃筋を立てた剣が横に振られ、斬り裂いた。
私をこの一年間閉じ込め続けた場所を、牢獄のように閉鎖させたところを、魔力を貪欲に吸い続けた塔を、横に切断した。
土煙を上げて塔の先端が落下し、代わりの広がりが、
青空が――
「……」
『いい天気、周囲もよく見えるね』
コメント:こっわ、高いって、こっわ!
コメント:ひゅー、視界良好だぜえ
コメント:あれ魔族? 割と不味い展開だな
私の手が、勝手にトランシーバーを操作した。
『レイ、聞こえる?』
『なにしてくれてますか』
『よし、他の人も、このトランシーバーもってる人はまずは黙って聞いて、魔族は真正面戦力とは別に上流から攻め入ろうとしている、ロイ、ランダ、ファスはこの対処に当たって』
『了解』
『オッケ』
『マジでー』
『中央戦力はザコ敵が多め、範囲系の魔術で対処しよう、ただし中央敵の目的はこっちの魔力を削ることだ、一度撃った後は城壁を頼りに防衛戦に移行する』
『減衰領域展開されません?』
『上級魔族が出てきて消耗してくれるなら好都合』
『わかりました』
『球さんはどうするの?』
『僕? 僕は敵の親玉を潰す。行け』
了解の返答が木霊する。
私は事態の変化についていけてない。
下方には、人がいる。
斬って落下させたばかりの轟音に、誰もがここを注目していた。
ざわめき、指をさして、私を見つめる。
勝手に肺が空気を吸い込んだ。
魔術が展開された、声を伝達拡散する。
嫌な予感に止めようと思う間もなく、大音響が響いた。
「私はミッツー、勇者だ!」
私の顔と声で、眼下の人々すべてに向けて
「私がここにいる、勇者がいる! お前たちが負けることは決して無い! 焦るな、怯えるな。私達はただ戦い、ただ勝利する!」
光る剣を掲げて巨大に伸ばし、堂々と宣言した。
下の方からは演出みたいに土煙が舞い上がっていた。
「征くぞ!!!!!!」
戸惑いながら、でも「人の姿をした勇者」を目にしたみんなが、返答の雄叫びを上げた。
コメント:基本優秀だけど、やっぱ詐欺師だよな、コイツ
それには同意しかなかった。
+ + +
『さて、どうする?』
「え」
熱狂が一段落してから、ブルーがそう訊いた。
『君、別に戦闘が得意ってわけじゃないよね、僕は光球としてだけど、いくらか戦闘を経験している。だから、このまま君の身体を操って戦ってもいい。けど、最終的な選択は君がすべきだ』
「それは――」
嫌だ、と思う。
操られたくない。
これは私の身体だ。
私は、私が、みんなを守りたい。
故郷を、家族を助けたい、それはごくごく当たり前の感情だ。
けどそれは、私としてだった。
勇者として、特別な存在として期待されて、戦いたいわけじゃない。
そんなことは、荷が重すぎる。
階下の歓声には応えられない。
魔力が多いだけで、他に特別は何もない。
「私は――」
平凡な人間で、平凡な想いと願いしかなくて――
だから無理だ。
断るしかない。
誰かに迷惑かけるくらいなら、きっとその方がいい……
当然で、妥当な結論だった。
いままで、こういう場面でヘンに目立とうとしてよかった試しがない。
黙ってやりすごすだけで物事が良くなるなら、私はそうすべきだ。
塔の中でずっと過ごしてきたように。
けど、
コメント:ミッちゃん、がんばれー
なんでもない、ただのコメントが、目に入った。
書いた人が、特別な想いを込めたわけじゃない。
きっと気軽で考えなしの文字だった。
けど、それで、気づいた。
息が止まり、目を見開いた。
そうだ、これを書いた人は、私のことを知らない。
私の過去も、私の情けなさも、私の事情も、なにもかもを、知らない。
誰の前でならがんばれる?
「ブルー……」
『なに?』
「私には無理」
『そっか』
「でも、ミッちゃんなら、できる」
『ん?』
「私は勇者やれない、そんなこと、無理。でも、勇者でも私でもないミッちゃんなら、できる……」
なに言ってるんだろう、と思う。
だけど、確信してた。
こんな弱くて情けなくて逆らうこともできない私に、多くの人の期待を背負うことなんてできない。
けど、ミッちゃんなら。
コメントの人たちとブルーだけしか知らない彼女なら、可能だ。
それは私であって私じゃない。
勇者であって勇者じゃない。
背景なんてなんにも無い、誰かの理想の結実だ。
その理想は、きっと私自身のものも含まれている。
こうであって欲しいという願いそのものだ。
その夢を、その幻を――
私と、ブルーと、コメントのみんなで作り出すことなら、できる。
ブルーは、あっけに取られたみたいに黙ってたけど、
『ふ、く、っくくく……』
押し殺したように笑った。
コメント:あ、やべえ
きっと悪魔みたいな笑顔だった。
『いいよ、うん、すごくいい、なるほど、そうなるとは思わなかった。ねえ、『ミッちゃん』?』
「うん」
『ここから、配信スタートだ』
それは、戦闘開始の合図だった。
+ + +
見える川向うからは魔族の軍勢が迫っている。
普段であれば数人の魔族が一対一を希望して来るところを、多量のゴブリンたちが進軍していた。
一糸乱れず、とは言えないけど、それなりに形が整った『軍隊』だった。
『さあ、はじまりましたブルーとミッちゃんの魔族撃退配信! パーソナリティをつとめますのは僕、日本の一般配信者青山一ことブルーと?』
「え、ミッちゃんです?」
『この二人でお送りいたします!』
「あ、うん?」
よくわからない言葉を背にしながら、私は駆け下りる。
高い塔からまっすぐ下へ。
コメント:怖い怖い怖い!
コメント:てかブルー、そのハイテンションなに!?
コメント:配信スタートて、もうとっくに開始してるじゃねえか!
途中で塔を蹴って向かう。
視線の先では、味方魔術師たちが火球を撃とうとしていた。
『事態としては色々とやばやばです、いままでなら戦闘馬鹿の魔族を叩きのめすだけで済んでいたのに、ちゃんとした戦術を使おうとしているからですね、これに対処するにはどうすればいいか?』
コメント:言ってる場合か!?
コメント:塔が、蹴られた塔がなんかゆっくり倒れてね!??
コメント:視界が速すぎて付いてけないんだが!
『やることは実は変わらない、敵の弱点をつけばいい。今なら敵魔族はまだ集団で動くことに慣れていない、初めてやることならミスが出る、ほら』
「あ、魔力減衰領域……?」
コメント:なにが不味いのん?
コメント:あれ、魔力を結構消費する、まあ、戦術的に言えば雑魚なんて捨て駒にすべきなのに、それを守ろうとした魔族がいた、って話じゃね
『これ、義侠心に溢れた行動ですらない。いままでそうやっていたから、そうしただけだ。優先しなきゃいけないのが変わったことを理解していない』
コメント:いや、弱いやつを守ろうとする行動を、そこまでディスるなや
コメント:ブルーに人の心があるわけないだろ?
火球が弧を描いて着弾する。
展開された魔力減衰領域は、濃い霧のような見た目をしている。
そこに触れた途端に、火球の勢いが弱まり、地面につく頃には消える。
効果なしだった。
コメント:この走ってる視点、窓無しの先頭車両みたいだ
コメント:てかもう少し加減を……
「もっと加速する?」
コメント:まて
コメント:ひぃいいい!!?
コメント:加減と加速を勘違いしてない!???
接近したお陰で、凄絶な顔をした魔族の様子が見えた。
減衰領域を展開している魔族だ。
私は土煙を上げながら立ち止まり、そこへと手のひらを向けた。
「私も、撃つよ」
『とりあえずは様子見としてありかな、どーんと一発でかいのを……え、待って』
コメント:やっと止まった……
コメント:でかくね……?
コメント:は、なにあれ?
コメント:わー、なんか上がぜんぶ赤いなー
私が着火魔術を使うと30メートルくらいの高さになる。
だったら、私が火球魔術を使えば……
「いくよ――」
『前衛、魔術衝撃体勢!』
私の手が勝手にトランシーバーを操り叫ぶのと同時に、私の火球が投擲された。
直径が塔くらいあるそれが、太陽がもう一つ出来たみたいに見えるそれが、ぐん、と持ち上がり、そのまま敵へと迫り、着弾した。
太陽が落ちて、霧がひしゃげながら抗した。
コメント:減衰、されてる……?
コメント:あれ直撃してたらやばくなかったか
コメント:ファンタジー世界で核爆弾級は禁止事項ですよ!?
極大の火球は減衰領域に触れるとそれ以上は侵入できなくなる、代わりに、そこかしこからポツポツと雨みたいに炎の塊が落下し出した。
高濃度に濃縮されたそれは、領域内でもお構いなしに地面まで降り注ぎーー
『わお、すご』
爆発する。
まるで普通の火球を投げ込んだみたいに。
コメント:なんか、絨毯爆撃みたいな光景が
コメント:奥さん、噂によるとこれって中級魔術なんですってよ
コメント:大規模殲滅魔法とかじゃなく?
コメント:これはメラメラではない、いや、割と古参だけどあんな魔法とか知らない
轟音と共に雑魚魔族を吹き飛ばした。
ついでに、上級魔族もあっけにとられた様子のまま吹き飛んだ。
『あ、減衰領域が消えたね』
それによって火球の残っていた部分が落下する。
太陽の上半分が、そのままの威力で落ちる。
足首を撃ち抜かれて信じられないという顔をした上級魔族へと直撃、付近一帯と雑魚魔族の大半と川一部をすべて平等に吹き飛ばした。
コメント:ミッちゃんのことを塔に閉じ込めるとか、一方的に魔族扱いとか、なんて酷い奴らなんだと思ってたけど、割と妥当な判断だった……?
コメント:いまは勇者やぞ、人類の希望やぞ(震え声
「よし、行こ」
『あ、ちょっとだけ待って、万視を使う』
ブルー経由で勇者専用魔術が行使された。
その中での『万視』は、無制限の遠距離探査魔術だった。一帯の光景が脳裏に浮かぶ。
『ちょっと身体借りるよ?』
「いいよ」
手がトランシーバーを操作した。
『ロイ、ランダ、ファス、敵は浮足立ってる、そのまま進んで追撃して』
『大丈夫なのか!?』
『え、なんか地面が地獄なんすけど』
『マジでー』
『いいから行け』
コメント:ブルーまじで人の心とかない
コメント:俺もちょっと身体借りるとか言ってみてー
コメント:というかこれ、配信がBANとかされない? 人間型のが虐殺されてるシーンなんだが
コメント:魔族は核を壊されない限り死なない
コメント:それで誰もが納得できたら世の中平和じゃったのう
コメント:センシティブ判断AI「魔族だからセーフ」
『敵は集団戦に慣れてない、進めるだけ進もう』
焼けた地面を走り抜ける。
『万視』は継続したままで。
周囲の光景、遠くのものと私の視点と、それ以外のものが同時に頭に入り込んだ。
混乱するけど、今は焼き尽くした領域を走っているだけだから、なんとかなっていた。
「みんな、板とかで見てる?」
視線をそちらにやり、気づいた。
コメント:おお?
コメント:なに?
コメント:とつぜんの板発言の謎
「男の人がおおい……?」
コメント:おい待て、待て、万視とか言ってたけど、それってコメントしてるリアルの俺たちのことも見えてるわけじゃないよな?
コメント:ははは、ないすじょーく……冗談だよね?
鼻花 :名前欄変えてみた、いえーい、ミッちゃん見てるー?
「鼻花、下着はちゃんとつけた方がいい」
鼻花 :まじでごめんなさい、裸族なんです、生まれてきてごめんなさい、あと一応女っす
コメント:いやいや嘘だろ!?
コメント:え、なに、その魔術ってそこまで見通せるの!?
コメント:違う、スパーハッカーだ!
コメント:どっちにしても便利すぎるだろ!??
『へえ、そうなんだ』
コメント:ブルーさま、いままで生意気言ってすいまっせんしたああ!!!!!!
コメント:これまでの数々の言動を大変申し訳なく思っております、これからは心を入れ替え清く正しい視聴を行いますのでどうか、どうか
コメント:さすがに釣りでしょ? 鼻花とかも仕込みでしょ?
『山田君はレッドブルが好きなんだね? 配達が近くに来てるから、もうすぐチャイムが鳴るよ』
コメント:うそでしょ、え、嘘でしょ? え……どうやって
コメント:一番渡しちゃだめな奴に駄目な魔術が渡った!??
コメント:ミッちゃん、その魔術、ブルーに対して制限して!!
コメント:配信者が絶対に持っちゃ駄目な魔術や……
コメント:セキュリティが色んな意味でガバガバすぎるぞ!
みんなが焦っているのが不思議だった。
普通、お話って顔を会わせてするものだ。
焼け野原を走り進む。
大半の敵を倒した形だけど、まだ「いつも通りの敵」は残ってる。
敵軍勢の先発を越えた先では、巨体が仁王立ちしていた。
「貴様か、強者は! 己のこの拳で粉砕してくれよう!」
ゴツい肉体をした魔族だった。
あからさまに肉弾特化の姿だけど、その全身から魔力減衰領域を放っている。
『あ、僕を吹き飛ばした魔族だ』
その濃度と領域の広さは、さっきの比じゃない。
きっと火球を放っても効かない。
こういう魔族の存在が、戦争を遠距離から肉体強化の近距離戦に移行させた。
「邪魔」
けどその減衰領域は、ウルスラ様の次元剣を止められる根拠にはならないので、ズンバラバラと斬り裂いた。
「が、あああ!?」
コメント:うわ、グロ
コメント:魔族だからセーフ?
コメント:普通にアウト
コメント:ちょっとー、このゲーム残酷表現あるんですけどー
コメント:い、今の僕のこの姿も二人に見られているのか……どきどきする……
コメント:あかん扉を開いてるやついないか
コメント:魔族が手足切り飛ばされてるけど、核は斬ってないし、苦しんでるだけだからセーフ
コメント:拷問シーンを全肯定すんな
呻く巨体の魔族を捨て置いて進む。
ブルーがかすかに笑う声が聞こえた。
『ちょっとスッとした』
「次どこ?」
『敵指令は、逃げてるね、判断が早い』
刻一刻と変化する戦場の盤面を、ブルーは的確に把握していた。
私には情報量が多すぎて、なにがなんだか分からない。
盤面がごちゃごちゃしている。
コメント:というか、他にもまだ魔族はけっこう残ってるんだから、普通に魔法使ったほうがいいんじゃない?
コメント:おいばかやめろ
たしかにその通りだった。
私は風刃の初級魔術を使う。
コメント:そんなこと言ったらミッちゃんが応えちゃうだろ! もうちょっと考えてからコメント打て!
焼け野原の上を風の刃が走る。
普通は2個か3個、掌くらいの大きさの不可視の刃だけど、今は400個くらい、90メートルくらいの大きさの不可視の刃が大量に流れる。
風刃の濁流だった。
雑魚はもちろん、あっけに取られて減衰領域を展開しきれなかった魔族も切断された。
ついでに向こうの方の森も酷いことになったけど、うん、ちょっと手加減ミスった。
コメント:……ごめん
コメント:ゆるされざるよ
コメント:ミンチよりひでえや
喚いて突進してきた魔族を斬り捨てて更に進む。
コメント:初見です、これってゲームですか?
コメント:そうだよ、だから余計な指示コメするな
コメント:リアルやぞ、だからまじで黙っていてくれ
☆ブルー:配信だよ、好きにコメントしていいよ
コメント:草
コメント:おいブルー
☆ブルー:肉体の主導権がミッちゃんにあるから、意外と暇なんだよね
コメント:というか配信主が酷いことを誘発しようとすんな!?
☆ブルー:ひどい目に遭うのは魔族だからいいんじゃない? あと今、これまでアンチコメント打った人のこと見に行ってる
コメント:まじで人の心を取り戻そう?
戦場の盤面を見て、味方に指示出しして、刻々とルートを変えて逃げ出す敵指令の位置を教えたその上で、コメント打って万視を使えるのが配信者らしい。
☆ブルー:というか、チャンスだと思ってたんだけど、無理だったかあ
コメント:なんの話
コメント:これ、画面見れば良いのかコメント見ればいいのか
コメント:あ、そうだ、マップ表示とかしてくれない? ちょっとわかりにくすぎる
☆ブルー:マップ表記は無理かな、どう表示出力すればいいか分からない。あと、なんの話かってことについては、あれだよ、アバター?
コメント:ん?
コメント:なに?
☆ブルー:ヴァーチャルじゃなくて異世界で受肉できるかな、って思ってたんだけど、どうやら無理っぽいね。僕もVtuberみたいなことをやりたかったんだけど
コメント:ブルー、それVtuberやない、ただの肉体の乗っ取りや
コメント:げ、ゲーム内のキャラを自由に使えrってことだから
コメント:誤字ってんぞ
「……なんか怖いこと言ってる?」
『そうでもないよ、もしかしたらあったかもしれない、って可能性の話』
私は悪魔の契約の、危険な部分を知らずクリアしていた。
コメント:ブルーは信頼できるけど気を許したらだめな相手
コメント:その通り
☆ブルー:見てるよ?
色んな意味で怖かった……
『それよりも、ほら、追いついた』
細身の上級魔族が、ひきつった顔で振り返り見ていた。
その敵司令は、少数で目立たないように離脱したのに、迷わずまっすぐ追いつかれたことに激怒していた。
怒り顔のまま立ち止まり、魔術を使った。
「ん?」
『へえ、防御術かな、それもかなり上級の』
それは、透明なガラスのように見えた。
魔族を球状に覆っている。
『あれ、次元系の防御魔術だね、普通に攻撃しても絶対に届かない類のやつ。時間稼ぎしようって魂胆かな?』
コメント:次元魔術、あっ(察し
コメント:どっかのカフェオレ中毒、気軽に突破してましたなあ
コメント:世界を隔てる次元vs普通の次元魔術、はたしてどちらが強力か……!
コメント:普通の次元魔術ってなんだ
私は敵の眼前で立ち止まる。
透明な壁の向こうの顔は、自信と傲岸不遜を浮かべていた。
なので私は、人差し指でつんつんとつついた。
結界にヒビが入った。
相手の傲岸不遜にもヒビが入る。
コメント:即落ちニコマかな
コメント:てか今更だが、普通にコメント打ってる俺たちも俺たちだな
コメント:さすがに減ってはいるけど、いまさら視聴はやめられねえだろ
この結界、むしろ壊しすぎないようにしないと。
つぷん、と指が突破した。
薄いガラスのようなものを、私の人差し指だけが通る。
荒い呼吸音が聞こえる、向こうの音が漏れていた。
「に、人間ごときが増長したところでこれ以上は――」
「そっち、魔力減衰領域が無いよね?」
周辺一帯はまだ魔力減衰がされてるけど、次元結界内部は空白だ。
そして、次元魔術で他と隔てられている、周囲に被害が出ることもない。
顔を一気に青ざめさせて結界を解除するより先に、私は最上位火炎魔術を指先から放った。
球体の中が赤に染まったかと思うと黄色に、白に、青へと燃え盛り、更に更にと温度を上昇させる。
あがった悲鳴すらも燃焼させる。
逃げ場がなくなった熱が、結界内を幾度も幾度も焼き尽くした。
直視できないくらいの光が消えると同時に結界が砕け、残った魔族核だけが虚しく落ちた。
コメント:消し炭よりひでえや
コメント:ひでー――
「あれ」
けど、それを最後に、コメントが出なくなった。
それまでの騒がしい文字がぷつん、と途切れる。
『ああ、さすがに配信停止されたか、まあ、普通にリアルな戦闘場面だったしね』
いつの間にか、私達二人だけが戦場に取り残されていた。
+ + +
指示を出していた魔族が消えて、大半の戦力もいなくなったことで敵は敗走した。
本当なら追撃戦とかすべきなんだろうけど、味方はあっけに取られてるし、私も立ち尽くしていた。
勝利の場面に、ぽかんとした私だけがいた。
『よし、狙い通りに配信停止、これでいろいろな炎上要素もうやむやになった。後は録画とかしてる人がいないことを祈るだけ。『万視』で見てた限りはいなかったけど、全員じゃないからなあ』
「配信、終わり?」
『うん、そうだよ、お疲れ様。いやー、大活躍だったね?』
あ、うん、とかそんな生返事をしながら、どうしていいのか分からなかった。
活動的に色々出来たのは、それが『ミッちゃん』だったからだ。素の私だと、なにもできない。カフェオレ欲しい。
『よし、それじゃあ僕はもう戻るね? さすがに眠いよ』
「ああ、うん、そうだね、お疲れ様――って待った!」
『……なに?』
「この後、私、勇者扱いされない?」
『いや、どうだろう』
「宣言してたよ、ブルーが堂々と言っちゃってたよ! 私この後に勇者として立ち振る舞わなきゃいけない!?」
『……がんばれ!』
「他人事にする気だ! え、私、無理なんだけど!」
『僕も苦手』
「それは嘘、ぜったい嘘」
ただ面倒なだけだ。
『いやホントだよー、苦手だよー、あと普通に眠い』
「……ブルーがここで逃げるなら、私にも考えがある」
『どんな?』
「そっちに逃げる」
『ん? うんん? え、ちょっと待とう、冷静になろう?』
「契約を交わして繋がりが太くなったから、今なら全身まるごとそっちに行ける。私に勇者やらせるなら、私は日本に逃げる」
光球を光剣にできた。
もうある程度は形だって変えられる。
『い、いやそれでもまだ脅しとしては弱い! 僕が部屋に鍵をかけて別室に逃げれば――』
「あと、レイさんにこのこと教えるから」
『僕が代弁するから君は立ってるだけでいい、後のことは全部任せてくれ』
思った以上の効果があった。
そこまで怖いのかな。
『……君はまだ遠慮するだろうけど、レイ相手だとガンガンに僕のプライベートが削られるんだよ……』
「そういうもの?」
『配信者の家バレって、けっこうな恐怖なんだよね』
その辺りの感覚はよく分からなかった。
『まあ、いいや、途中からだけど僕の方から録画はしてる、とりあえずは一端区切るためにも、締めの挨拶だけしとこう』
「ん? うん」
『ここまでご視聴いただきましたありがとうございます、よければ高評価、チャンネル登録、ベルマークの通知をよろしくお願いします』
「します」
『ここまでのお相手はあなたの生活に一時の清涼を、青山一ことブルーと?』
「ミッちゃんです」
『二人がお送りしました、またねー』
「ねー」
「あ、最後にブルーもこっちで映っとかない?」
「ちょ、待って引っ張らないで!? 異世界拉致禁止! さっきレイが来てるのも見え――」
ストリーマーでもVtuberでも、他業界の人とシナジーが出たら嬉しいよね、という話。