19 祖母エルナと銀絹の刺繍
「どれがいいかしら」
オレは今、祖母エルナに呼ばれ、広い応接室で買い物に付き合っている。
確かに買い物とお茶に付き合うように言われてはいたが、さすが公爵家。家に呼べば済む話らしい。
広いテーブルの上には、色とりどりの反物やアクセサリー、ドレスの見本などがところ狭しと並べられていた。護衛や使用人を除けば呼ばれているのは男女2人。服飾関係者らしく、2人ともお洒落な装いだ。
公爵家は大金を落としてくれるお得意様だもんね。呼ばれればいつでも参上するよね。
オレが遠い目になっていると、祖母に呼ばれる。
「紹介するわね。この子はニコ・フォルトナー。私の孫で、フォルトナー辺境伯の三男で魔法使いなのよ。今回、私のドレスを選んでもらおうと思って、王都に行った帰りに寄ってもらったの」
祖母に紹介されたので名乗ることにする。
「ニコ・フォルトナーです。祖母がお世話になっております」
「グレース・シェンケルと申します。夫はシェンケル子爵、シェンケル商会の服飾部門統括の服飾師でございます。ニコ様にお会いできて光栄です」
女性の方が先に挨拶してきた。
「シェンケル子爵はうちの分家なの。グレースは王妃様も顧客にいる優秀な服飾師よ。彼女とはもう30年くらいの付き合いになるかしら」
祖母が懇意にしている服飾師は、大人気らしい。
「エルナ様にはまだ駆け出しの頃から目をかけていただいて…ドレスも何着作らさせていただいたか」
祖母も若く見えるが、このグレースも同じくらいの歳に見える。…うん、女性の年齢を詮索するのはやめておこう。
「彼はセルジオ・ユルクス男爵。グリーベルの服飾ギルド長よ」
男性も偉い人だった。年齢はうちの父と同じくらいだろうか。さすが服飾ギルド長といった感じだ。洗練された着こなしで若々しく見える。
「セルジオ・ユルクスでございます。フォルトナー商会長のバルト様には大変お世話になっております。ニコ様にお会いできましたこと、感謝いたします」
「叔父とお知り合いでしたか」
「ええ。良いお取引をさせていただいております」
フォルトナー商会は卸売業もしているので、服飾関係の仕入れは、グリーベル領から最も多く仕入れている。
グリーベル領は服飾ギルドがあるほど服飾に力を入れている領であり、その素材の羊毛や綿、麻、絹などは自領で作っているのだ。それらを加工する職人もたくさんいる。
「もしかして、エルナ様のことを美魔女と表現したのは…」
「そう、このニコよ」
「まぁ、そうなんですね。とてもユニークで的を射ていますわ」
グレースが笑顔で言う。
「失礼なことを申し上げたんじゃないかとハラハラしていました」
「そんなことありませんわ。エルナ様もお気に召したようで、先日のお茶会で私もお聞きして、とてもセンスのいい誉め言葉だと思いましたわ」
その後、エルナは美魔女という表現を気に入ったらしく、孫に言われた、とお茶会で披露し、とても若く見える年配の女性を表す言葉として定着し、その言葉を言われるのが憧れになるのは別の話である。
「それでねニコ、ドレスを作ろうと思うのだけど、あなたに生地やアクセサリーを選んでほしいのよ」
「責任重大ですね」
祖母の提案に苦笑いする。ドレスなんて関わったこともないぞ。
とりあえず置いてある布地を見てみることにした。たくさんの色とりどりの布の中でも一際存在を主張する銀絹が気になった。
絹は蚕から作られるが、銀絹を作るのは銀蚕という魔蟲だ。魔物素材というやつだな。
「これは銀絹ですね。触っても?」
「どうぞ。素手で構いませんよ」
ギルド長が生地を広げてくれたので、銀絹の反物に触れてみる。素晴らしく滑らかな手触りだ。光の加減でキラキラと反射し光沢が波を打っている。
…値段を聞くのは恐ろしいので触れないでおく。
「おばあ様、銀絹を使ったドレスは何着ほどお持ちですか?」
「そうね…全て銀絹なのが1着、組み合わせているものが3着かしら」
「一着見せていただいても?」
「構わないわよ」
メイドに指示すると、すぐに運ばれてくる。
「素敵ですね」
銀絹は輝く光沢の美しい布だ。装飾のないシンプルなデザインの方が映える。
「せっかくなので銀絹を使いたいのですが…」
グリーベルといえば銀絹だ。祖母を飾るのに相応しい衣装だろう。でもシンプルな銀絹のドレスではありきたりだ。
「どちらに着ていくものなのですか?」
「建国記念パーティーよ。今年はリーナがデビュタントでしょう。久しぶりに出ることにしたの」
建国記念パーティーは、社交界の始まりを告げる行事だ。アステーラの建国を祝う式典が催され、夜にはパーティーになる。幼年学校を卒業した貴族が国王陛下に挨拶する機会、いわゆるデビュタントである。妹のリーナも、今年幼年学校を卒業している。
「建国記念パーティーか…」
オレが思い浮かぶドレスといえば、結婚式で花嫁が着てるやつか、外国のロイヤルウェディング、ニュースで見る皇族のシンプルなドレスくらいだ。シンプルだが刺繍を凝らしていると聞く。…刺繍。銀絹で刺繍をしたら、銀絹のアピールができるのではないだろうか。
「…例えば、シンプルな無地のドレスに銀絹で全体に刺繍をするなどはどうでしょう。銀絹で刺繍はできるのでしょうか」
「刺繍…どうなのかしら。考えたこともなかったわ」
祖母がグレースの方を見ると、彼女が答える。
「そうですね…銀絹を刺繍用の糸に改良していただいて…銀絹は強度もありますのでできると思いますわ。…ただ、手作業になりますのでやはり時間が…。ドレスをお作りしてからですと、時間的に難しいかと」
建国記念パーティーは12月はじめ。今は6月。女性のドレスは時間がかかるものなんだな。
「お持ちになっているドレスを使うのはいかがですか?リメイクですとあまりよろしくないのでしょうか?」
「…いいえ、いいと思うわ。一度しか着ていないドレスもたくさんあるものね」
祖母の返事にグレースの目が輝く。
「それでしたらドレスをお借りして、すぐに作業に入れます。銀絹での刺繍を施したドレス、とても素敵な出来上がりになると思いますわ!!」
「刺繍糸は服飾ギルドでいくつかサンプルを作ってみて比較してみます。一週間ほどいただければ検証できるかと」
刺繍糸についてはセルジオが受け持つようだ。さすが服飾ギルド長。優秀だ。
「何色がいいかしら」
「紺などの濃いお色の生地ですと刺繍が目立って素敵だと思いますわ。白に銀色の刺繍でも光の加減でキラキラして素敵ではないでしょうか」
「あら、いいわね。久しぶりに白にしてみようかしら」
祖母の言葉にグレースが頷く。
「…ドレスの白を活かして上半身と裾に花模様の刺繍を入れたら……ああ、刺繍だけだとインパクトが弱いから、銀絹で作った花をアクセントにしたらどうかしら……どうしましょうアイディアが止まらないわ!!」
グレースがブツブツ呟きながら勢いよくノートにデッサンをはじめた。何か降りてきたようだ。
アステーラのパーティーで着るドレスに、特に色やデザインの指定はない。とてもカラフルである。
結婚式で花嫁が着るドレスも白ではなく、好きな色を選ぶ。花嫁が着るドレスの色が告知され、参列者は花嫁と同じ色のドレスは着ないようにする。
「エルナ様、刺繍をするドレスを決めたいので、お見せいただいてもよろしいですか?着ていただいて、サイズ調整もしたいですわ!」
グレースが嬉々として祖母を促す。
「ニコ、私は衣装部屋へ行ってくるわ。時間が掛かると思うからセルジオと待っていて。お茶とお菓子を用意させるわ」
「分かりました」
衣装部屋か…。
さすが着道楽のおばあ様。
「エルナ様、刺繍用の糸ですが、ドレスがお披露目すると、おそらく貴族から注文が殺到するかと。ドレスだけでなく、バッグなどの装飾品にも映えるでしょうし。量産体制を取るために公爵に話を通したいと思いますが、お時間の都合を伺ってもよろしいでしょうか」
「分かったわ。アルベルトに言伝てを」
「畏まりました」
セルジオの言葉に頷いて、祖母が指示を出し待機していた執事が部屋を退出する。
それから祖母とグレースが連れ立って部屋から出ていった。グレースはスキップでもしそうな勢いだった。
ドレス選びは時間が掛かるらしく、メイドが冷たい紅茶を入れてくれる。
用意されたお菓子は、イギリスのティータイムに出てくる、あのケーキとか軽食を盛る皿が段になっているやつだ。
小腹が減っていたので遠慮なくいただいた。遠慮して紅茶しか飲んでいなかったセルジオにも薦める。
「失礼ですがニコ様は服飾の勉強をされたことがおありで?」
服飾ギルド長であるセルジオから尋ねられ首を傾げる。
「いや、ないですね」
「…そうですか。銀絹で刺繍をすることも、手持ちのドレスに刺繍をする案も、素晴らしいアイディアでしたので、どこで得た知識なのかと思いまして…」
「ただ、思い付きを言ってみただけですよ。実際作るのはグレースさんですしね」
前世の知識とは言えないしな。
「あ、そうだ。母と妹へのお土産にハンカチをいただいたのですが、包むための風呂敷…じゃなくてスカーフのような大判の布はありますか?そのままでは少し忍びなくて…」
話題を変えるために、伯母のルシアナから貰った藤色のハンカチをセルジオに見せる。
「これは、ヒューゲル領で開発された染料で染めた生地ですね!服飾ギルドでも仕入れの交渉をしていますが、まだ手に入っていませんよ。素晴らしいお土産です。この美しい藤色…とても羨ましいです。どちらからいただいたものなのか伺っても?」
「伯母…ルーモディウス婦人ですね」
「なるほど。エルナ様のご長女、王弟の奥さまですね」
セルジオが納得した顔で頷く。
「スカーフでしたらこちらにご用意がありますよ。今は夏向けの薄い生地になりますね」
「ああ、いいですね。ではその薄い黄色と桃色でお願いします」
真ん中にハンカチと、ルチルに薦められて買った、王都で流行っているという香水の瓶を置いて、弁当を包むようにする。真ん中で結び目がクロスするようにすれば、まあまあの出来映えだった。色々包み方はあるんだろうけど、オレにはこれが限界だ。
本当は包装紙や紙袋があるといいんだけど、アステーラでは見たことないしな。
「…ニコ様、こちらは何でしょう?」
「?スカーフですよね?」
「いえ、この包み方は…」
え?弁当の包み方だけど?とは言えず、セルジオを見る。
「えーと…なにかまずかったですか?よく非常識だって言われるんで…」
「いえいえ、とんでもない!もしよろしければこのアイディアを真似させていただけないかと思いまして…もちろん駄目でしたら断っていただいて構いません!」
「別に構いませんよ」
ただの弁当の包み方だし。
「本当ですか!?ありがとうございます。ああ、そのスカーフは差し上げますのでお代は結構です」
「え?いいんですか?」
滑らかな手触りなので絹のような気がするけど。公爵家に持ってくるものだし、お高いんじゃないか?
「アイディア料ですよ」
「じゃあ、遠慮なくいただきます」
得したな。ただの弁当の包み方が金になるなんて。風呂敷の包み方もっと覚えておけばよかった。
「本当は紙袋か綺麗な包装紙があるといいんですけどね」
「ニコ様、そのお話、くわしく、お聞かせいただいても、よろしいでしょうか!?」
セルジオの勢いがすごい。ちょっと引いた。
「はー…なるほど」
一通り説明すると、セルジオは何度も頷いた。
「ただの紙袋はできそうですが、紙のバッグは手間が掛かりそうなので難しいですね。包装紙の方は…ぜひ試してみたいです」
バッグを作るのも手作業だろうしな。コストが掛かりすぎるか。それにこの世界の紙は、そんなに安いものではない。普通のノートが赤銅貨1枚(500円)ほどするのだ。
「紙に着色することはないのですか?」
「そうですね。字を書くものですから基本、色は付けませんね。本の表紙などは黒や赤になっていることがありますが、他は聞いたことがありません」
確かにそうだな。日本では普通だったけど、この世界の紙には色は着いていない。
「待たせたね」
ロベルトと話していると、叔父のアルベルトがやって来た。
「アルベルト様。お待ちしておりました。銀絹の刺繍糸の他にも、私では判断しかねる案件がもう一つできまして…」
「ん?」
「なるほど…紙に色を着けて包装紙に」
叔父のアルベルトはクッキーを摘まんで、メイドが入れてくれた紅茶で一息ついた。
「もし、紙を綺麗な色で染められたなら、便箋や封筒、包装紙として利用価値があります」
「だが、紙を一から作るにはグリーベル領では技術がないな。外注することになると、それではそちらのアイディアになってしまう……いっそ製紙工場を建てるのもアリか…」
アルベルトが考え込む。
この世界ではまだ印刷技術が確立されていない。製紙の段階で色を入れるならまだしも、できあがった紙を染めるのは難しいかもしれない。
「では、版画をするのはどうでしょう。柄のパターンを作っておいて、色インクで刷るのです。重ねれば何色も使えますしカラフルでいいかと。花柄や動物の柄などが女性に好まれるのではないでしょうか」
「なるほど…それなら色インクの改良だけで、すぐにでもできそうだな」
「使い道も色々ありそうです。包装紙はもちろんですが、袋状にすればハンカチなどの小物を入れるのに使いやすいですし、柄付きならプレゼントにも良さそうです。ノートの表紙や手帳などにもいいですね。ぜひ使ってみたいです」
セルジオの言葉に叔父が大きく頷いた。
「ニコ。そのアイディア、ぜひグリーベル領で買わせて貰えないか?」
「え?」
「素晴らしいアイディアだと思う。うちの領で作って大々的に売り出していきたい。使用権も取るつもりだから正当な額の謝礼を払おう」
「ええ?」
そんな大事に?思い付きを言っただけだよ?
「オレは思い付いたことを言ってみただけですので、お気遣いいただかなくて結構ですよ」
「いや、そうはいかない。版画のアイディア、フォルトナー領でやろうと思えばできるだろう。その権利を譲ってほしいんだ」
グリーベル領で独占したいってことかな?使用権を取れば許可なく真似ができなくなる。
「銀絹の刺繍糸についても謝礼を払おう。ニコのその思い付きで銀絹に更なる付加価値が付くだろう。高級な銀絹の布よりも手に入りやすい刺繍糸。ドレス以外の服やバッグやスカーフ、思い付くだけでもかなりの需要が見込める。母はうちの広告塔だ。おそらくお披露目後には生産が追い付かなくなる」
そんなもんか。じゃあ断るのも悪いか。
「分かりました。謝礼は受けとります。オレは少しアドバイスしただけ。グリーベル領で開発したことにしてもらって構いません」
「ありがとう。謝礼は一般的には大金貨数枚だが、何か欲しいものはあるかい?」
「現金は結構です。戴けるならできあがった銀絹の刺繍糸と包装紙をください。それとフォルトナー領への卸売りを優先的にしていただけると」
「お安いご用だ」
「それからラソワに行く予定なので。泊まる所の手配をしてもらえると助かります」
「では私が一緒に行くよ。銀絹の生産を増やしてもらわないといけないからね。特別に生きている銀蚕の見学もさせてあげよう」
「いいんですか?」
企業秘密じゃないの?まぁ見せてくれるっていうなら断らないけど。
3人で話していると祖母がグレースと戻ってきた。グレースの手には白いドレスと紺のドレス、それからバッグや、スカーフやリボンらしき布があった。それも作るのか?
「グレースが選んだのが20年も前のドレスなのよ。大丈夫かしら?」
「おばあ様は昔とお変わりないじゃないですか」
「そうですよエルナ様!サイズもお変わりないですしお似合いでした!」
「そう?」
祖母もまんざらでもなさそうだ。
「それでは、こちらのドレスをお預かりして、刺繍をさせていただきます」
「お願いね」
「ドレスへの刺繍のデザインは職人と相談いたします。先にハンカチやリボンへの刺繍をさせていただいて、次回お持ちしますね」
グレースが手に持っていたドレスやカラフルなリボンを空き箱へ詰めていく。
「随分たくさんありますね」
「ええ。この銀絹での刺繍、とても良さそうだから、紺色のドレスもリメイクしてもらうことにしたのよ。あと小物も」
「間違いなく流行りますよ、このドレス。今、銀絹の刺繍を使ったデザインがいくつも浮かんで止まりませんわ!」
「こちらも忙しくなりそうです。一刻も早く刺繍糸の検証をしなければいけませんね」
グレースがすごくいい笑顔で言うと、セルジオも笑顔で返した。
二人は服飾ギルドへ戻って打ち合わせをするのだと、いそいそと帰っていった。




