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Viperino~妖蛇の冷笑

「ご説明して頂けないかしら?このお嬢さんは一体どなた?」

 

 席に着くと開口一番、櫻井夫人は私を睨みつけ閉じた扇子を口元に当てたままアンジェラに訊いた。


「それは俺が――」


 そう先程の約束通り瑞森レオが櫻井夫人に説明しようとすると、パン!という扇子と手の平が接触する激しい音と共に、


「貴方には訊いていなくってよ、レオさん」


  ピシャリと夫人が穏やかな声で彼の言葉を跳ね返す。その静かな威圧感にいつもは強気な彼も、


「う……」


 と口を閉ざしてしまう。


「まさかとは想うのだけど……」


 彼女は冷めた瞳で私を真っすぐに見つめる。


「そこのお嬢さんがレオさんのお付き合いされている女性だとは、仰らないわよね?」


 そして彼女は今度はアンジェラを見遣った。


(す、するどいッ)


 私はゴクリと喉を鳴らす。


 なんて鋭い女性なんだ、櫻井夫人て人は!まだ誰も何も私について一言も話していない。でもやっぱりお見合い席に見ず知らずの女が同席していたら誰だってそう勘繰るかもしれない。にしても――


 私はコソリと櫻井夫人を盗み見た。


(この目尻の切れ上がった鋭い容貌。こんな狐目で睨まれ言い立てられたら、誰も彼女に逆らう事なんか出来ないかもしれないな)


 私はチラリと夫人の隣にしおらしく座る馨子さんを見遣る。


(もしかしたら彼女もその一人なのかも……)


 馨子さんはとても心配そうに瑞森レオを見つめていた。


 大人しくて穏やかな馨子さん。ガサツな私なんかがとても足元にも及ばない洗練された趣を醸し出す彼女――。


 櫻井夫人から見れば馨子さんは唯一血の繋がっている肉親で、それこそ目の中に入れても痛くない程愛おしく思っている実の娘のような存在。そんな馨子さんの上品な言葉遣いに完璧なまでの所作、これはいずれ鳳来流の家元を継ぐ為にと幼い頃から厳しく櫻井夫人に育てられてきたから体に染みついてしまっているものなのだろう。絶対一日二日で出来るようなもんじゃない。そう思うと厳格な夫人の下、馨子さんには自由というモノが無かったのかもしれない。そんな抑圧された日々の中で唯一自分の意志を持って好意を持った男性が瑞森レオだったとしたら……?


 私の心の中にふと罪悪感が宿る。


「その事ですが……」


 夫人の冷めた言葉に気押されながらも、アンジェラはこれをきっかけとばかりに、私と彼の(偽装の)関係を彼女に伝え

ようと試みた。だが


「確かこの前のお話では、こちらにいるレオさんには、お付き合いされているお嬢さんなどいらっしゃらないと伺った筈なのだけど?」

 

 あたかもアンジェラのその言葉を察していたかのように、絶妙なタイミングで言葉を遮る櫻井夫人。微かに頬を上げると冷笑する。

 

 滔々とだがチクチクと針で刺すように責めたてる夫人の嫌味に、アンジェラはグッと下唇を噛みしめた。


 どんな時でも真っ直ぐに自分の意見をハッキリ伝えるアンジェラがなぜ彼女を苦手とするのか、私には今はっきりと分かったような気がした。この言い方まさにモラハラ(モラルハラスメント)人間の常套手段だ。相手に非があるかのようにじわじわと理詰めで疑問符で責めたてる。

 その姿はまるで獲物に己のトグロを巻き付け、陽に曝された革紐のようにゆっくりといたぶりながら締め上げていく蛇に似ている。鋭く尻上がりの双眸にヒョロリとした体躯――本当に櫻井夫人は妖蛇の化身かもしれない。今にもシュ―ッという異音を発しながら紅い口紅を引いた唇の奥から、どす黒くて長い舌が飛び出してきそうだ。


 私は背筋がゾクリとした。


 誰も口答えをしない事を好い事に妖蛇の独壇場は続く。


「ですからうちの馨子との縁談をお願いしたのだけど……。まさかレオさんがそんなフシダラな男性だったとは思いませんでしたわ。それにこちらの情報ではレオさん、色々と女性のお客様から声を掛けられているようですけど、一切それには脇目も振らずただ御自分のお仕事に精進なさって、とっても勤勉な殿方だと伺っていたから少しがっかりしました。それとも、そもそもその情報が間違っていたのかしら?貴方がそう思わせていただけ……とか?」

 

 櫻井夫人が瑞森レオを見て「クッ」と喉の奥で嗤う。


「なんだと……」


 彼がいきり立った。


「レオッ」

 

 それを慌ててアンジェラが視線で抑えた。しかし隣のアンジェラを見ると彼女も悔しそうに、膝の上に置いた拳を力強く握り締めていた。綺麗に彩られたネイルが柔らかな手の平の肉に食い込んでいるのが分かる。


(アンジェラ……)


 これが全部自分の所為だと思うと私はいても立ってもいられなくなりそうだった。でもアンジェラにお願いされてしまったのだ。


『――例え夫人にどんな酷い事を言われたとしても、ぐっと堪えて欲しいの――』


 そう言われてしまったからには、私は彼女との約束を破ることはできない。現にアンジェラは必死にこの屈辱に耐えている。


 そんな彼女の努力を無駄にする訳にはいかないのだ。例えそれがはらわたが煮えくりかえりそうになる程最低最悪の妖蛇が相手だとしても……。


 私は込み上げてきた怒りをグッと押し戻した。

 

 そこまで云うと櫻井夫人は呆れたていで徐に息を吐いた。そして瑞森レオとアンジェラを蔑んだように見遣ると冷笑して耳を疑ってしまうような信じられない事を口走った。


「やっぱりイタリアの方ていうのはこうレオさんのように節操のない、嘘を吐かれる方ばかりなのかしら?それともそういう躾すら出来ない親御さんばかりなのかしらねぇ?」

 

 そして冷やかにアンジェラを見つめる。


「それにあのお店自体、従業員は男性ばかり。それっていうのもうちの馨子のように純粋な乙女を誑かしてお金儲けする為に造られたお店なのかもしれないわねぇ。そんなお店なんてこの街の風紀を乱すだけで必要なんてないんじゃないかしら?」


 そしてホホホホ……と扇子を口に当てて嗤った。


(ヒドいッ!ヒド過ぎるッ!これがずっとアンジェラのパートナーだった人の言葉!?いくら馨子さんを傷つけたかもしれないからと言ってこれは言い過ぎなんじゃないの?)


 私は怒りで目をカッと見開いた。


 確かに女性がターゲットである『リストランテ――』はフードプランナーであるアンジェラの営業戦略兼趣味?でスタッフだってイケ面な男性オンリーだ。だけど決して彼らはそんなやましい気持ちで仕事をしている訳ではない!

 

 竜碼さんは普段はガサツで演歌とか歌っちゃう、ちょっとオヤジ臭い人だけど、スタッフへの指示は的確でスキがない。まるで『リストランテ――』のスーパーマンだ!

 

 信吾君だって見た目は小さくて、腕白坊主で悪戯っ子だけど、ドルチェに対しては超一流のパティシエだ。それだって幼い頃からの夢をただひたすら追いかけて、憧れの人のように自分もなりたい!という純粋な強い意志を持っている。

 

 名波さんだって、見た目はいつも飄々としていて掴みどころの無い人だけど(たまに苛められるし)、ホールに立てば洗練された優雅な動作で、テキパキとノーミスで仕事をこなす。お客様のクレームだって持ち前の穏やかな雰囲気と礼儀正しさで、あっという間になんの問題も残さず解決してしまう。私は彼にどれだけ助けられた事か。


 次第に私の目頭が熱くなってくる。


 アンジェラだって大酒飲みで、決して繊細な心を持った女性とは言い難い。大胆で女王様な彼女を見ていれば躾とは一体何ぞや?と考えずにはいられなくなるけど、それでも瑞森レオに対しては本当の母親以上に彼を想っている。それはいつものじゃれ合いのような(時には遣り過ぎるが……)喧嘩を見ていれば一目瞭然!そんな彼女に母親失格だなんてレッテル貼らせない!それに彼だって――


 私の目にはいつしか悔し涙が込み上げていた。抑えつけていた怒りが再び沸々と腹の底から沸き上がる。


 瑞森レオは、初対面の相手にすすんで挨拶一つしない不躾な男かもしれない。口も悪いし、性格も悪い!良い所といったら顔とスタイルくらい!怒ると般若みたいに怖いし、人を苛めて楽しんでいるスピード狂のドS王子だ!でも!でも!でも彼は――誰よりも自分の仕事に誇りとプライドを持っている真面目で立派な世界一のクオーコだ!――あ、世界一はちょいと言い過ぎかも知れないけど……。

 

 それに彼は私の前でハッキリ言った、


『俺は自分が認めた女じゃねぇと傍になんて寄らせねぇ!例えそれが芝居だとしてもな!』


 その時の彼の瞳は嘘偽りなど全くなかった。彼の澄んだサファイアブルーの瞳は真っ直ぐ私を見つめていた。――私が不覚にもドキリ、としてしまう程に。

 

 そんな彼を彼が一番嫌う『ホスト』扱いするなんて!それが例えお店にとってVIPな人でも絶対私は許せないっ!


(私の大切な人達を馬鹿にしないでよ―――――――――ッッ!!)


 そう思った瞬間、私は国宝級の貴重な年代物の椅子を蹴倒していた。



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