Viaggio~タイムスリップ
かくして――
最大の秘密を握った嬉しそうなアンジェラと唯一それを知らない瑞森レオと共に、私は緊張した面持ちでお見合い会場である中庭の離れへと向かっていた。
この中庭の離れという建物は、『紫水迎賓館』を利用するお客様の中でも、支配人やオーナーとの直接的な繋がりを持ち、尚且つ著名人で無ければ予約が不可能だというかなりセレブリティな建物らしい。
それはこの建物が、もともと江戸時代に建てられた広大な武家屋敷を時の実業家が買い取り移築したもので、国の重要文化財に指定されてもおかしくない代物だからである。つまり私達が先程までいたメインロビーのある建物はこのお屋敷の『洋館』で、これから向かうお見合い会場である離れは『和館』ということになる。
そんな威厳のある建物に万年貧乏な私ごときが足を踏み入れて良いものか?お金って有る所には有るもんだ……などと不安と感心の気持ちをごちゃ混ぜに抱きながら、洋館と和館とを繋ぐ通称『花のカーテン』と呼ばれる小路を歩いて行く。
と、その小路を進んでいくうちに徐々に陽の光を遮っていた木々や花々のアーチから眩い日光が差し込み始め、目の前に時代アワーでよく目にするような、四本の方柱で棟木を受けた本瓦葺の中央が両開きの板戸で出来た武家屋敷門が現れた。左右の脇間にはご多分に漏れず片開きのくぐり戸が取りつけられている。
私は門の前まで来ると足を止めた。
「どうしたの?」
門を見たままぼぅっと突っ立って動かない私にアンジェラが気付いて声をかけて来た。
「こ、ここ――ですか」
「そうよ?それがどうかした?」
私が何故それ程迄に呆然としているのか意味が分からない、と言った様子でアンジェラが顔を覗き込む。
「こ、これが――離れ、なんですか」
「これ――って。正式にはこの中にあるのが離れなんだけど。これは門よ」
アンジェラは私の質問に楽しそうに冗談で答えた。しかし残念ながら私にはその答えにツッコミを入れる余裕は無い。
「もうリンネちゃんたら何か言ってよ、寂しいじゃない」
アンジェラは言うと拗ねたように唇を尖らせる。
「なんかタイムスリップ――しっちゃったみたいですね」
私は固唾を飲むと歴史を感じさせる門を見上げた。
「タイムスリップねぇ」
アンジェラは楽し気に「そうね」と私の顔に自分の頬を寄せると声を顰めて言った。
「じゃあ今日リンはお武家のお姫様ってところかしら?久しぶりのお姫様を思う存分楽しまなくちゃね!」
「アンジェラ!」
私は慌てて、私達から少し離れたくぐり戸の前に立って同じく門を見上げている瑞森レオを見遣る。彼も又もの珍しそうに門を眺めていて私とアンジェラの会話には全く気付かないようだった。私は「ふぅ」と安堵の溜息を吐く。その様子に気付きアンジェラがニコッと笑った。
「大丈夫よ!レオにはワタシがリンの事気付いたってバレないようにするから」
そして可愛らしくウインクをする。
「だってアイツだけ仲間外れって面白いじゃない?レオだけそれを知らないでお芝居する様、見てたらきっと楽しいわよ」
それからクスクス笑うと「レオったらどんなお芝居すッるのッかなぁ~」と幼い少女のように屈託ない笑顔でくぐり戸の方へと歩いて行った。
(間違いなくアンジェラはSだ……)
私は初めて瑞森レオが哀れに思えた。
◇◇◇◇
門を入ると中には蒼々とした萌葱色の芝庭が広がっていて、少しの落ち度も無くまるで計算尽くされたような綺麗に剪定された草木が植えられた見事な庭園を見ることが出来た。
私達はそこに道標のように施されていた飛び石風の小路を辺りを眺めながらゆっくりと歩き、先に見える寄棟造りの純和風建築の離れを目指した。その見事な庭園と離れの建物の間には大きな池が広がっていた。
その中には鮮やかな紅や錦の色をした鯉が涼しげに泳ぎ回っていて路行く私達の目を楽しませてくれた。そこにかかる朱塗りの橋を渡ると、漸く離れの玄関口だ。
「お待ちしておりました」
私達が離れに入ると、入口で着物姿の老齢で美しい女性が、正座に三つ指をついて迎えてくれた。彼女は今日のお見合いの雑事を担当してくれる仲居さんのようだった。
「櫻井夫人はもうお見えでしょうか?」
アンジェラが丁寧に尋ねる。その言葉遣いはいつもの豪快な彼女からは想像もつかない程上品だ。
「いいえ。まだお見えになっておりません」
どこぞの武家の後家さんのように品良く楚々とした仲居さんは、アンジェラにそう言うとすっと立ち上がった。そして、
「では御先にお部屋へご案内させて頂きます」
と私達に会釈をして、右手をサッと廊下へ向けて差し伸ばした。
「お願いします」
その丁寧な言葉遣いと完璧なまでの立ち居振る舞いに私達三人も恐縮してお辞儀を返した。
◇◇◇◇
私達は歩く姿も美しい仲居さんに連れられて長い廊下を黙々と進んでいった。
この離れは、元大旗本のお屋敷とあって書院造りを基本とした二十畳の広間を始め、次之間、三之間、と計十五室も有する大屋敷だが、現在はその中でも広間、待合室、そして主人の居室の三室しか利用が許されていない。私達はそれらを廊下から眺めながらそのうちの一つ、奥之間である元主の居室に案内された。
「どうぞこちらでございます」
仲居さんが障子に手を掛けス―ッと開く。とその中の光景を見て再び私は驚いた。
勿論奥の間も今目にしてきた他の部屋と同じように、床柱、鴨居、欄間、天井板などすべてが現在では入手困難な最高級の木材を使用した完璧な純和室ではあった、がその中に配置されている家具の数々は、武家屋敷とは思えないものばかりだったからだ。いうなれば明治初期の文明開化――つまり鹿鳴館の頃の華やかな洋風家具が並べられていたのだ。その部屋はまるで変動の時代の縮図を垣間見るようだった。
「す、すごい……」
私は再び唖然としたまま部屋の入口で立ち止まった。その様子を見ながら仲居さんは嬉しそうに説明してくれた。
「このお部屋は幕末、さる財閥の創設者に買いとられた後、貿易商を営んでいた時の主の好のみに改装されたのです。ですから他のお部屋には見られない、当時まだ入手困難だった舶来品の家具が置かれているんですよ」
そして彼女は「さあどうぞ」と固まる私の背中を優しく押すようにして、豪奢なテーブルの席へと促した。
私は恐る恐るその重要文化財的な椅子に腰を下ろすと隣に座る二人を見遣った。すると二人も辺りに置かれている調度品等をチラチラと不思議そうに眺めている。
(瑞森レオもアンジェラもさすがに驚いたみたい)
いつもなら見せることのない二人の表情に内心私は可笑しくなった。
「では私は粗茶をお持ちいたしますので、暫くこちらでお待ち下さいませ」
私達が全員大人しく席に着くのを見届けると、仲居さんはそう微笑んで軽く会釈をしてから部屋を出ていった。
◇◇◇◇
「「「ふぅ~」」」
それを確認するや否や一斉に三つの溜息が漏れる。そしてそれに続いて瑞森レオが口を開いた。
「おいアンジェラ、なんだよここ!俺こんな堅苦しい場所だなんて知らなかったぜ!」
横目でアンジェラを睨む。
「何言ってんのよレオ、お見合い自体堅苦しくて面倒臭いもんだって相場が決まっているものよ。それにワタシだってホテルの離れとは聞いていたけど……」
ぐるりと辺りを見回す。
「こんな恐ろしく高価なモノに囲まれてる場所だなんて知らなかったわよ。侮っていたわ」
そしてアンジェラはチッと舌打ちすると、
「こんなんだったらもっと御洒落してくれば良かった」
独り言ちた。
(アンジェラってば何て逞しい)
私はそんな彼女を尊敬の眼差しで見つめた。
私だったらこんな高価な物に囲まれたら、間違って触れて何時傷を付けてしまうか、と恐縮して身動きなどできない。
それを彼女は「お洒落してくれば良かった」とは、なんとも肝の据わった台詞だ。
「なんでお前が御洒落して来るんだよ」
止せば良いのに甥っ子がその言葉を受けてボソリと呟いた。それにすかさず地獄耳アンジェラが反応した。
「なぁに?レオ。ワタシに何か言いたい事でもあって?」
鋭く横目で彼を睨みつける。
「嫌――別に」
アンジェラの不穏な空気を読みとり咄嗟に彼は言葉を濁す。が時すでに遅し!Sの権現である彼女の猛攻がジワリジワリと始まった!
「いいこと?ワタシはレオの保護者なの。そのワタシがお見合いの席に御洒落をして来たらいけないワケ?それともなぁに?主役のオレより目立つな、って暗にアンタは言ってるの?」
嫌みの応酬だ。
(ちょっとアンジェラ、それじゃあ彼を煽っちゃうよ!)
私はドキドキしながら瑞森レオの様子を窺う。と案の定彼の穏やかだった顔が見る見るうちに般若の様相に代わっていく。
「お前なんだよ、それはオレに対する嫌味か?」
彼の双眼が蒼い光を放つ。
(や、やばいッ、はじまるッ)
私は在りし日の彼らの喧嘩を想い出して顔が青ざめる。
お店で初めて二人の喧嘩を聞いた時、正直恐ろしくなった。所々『オムツ』だのなんだのと面白い単語は混ざっていたけれど、喧嘩自体はかなり激しいバトルだった。
(こんな所で始めちゃったらどうなると思ってるのよ!)
辺りにはそれこそ博物館に寄贈されてもおかしくない重要文化財的調度品がゴロゴロしているのだ!そんな所でこの二人の激しいバトルが始まってしまったら――
そう私が心配した矢先
ガタッ!
大きな音を立てて、時代モノの椅子が倒れた。