Abbraccio~温かい胸
「驚いた?」
信吾君は話終えた後キョトンとする私の顔を見つめながら優しくそう呟いた。私は何も言えず黙ったままだ。
「これが俺とあの男――長谷川の馴れ初め。だからゴメン、こんな事に巻き込んだのも全部俺の所為なんだ。」
信吾君は寂しそうに俯く。そんな彼の表情を目に留め私は徐に口を開いた。
「――それで、その男の子はどうなっちゃったの?その後信吾君のお友達は大丈夫だったの?」
私は心配そうに尋ねた。
「結局アイツはその後入院しちまったんだ。でも俺が見舞いに行った時にはもういなかった。俺の知らないうちに家族でどっかに引っ越しちまったみたいだよ。それからは行方知れず……」
そして小さく溜息を洩らす。
「そりゃそうだよな、アイツの事を守れねェ俺といたって、長谷川に目ぇ付けられちまっただけで何も良い事なんてねぇし。俺から離れたくなる気も分るよ」
信吾君は自分を嘲笑する。とても寂しそうに、悲しそうに――苦しそうに。
「俺もそれで学校辞めちまって、ガキん時から持ってたもう一つの夢だったパティシエを目指す事にしたんだ。昔から甘いモノが好きだったし、憧れてた人もいたし……。それにさ、相手を傷付けちまうプロになったって何か空しいだろ?……だから」
言って勢いよく私の方へ振り向く。
「良かったんじゃね?あん時が俺のターニングポイントになって。結構マジでボクサーになるかパティシエになるか悩んだ時期もあったしさ、スッパリ切り替えも出来たしオールオッケーだろ!」
そして信吾君はいつもの屈託の無い笑顔を見せた。
(信吾君――)
しかし私の顔は晴れなかった。
(そんな笑顔を作ってみせても、やっぱり信吾君は消えた友達の事、きっとまだ心配してるんだろうな)
優しい信吾君の事だ。心のどこかで彼への想いを残しているに違いない。
――申し訳無かったって、何度も何度も謝ったに違いない。
自分の心を痛めつけてでも、苦しめてでも、謝ったに違いない――。
私は明るく笑う彼の姿を見ながらそう思う事しか出来なかった。
「なんで暗い顔してるんだよ凛音ちゃん。どうしてそんな顔……あっ!やっぱりさっきの俺の話――ひいた?」
そして又寂しそうな顔をする。
本当に信吾君は笑ったり、困ったり――百面相だ。
「ひく?」
私は不思議そうに首を傾げる。
「何でひくの?」
今度は私が彼に問いかける。
「えっ、だって、さ……」
信吾君は言いにくそうに口を閉ざす。
「だって女の子って、誰かを殴ったとか、喧嘩したとか、暴力の話聞くの嫌がるだろ?それに俺はその張本人だぜ。長谷川の仲間をボッコボコにしたし、さっきだって長谷川をぶん殴っちまったし――やっぱり」
信吾君は大きな瞳に不安な色を覗かせる。
「俺の事――嫌いになった?」
そして瞳をウルウルさせる。
――色素の薄いヘ―ゼルナッツのような色をした澄んだ大きな瞳。
どうすればこの瞳の持ち主を嫌いになれると言えるのか――。
私は突然この瞳に心の奥まで見ぬかれてしまうような感覚に襲われて、慌てて目を逸らした。
「わ、私は格好いいって思ったよ……」
照れながら言葉を紡ぐ。
「格好――いい?」
その言葉に信吾君が益々目を大きく見開く。私はその様子を見てコクンと一回頷いた。
「だって私ビックリしたんだよ!あんな大きな体格の人を信吾君、一発でのしちゃうんだもん!」
ざっと見ただけでもあのライオン丸は信吾君より数倍はデカイ。高さで言ったら瑞森レオか名波さん以上はゆうにある。それに体つきだって、丘サーファーもどきの竜碼さん並みにガッチリしていた。その癖スポーツマンというような雰囲気は無く、それこそ夜行性のライオンのように、夜の不夜城を徘徊しているような、近づいたら食われるような、そんな凶暴性を秘めた正しくライオン丸なのだ!実際私は食べられそうになってしまったけれど――。あの後の事を想像するだけで恐ろしい。
恐らく私はあのままナイトサファリに連れて行かれ、奴らの真ん中に餌として放り出されてしまっていたのだろう。嗚呼!クワバラクワバラ!
だからあのライオン丸を小柄な信吾君が倒してくれた時、私は本当に格好いいっ!て思ったのだ!
「信吾君!本当にありがとうっ!嬉しかったよ!」
私が言葉を言い終わると彼はキョトンとして、それから瞳をシパシパと瞬かせた。そしてフッと嬉しそうに頬を緩めた。
「良かったぁ」
信吾君が安心したように肩の力を抜く。
「俺、凛音ちゃんに嫌われて無くって良かったぁ」
その言葉は本当に心の底から喜んでいるように弾んでいた。
「凛音ちゃんやっぱり俺の想像通りの女の子だった」
「えっ?」
今度は私が驚いた。
「想像通りの女の子って?」
不思議そうに彼を見る。
「うん。俺勝手になんだけど、凛音ちゃんなら俺のこんな話聞いても、絶対変な目で見ないんじゃないかって思ってたんだ」
そして「やっぱり当たった」と嬉しそうに言うとクスリと笑う。
「初めてあった時さぁ、ほらあの卵事件の時――」
卵事件――そう忘れもしないあの事件。私が女装?して初めてスタッフ仲間に出会ってしまった最初の事件。それは信吾君だった。それから彼との不思議な関係が始まってしまったのだ。
「俺あんな酷い事しちゃっただろ?折角凛音ちゃんが買って来た美味しそうなお料理――あれ俺全部ぶち撒けちまったんだぜ?普通だったらそんな事した男、腹が立って顔だって見たくねぇし、勿論声だって掛けたくねぇと思うじゃん」
そして信吾君は思い出すように目を細める。
「それなのに凛音ちゃん、嫌な顔一つしないでさぁ、俺の強引な申し出も快く受けてくれてさぁ、それもあんな笑顔見せてくれて。だから俺――」
信吾君が私の方へと勢いよく向く。
「この子は絶対良い子なんだろうなぁって思ったんだ。俺が凛音ちゃんに惚れた瞬間だよ」
彼の少し潤った色っぽい瞳が真っすぐに私を捉える。
ドクン!
「し、信吾君……」
思わず咄嗟に顔を背ける私。
心臓の音がドクドクドク……と痛いくらいに速く鳴る。
(惚れた――なんて。そんな、そんな真っすぐ見て言わないでよ)
――信吾君くんの顔が見られなくなっちゃう……じゃん。
顔が今にも発火しそう。
「そ、そんなの、過大評価だよ信吾くん!私そんな良い子なんかじゃないしっ!」
顔を背けたまま声だけで彼に訴える。
そうだよ――。全然良い子なんかじゃないんだよ信吾くん。
そんな事真っすぐ言われると、私――胸が痛くなっちゃうよ。
だって私――信吾くんを騙してる。
その時だって、今だって、それから――これからだって。
ずっとずっと信吾くんを騙す事になっちゃうんだよ……。
それでも――それでも、信吾くんは私の事嫌いにならない?
自然と熱いものが込み上げて来る。
信吾君を騙している自分に対する情けなさと、それから信吾君に対する申し訳ない気持ちで……。
「凛音ちゃん!?」
黙ったまま何も言わず何かに耐えているような私の様子を訝しんで、信吾君が顔を覗き込む。そして驚いたように大きく目を見開く。
「泣いてるの!?」
「……」
そんな優しい信吾君の言葉に私は何と言ったら良いんだろう……。
(ごめんね信吾くん)
ただその言葉だけが、胸が苦しくて声に出せないまま心の中を彷徨う。と突然体中に温かい温度を感じた。信吾君が――大切な物を包み込むように私の体を抱きしめていた。
「信吾……くん?」
「ごめん……」
信吾君が静かに呟く。
「怖い想いさせちゃって本当にごめんな。俺もう凛音ちゃんに怖い想いなんて絶対させないから。もし又長谷川に出会ったとしても、長谷川じゃなくても、凛音ちゃんに嫌な想いさせるヤツがいたら、俺誰が何と言おうと絶対どんな事をしてでも凛音ちゃんの事守ってやるよ。だから――」
そこまで言うと信吾君は強く抱きしめた腕の力を緩め、少し体を引くようにして私を見つめた。
「俺の事信じて――俺の事好きになって欲しい」
熱い視線で見つめる信吾君。
真剣な眼差しに、捉えられた瞳がほどけない。
「信吾くん……」
「俺ずっと凛音ちゃん守るから」
そして再び強く抱きしめた。
(――告……白?)
私はただ信吾君の温かい胸に抱かれて、そのまま身を委ねているしかなかった。