MissioneⅡ~第二関門
その後何とか角のお屋敷まで辿り着き、たどたどしくもそのお屋敷を『親戚の家だ!』と言い張った私は、そこ迄連れて来てくれた紳士な名波さんへと丁寧にお礼を告げ彼と別れた。
そして今本来の目的地である、金髪王子との待ち合わせ場所であるホテルへと続く駅前通りへと向かって急ぎ足で歩いていた。
漸く見慣れた駅前通りの商店街の姿が見えて来る。大通り沿いに軒を連ねる商店の、華やかなディスプレイに心なしか私の足が弾む。
暫く弾む足取りで商店街の中を歩いて行くと、途中、木製のドアに色鮮やかな可愛らしい小花をあしらったリースを飾った、どこか懐かしさを感じさせる建て構えをしたお店の前を通りかかる。
まるで欧州の片田舎にあるような小じんまりとしたそのお店は、大通り側に面した小窓には清楚なレースの眼隠しカーテンが掛かっていて、入口には立て看板が置いてあり、美味しそうなケーキの名前と、ちょっとしたイラストが入っていた。
「あれ?ここもしかして……」
私はレースのカーテンの下から店内を覗きこんだ。そこは、以前駅前通りを歩いた時に見つけたパティスリーだった。
「なんかイメージ変わったなぁ」
以前見たパティスリーは窓の傍にも沢山のケーキが綺麗に並んでおり、その美味しそうなケーキを羨望――いや欲望の眼差しで見つめながら、切なく溜息を落としていた。
しかし今の店内は、勿論ケーキの種類や美しさは依然とは変わらないが、それらのケーキは一か所の大きなショーケースに整然と収められており、空いたフロアのスペースには、木の香漂うナチュラルカントリー風のテーブルセットが並べられいて、その上には可愛らしいステンシルの絵柄の入った小物が置かれていた。
お店の中は年齢を問わず多くの女性達で賑わっていた。
「わぁ可愛いお店。今度は中で食べられるんだ。ちょっと入ってみようかな?」
『きっと少し中を見る時間くらいはあるわよ』
私の中の『デビル輪』が囁きかける。
『でも待って!もし遅刻したら瑞森さんに何言われるかわからないのよ?』
もう一人の『エンジェル輪』が私の腕をクイクイと引っ張る。
『あんたは黙ってなさい!いつも優等生ぶって!何様のつもりよっ!』
『何言うの!輪ちゃんは本当に真面目な良い子なの!貴方こそ悪の道に輪ちゃんを引きずり込まないでよっ!』
『仕方ないじゃない、私悪魔だもん』
『何減らず口叩いているの!』
とうとうギャアギャア、ワアワア、私の頭の中で二人の輪が大騒ぎを始めた。
(ちょっと止めてよ二人ともっ)
それを傍観しながらオロオロしている私に、突然声が掛けられる。
「あれ?凛音ちゃん?」
その声にハッとして後ろを振り返る私。
すると丁度大通りを挟んだ向かい側の歩道に驚いた顔をして私を見つめている信吾君を発見した。
「信吾くん!?」
(何故ここに?)
私が不思議そうに首を傾げていると、信吾君は顔をパーッと明るくし輝かせ大きく手を振って私の方へと掛けてきた。
こちら側へ渡る途中、彼は往来する車にあわや轢かれそうになっていたが、そこは誰もが愛しく感じてしまう信吾君の屈託のない無邪気な子犬顔が功を奏したのか、怒って窓を開けたらしいドライバーに、彼は軽く頭を下げただけで何のお咎めも受けずに、無事に大通りを渡り切り、私の前へと現れた。
(やっぱりああも邪心の無い顔で素直に謝られたら、誰だって怒る気失せるよね)
私はその様子を感心して見つめていた。
「アブねぇアブねぇ、俺殺される所だった。ハハハ」
私の前で信吾君は照れたように頭を掻いた。
「で、どうしたの?こんな所で、何してるの?買いもの?」
そう矢継ぎ早に私に尋ねる信吾君の瞳はキラキラしている。その瞳は真っすぐ私に向けられていたが、先程名波さんから聞いた赤裸々な信吾君からの告白ともとれるお話を思い出して、私は咄嗟に顔を背けてしまった。
(あんなお話聞いた後じゃ、まともに信吾君の顔が見られないよぉ)
真っ赤に染めた顔を俯かせる。
「し、信吾君こそこんな所で、何してるの?」
私はたどたどしく尋ねた。
「えっ?ああ俺?」
言うと信吾君は私に優しく微笑みかけ、先程まで私が店内を羨ましそうに見つめていたパティスリーを親指を立てて差した。
「ここ!俺はここに用があって来たんだ」
そして先程私がしていたように、窓から店内を覗きこんだ。
「うわぁ凄ぇなぁ。なかなか賑わってるじゃん!あ、でも女の子ばっかしだ」
それから『どうすっかなぁ』と一言漏らすと、再び私の方へ向き直った。
「ここさ、うちのお客さんから聞いたんだけど、『季節のタルト』っていうのが結構人気でさぁ、俺も一応パティシエやっ
てるから、敵上視察しに来たんだ。でも――」
そして困ったように鼻をポリポリ掻く。
「なんか女の子ばっかで入り辛くなっちゃった」
(敵上視察――?)
「あっ!」
私は思わず大きな声を出してしまった。
「どうしたの?」
その声に信吾君が反応する。
「あ?え?あ、う、ううんっ、何でも無いっ」
私は信吾君を誤魔化した。
「そう?」
そして信吾くんは再び窓の中を見つめる。
そう言えば今朝信吾君が――
『んじゃ俺は、この間駅前に出来た新しいパティスリーにでも敵上視察に行ってくるかなぁ~』
みたいなこと言ってたっけ。
でもそれって『新しくできたお店』って言ってなかった?
だってここは確かに前からここにあったはず。
私がこの前ハナさんのお店に行く時見つけたんだもん。
じゃぁ何故信吾君がこのお店にくるの?
新しくも何ともないのに?
まさか信吾君――間違えてるのかな?
私は信吾君を見遣った。まだ信吾君は窓から中を見つめ入るかどうか考えているようだ。
ふと信吾君から目を逸らすとお店の外に置かれている大きな木製の看板が目に入った。そこには――
『リニューアルオープン』
という飾り文字が躍っていた。
(あ、やっぱりここなんだ信吾君の言ってたお店。間違いじゃないのか)
私は小さくフゥと溜息を洩らす。
(なんで私って運が無いんだろう。最初は名波さんで、今度は信吾君。選りによって一番皆を避けたい日に、次々とご対面しちゃうなんて。まさかこの後は竜碼さんが控えてるなんて事ないよねぇ)
私は恐る恐る辺りを見回す。
「何してんの?」
そんな様子に気付いた信吾君が不思議そうに声を掛けた。
「い、いやなんでも……ちょっと首の体操を……」
「えっ?あ、ああそう」
言うと信吾君は再び店内へ視線を移す。
純粋な信吾君は私の言い訳を真に受けてくれた。
重ねて幸いな事に辺りに竜碼さんの姿も見えない。
(どうやらこの後竜碼さんが出て来るなんて事は免れそうだけど、なんでこう運が悪いのよ)
やっぱり忙しくてもお父さんのお墓参りには行くべきだったかなぁ?
でもお墓何処か分らないし……。
私は日頃の行いが悪かったらしい自分を呪った。
「ねぇ凛音ちゃん」
と再び信吾君に声をかけられた。
「えっ?」
その声に顔を上げる。
「この後少し時間あるかな?」
「時間?」
私が不思議そうに訊き返すと信吾君は照れたように頭を掻く。
「もし良かったら、俺と一緒に店入ってくれない?」
私に微笑む。
「えっ?」
(まさかこれって――)
本格的なデートのお誘いじゃなくって!?
頬が熱くなる。
「えっ、そ、それは……」
(どうしよう信吾君と二人きり!?)
心臓がバクバクする。
そりゃあ、この前だって閉店後のお店で信吾君と二人きりになった事はあったけど、それは、それは、あくまでも男の子の『春日輪』だった訳で――。
私の頭は暴走を始める。
それにあの時あんな事になったけど――あんなこと……!?
やばいっ!思い出してしまった。
そうだ、二人っきりになってしまった時、私と信吾君に思いもかけないハプニングが振りかかり、そして、そして私はっ、私はっ、信吾君の上に馬乗り状態に――!!
(キャ―――――――――――ッ!!)
私の頭がショートする。
今思うとなんてハシタナイ格好してたの私っ!あれじゃあまるで私が信吾君をおそ、おそ、襲ってるみいじゃないっっっ!!
(無理無理無理無理ッ!ずぇったい無理っ!信吾君と二人きりなんて絶対いられないっ!!)
壊れかけた頭で考えた結果私は一つの答えを導き出すと信吾君に告げた。
「ご、ごめん信吾君!私この後ちょっと予定があって、その、付き合えないんだ。本当にごめんね」
私は信吾君の顔を伺い見た。すると途端に信吾君の顔に翳が刺した。
「そ、か……予定があるんだ。じゃあ無理強いはできないよね」
そしていつもの捨てられた子犬のような瞳をする。
(うっ、この目弱いんだよなぁ)
私は寂しそうな信吾君を黙って見つめた。すると信吾君は気を取り直したように『そっか!』と今度は元気良く笑顔で言って、新しい案を私に話した。
「じゃあさ、俺がケーキ買うの付き合ってくれない?それくらいは時間あるでしょ?」
「ケーキを買っていくの?」
私は信吾君に訊いた。
「うん。俺やっぱ流石にこの中に一人で入る勇気ねぇし、それに、さ、輪が、あいつが甘い物好きなんだよな。だからあいつにも買ってってやろうかなって」
そして照れたように小鼻を掻いた。
「えっ?」
その名前に反応する。
「あ、輪て言うのはうちの新人でさ、こいつ女みたいになよっちくて――」
(えっ!?)
『女』という言葉に心臓が一回大きく跳ねる。
「でも、素直で真っすぐでさ、気のいいヤツなんだ。結構骨あるし」
信吾君はハハハと嬉しそうに笑う。
「だからいつも頑張ってるアイツに御褒美!きっと輪のヤツ喜ぶぜ」
そして唖然と立つ私の顔の前で自分の両手をパンッと合わせる。
「そういう事だから、ね!お願い凛音ちゃんっ!俺の我儘きいてやってよ!」
大きくてクリクリした瞳を片方閉じ、私におねだりした。
その表情は『早くお散歩に連れてって~』と小さな尻尾をプルプルとはち切れんばかりに振る、子犬のそれに似ていた。
(この顔――反則だよ信吾君)
私はその表情のあどけなさに頬が緩んでしまう。でも私の頬が緩んでしまったのはそれだけの理由では無かった。だって信吾君――
やっぱり優しいよ。
今朝だって信吾君は私がケーキを好きな事を知っていて『一緒にケーキ屋へ行こう』と誘ってくれた。そして今回も、寮にいるであろう『春日輪』の為にお土産を買ってくれようとしている。
私は信吾君の優しさに心を揺すられる。
(どうしよう、少しくらいはいいかなぁ?ここでケーキを買う時間くらいあるし、ちょっと信吾君に付き合うくらい問題ないよね。本当の事いえば私も店内に入ってみたかったし)
心の中で私の好奇心が騒ぎ始めた。
(お買い物したって、終わったら直ぐに信吾君にサヨナラしてホテルに向かえば良い事だし……)
私は笑顔で信吾君に頷いた。
「うん、分った。私もね、ここのお店素敵だなぁって思ってたんだ。信吾君ケーキ一緒に買いに行こうよ」
その言葉を聞くと信吾君は両方の瞳をキラキラと輝かせる。
「ホント?マジでいいの?やったぁーっ!俺嬉しいよ!」
そして両腕を頭上に上げバンザイをすると、その腕を私の体に回して来て抱きしめた。
「ちょっ、し、信吾君!?」
私はあたふたとする。
しかし私の体を強く抱きしめている彼の束縛からは逃れられない。
「マジ嬉しいっ!少しでも凛音ちゃんと長く一緒にいられるなんて、俺マジ嬉しいっ!」
信吾君は言いながら私に回した手に力を籠める。
ドクドクドクドクドク……。
申し訳程度の小さな胸が思った以上に逞しい信吾君の胸に押しつけられる。次第に速まる胸の鼓動――。
触れそうで触れない、信吾君との頬の距離に火照った顔がくすぐったい。
「ちょっと信吾くんっ、苦しいよ、離してっ!」
私は出る限りの大きな声で、信吾君に訴えかけた。
「えっ!?やばっ!」
すると歓喜で興奮しすぎていたのか、今漸く自分が私に何をしているのか気付いたように、彼は刹那顔を真っ赤に染め慌てて私の体から両手を離した。そしてその手を照れたように自分の頭に回すと、私から顔を逸らした。
「ご、ごめんっ、俺別に変な意味はっ!」
そして頭をしきりに掻く。
その様子から見ても信吾君は本当に無意識にやってしまったようだった。
(信吾君、無邪気過ぎるのも心臓に悪いから……)
私はちょっと困ったように首を傾げた。
二人の間に流れる微妙な空気――。
とそれを打ち破るように信吾君が大きな声を出した。
「あっ!そうだ、凛音ちゃんケーキ、そうっ、ケーキ早く買い行こうっ!凛音ちゃん余り時間無いんだし、な、ほらっ、」
と信吾くんは慌てたように私を見て咄嗟に手を差し伸べる。しかし何を思ったのか、「あっ!」と声を漏らすと慌ててその手を引っ込めた。そして
「ごめん」
そう一言いうと再び頬を染め視線を外した。
(信吾君、まさかさっきの事まだ気にして?)
そんな信吾君を私は微笑ましく思ってしまう。
(そんなに気にしなくてもいいのに。確かにさっきはビックリしたけど、信吾君だって悪気はなかったんだし)
私は小さく微笑むと静かに自分の右手を信吾君に向けて伸ばす。そして
「うん、急ごう!」
そう言うと信吾君の洋服の片袖をギュっと軽く摘む。
「えっ?あっ?り、凛音ちゃん!?」
思いがけない私の行動に信吾君が一瞬躊躇する。しかし私はそんな驚いた様子の信吾君に微笑みを返し、
そのまま彼を促すように、パティスリーのドアへと手を掛けた。