Paesaggio~移ろいゆく景色
「――て言う訳なんだ」
名波さんは私に、『何故春日部凛音を知っていたのか』について、丁寧に説明してくれた。結果からすると、早い話、その原因は信吾君だった。
信吾君はあの、思い出すのも恐ろしい『リビング携帯着メロ事件』以降、私――つまり『春日部凛音』について名波さんによく話しをするようになったと云う。
その内容は、私との出会いから始まり、私に対する恋の相談、そして私のどんな所を好きになったとか、私のどんな仕草が好きだとか……な、何とも、今当の本人が聞くとこっ恥ずかしい内容のオンパレードで、私はこのままドリルで道路に穴を開けて、モグラの如く地中深くまで逃走してしまいたくなるくらい、赤裸々な愛の告白だった。
「で、その時信吾が彼女『輪に似てるんだ』って話してたんだ。『輪』ていうのが、その君に似てるっていう寮の男の子。それで何となく思ったんだよね、君を見た時きっとこの子がその『春日部凛音』ちゃんじゃないかって」
そしてクスクス笑った。
「信吾君がそんな事を?」
私は驚いて名波さんを見上げた。
「うん。信吾は相当君の事を好いてるよ。彼君の話をする時、本当に嬉しそうに話すんだ。だから君も信吾の事大事にしてあげてね」
名波さんは私の頭に手を乗せるとニッコリと微笑んだ。
「……」
私はその言葉にどう答えて良いか分らず、ただ頬を赤く染め俯くだけだった。
「それにしても……」
名波さんが俯く私の顔を、首を小さく傾げて覗き込むようにして見つめる。
「君って本当に彼に似てるよ。まさか親戚とか――」
「えっ?」
「腹違いの兄妹とか――」
「は?」
「やっぱり何処か繋がりがあるんじゃない?」
(!)
私はその言葉に大きく動揺した。
「ちっ、違いますっ!私とその彼は赤も他人ですっ!!」
「あ、噛んだ」
名波さんが無表情のまま冷静に見事なツッコミを入れる。
カ―――――――――ッッ!
瞬く間に私の顔が沸騰した。
(私のバカバカバカバカ―ッ!どこまでおバカなのよっ!こんな大事な所で噛むなんてっ!)
そう思いながら心の中で情けない自分にアッパーカットと往復ビンタを繰り出していると、隣でクスッと名波さんが笑った。
「やっぱり君って面白い子だね。信吾が好きになる気持ちがわかるよ」
そして私を見て漆黒の瞳を細めた。長く整った睫毛が揺れる。
「君は素敵な子だ」
「えっ……」
ドク―――――ン……。
心臓が大きく一回跳ねた。
(素敵な子って……)
私は驚きと恥ずかしさと嬉しい想いがごちゃ混ぜになった瞳で名波さんを見つめた。と優しく微笑む名波さんの視線と私の視線が絡まる。
カ―――――ッッ……。
咄嗟に視線を逸らす。
「そんなに僕を避けなくてもいいんじゃない?」
言うと名波さんは口元を微かに歪め、再び真っすぐ前を向いて歩きだした。
「いっ、いえ!そういう訳……じゃ」
「じゃあどういう訳?」
「えっ?」
「どう言う訳なの?」
名波さんは進行方向を向いたまま声だけで尋ねる。
「それは……」
言い淀む私。
ふと熱い視線を感じ顔を上げると、名波さんの瞳が意地悪そうに見つめている。
「僕を避けてるんじゃないなら、どう言う意味?なんで目を逸らすの?」
彼は再度念を押すように訊いてきた。
(どう言う意味って、そんなの――そんなの名波さんに見つめられて恥ずかしいだなんて、本人の前で言える訳ないじゃないっ!)
私は真っ赤に染まった顔を名波さんに見られないように、再び顔を背けて隠す。
私達の間に広がる不思議な沈黙――。これを世間では天使が通ったと言うのだろうか?
私の耳が彼の足音と忙しなく騒ぐ心の音だけを捉える。
と、突然名波さんがクスクス笑い出した。
「えっ?」
その笑い声に驚き、私は名波さんを見やった。と彼はまだ楽しそうに笑っている。
「あの……?」
私は戸惑い気味に声を掛けた。
「あっ、ごめんごめん」
「えっ?」
突然謝られ困惑する。
「ちょっと苛め過ぎちゃったかな?」
言うと名波さんは私を見て微笑んだ。
「苛め過ぎた?」
私は首を傾げた。
(苛め過ぎたって?苛め過ぎたって何?えっ?まさかさっきの問いって私が答えられないの知ってて!?)
――ヒドいッ!
咄嗟に頭がカァ―ッとなって名波さんを睨む。
「意地が悪いにも程がありますっ!そんなに人を困らせて楽しいんですか?」
私は恥ずかしさと憤りで名波さんに食ってかかってしまった。
「あ――」
名波さんがキョトンとする。
(しまったっ!)
私は言ってしまった後で後悔した。
(こんな言い方なんてないっ!打たれ強いバカ森レオならともかく、相手は不思議電波君の名波さんじゃない。彼に悪意の無い事は今までの彼の言動を見ていれば分るはずじゃないか。それなのに私ってば驚いたからって彼を傷付けるような言い方なんてして。これじゃ――)
私の方がヒドい。
「ごめんなさい……」
自責の念と共に私の口から謝罪の言葉が零れた。
しかしそんな困惑気味な様子を最初は驚いたように見つめていた名波さんだったが、俯く私の頭にポンと優しく自分の手の平を乗せる。
「えっ……」
「どうして君が謝るの?悪いのは僕なのに」
彼の温かさがじんわりと頭から伝わってくる。
「だって私貴方に酷い事を――」
言葉が詰まる。
「どうして酷いの?僕は言われて当たり前の事をしたんだよ?」
そして彼はその手をゆっくりと左右に動かしながら言った。
「何て言えばいいんだろう……僕はただ君が自分の気持ちを真っすぐに表すのが不思議で、面白くて……だからそれをもっと見てみたいと思ったんだ」
「えっ?」
その言葉に顔を上げる。名波さんの穏やかな瞳に捕まった。ズキン、と胸に衝撃が走る。
「君のコロコロと――まるでカメラに映る自然の風景みたいに色々な姿を見せる君の表情をもっと見てみたいなっ、て思ったんだ。それだけ。他意はないよ」
名波さんはフワリと微笑んだ。
(他意はないって……)
他意が無いのに貴方は――貴方はそんな瞳で、そんな言葉を女の子に言う……の?
私の心がチクンと痛んだ。
「君は可愛い」
「えっ?」
(可愛い――?)
その甘い言葉に全身が固まる。頭の中を大嵐が襲う。
「そんな所に信吾は惚れたのかもしれないな」
そしてクスクス楽しそうに笑った。
「でも――」
名波さんは目の前で雪像のように固まる私を気にせず言う。
「だからと言って君を困らせて良い理由にはならないけどね」
そして軽く首を傾げると、スッと私の頭上から手を退かせ、再び歩き出した。
(名波さんが私を――可愛いって?)
先程の名波さんからの思いがけない言葉に、私はその場で固まったまま動けなくなってしまった。
「どうしたの?早くおいで」
足を止めたまま中々動こうとはしない私に、名波さんは振り返りながら促した。
「あ、はい!」
その声に漸く我に返った私は、張り裂けん程高鳴る胸の鼓動を押さえながら、颯爽と前を歩く名波さんの背を追った。