Provocatorio~不敵な微笑み
「君……ここで何してるの?」
そう話しかける名波さんの顔はいつも寮やレストランで見かける、穏やかで優しい表情だったが、その形の良い口から放たれた言葉には何処か険があった。
(どうしようっ!やっぱり怒ってるのかな……)
「あ……」
私は口を開けたまま、何も言葉に出せず困ってしまう。
そんな戸惑う私にお構いもせず、穏やかな微笑みを湛えたまま、名波さんは次々と鋭く問いかけてくる。
「どうして君、ここにいるの?」
「えっ?」
「君さっきここの中から出て来たんだよねぇ」
言って名波さんは寮の門を指さした。
「はっ……」
「てことは君もしかして――」
そして彼は可笑しそうにクスッと笑うと再び私の顔を黙って見つめる。
(どうしようっ!まさか私名波さんにばれてるっ!?)
確かに、どんなに可愛い女の子のベベを着たとしても、どんなにバッチリお顔を塗りたくったとしても、その実ここにいる私は『春日輪』という一人の人間なのだ。寮やレストランや、殆ど四六時中と言って良い程近くにいる私の顔を、いくら彼が天然だと言っても覚えていない訳がない!
名波さんにとって今目の前にいる私は、やっぱり『リストランテ・デリッツィオ―ソ』で働く『春日輪』という男の子にしか見えなくてもおかしくないのだ!
そんな男子『春日輪』が、このような、ワンピースにロングブーツなんて、紛れもなく女の子のような格好をして、スキップスキップランランラン♪と寮から楽しそうに出て来てしまった。
出会い頭では気付かなかったかも知れないが、間近で顔を見つめられた時、恐らく彼は目の前にいる人物が『春日輪』であることに気付いてしまったのかも知れない。
それにこれまでの度重なる彼との危機――。これってやっぱり、とうとう――ばれた!
私は不安で胸がドクドク脈を打った。
しかし名波さんは、そんな私にお構いなく冷めた口調で質問を浴びせてくる。
「――ねぇ何で話してくれないの?」
その瞳はいつもの優しく穏やかな名波さんとは思えない、とても冷めた表情を湛えていた。
(この目……やっぱり名波さん怒ってるんだ。私が女の子だって気付いて……)
彼の未だかつて目にしたことの無かった表情に私は恐れを感じ、観念したようにゆっくりと言葉を発した。
「あ、の……」
漸く私が口を開くと彼は安心したようにフゥと溜息を落とした。
「良かった。言葉は通じているみたいだね」
そして再びクスリと不敵に笑う。
「それで――話してくれる気になった?」
私はその言葉にドキリとした。
(やっぱり名波さんは気付いて――ここまでか)
この名波さんの悟ったような話し方――やっぱりばれている。
ここまできたらもう隠す事は出来ない。何故この店に来たのか、何故女である私がこんな男装をしているのか、そしてそれをどうして寮の皆に黙っていたのか……潔く全てを話そう。
きっと名波さんなら、真実を知っても私の事を許してくれるかも知れない。そしてあわよくば隠してくれるかもしれない。そうきっと名波さんなら――。でもそれは甘い考えなのか?
私は不安な面持ちで、しかし瞳は真っすぐに名波さんの漆黒の双眸を見据えた。その様子に彼は一瞬驚いた顔をしたが、直ぐに表情を元の不敵な微笑みに戻すと、私の言葉を黙って待っていた。そんな彼に私は意を決したように口を開く。
「分りました。今から全てお話します」
そう言って私はもう一度心を落ち着かせる為に一つ息を吐き出した。
(大丈夫よ。きっと良い方向に転がってくれるから!名波さんを信じなきゃ!)
そして今度は肺へ空気を静かに流し込むようにゆっくりと息を吸うと、徐に言葉と共に吐き出した。
「実は――」
私はゆっくりと話し始める。
これで最後かも知れないけれど、これが運命なら仕方がない。
と――その言葉に被せるように名波さんが話しかけてきた。
「そう、良かった。なら話してくれない?どうして君が人の家の敷地に勝手に入っていたのか?もしかして――不法侵入者?まさかここの花壇荒しに来てたのって君なの?」
名波さんは緊張で心臓が跳ね上がっている私に向かってこう言ったのだ!
「えっ!?」
思わず跳ねていた心臓が口から飛び出しそうになった。
(花壇荒し?)
私は目が点になる。
「最近ここの花壇の花がよく刈り取られて無くなってるんだ。僕が丹精込めて作った大切な花なんだけどね」
「……」
黙ったまま唖然とする私を見た名波さんは、不思議そうに首を傾げた。
「君……じゃないの?さっきそこから出て来たんだし。ここは他人の家だから勝手に入ると不法侵入で訴えられてもおかしくないんだけど?」
そして益々瞳を細める。
(えっ!?)
ちょっ、ちょっと待てよ?今頭を整理しよう……。そう、落ち着こう私。
この言い方って……えっ!?
もしかして名波さんは私を『花壇荒し』の犯人だと思ってる!?
おまけに『不法侵入』で訴えるなんて、恐ろしい事まで言いだしてるんだけど?
えっ、てコトは……これってまさか――
――まだバレてないっ、私っ!?
私はマジマジと名波さんを見つめた。
すると名波さんは困ったように顔を歪めた。
「何?君さっきから僕の顔睨んでるみたいだけど、僕何かしたかな?僕は君に質問してるんだけど?」
そして嫌そうに眉根を寄せる。
「えっ?い、いえ……」
私は軽く首を振ると、自分の仮定を肯定した。
(やっぱり名波さん、私が『輪』だって気付いてないんだ!だとしたら……)
次に私がしなければならないこと、それは――
(この場を上手く切りぬけないと!)
そう思った私は静かに小さく息を呑み込むと、今度は自分の頭をフル回転させた。
(で、でも、なんて言ったら……)
「すっ、すいません!そのぉ……実はぁ……」
「ん?」
名波さんは落ち着いた様子で私の顔を覗きこむ。
(わわわっ、どうしようっ!)
しどろもどろしながら懸命に答えを探す。私の頭の中のコンピューターが物凄い勢いで回り出し唸りを上げた。
チン!!
とその脳内コンピューターが止まった派手な音に弾かれたように、私の口から名案?が飛び出した。
「あっ、そうです!あのっ、この辺りにある親戚の家を探していたんです!私!」
「親戚の家?」
名波さんは不信気に訊き返す。
「あっ、はい!その……幼い頃はよく来てたんですけど、さ、最近来てなくて、それで、そのぉ家を忘れちゃったみたいで……」
「家を忘れた?」
名波さんは尚も訊き返してきた。
「そんなによく来ていたのに?」
私を見つめる名波さんの目が怖い。
これでは益々自分の首を絞めている。
「はっ、はい!確かこの辺りの大きなお屋敷だったと思うんですが、私最近その、あっ!物忘れが酷くなっちゃったんですっ!若年性健忘症かなぁ、なんて……」
そしてなるべく、可愛い女の子を演出するように、『エヘヘヘヘ』と小首を傾げて誤魔化し笑いをする。
(私ったらなんてバカな言い訳してんのよ!何が『若年性健忘症』よ!いくつよ、いくつ!若すぎでしょ!いくらなんでも怪しい言い訳だよこれ!これじゃあ『名案』じゃなくて『迷案』だよっ!)
無理やり弾きだした史上最悪な『迷案』に、内心己自身で『つっこみ』を入れながら、名波さんの動向を探る。
と私の藁をも掴む必死な思いで導き出した無謀な策を聞いた名波さんは、驚いたように少し眉を上げると、フッと表情を和らげ可笑しそうにクスクス笑い出した。
「若年性健忘症――ねぇ」
言って私の顔を見て又クスクス笑う。
(わ、笑われちゃった……。そりゃ、笑われても可笑しくない言い訳よねぇ。言った本人の私でさえお腹抱えて大笑いしたいくらいだもん)
私は、情けない気持ちと恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
「――フフッ、そうか、『若年性健忘症』ね。久しぶりに聞いたよその言葉。そっか、それなら仕方ないかもね」
そして、優しいいつもの名波さんの微笑みを見せた。
「でも残念ながら、この家は探しているお屋敷じゃないよ。確かにここも広いけど、ここは僕らの住んでる寮だよ」
名波さんはクスクスと可笑しそうにまだ笑っている。
よほど私の策がお気に召したようだ。
「そっ、そうですか。すいません私ったら勝手に入ったりして……ごめんなさい」
私は名波さんにもう一度丁寧に頭を下げると、『じゃ私もう一回この辺り探してみます……』とその場から足早に立ち去ろうとした。しかし――。
「待って」
立ち去る私の方へ名波さんがゆっくりと歩み寄って来た。
◇◇◇◇◇
「あ、あのまだ何か?」
私は苦笑いをする。
「もし良ければ僕も君に付き合っていいかな?」
「えっ?」
その言葉に声は裏返る。すると名波さんは、お店で接客するような柔らかい物腰で再び話しかけてきた。
「だって君、この辺りの道とかも覚えてないんでしょ?」
「えっ!?」
私は名波さんに訊き返す。
「だってそのお屋敷と、僕らの寮と間違えるくらいなんだもの、きっとこの辺りの土地勘なんて無いんでしょ?だから」
そして爽やかに微笑んだ。
「えっ?あ、はぁ……」
(ど、どうしようなにやら怪しい雲行きに……)
「それにさっき僕、君のコト疑っちゃったし、せめてもの罪滅ぼしってコトで、ね?」
そして私の隣に沿うようにして歩き出した。
「あっ!!で、でもっ!!」
彼の突然の提案に声が裏返る。
勿論名波さんと一緒に歩けるのは嬉しいし、今この時でなければ、喜んでそうしたい。私だって年頃の女の子なのだ、こんな素敵な人と一緒に女装のまま?(ここポイント!)肩を並べて歩いてみたい!
でも今はいろんな意味で緊急事態だ!
だってこれ以上一緒にいたら、今度の今度こそ確実絶対ばれるかも知れないっ!
もし歩きながら話している時にレストランや、寮の皆の事を話題に出されてしまったら、恐らく私は無意識にその話に乗ってしまうだろう。
私は全ての人のお話を一言一言漏らさず聞けるような、あの馬小屋で産まれたどこかのお偉いさんとは違うし、ましてやその話しの中の障害物を巧みに擦り抜けられるオフロードレーサー並みの腕前がある訳でもない。
どちらかと言えば、仕掛けられた壺に疑いなどこれっぽっちも持たず、まんまとスッポリ嵌ってしまう、あの軟体類に近いかも知れない。結果良いように調理されてしまうのがオチだろう。
それに、そんな親戚の家など何処にも有りはしない。いや、この世に存在すらしていない。
その事でまで名波さんを――騙したくはない。あ、でも、もうすでに騙してしまっているけど……。
「そっ、そんな事悪いですし、それにな――」
慌てて勢いで『名波さん』と出てきそうになったのを押さえる。
(危ないっ、危ないっ、今思ったばかりなのにっ!)
私は口を閉ざした。
「何?今何か言いかけたみたいだったけど?」
その事に気づいているのかいないのか、名波さんは不思議そうな顔をする。
「いっ、いえっ!なにも……」
言うと私は又口を閉じて俯いた。
「そう?」
名波さんは安心したように微笑んだ。
「実はね、本当の事を言うと、僕も家に帰れないんだ」
「えっ」
その言葉に反応して顔を上げると、名波さんは恥ずかしそうにクスリと笑って首筋を優しく撫でていた。
その顔が何とも色っぽい。
「実はね、今日同じ寮に住む子が、大切な人を連れてくるみたいでね。僕はお邪魔なんだって」
そして何かを思い出したようにクスクス笑った。
(大切なひと……?)
私は首を捻った。
「大切な人――て彼女とか?……あっ!」
その言葉を聞いて私は思わずその場で立ち止まってしまった。
(それって私の事じゃんっ!!)
「どうしたの?」
私の発した驚きの声に名波さんも立ち止まる。
「いっ、いえっ!何でも……ないです」
私はそう誤魔化すと、何事も無かったように再び歩き出した。
(寮に住む子、大切な人って……)
今朝方の信吾君の言葉が思い出される。
『なぁ、そう言う事だからさっ、ハジメちゃんもどっか出かけてやんなよ!』
(つ、つまりは、自業自得ってことか……)
そうなのだ。名波さんは私の所為で寮へ戻れないという事なのだ。
という事はここで会ってしまったのも私の所為で、結果名波さんの時間つぶしのお手伝いをする責任があるのも私の所為で……。
(だったら――やっぱり)
私はチラリと名波さんを窺い見る。彼は美しい顔を真っすぐ前に向けていた。
(私が付き合うのが……当然、よ、ね)
そして視線を下ろす。
(でも、大丈夫かな?……大丈夫、よ、ね?そうよ少しだけなら……)
実際家は無い。だから何とか機を見計らって上手く名波さんと別れれば済む事だ!
そのタイミングは難しいかもしれなケド……でもきっと大丈夫!
そう考えた私は、名波さんへぎこちない笑顔を向けた。
「じゃ、じゃあ、探して頂いても構いませんか……少しだけ。本当に少しだけ」
なるべく『少しだけ』を強調して言ってみる。
とその言葉を聞いた名波さんは私の方へフッと顔を向けた。そして
「喜んで」
そう一言綺麗な声で言うと柔らかく頬を綻ばせた。それから――
「春日部 凛音ちゃん」
(!!!!!!!)
爽やかに私の偽名を言い当てた。