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Tarteletta~小さいデザート

 その後再びオーブンに挑戦した私は、無事こんがりとローストされたへ―ゼルナッツを慎重に、今度こそばら撒かないように注意して取り出すと、調理台の上に乗せて暫く冷ました。


 そして今度は『ビスコッティ・サヴォイアルディ』と呼ばれる、まるで親指のような形をした円筒形の、柔らかくて、甘いスポンジケーキ風のお菓子を袋から取り出し、浅めの器に並べて濃厚なエスプレッソを少々かけた。


 今私達が作っているドルチェは『カッサ―タ』というイタリアのデザートメニューで、食感はアイスクリームとムースのあいの子のような、独特な歯触りのするものだ。

 そう聞くと、なかなか微妙な食べ物を想像してしまうかもしれないが、リコッタチーズと生クリームの滑らかで優しい口当たりに、ビターチョコレートとへ―ゼルナッツの香ばしい苦みが加わり何とも言えない絶妙な味のバランスを保っていて、これが口の中で一緒にとろけると、自分の舌までトロ~ンと溶けてしまうほどの美味しさなのだ。


 私も以前信吾君に試食させてもらったが、一口含んだだけで直ぐにその味の虜になってしまった。

 その時はビターチョコレートではなく、ドライフルーツが沢山入っていたものだったけれど、いろんな種類のフルーツが一度に味わえて、甘いような甘酸っぱいような、チョコレートとは又違った爽快感が楽しめた。


 


「ねぇ信吾君。突然なんだけど……」


 私は手に持っていたエスプレッソのサーバーをバリスタマシーンに置くと、生クリームをボールに入れてかき混ぜている信吾君を窺いながら口を開く。


「なに輪?」


 信吾君はそのまま視線をボールから離さないで答える。


「何で『カッサ―タ』なの?明日は屋外でケーキビュッフェだから、他のドルチェの方がいいんじゃないの?」


 私は素人考えで、素朴な疑問を信吾君に投げかけた。


 

 『カッサ―タ』はチーズと生クリームで作るドルチェだ。しかしそれは固める為に一度数時間冷凍庫で冷やす。なので、明日のような屋外でやるケーキビュッフェとして提供するには全く適していないといえる。何故ならアイス状になっている『カッサ―タ』が溶けてしまうからだ。

 素人である私でもそれくらいの事は気が付いた。

 それなのになぜ、『ドルチェの神様』である信吾君はケーキビュッフェに『カッサ―タ』を作ろうとしているのだろうか?

 

 すると信吾君はクスリと可笑しそうに笑った。


「何で笑うの?」

 

 私は不思議そうに首を傾げる。 


「そうだな~って思って、さ」

「?そうだな?」


 ますます信吾君の言いたいことが分らない。

 そんな私を信吾君は瞳を細くして優しく見つめる。


(えっ……)


ドクン。


 瞬間、その柔らかい面差に私の胸は跳ねる。


「普通は輪の言ってる事が正論だよな」

 

 それからクスクス笑う。


「えっ……」


 驚いて信吾君を見つめ返した。

 しかし私は、クスクスと笑う信吾君の姿にちょっとムッとして意地悪い反応を返してしまった。


「だったら作っても意味ないじゃん。じゃ忘れてたの?ドルチェの神様が?」


 そして口をツンと尖らせ、拗ねたような表情を作った。


「『ドルチェの神様』かぁ……面白れぇ事言うな輪は」

「いでっ!」


 そんな私の額に信吾君はお約束のデコピンを食らわせると、ハハハと楽しそうに笑う。


「ンな訳ないじゃん!これにはちょーっと意味があんの!」

「意味?」


 私は辛そうに額を擦りながら信吾君に訊いた。


「そ!意味。勿論ケーキビュッフェにはむかないぜ、このドルチェ。だから他にも何種類か作ったし、輪にも手伝って貰ってるんだろ?でもこいつも食べてもらうんだ」


 言うと信吾君は幸せそうにニコニコして、冷ましたヘ―ゼルナッツとチョコレートと生クリームを、別に用意しておいたボールに入れる。

 微かに楽しそうな鼻歌が聞こえた。


 ドルチェを作っている時の信吾君は、いつも嬉しそうに瞳がキラキラしてる。まるで、買って貰ったばかりのプラモデルを組み立てている男の子みたいに。見ているこっちまでつられて笑顔になってしまう。


「じゃあそれ、何処で出すの?」


 又しても私は、先程の信吾君の答えに素朴な疑問を投げかける。


「ビュッフェん時」


 それに呆気らかんと回答する信吾君。


「だから、ドルチェのビュッフェは屋外だから溶けちゃうでしょ?」


 私も負けじと食い下がる。


(これじゃぁまるでイタチゴッコだよ……)


 私が訳が分らず再び不服そうに口を尖らせると、信吾君はそれを見てニッと可笑しそうに笑った。


「何だよ輪。お前そんなに訳知りたいの?」

「えっ?訳っていうか……」


 私は口籠った。そして思い切ったようにゆっくりと口を開く。


「だって、折角信吾君がこんな遅くまで頑張って作ってるドルチェなのに、溶けて食べれなくなっちゃったら勿体ないもん……」


 言って私が寂しそうに眉根を寄せると、それを見た信吾君はフッと頬を緩めた。


「何だよ輪、お前そんな風に思ってたの?」


 それから突然私の頭をグリグリ捏ね繰り回した。


「ったく、そんな顔すんなよ。分かった、しゃーねぇや。じゃあ俺の秘密輪にだけ教えてやるよ。でもさ――」


 私を悪戯そうに見つめる信吾君。彼は私の頭をポンッと軽く叩くと言った。


「今から俺が喋ること誰にも話すなよ。これ約束な!」


 そして澄んだ瞳を大きく開いた。


「わ、分った言わない!絶対誰にも言わないっ!」


 私は信吾君の硝子玉のような澄んだ瞳に吸い込まれそうになりながら、彼を真っ直ぐ見つめ返して大きく二回頷く。


「よし!」


 信吾君は納得したように私の頭を優しく撫でて微笑むと、静かにゆっくりと、自分の口から紡がれる言葉の一つ一つが、まるで大切な宝物のように、温かく穏やかな口調で昔の思い出を語り始めた――。


◇◇◇◇◇


 それはまだ信吾君が幼かった頃。

 彼が親戚のお姉さんの結婚式にご両親と三人で出席していた時の話――。


 披露宴も滞りなく進み、後は会食後のデザートビュッフェだけとなった。

 

 そこの披露宴会場はマナーハウスを貸し切った一軒家という事もあり、食後のデザートビュッフェはその屋敷の優麗な英国風庭園で行われた。


 会食が終わった出席客はすぐに庭園へと移動し、丁度庭の真ん中にセットしてあったドルチェの置かれている大きなテーブルへ、各々好きなデザートを取りに行っては園の至る所に置かれているテーブルセットに腰をかけたり、又美しい園内を散策しながら、お皿に乗った幾つものお好みのデザートにフォークを立てていた。


 そんな中信吾君のご両親は、久しぶりに顔を合わせた親族に挨拶をする為、庭園の片隅にある小さなテーブルに信吾君一人を残して席を離れてしまった。

 まだ小さく、人見知りの激しかった彼は、食べたいデザートも自分で取りに行く事も出来ず、その場から離れられないまま、中央にある大きなテーブルに並べられた色とりどりの美味しそうなケーキを幸せそうに頬張る出席者達を、ただ椅子に座ってブラブラと足を揺らしながら眺めている事しか出来なかった。


 とその時――。

 

コトン。


 信吾君の座る真っ白いテーブルに、チョコレートとドライフルーツの沢山入った、アイスクリームのような白くてキラキラしたデザートが置かれた。その上には色どり程度にラズベリーソースがかかっている。


「……」


 何も言わず、ただお皿が差し出された方を見上げる小さな信吾君は、そこに白いコックコートを着た、大きな体の男の人を見つけた。

 彼は信吾君と目が合うと、小さく首を傾げて微笑んだ。


「どうぞ、召し上がれ」


 言うと男性は信吾君の座るテーブルの前にゆっくりとしゃがんだ。そしてキョトンとする信吾君に笑顔を作る。


「それは君だけのデザートだから、遠慮なく頂いてよ」


 そう言って信吾君と目の高さを合わせると、彼は信吾君の顔を覗き込んできた。


「……」


 信吾君は目が合ってしまった恥ずかしさと驚きで慌てて彼から視線を逸らし、赤い顔をして俯いた。


「そんなに怖がらないでよ。俺はただ、自分の作った美味しいデザートを沢山の人に食べてもらいたいだけなんだ」


 男性が信吾君の頭を優しく撫でる。

 その手は大きくて、温かくて、緊張と不安でいっぱいだった信吾君の心を次第に解かしていった。


「……これオジサンが作ったの?」


 恐る恐る静かに尋ねる信吾君。その問いに男の人は困ったように、しかし優しく微笑んだ。


「オジサンかぁ……オジサンは酷いなぁ。俺まだ20代だぜ」


 そう言いながらハハハと笑って男性は頭を掻いた。


「そうこれはオジサンが作ったんだよ。だからすっごく美味しいんだ。本当だぜ」


 そして、そのデザートに寄り添うように置かれたピカピカに磨かれているフォークを掴むと、男性は信吾君に差し出した。


「だから騙されたと思って君も食べてみて。きっと好きになってくれると思うから」


 ニッと笑むその男性の優しくて、どこかユーモラスな居心地の良い雰囲気に、信吾君はゆっくりと彼からフォークを受け取ると、お皿の上のキラキラ輝く白いデザートに突き立てた。そしてそれを一口含む。


「――!?」


 突然侵入してきた刺すような冷たい刺激が、信吾君の両方の頬っぺたの裏側にジワーと浸み渡っていく。

 最初は氷のようにひんやりとした感覚しかしなかったが、次第にそれは、濃厚なミルクで作られた生クリームのほんのりと甘いまろやかさと、裏ごしした豆腐のような滑らかな食感に変わって行った。

 そしてその後には、いろいろなフルーツピールの酸味とフワフワ、サクサクなスポンジケーキの食感が押し寄せてきて、信吾君の口の中はまるで果樹園のような芳しい香りに包まれていた。


「な、に、これ……アイス?!それともケーキ?!」


 初めて出会った食感に驚き、激しく瞬きを繰り返して、大人しい少年だった信吾君は、珍しくも少し興奮気味に彼に尋ねた。


「うーん……ちょっと違うかな?これは『カッサ―タ』っていうイタリアのお菓子だよ。アイスムースケーキみたいな感じかな?俺にも何て言ったらいいのか分からないや」


 言うと彼は頭を擦りながら、ハハハハ、と豪快に笑った。


「何それ……オジサン変なの。ハハハ……」


 つられて信吾君も大きな声で笑う。

 それから暫く信吾君は男性と会話を楽しみながらドルチェを頬張った。


(アレ?)


 ドルチェを幸福感一杯で食べ進めていた信吾君は、はた、とある事に気付いた。そして庭園の中央にあるケーキビュッフェのテーブルを指差し、目の前の男性に尋ねた。


「ねぇオジサン。このお菓子あそこに並んでる?これ食べている人なんて見てないと思うんだけど……?」


 信吾君は不思議そうに辺りを見回し、首を傾げる。


 先程まで一人で椅子に座り、美味しそうにケーキを食す出席者達を眺めていた信吾君は、ロールケーキやモンブラン、ショートケーキ等のスポンジケーキを食べている人は見かけたが、このような溶けてしまいそうなアイスムースケーキ?を食している人には、全然お目にかかっていなかった。


 すると男性は「し―っ」とでも言うように、人差し指を一本自分の口の前に立てる。


「だから言ったじゃないか。これは君だけのデザートだって。これは君の為のドルチェなんだよ」

「僕の為のドルチェ……?」

「そうさ」


 そして信吾君の前のテーブルに両腕をついて顎を乗せると、悪戯そうに話し始めた。


「だって不公平じゃないか?他の人達は自分の好きなデザートを、自分の好きなだけ、たっくさん食べられるんだ。でもそういう事の出来る人ばかりじゃないだろ?君のように食べたくても食べられなかったり、ちょっと勇気が無くて取りに行けなかったり……そういう人も中にはいるんだからね」


(あ……)

 そうだ、僕だって取りに行くことが出来なかったんだもの――。


 彼は微笑むとクシャと信吾君の前髪を掻き上げた。信吾くんの心臓がトクンと跳ねる。


「このお菓子はね、すぐに溶けちゃうからあそこには並べる事ができない――」


 言って彼は沢山デザートが並んでいる中央のテーブルを指差した。


「――つまり他の人には食べられないんだ。だからこれは特別。あそこに行けない俺の大切なお客様だけが食べられるスペシャルドルチェさ!」


 彼は頬づえをつくと、頬を緩めて信吾君にウインクした。

 その優しい笑顔に信吾君の心臓はドキドキと高鳴り、顔が耳まで真っ赤になってしまった。


(俺の大切なお客様……)

 僕が――?


 その言葉は、引っ込み思案で自信の持てなかった信吾君を、ちゃんとした一人の人間として扱い、認めてくれたという気持ちの表れに思えて、幼い信吾君の心にいつまでも残った。


「パティシェ!こちらにいらっしゃったんですか!」


 と大声のする方へ信吾君が振り返ると、マナーハウスの中から男性と同じような白いコックコートを着た男が走って来た。


「もうそろそろ戻って頂かないと……」


 男は、信吾君とパティシエと呼ばれた男性の前まで来ると足を留めて、肩でゼェゼェ息をする。


「パティシェ?」


 信吾君が初めて聞く言葉に首を傾げる。

 するとしゃがんでいた男性が『あーあー、見つかっちった』と言いながら頭を掻いて面倒臭そうにゆっくり立ち上がった。そしてウーンと伸びをして、それから信吾君に向かって笑った。


「そっ!パティシェ。美味しいデザートを作る職人の事さ。で、オジサンがそのパティシェ」


 親指を立てて自分を指す。


 言うと彼は、自分の隣でゼェゼェと苦しそうに肩で息をする男の背中を『大丈夫かぁ?』と心配そうに擦り、『じゃあね!』と信吾君に手を振って颯爽と戻って行った。


「パティシェ……ケーキの職人さんか」


 信吾君はそう呟くと、男性の作った白く輝くドルチェを一口掬い、慎重に口へと運んだ。


 その小さくて白いデザートはとても冷たく、口へ収めるとすぐさま頭を鋭利な物で刺されたような、独特の不快な刺激に支配された。

 しかし信吾君の心の中は幾種類ものフルーツの香りを全身に浴びたみたいに、まるで南国の果樹園にいるようなポカポカとした温かさに優しく包まれていた。



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