Contaballe~嘘つき
「輪、そこのチョコレート細かく刻んでおいて!それからへ―ゼルナッツは200度で5分オーブンね!その後冷まして!」
私の隣で信吾君が次々と指示を飛ばす。
「はいっ!」
私は歯切れよくそう返事をすると、調理台の上に置かれていたビターチョコレートを俎板の上に乗せて、まるでバレンタインに本命チョコを手造りする時のように細かく刻み始めた。
しん――と静まりかえった店内に、私のチョコレートを刻む音とボールの中に入ったリコッタチーズとグラニュー糖を、信吾君がシャカシャカと掻き混ぜる音だけが響く。
只今 午後11:45。
本日の営業が終わり、キッチンやホールの片づけが終わった瑞森レオと名波一はさっさと帰り仕度をすませ二人連れ立って寮へ戻ってしまった。
そんな中、何故私と信吾君だけが店に残されているかというと――。
◇◇◇◇◇
「ケーキビュッフェ?」
私は『お客様予定表』と書かれている青いファイルを、大事そうに小脇に抱えるアンジェラを見遣った。
「Si」
アンジェラは微笑んで勢い良くファイルを開く。
朝のミーティングの時間。
ここでは毎朝この時間に、当日御予約されているお客様の確認と、近日中に御予約の入っている貸し切りのお客様の変更や追加事項などを報告することになっている。
例えば『何時に何と言うお客様が何人でご来店される』とか『○○というお客様はアレルギーがあるので他とは違う食材を使う』とか……御来店されるお客様により素敵な時間をお過ごし頂く為に、それはそれはこと細かく申し送りをするのだ。
いつもはフロアマネージャーである竜碼さんの仕事なのだが、よほど大切な報告なのか、今日はオーナーであるアンジェラ自らが申し送りをしている。
「――本日のご予約は以上よ。それから、明日の正午よりご予約の入っている貸し切りの団体様の件だけど、ここで簡単なお祝いをしたいそうなの。それで少しセレモニーの様な事をした後にお料理とドルチェを提供するのだけれど……シンゴ!」
アンジェラは言葉を言い終わると鋭く言って信吾君を見た。
「えっ!?」
今日は朝から何か物思いに耽っていてボンヤリしていた信吾君は、突然呼ばれ、俯き加減の顔を弾かれたように振り上げてアンジェラを見つめた。
「俺?!」
「Si」
アンジェラはその様子を見て可笑しそうにクスッと笑う。
「実は先程、先方様からお電話があってね、『御招待している殆どのお客様が女性になるので、出来ればドルチェはビュッフェスタイルにして頂きたい』って仰ったのよ。VIPのお客様からのご紹介だから、どうにか御要望に応えたいとは思うのだけど、もう日も無いし……どう?シンゴやってくれるかしら?人数からするとかなりの数のドルチェを作らなくちゃいけなくなるけど……」
困ったように信吾君へ尋ねるアンジェラ。すると信吾君は(うーん)とロダンの彫像のように顎に手を置いて少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「――『人数からすると』って何人ぐらいですか?それによって作る数も種類も変わると思うんですが……」
アンジェラに心配そうに訊く信吾君。そんな信吾君の声に答えるように、アンジェラは開いた青いファイルに視線を落とす。
「そうね、予定では――」
青いファイルの上をアンジェラの白く細い指が滑る。そして指は人数の記入されている欄へくるとピタッと止まり、その場でトントンとリズミカルにファイルを叩き始めた。
「50人ね。でももしかしたら一人、二人は増えてしまうかも知れないそうだけど」
「50人か……」
アンジェラの言葉を聞いて信吾君は小さく首を傾げる。
「となると――」
言うと信吾君はなにやら指を折って数え始めた。そして
「……10台10種類は作りてぇな……」
ボソと独り言のように呟くと眉を寄せる。
(10台10種類!?)
隣にいた私はその台詞を聞いて目を丸くした。
このお店にはケーキ職人――つまりパティシェと呼べる人物が信吾君しかいない。勿論天才である瑞森レオは恐らく何だって作れるだろうから、ドルチェだって御茶の子さいさいなのかもしれない。
しかしいくら『天才クオーコ』と言わしめる瑞森レオでも、流石に一人で50人分の料理を作るとしたら大変になるはずだ。
(私……手伝った方がいいよね?)
私は斜め前に立つ瑞森レオをチラリと窺い見た。
しかし性格悪くても流石は天才クオーコ!先程のアンジェラの言葉にも動ずる事なく、彼はただいつものように不機嫌そうな表情で、真っ直ぐにアンジェラを見据えていた。
(あの様子じゃ、大丈夫かも知れないなぁ)
そう思った私は、何故か胸をチクッと針で刺されたような、苦しいような痛いような……そんな感覚に襲われた。
(今の……何?)
この感覚。まるで――
何日も前から楽しみにしていたお出かけを突然キャンセルされた、そんな時に感じる寂しさ……?えっ?まさかこれって……。
(何?私あいつの手伝いが出来なくてショック受けてるの!?)
思わず頭をフルフルと揺らす。
(あり得ないっ!私がなんでそんな気起こさなくちゃいけないのよ!そんな事絶対ありえないよっ!)
だってそんな事、神に誓ってあり得ないっ!
何かがあれば、私をいつも己の下僕のように馬車馬の如く扱き使う、鬼夜叉瑞森レオ!
その挙げ句『殺すぞ』『へたくそ』『帰れチビ』等と人を人とも思わない罵詈雑言で、奈落の底まで突き落とし、それでも足りないのか、落ちた上から戦車で轢き潰すくらいのダメ―ジを与えてくれるこの男――もといっ、このぺ天使!
こんな男から離れられて清々する事はあっても、寂しいなんて感情沸き起こるなんて事あり得ないのだ!
そんな事認めてしまえば、私は間違いなく変態の仲間入りだっ!
頭に生け花の剣山を突き刺し、『あははははだじょ~』なんて頭から血を流して笑いながら野原を楽しそうに駆けまわる、危険で有る意味本当にイタイ人間になってしまうっ!
罵られ、責められ、甚振られ――。
そんな事されて喜ぶような、そんなダークな世界の住人ではない筈だぞっ、春日輪はっ!
それとも、日々のこの男との生活の中で、とうとう私はダークな世界を開花してしまったというのかっ!
――私の脳裏に、鞭を持ち、角と牙と、ついでにトンガリ尻尾の生えたぺ天使……いや堕天使瑞森レオが過る。
(いやいやいやいやいやいやっ!絶対嫌っ!考えるだけでオゾマシイっ!こんなんだったらサタンに袖の下渡してでも、そこから逃げてやるわっ!)
私はムンクの叫びのように両頬に手をあて、頭を激しく振り、その悪夢のような妄想を打ち消した。
「リン!」
そんな緊急事態の私を知ってか知らずか、突然アンジェラが私の名を呼んだ。
「はいぃ!?」
驚き過ぎて声が裏返る。その様子に、青碧の美しい瞳を大きく見開き、キョトンとするアンジェラ。
「どっ、どうしたのリン?具合でも悪いの?」
優しい彼女の声が私を気遣ってくれる。
「いっ、いいえっ!大丈夫ですっ!何でもありませんっ!」
私は思わず恥ずかしくなってしまい顔を真っ赤にして俯いた。
「そう……ならいいのだけど」
そう言うとアンジェラは安心したように頬を緩めた。
「それじゃあリンは、今回シンゴを手伝ってあげて!」
突然のアンジェラからの申し出。
「えっ?信吾君を?」
「Si」
言うとアンジェラはフフっと少女のように悪戯っぽく微笑み、何故か瑞森レオを見遣った。と瞬間、眉間に皺を寄せていた瑞森レオとアンジェラの視線が合う。
「なぁにレオ。何かワタシに言いたい事でもあって?」
「……いや別に。ってか何で俺に聞くんだよ!」
「ふーん……いいや、別にぃ?」
アンジェラは、九官鳥ように彼の口真似をしておどけた。
「んだよっ、訳わかんねーっ!」
アンジェラの様子を見ると瑞森レオはムッとして顔をフイッと背けた。
「ホンと可愛い子……」
独り言のようにアンジェラが呟いた。
「あ、あのぉ……」
二人の会話が終わったのを確認して、私は恐る恐る口を開く。下手に横から口を出して、朝っぱらから不機嫌な瑞森レオに絡まれたら今日一日ブルーになってしまう。
「Oh!Mi scusi《あらっ、ごめんなさい》!」
困ったような私の表情に気付き、アンジェラは微笑んだ。
「お話の続きをしないとね」
そして彼女は自分の顔の前に人差し指を一本立てると言った。
「つまりは、今回の団体様の件だけど、リンにシンゴの補佐を頼みたいのよ」
言って彼女は可愛らしくウインクする。
「オレがですか?信吾君の補佐?」
「Si」
アンジェラは先程と同じ言葉を私に返した。
「でもオレ、ドルチェの事は何も……それにアンティパストだってやった事ないですし……」
慌てて胸の前で両手を広げて左右にフルフルと振る。
「だからやって覚えてほしいのよ」
「覚える?」
「Si」
開いたファイルをパタンと音を立てて閉じながらアンジェラが言う。
「リンを見ていて気付いたんだけど、最近リンは凄く成長したと思うのよ。もうお客様へのお料理の説明も出来るようになったし、質問にも的確に答えられるようになったし、それに……」
そして再び瑞森レオを見遣る。相変わらず瑞森レオはソッポを向いたままだ。
「朝は早くからお店に来てレオの仕込みを手伝ってくれているようだしね。あと橙子ちゃんからも訊いたわ。果物や野菜の買い出しなんかも完璧らしいじゃない?」
「そんな……」
(完璧だなんて……)
「……言い過ぎです」
私はあまりにも誉められ過ぎて耳が熱くなってきた。
「あら、そんな事ないわよ。橙子ちゃん言ってたわぁ。『輪に値切られた~』って」
「そっ、それは……」
ますます顔に赤みが増す。
(橙子さんたら……)
私は、穴があったら入りたくなった。
――これは、先日の買い出しの件だ。
その日のランチタイム。予想以上にフリ―のお客様が来店され、ストック分のトマトが切れてしまった。
スタッフ全員が忙しい中、瑞森レオから『そっこーで行って来い』と命令が下され、私は自分のお財布を持って買い出しに走ったのだ。
しかし、いざ日吉商店でお勘定を――という所で、若干だが、本当に若干だが小銭が足らず、ピンチに陥った時、最近めっきりと顔を見せなくなっていた、私の中の『貧乏神』がムックリと起きだし、橙子さんと怒涛の値切り交渉を始めてしまった!
万年貧乏である私の『貧乏神』はやはり強烈らしく、結果見事勝利を収め、私は予算内でトマトを獲得したのだ――。
あれ以来私が買い出しに行くと橙子さんは、
『輪が将来私のお婿さんになってくれれば、仕入れの時にすっごく助かるんだけどなぁ~』
と毎回プロポーズまがいの言葉を吐いてくるようになってしまった。
(あ~あ、あんな事するんじゃなかったなぁ)
お婿だなんて……私は女の子だから、状況がますますコンガラガッテしまう。
フゥと溜息をつく私を見てアンジェラがクスッと笑った。
「だからね、この機会に今度はシンゴの方――ドルチェとアンティパストを学んで欲しいと思ってるのよ」
「ドルチェとアンティパストですか……」
首を捻る私。
担当の仕事でない仕事まで任されるという事は、自分の仕事が認められているという事だと思うから、正直有り難いし、何れは父の遺志を継いで、(この店のオーナーに)と考えている私にとって、いろいろな仕事を覚えて行かなくてはいけないのも又事実なんだけど、にしても……
「でも……料理学校にも通った事のないオレが大丈夫でしょうか?」
少し不安な面持ちでアンジェラを見つめた。
だってそうである。
私はずーっと一人暮らしだったので、勿論それなりにお料理は作れるし、案外作ることも好きな方だ。でも、それはあくまでも自分が食べる為だけの料理であって、ただお腹に入ればいい!と考える程度の物なので、味にせよ、見栄えにせよ全くの独学、いや独学と呼べる程も学んでいない代物である。
そんなド素人の私が作ったお料理でお金を頂こうとは、なんとも失礼な話ではないか?っていうか、『調理師法』というのか何というか分からないが、その、『営業法』?みたいなのに引っ掛かりはしないのだろうか?
「Non fa niente《心配いらないわ》!」
私の不安を吹き消すように、明るくアンジェラは言った。
「リンにはシンゴが作ったアンティをお皿に盛ったり、ドルチェの仕込みのお手伝いをいをしてもらったり、そんな簡単な作業をしてもらうだけだから。どう?出来そう?」
再びアンジェラは私に確認した。
(そのくらいの作業なら、いつも瑞森レオとやってるかも……)
「その程度で良ければ、出来ると思います」
私は少し考えるとアンジェラに笑いかけ頷いた。
するとアンジェラは嬉しそうに一回胸の前で手を叩いて藍色の瞳を輝かせた。
「Grazie!じゃあ、この件については後でシンゴに確認してね!」
言うとアンジェラは私の傍らまで歩み寄り、ポンッと軽く肩を叩く。そして隣にいた信吾君にはウインクした。
「分かりました」
私はアンジェらに頭を下げると、隣の信吾君に微笑んだ。
「宜しくね、信吾君」
私の微笑みを見た信吾君はパァと顔を輝かせた。そして
「もしわからない事があったら、俺になんでも訊けよ、輪!」
そう元気に言うと私の額に軽くデコピンを食らわした。
◇◇◇◇
私と信吾君は静まりかえった店内でただひたすら黙々と作業をこなす。
いつもはニコニコと笑顔を絶やさず、共にキッチンで働く短気な瑞森レオの逆ギレにも茶化しながら笑ってスル―している信吾君だが、いざドルチェの事となると途端穏やかな仮面を外し厳しくなる。
『天使の微笑み&般若の顔』を持つ天才クオーコ、瑞森レオ。
『ワイルド&几帳面な鬼教官』ハートフィールドの七不思議、三木竜碼。
『癒しの貴公子&Aランク執事』名波一。
そして、
『悪戯っ子&ドルチェの神様』各務信吾――。
ここにいる全てのスタッフが、完璧なまでに自分の任務を遂行するプロフェッショナルなのだ!
「輪?オーブン終わったみたいだけど……」
余計なことを考えていた私の耳に『ドルチェの神様』の啓示が聞えた。
「あっ、ゴメンっ!」
慌てて両手にミトンを嵌めて、私はオーブンへ向かうと扉を開いた。
そして中から鉄板を取り出そうと慎重に引っ張る。しかし途中何かに引っかかっているのか、なかなか上手く取り出せない。
(どうしよう困ったな……まだまだやらないといけない事いっぱいあるし、こんな所で躓いてちゃいけないよね)
そう思うと私は鉄板を握り「えいやっ!」の掛け声と共に、思い切り力任せに自分の方向へ熱くなっている鉄板を引っ張った。と――
グワワ―――ン!
バラバラバラバラ………。
派手に鉄板が床に落ちる音と同時に、その上で綺麗に小麦色にローストされていたへ―ゼルナッツが見事に床にばらまかれてしまった。
「あっ!」
そう叫んで私は慌ててミトンを外し、床に散らばったへ―ゼルナッツを一つ一つ丁寧に拾い始めた。
すると200度を超えた高温でこんがりと焼かれたへ―ゼルナッツは、一粒一粒が火傷する程熱くなっていて、
「あちっ!」
その熔けるような熱さに耐えられず、私は折角拾ったへ―ゼルナッツを全て放り出してしまった。再びバラバラと零れる小麦色したへ―ゼルナッツ。
手の平にジュッと衝撃が走る。
「大丈夫か輪!」
それに気付いた信吾君が、ボールを放って私の元まで駆け寄って来てくれた。そして隣にしゃがむと私の衝撃を感じた方の手をとってジーッと見つめる。
「えっ……」
途端『卵事件』でお互いの手が触れてしまった時の事を思い出して頬が熱くなる。
思わず恥ずかしくなってしまった私は、開いていた手の平を握り締めようとした。しかし――
「馬鹿ッ輪!閉じるな!」
怒号と共に信吾君がその手を開かせた。瞬間、手の平にピリッと痛みを感じる。
「つぅッ」
「だから閉じるなって言っただろっ!痛てぇに決まってんじゃん!お前根性焼きみたいになってんだからっ!」
「こ、根性焼き?」
聞きなれない恐ろしい響きを持った言葉に顔が歪む。頭の上にはフ~ラフラと幾数もの『?』マークが飛び交っている。
(根性焼き……?)
根性焼きって『あれ』だよねぇ。よく不良モノの映画とかドラマとかに出てくる、煙草の火とかを手の甲とかに押し当てる、あの『ジュッ』とか言って、された相手が『あちいっ』て顔歪める、不良少年の必殺技だよねぇ……。最近は我が子に虐待をして行う親もいるっていう、『あれ』だよねぇ……?
(なんで、暴力とか、虐待とか、そんなもの全く縁のないような悪戯っ子の信吾君がこんな言葉知ってるのぉ?)
私は目をぱちくりして信吾君を見遣った。
しかし信吾君はそんな私の様子にも気付かない程、心配そうに根性焼き?をされた手の平を睨んで、
「これ結構跡残るかもしんねぇなぁ……」
根性焼きの末路を知っているような言葉をボソリ呟く。
「あっ、ごっ、ごめんね……全部ばら撒いちゃって……」
私は恥ずかしさと、申し訳なさで真っ赤に染まった顔を俯かせて言った。
「そんなのどうでもいいって!てか輪は大丈夫か?こんなになったらかなり痛い筈だぜ!」
信吾君は、掴んだ手をしっかりと、しかし大切そうに優しく握る。
(信吾君――!)
(それ以上握られたら困る……んだけ……ど)
私の手から発せられる熱が信吾君に伝わらないようにと、高鳴る心臓を押さえつけながら祈る。
信吾君は困ったように手の平を握りながら、もう片方の手を顎にあてなにやら考え始めたようだった。
「やべぇ、どうすっか……」
と、突然何かを思いついたように、信吾君は床に座っていた私の腰に手を回した。
(――!)
「って!何するの?信吾君!?」
私は緊張と驚きのあまり、体を強張らせる。
「何って、立たせて水道に連れてくんだろ?早く冷やさねぇとやべーし」
言って、信吾君は腰に手を回したまま『大丈夫か?立てるか?』と私の顔を覗きこむ。
その心配そうに潤んだ大きな瞳を見て、私の胸がドキンッと弾んだ。
(か、顔が近いっ!)
「だっ、大丈夫だよ!」
私は信吾君を傷付けないように、さり気無く腰に回されていた手を外した。
「なに遠慮してんだよっ。ダチだろ俺ら。困った時は助け合う!これがダチの鉄則じゃん」
「でも、オレ男だし……腰に手を回さなくっても……」
恥ずかしさで語尾が小さくなる。
「ん?あ、これか?」
信吾君は外された自分の手を見つめた。そしてクスッと笑う。
「だって、あまりにも熱くて腰ぬかしたんじゃねーかと思ってさ、お前」
「えっ!?」
「だからそんな冷てぇコンクリの床にぺッタリ座ってんだろ?」
「は?」
「だから遠慮すんなって!」
言うと再び信吾君は私の腰にガバッと手を回してきた。
「ちょっ!」
その手を慌てて払い除ける。
「だからっ、腰なんてぬかしてないからオレ!自分で立てるからオレ!」
言って私はすっくとその場に立ち上がった。
その隣で信吾君の舌打ちが聞こえる。
「ちぇっ、つまんねーの」
「つまんねーって」
私は信吾君に振り返った。
「だって輪からかうと面白ぇーんだもん」
「面白いぃ!?」
「そっ!腰に手回したぐらいで赤くなってさ」
「!!!!」
(ばっ、ばれてるっ!?)
「男だったら一度はあんだろ?ガキん時に相撲とか、したことねぇの?」
「すもう……」
(した事あるかぁっ!!私は女だぁ!!)
「なに?ねぇのかよ?」
信吾君はハハハと楽しそうに笑った。
「ははっ!お前ホント女みてぇっ!」
「ぐっ……」
(だって女だもんっ!花も恥じらう大和撫子だもんっ!)
私は、先程とは違う意味で顔を赤く染めた。
信吾君はそんな姿も面白かったのか、ハハハッと屈託なく笑うと再び調理台に戻り、自分が中断していた作業を開始した。
(なんなのよ!)
私は真っ赤に染まった顔を俯かせながら、そそくさとシンクに移動する。そしてシンクへ着くと蛇口の栓を捻った。
(信吾君まで人をからかってさっ!くっそぉ~っ!)
私は流れ出る冷水に頭から突っ込みたい衝動に駆られた。
(突然あんな事されたんだもん!そりゃー絶対びっくりするよ!)
名波一にせよ、信吾君にせよ、なんでこんな心臓がバックバクになること、サラリとさり気無く、悪気なくやれるんだろう。
(それはやっぱり――私を男の子だと思ってるからなんだろうけど)
こんな事――誰にでもしちゃうのかなぁ……。
そう思った途端、寂しいような、悲しいような、侘しいような……何か言いようの無い想いに包まれる。
(だとしても、それはちょっと心臓に悪いよっ!)
町で会った時も、今だって思ったけど、やっぱり信吾君も名波さんも素敵な男の人だ。でも信吾君はちょっとだけ違う気がする。
(いつも近くにいてくれて頼れる同級生――?)
優しいし、素直だし、一緒にいて気取らないし、それから明るいし、楽しいし――。男の子なのに緊張しない直ぐに親しくなれる男の子。異性を感じさせない男の子。
でも、瞬間ドキッてなる表情見せて、男性って事を意識させちゃうような、大人に成りかけの男の子――。そんな感じがする。
名波さんとは違う男性としての安心感が、信吾君にもあるのだ。
私は調理台で真剣な表情をして作業をする信吾君を見つめた。
彼はボールの中の物を小指に取ってしばしば味見をしていたが、時折何処か遠くを見つめるように、潤んだ大きな瞳を細めた。
(信吾君……)
そんな彼を私は騙してるんだよな――。
――春日部 凛音として。
そう思うと私の小さな胸はズキズキと痛んだ。