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Uovo~潰れた卵

 ハナさんとの話の流れで女装をしたまま寮まで帰ることを余儀なくされた私は、先程ウィンドウショッピングで見つけたデリで、卵やらお惣菜やらを沢山買い込んで帰路についた。


 そのデリは、産地直送無農薬の野菜しか扱わないオーガニックデリで、新鮮な人参を使ったコールスローとか、もぎ立てのレモンとサーモンを和えたマリネとか、色どりも豊かで種類も栄養も豊富な美味しくヘルシーなおかずがぎっしり並べられていて、それに目を奪われてしまった私は『オープンセール大特価』の看板に誘われて両手に持ちきれない程買い込んでしまった。


「いっぱい買っちゃったけど、今晩皆で食べたらすぐ終わっちゃうよね。信吾君とかおかわりして食べそうだし…」


私はお惣菜が沢山入った紙袋二つを慎重に抱きながら、お皿を抱え込んでお惣菜を頬張る信吾君の姿を想像してクスッと笑った。


いつもそうなのだ。

夕食の時、いや夕食でなくても、信吾くんは自分の好物を目にすると、とにかくそれだけをひたすら頬張る。他のおかずなどお構いなしだ。

結果、全員で食べるはずのお料理でさえも信吾君が独占してしまうことになる。

それはまるで「これは欲しいけど、アレはいらない」と自分の気持ちに忠実な、好き嫌いの激しい子供のようだ。


だからと言って信吾くんが好き嫌いが激しいか?と訊かれれば、そうではない。

料理人というだけあって、肉、魚、野菜に至るまで、全般的に嫌いなものはないのだ。


でも特に人参と、とろとろオムライスが大好物で、人参スティックなんて出した日には、馬かウサギか?と思う程に綺麗に齧りつくす。


その様子が、本物のうさぎさんのようで何とも可愛らしく、私は信吾君がカリカリと必死になって人参を齧る姿を見るのが好きだった。


(この人参のコールスローもきっと直ぐになくなっちゃうんだろうな…)


そんな事を考えながら二ヤケ顔で交差点を曲がろうとした私は、進行方向から走って来た影と派手にぶつかってしまった。


「あっ…」

「っと…」


次の瞬間、体のバランスを崩した私の腕から、抱えていた紙袋が落ちる。


(えっ…)


クシャッ…


と何かが潰れた鈍い音がした。


「あ…」


一瞬の出来事に呆気にとられていた私だったが、ハッとして我に返ると慌てて紙袋を拾おうとしゃがみこんだ。

しかし時すでに遅し。

落ちた紙袋からは、黄色いドロッとした粘り気のある液体が流れ出していた。


「卵割れちゃった…」


今晩の夕食にしようと考えていたオムライス用の卵が、ものの見事に破壊されていた。

そんな状態なので、紙袋の中に入っていた他のお惣菜も恐らく無事ではないだろう。


「どうしよう、これじゃ寮まで持って帰れないよ…」


その場に座り込んだまま、フゥと残念そうに溜息をつく私の耳に、パタパタと駆け寄ってくる足音が聞こえた。


「ごめんねっ!大丈夫っ?」


頭の上からハキハキとした男性の声がする。

少し残念そうに顔を上げた私の瞳に声の主が映った。その姿を見た私の体は瞬間フリーズしてしまう。

なぜならそれは―

困った顔で私を覗きこんでいる、人参大好き信吾くんだったからだ!


「信吾くんっ?!」


思わず私は彼の名前を口に出していた。


「?」


不思議そうに首を傾げる信吾君。


「君、俺のこと知ってるの?」


そう言うと、まじまじと私の顔を見つめた。


(しまった!)


またしても私は口を滑らせてしまった!


そうだった!

今の私の姿は、彼が知っている『春日輪』ではない!

デニムの可愛いワンピースを着て、ロングウェービーな鬘を被った、今時スタイルをした見知らぬ女の子なのだ!おまけにばっちり化粧も施しているっ!

どっからどう見ても完璧な女の子!


「うっ…」


私は慌てて口を噤んだ。


尚も不思議そうに私を眺める信吾君だったが、足元に広がっている大惨事に気付くと私の隣にしゃがんだ。

それから潰れてしまった紙袋を拾い上げようと慌てて手を伸ばした。


「ごめんっ卵っ!俺がやっちゃったんだよねっ!」


「いっ、いいえ大丈夫ですっ、私拾いますからっ!」


(ばれない為にも早くこの場から去らないとっ)と思い私も咄嗟に紙袋へ腕を伸ばす。

と―


「あっ…!」「つっ…!」


同時に伸ばした二人の手が見事に重なってしまった!


一瞬目が合う二人。


「ごめんっ!」「ごめんなさいっ!」


慌てて真っ赤になりながらお互い手を引っ込めると、辛うじて掴んでいた私の手から再び紙袋が落ちて「グシャッ」と鈍い音がした。


これは完全に全ての卵が天に召された音だった。


「卵…割れちゃったみたいでごめん…」


信吾くんが私から顔を背けて、照れたように鼻の下を擦りながら言った。


「うっ、うん。大丈夫…」


私もドキドキしながら、信吾君と触れてしまって熱を持った手をもう片方の手で包み込んだ。

心臓が口から飛び出しそうになる。


…………。


それっきり、二人とも顔を背けたままで会話が続かなくなってしまった。


(どうしようっ、何か変に意識しちゃって信吾君の顔が見られないよっ!)


私は暫しの間、緊張感と恥ずかしさで彼に顔を向けられないでいたが、やはり様子を窺おうと、正反対の方向へ顔を向けていた信吾君に勇気を出して話しかけた。


「あのっ……っ!?」


しかし何ということか!

またしても同時に振りむいた信吾君と目が合ってしまった!


「あっ、」「っ、」


今度はそのままお互い見つめ合ってしまう。


(どうしてこういう時に限ってタイミングが合うのよっ!)


私は再び目を背けた。


「えっと…」


取りあえず、二人の間に流れたこの微妙な空気を変えようと私が徐に口を開きかけた時、突然信吾君が叫んだ。


「俺っ!」


「なっ、何ですか!?」


驚いて腰を抜かしそうになった私は、目をまん丸くして信吾君を見た。


(な、何を急に!?)


きっと、いや、かなり今の私は間の抜けた顔になっているはずだ。

シパシパ瞬きをして信吾君の動向を見守る。

と彼はクスッと一回笑った。


「さっきから謝ってばかりだよな!」


そして歳のわりに幼い顔を綻ばせた。


(信吾君…)


その全く汚れを知らない、幼い少年のような笑顔を見て、私の体からフゥと力が抜け緊張が解かれた。それから自然と私にも笑みが戻った。


「フフっ、そうだね」


気付くと私も微笑みを信吾君に返していた。


「良かった、笑ってくれてっ!」


信吾君が嬉しそうに目を細める。


「君も笑ってくれたことだし―」


言って信吾君は私の前でスッと立ち上がった。そして(う~ん)と軽く伸びをしてから、もう一度私の方を見た。


「俺行ってくるよ」


私にそう宣言した。


「行って来るって何処へ?」


その自然な言葉のキャッチボールに、私は思わず反応してしまった。


なぜなら、彼の言葉が「行くよ」ではなくて「行ってくるよ」だったからだ。


「行くよ」ならばこの場から去るという意味で、もうここには用がないから「俺は帰るよ」って事だって思うんだけど、(急いでいたみたいだし私はそれでも一向に構わないのだけど)これが「行ってくるよ」だと、また意味が微妙に違ってくる。


これは自分主体の言葉では無くて、私に許可を促している…というか、同意を求めている…というか、とにかく私に何かしらの反応を求めていると考えられるからだ。


新婚カップルによくある朝の風景だ。

この後新妻が「いってらっしゃい、あなたっ」とか言いながらチュッとしてしまう、あんな感じの自然なシチュエーション。

あいにく私は信吾君のハニ―ではないから、そこまでには至らないけど…。

でも、何か、そんな感じに、自然だった。


その私の反応に対して彼は自分の後ろを親指で指して言った。


「そこのコンビニっ!だから君はちょっとここで待てて!俺すぐ戻ってくるから!」


言うと彼はすぐさま身を翻して、私をその場に置いたまま近くのコンビニ目指して走って行った。


(急にどうしたんだろ?)


私は信吾君が去って行った方を目で追いながら(はて?)と首を傾げた。


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