Gentildonna~貴婦人
今日は定休日。
ここ数日晴天が続き、私の住んでいるこの町も大陸からの温かい風が舞い込むようになった。
瑞森レオとの作戦実行が真近に迫っていた私は、先日ロッカールームで彼から渡されたメモを頼りに、駅前の大通りを一人歩いていた。
今は月曜日の昼前という事で、駅前にある多くの飲食店がお休みの為、美味しいランチを食べようと、財布を握り徒党を組んで歩いているOLも、買い物のついでに外食しようと店頭のショーケースを覗く主婦の姿も見えず、大通りは閑散としていた。
俯いていた顔を上げると、そこには威厳のある重厚な石造りの建物が聳えたっていた。
私はその前で立ち止まる。
「初めてここの改札を出てから、もう一か月近経つんだ…」
私は「Ristorante Delizioso」にやって来た当初の事を思い出す。
上品なアンジェラの豪快さに驚いたこと―
薔薇園で名波一に会ってドキドキしたこと―
最初の夜、皆に歓迎会をしてもらったこと―
そして…
瑞森レオとの再会―。
私が幼い頃の彼との出会いは、その後の私の人生に忘れられない程の深い印象を与えることになった事件だったけれど(勿論悪い意味で!)、改めてお店にお世話になる事になった時だって、私が20年生きてきた中でも最低最悪な再会をすることになった。
そんな瑞森レオとも、今では何故か嫌々ながらも『お見合いブチ壊し作戦』を共に決行する仲になってしまった。
「なんか不思議だな…」
私は頬を緩める。
そして再びメモに視線を戻した。
「駅まで来たから、今度は左折ね」
私は駅に背を向けると足を進める。
瑞森レオに渡されたメモには、ブティックの店名とTEL番、それから走り書き程度のコメントが書かれていた。
今回のメモには、前回大変苦労した、あのピカソもビックリな芸術的地図は書かれていなかった。
もしかしたら瑞森レオ自身(あの地図ではどう足掻いても辿り着けない)と漸く気付いたのかも知れない。
ちょっとは成長したようだ。
その代わり、「駅前を左折、真っ直ぐ行って3個目の信号機を右折。そこの角の茶色い店」と簡単にコメントが書かれている。
「本当に合ってるのかな?」
以前の経験から、彼が《地図の読めない(書けない?)イタリア人…実際はハーフだが》であることを悟った私は、唯一の道しるべとなる筈のそのコメントに大いなる不安を抱えたまま、駅前の大通りを3個目の信号機目指して歩いた。
まだまだ距離はあるようだ。
この町へ来てから、仕事に瑞森レオのパシリにと忙しい日々を送っていた私は、まだこの駅前の商店街には一度も来た事がなかった為、折角なのでそこまでの道のりを、ウィンドウショッピングをしながら歩く事にした。
ショーケースに赤や青や色々なカラーの表紙の本が飾られている書店や、サラダやマリネやアスパラのベーコン巻きなど新鮮な野菜をふんだんに使ったお惣菜を並べたデリ。香ばしい焼き立ての香りが漂ってくるベーカリー、イチゴのショートケーキや、濃厚なカカオのオペラが胃袋をくすぐるパティスリー…。
どれもこれも、初めて目にするものばかりで、私は所処で立ち止まっては、ショーウィンドウに顔を近づけて店内を覗きこんだ。
たまに中にいた店員さんと目が合ってしまうことがあったけれど、そこは愛想笑いをして何とか切り抜けた。
そうこうしているうちに、私はやっと駅から3個目の信号機まで辿り着いた。
立ち止まると、手にしたメモを見る。
「えっと、確かここの角の茶色い店だったよね」
私はそう言って交差点でキョロキョロ辺りを見回した。
と、目の前の道を挟んだ向かい側に、その名前を見つけた。
―Gentildonna―
そう書かれたお店は黒壇色のレンガで出来ていた。
通りに面した窓の枠は深緑色で縁どられていて、その全てにモザイク調のステンドグラスが嵌められている。それはロンドンの街角で目にするような、小洒落たアンティークなお店だった。
入口のドアの上には、帽子を被っている女性の横顔のシルエットのイラストが書かれた看板が掛けられている。
「高そうなお店…」
私は、どう見ても他の店よりは明らかに風格も品格も違うそのお店を見て呆然としてしまった。
「紹介はしてあるって言ってたし…取りあえず入ってみよう」
私は小さく頷くと、店に向かって交差点を横断した。
◇◇◇◇◇
カラーン…
ドアを勢いよく開けると、重厚なドアベルの音が店内に響いた。
緊張で胸を弾ませながら一歩足を踏みいれた途端、目の前がパァーッと明るくなった。
一瞬私は目が眩みそうになってしまう。
「うっわー…」
店内を見渡した私は、思わずそう言って何回も瞬きをしてしまった。
何十畳もあるようなフロアーに、シックな木製の棚が幾つも並べられていて、その棚の上や、中には、シャツやら、ブラウスやら、セーターやらいろんな種類の女性物の洋服が綺麗に飾られていた。
ターコイズやラベンダー、シトラスにローズピンク―。
淡いスプリングカラーの洋服で彩られた店内の装いは、さながら春の花畑をイメージさせる。
店の奥には、ゆるくカーブを描いた華やかな階段が二階のフロアへと誘うように続いていた。
それはまるで、英国のマナーハウスのようだった。
「なんかすっごいお店に入っちゃったみたい」
私が緊張したままその場に立ち尽くしていると、店の奥から黒い上下のスリムなパンツスーツに、首元にフリルとリボンのついたアイボリーのシャツを着た、ショートカットの美しい女性が現れた。
その女性はとてもエレガントで、その洗練された身のこなしからしても、恐らくこの店のマダムだと思われた。
「いらっしゃいませ」
女性は姿勢正しく私の前まで静かに歩いてくると、そう言って丁寧に45度にお辞儀をした。
「何かお探し物でしょうか?」
言うと女性は微笑んで私の顔を見つめる。
その顔は女性の私でも、思わず溜息をついてしまいたくなる程完璧で美しかった。
「あのぉ…」
私は恐る恐る口を開いた。
「はい?」
美しい顔が小さく傾く。
「実は私、瑞森レオさんの紹介でこちらに窺ったんですが…」
「瑞森様?」
「はい」
彼女は一瞬考えた素振りをしたが、すぐに何か気付いたような顔になり、「少々おまちを」と言って私をその場に置き去りにしたまま、奥にある階段を足早に上がっていった。
(どこ行ったんだろう?)
突然その場に一人置き去りにされた私は、どうする事もできずに、彼女が戻って来るまで入口近辺に飾られていた、可愛いらしい洋服を手にとって見ていた。
(ん?何かおかしい…)
私は手にしたオフホワイトのカットソーを見ていた時違和感を感じた。いつも洋服を買う時に、必ずいの一番に確かめるアレが付いていないのだ。
私はもう一度カットソーの首まわり辺りを注意してみた。しかしやはり付いていない。
(…値札がついてない…)
それを確認した瞬間、私は恐ろしくなって思わず手に持っていた洋服を放してしまった。
上品な色柄のカットソーがハラリと棚の上に落ちる。
値段が付いてないって?!
お寿司屋さんじゃあるまいし、洋服にも時価ってあるものなの?
それとも、ここには値段を気にせずガンガン買い物できるセレブしか来ないって事?
こんなお店で洋服なんて買ったらいったいいくらするの?
やはり万年貧乏の性。
結局行き着くところはソコだった。
(こんなお店が行きつけなんて、アイツどんな買い物してんの!ホント、いつかアイツの金銭感覚叩き直してやりたいわ!!)
私の正義感に火が付いたその時、奥の階段から先程の女性が靴音を鳴らしながら下りてきた。
その姿を見た私は、先程驚きのあまりに手放してしまった洋服をきちんとたたんで元の場所に戻すと、早歩きで階段の下まで移動した。
◇◇◇◇◇
階段を見上げて待っている私に気付くと、女性は速足で階段を下りてきた。
「春日様お待たせいたしました。当店のマダムがお会いしたいそうです。今こちらに参りますので、申し訳ございませんが、もう暫くお待ちいただけますか?」
「マダム?」
私はその言葉に首を傾げた。
マダムって―?
あれ?この隙の無い立ち居振る舞いから見ても、この人がマダムなんじゃないの?
他に店にいる店員さん達は若い人ばかりだし、年齢から言っても責任者ぽいんだけど…?
「あ、の…オーナーさんじゃないんですか?」
私は不思議な顔をして尋ねる。
その様子を見た彼女は切れ長の細い瞳をまん丸くして驚いた。
それから目を細め微笑むと言った。
「とんでもないことでございます!私はこちらでマネージャーをやらせて頂いている神谷美紗子と申します。当店のオーナーは…」
そう美紗子嬢が言いかけた時、階上から「カツーン…カツーン…」と高いヒールで床を踏み歩く音が聞こえてきた。
その音に気付いた美紗子嬢が、恭しく階段に向かって会釈した。そしてその様子を見止めたフロアーにいた全ての従業員も、美紗子嬢と同じく頭を下げた。
何事かと思って顔を階段の最上段に向けた私は、そこに片手を腰にあて、まるでポーズをとっているかのように立っている長身で肩が広くがっしりとした女性を見つけた。
両サイドに何層ものフリルの入ったワインレッドのロングドレスと同系色のショールに身を包んだ大きな女性は、口をあんぐりと開けたまま自分を見つめていた私に気付くと、「まぁ」と瞳を輝かせて一言呟き嬉しそうに階段を駆け下りてきた。
「えっ?何!?」
その迫力に思わず一歩退く私。
彼女は私の前に満面の笑顔を携えてやってくるとこう言った。
「何て可愛い男の子なのっ!!もう食べちゃいたいわっ!!」
そしてガバッ!!と私に抱きついた。
それも骨が折れるんじゃないかと思うほど強い力で!
(この人なんて馬鹿力なんだ?!)
私はその逞しい腕から逃れようと身をよじる。しかし彼女の力には抗えない。
「うーーーーーー」
私の口からとうとう悲しいうめき声が漏れてしまった。
そんな苦しそうな私を見た彼女は、その危機的状況に気付き、漸く私を離してくれた。
「ごめんなさい。あまりにも輪ちゃんが可愛いくて、ついつい抱きしめちゃったわ!あっ、そうそう紹介が遅れたわね。アタシがマダムのハナよ…」
そして信じられない言葉を続けた。
「…本名は花岡竜之介、だからハナ。輪ちゃんもハナちゃんてよんでねっ、よろしくっ!!」
ニッコリと微笑んで私の右頬にチュッとした。
「なっ、何―?!」
真っ赤になった私はパチパチと瞬きをしながら、今温もりを感じた右頬へ手をあてる。
えっ…い、今ちゅっ!て
チュッって音したよねぇ?
何された?えっ?私この人に何されたの?
…て、ちょっと待て、ちょっと待て私。
その前にも何か驚かなくてはいけない事があったような、無かったような…?
そして冷静になった私はある事に気付いてしまった。
「竜の介…って、リュウノスケってまさかっ…」
私がその続きのセリフを口にしようとした時、突然邪悪な気配を感じた。
(えっ?何?)
その気配に悪寒が走った私は視線の先を辿ってみる。とそこで私は美紗子嬢のただならぬ視線に行き当たった。
その目はまるで、私に「これ以上は口にするなっ」「それ以上言ったら呪い殺されるぞっ、」
と警告しているようだった。
(か、神谷さん…)
私は己の命を守る為、美紗子嬢の支持に従う事にした。
そして、ワインレッドの華やかなロングドレスを、そのヴィーナスのようなナイスバディに纏った、目鼻立ちハッキリとした長い睫毛の西洋風美女に、
「こちらこそお願いします…」
そう、ぎこち無い笑顔で挨拶をした。




