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Testamento〜父の言葉

「先日私の父宛に一通の封書が届きました。差出人は春日邦彦氏です」


「えっ?!」


思いもかけず亡くなった父の名前が出てきたので、私は思わず大きな声を上げてしまった。


「とは言っても送付したのは恐らく春日氏の代理人でしょう」


彼女は取り出した茶封筒から一冊の書類と手紙らしきものを抜き出すと私に向けた。


「こちらのお店はご存知でしょうか」


私は書類を手にするとそこに書いてあった店の名前を読み上げた。


Ristranteリストランテ Deliziosoデリツィオーソ?」


確かにその名前には聞き覚えがあった。



ーーそうあれは私が5歳の春父に手を引かれ連れられて行ったレストラン。


郊外の海沿いに建つ白亜の美しい建物。

父と母と私三人だけの思い出の場所にも似た風景をもつレストランーー


それがRistranteリストランテ Deliziosoデリツィオーソだ。





「勿論知っています。私が幼い頃父に連れて行ってもらったことのあるお店です」


力強く答える。


「何故そのお店の権利書がここに?あの女が持っているものじゃないんですか?」


その問いには答えず、加納冴子は書類のページを一枚捲る。


「こちらを」


加納冴子は書類を1枚捲った。そして彼女に指し示された場所を見て私は言葉を失った。



「これはーー!」


彼女が指差した場所を見て、私は言葉を失った。


「これって……」


その場所にははっきりと〔代表者 春日邦彦〕の名前が。

私は加納冴子を見つめた。


「そうなんです。こちらはまだ春日氏の名義になっています」

「どうして……」


信じられない。

あのしたたかで、お金の亡者であるあの女が、たった一軒だけ名義人を変えないなんて、そんな事絶対にあり得ない。


私が眉をひそめ不思議がっていると、その答えを加納冴子は直ぐに教えてくれた。


「実は以前、まだ春日邦彦氏が日本にいられる頃、氏の顧問弁護士をさせて頂いていたのが私のかのう 加納賢之助けんのすけだったのです」


そして自分の父親の事を語り始めた。


「春日氏と付き合いの長かった父は、仕事だけではなくプライベートな相談までも氏から受けていました。父と春日氏の交流は氏が海外へ行かれ、顧問弁護士が八木氏に代わった後も続いていました」


話が続く。



「春日氏は海外へ渡る前に父へあるお願いを託されました。それはこの国にたった一人で残されてしまった愛娘の事でした」


私ははっとした。


「愛娘ってーー私?」


加納冴子はにっこりと微笑んだ。


「はい、勿論です。春日氏はこう父に伝えたそうです。『もし輪に何かあったら守って欲しい』と」


「えっ……」


とても嬉しかった。

父は勝手に家を飛び出した私の事をいつも気にかけてくれていたのだ。


連絡さえ寄越さない、親不孝な娘の事を……。


(お父さん……)


私は父の深い愛情に改めて感慨を覚えた。


「恐らく氏は輪さんが突然家を出て連絡をとらなくなった理由に勘付いていたのでしょう。しかし夫人の手前どうする事も出来なかった」


「あっ、」


愕然とした。


今迄私は父の何を見て来たのだろう。


自分が家出をした後何も行動を起こしてくれなかった父を、自分勝手に恨んだ事もあった。

でもそれはしなかったのではなく出来なかったのだ。


当時父は多くのお店を抱え、沢山の従業員と共に会社を軌道に乗せようと寝食を惜しんで頑張っていた。一人で全ての運営を行うことが難しかった父は、継母にも商談や交渉の補佐をしてもらっていたらしい。

仕事を大切にし、従業員思いの父が、両者に不利になるような行動をとれるはずがない。


考えが幼かった私はそんな大切な事も気付かなかったのだ。


「御免なさい、お父さん……」


私は己の不甲斐なさに悔しくて涙が出てきた。

一筋の雫が頬を伝った。


「輪さんっ、大丈夫ですか?」


突然流れ落ちた涙に加納冴子は慌て、驚きつつも心配そうな顔を私に向けた。


「あ、すいません、私父の事何も分かってなかったから……」


流れ落ちる涙を止めようと試みるが、もう一筋頬に跡がつく。


「輪さん……」


加納冴子はスーツのポットからハンカチを取り出すと、優しくその雫を拭う。


「駄目ですよ泣いたりしては。そんな悲しそうな顔春日氏は一番見たくないと思いますよ」


そう言って微笑むと、涙で染みになったハンカチをポケットにしまった。


「御免なさい」


私は明るく言って力強く腕で目を擦る。


(そうだよね、泣いてたら笑われちゃうよね!)


テーブルの上の冷たくなったアールグレイを一気に飲み干して、加納冴子に笑顔を作った。


「そうですよ輪さん、しっかりしなくては。貴女にはやって頂かなくてはならない事があるのですから」


「やって頂かなくてはならない事?」


私は加納冴子に問い返す。


「はい。春日邦彦氏の想いを叶える事です」


「想い?」


私の頭の上に沢山の?マークが飛び交う。

眉を寄せて怪訝な顔をする私に加納冴子は話す。


「はい。春日氏は父にこうも話されたそうです」


そして私をしっかりと見据えると父の言葉を伝えた。


「『この思い出のお店Ristranteリストランテ Deliziosoデリツィオーソだけは、どんな事があっても娘に遺して欲しい』と」


「思い出の店?」


加納冴子が力強く頷く。


「このRistranteリストランテ Deliziosoデリツィオーソは春日氏の最も大切にされていたお店です」


「大切?」


私の問いに加納冴子は答えるように昔話を始めた。


「昔春日氏が栞婦人、つまり輪さんの本当のお母様に出会われたのがエーゲ海に浮かぶサントリー二という小さな島だったそうです。その島の建物は全て白い石壁でなっており、エーゲ海の蒼色とのコントラストが美しい魅惑的な島で、良くお2人はご旅行されていたそうです。そのご旅行の折お2人は出会われて夫婦となられました」


「へぇ……」


私は唯々口をぽか〜んと馬鹿みたいに開けたまま、聞いているだけだった。


父と母の馴れ初め。

今迄聞いた事もなかった。


「ご結婚されたお2人はハネムーンでその島にご滞在されました。そしてその時授かったのが輪さん貴女なのです。貴女が生まれた数年あと、ご家族3人でサントリー二に住まれていた時期もあったのですよ」


「えっ?じゃあーー」


Ristranteリストランテ Deliziosoデリツィオーソ


私があの店に入った時感じた懐かしい記憶。

あれは3人で過ごしたサントリー二という島の記憶。


「春日 輪、素敵なお名前ですね」


「えっ?」


加納冴子が唐突に私の名前を呼んだ。


「そんな事……」


私はちょっと照れてしまう。

実を言うと自分もこの名前は結構気に入っているのだ。


「貴女の名前の由来はご存知ですか?」


「由来?」


「はい。輪なんて珍しいと思いませんか?」


「そうですか?」


確かにそうかも知れない。

あまり深く考えた事は無かったが、《輪》なんて名前、もしかしたら父親が競輪にでもハマッていて、男の子だったら競輪選手にでもさせるつもりだったのかも……なんて馬鹿な事を考えた時も正直言えばある。


「父が競輪にハマッていたと…か?」


「は?」


加納冴子がキョトンとした顔をする。


「い、いえ何でもないですっ」


咄嗟に誤魔化す。

と加納冴子はプッ、と吹き出して声を上げて笑い出した。


「ハハハハ……そ、それは素敵ですね、アッハハハハ……」


眼鏡美人が目の前で大口を開けて笑っている。


(この人ってこんな笑い方もするんだ、意外……)


「そんなに笑わなくても……」


顔が赤くなる。


「す、すいませんでした。輪さんが面白い事をおっしゃるので、つい」


加納冴子はコホン、と一つ咳をすると、真面目な顔になって私を見た。


輪廻転生りんねてんせい。そこから貴女の名前は付けられたんですよ」


「輪廻転生……」


別名

リーンカーネーション。


確か仏教用語だったか。



加納冴子がクスッ、と微笑んだ。


「サントリー二は世界で一番夕焼けが美しい島だと言われています。ご夫妻は何度も昇っては暮れる変わらないその夕日を幾度生まれ変わっても又親子3人で見ることが出来るようにと、貴女に《輪》と名付けたんです。そしてその大切な思い出を忘れてしまわないようにこのレストランを建てたんです」


私は机の上の書類を眺める。



知らなかった。

今までそんな事教えてくれなかった。

父と母がこんなにも私を大切に想い、素敵な名前をつけていてくれていただなんて。


輪廻転生の《輪》

なんて素晴らしい名前だろう。


「だからこそ春日氏は涼子夫人や八木氏に悟られないように、この店の権利書だけは父である加納賢之介に密かに送ったのでしょう」


「!」


加納冴子は権利書の上に手を乗せた。


そこまで話すと、彼女は一息ついてアールグレイを口にした。


二人の間に沈黙が続く。


それを破ったのは私だった。


「つまり、この権利書を私に渡す為に父は独自で動いたんですか?あの女に気付かれないように」


「おそらくそうでしょう。いくら春日氏が代表者だとしても、すでにこれは会社の権利書です。顧問弁護士に無断で行動を起したとなると、かなりの危険を伴ったでしょう」


彼女は静かにアールグレイを口へ運ぶ。

再び沈黙が流れる。


「春日輪さん!」


突然加納冴子が名前を呼んだ。


「は、はいっ!」


「貴女 このRistranteリストランテ Deliziosoデリツィオーソのオーナーになって頂けませんか?」


「えっ?」


目を丸くする私。


「オーナーって」


「先程も申し上げたように、このお店は春日氏から貴女への唯一の遺産です。この店は貴女が継ぐべきなんです!」


彼女は強い語調で言う。


「うっ……」


「いずれこの事も涼子夫人の耳に入る事でしょう。ですからその前に春日氏の望み通りにこのRistranteリストランテ Deliziosoデリツィオーソを貴女に託したいのです!ーー輪さん」


「いっ?」


加納冴子が私の両手をしっかりと握りしめる。彼女は強い意志が籠もった瞳をしていた。

きっと私が「父の店を継ぐ!」と約束したなら頼りになる味方になってくれるだろう。


父が人目から隠しても守り抜きたかった店ーー

私の為に遺してくれたたった一つの大切な思い出―――


「…………わかりました」


私は加納冴子の顔を見つめゆっくりと頷いた。


「本当ですか?春日氏もきっと喜んでいらっしゃいます。この事が氏のたった一つの願いだったのですから」


そして加納冴子は嬉しそうに微笑んだ。


ふと、父の想いを継ぐと決めた私に一つの不安が浮かぶ。


「でもオーナーってどうすれば」


「その事なんですが……」


加納冴子は私の質問を聞くと顔を曇らせた。


「加納さん?」


不思議に思って尋ねる。

加納冴子は重そうに口を開いた。


「実はその件につきまして、ちょっと話さなければならない事が……」


そう言って下を向く。


「はぁ……」


私は首を傾げる。

加納冴子は申し訳なさそうに私を見る。

それから机に上のレストランの書類を手に取るとページを捲り、ある場所を指差した。

父の名前が記載されている。


「これがどうしたんですか?」


「この下を御覧ください」


「下?あっ、これってーー」


「はい、これが次の課題です」



加納冴子は私の顔を見ると、コクン、と頷いた。



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