Detta~言葉
さっき言ってた言葉って…どういう意味だろう。
それとあの後の瑞森レオの態度と、なんか関係があるのだろうか。
去り際彼は意味深な言葉を吐いて行った。
―結構お前頑張ってるみたいだしな―
このレストランで働き出したその日に、いや、その前夜から、私は彼に良くない意味で目を付けられた。
そのお蔭でこの数日間というもの、早朝出勤を命ぜられたり、殺人マシーンで買い出しに付き合わされたり、はたまた女の子とのデートに駆り出されたりと、自分の意思を無視して、粉骨砕身、瑞森レオの下僕として骨身を削ってきた
勿論仕込みの準備くらいなら、一人暮らしで自炊してきた私にはあまり苦にはならなかったけど、魚を丸ごと捌くのには、なかなかの勇気がいた。
「私をどうするの?」とつぶらな瞳で訴えてくる鯵さんや平目さんに「ごめんね、ごめんね」
と謝りながら彼らを血祭りにあげて行く事など、本来心優しい乙女の私には出来ない事なのだ。
そんな風にいろいろな事を心を鬼にして頑張って来たにも関わらず、瑞森レオときたら、「ありがとう」とか「よくやった」とか労いの言葉など言ってくれた試しがない。
それどころか、「なんだこの捌き方は」とか「いい加減まともにやれよ」とか何かにつけてケチをつけてくる。
自分の下僕には心が無いと思っているのだ、あの男には。
ホント血も涙もない鬼王子だ。
それなのに―
さっきのあの言葉は何?
下手したら、いや下手しなくても、労いの言葉にしかとれないじゃないっ!
私にどう思わせたいのよ瑞森レオっ!
私は大盛りに盛られたスタミナ焼きを口を大きく広げて頬張った。
濃厚なお醤油ベースの味にほんのりと鼻から抜けるガーリックの香り。
この香りだけでパワー全開になりそうなそのお肉料理は、今まで引っ切り無しに騒いでうるさかったお腹の虫達を、一口で満足させたようだった。
「美味しい…」
お肉がまだ口の中で暴れているのにも関わらず、私はまた料理に箸をのばした。
コトン…
夢中になって料理を口に運んでいると、テーブルの上にグラスが置かれた。
グラスの中にはショワショワと気泡を漂わせる透明な液体が入っていた。
「これ、サイダーですか?」
私は向かいのソファーに座った瑞森レオに尋ねた。
「な訳あるかよ、ジン・トニだ」
「ジン・トニ?」
グラスを持ち上げ、不思議そうに首を傾げてそれを見つめる私に、瑞森レオは自分のグラスの茶色い液体を一口含むと言った。
「ドライ・ジンとトニック・ウォーターを使ったカクテルだ。それに少しレモン果汁が絞ってある。具合が悪くて食欲も出ねぇんじゃないかと思って作ってやったんだが…」
そして、私の殆ど空になっているお皿をチラッと横目で見る。
「その心配はないようだな」
言うとテーブルに開いて裏返しにして置いてあった本を手にとり、再び黙読し始めた。
「すいません…ありがとうございました」
先ほどまで、瑞森レオの事を血も涙もない鬼王子だなんて心の中で喚いていた私は、彼の気遣いに後ろめたさを感じ、お皿を抱えてただただ黙々と箸を動かした。
◇◇◇◇
少しの時間が流れた―
ゴーンゴーンゴーン…
リビングの壁に掛けてあった振り子時計から、11回の鐘の音が静まり返っていた寮内に鳴り響いた。
それにしても―
なんで瑞森レオはまだここにいるの?
―何処で飲んでも関係ねぇだろ―
確かにそれはそうだし、後から来たのは私なんだからこんな事いう筋合いは無いんだけど…
何か居ずらい。
瑞森レオから飲み物を受け取った私は、あれからもただ黙ってひたすら箸を動かし続けた。
その間彼は一言も口にしなかった。
私達の間に聞こえてくるものは
本のページを捲る紙の音と、グラスを傾けた時に耳にするカランといった溶けてゆく氷の音だけだった。
(こう静かだと…緊張するな)
私は黙って箸を進めながら耳を欹てた。
もの音一つ聞こえない。
この時間だとTVルームからいつも聞こえて来る信吾くんの笑い声も、その声にバーカウンターから茶々をいれている竜碼さんの声も今夜は聞こえてこない。
名波一に至っては気配すら感じない。
私は少し高鳴る心を静めようとジン・トニックを一口煽った。
スタミナ焼きで油じみてしまった口内を、レモン果汁の酸味と微かな甘みと渋みを添えた爽やかなトニック・ウォーターが洗い流してくれた。
瑞森レオにバレないように彼を見る。
早朝仕込みをやってる時だって基本、店には瑞森レオと私しかいないし(たまに遅れて信吾君がやってくるけど)、一度一緒に買い出しをして以来、仕入れで足りない物があれば、瑞森レオと私が二人で取りに行く。今更二人きりになったところで、こんなタイプでもない瑞森レオの事なんて意識するとは考えられない。
ましてやコイツは、まだ幼気な少女だった私の心を踏みにじったあの張本人なんだから。
そんな男と二人っきりになったって、別に臆する事なんてないのだ。
そうだ―
この雰囲気が耐えられないのなら自分から話しかければいい。
でも何て?
ふと手に持ったグラスを見た。
無色透明の液体はグラスの中で清々しい音をたてていた。
(とりあえずはこの事かな)
私は思い切って瑞森レオとキャッチボールをしようと口を開いた。
「これ美味しいですね」
ニッコリと笑顔を作って己の口にグラスの液体を注ぐ。
「肉はマズいのか」
「ぶっ、」
しかし変化球で返され吹き出しそうになった。
「い、いえ美味しい…です」
口を軽く拭いながら言葉を返す私。
「なら肉も褒めろ」
「はい…すいません…」
そして 沈黙―
キャッチボールは続かなかった。
もうっ、なんでこんな時まで挙げ足とるのよ瑞森レオっ!
空気を読んでよ、空気を!
ちらっと瑞森レオを窺い見る。
どんな顔でこの恨めしいセリフを吐いたのか見てやろうかと思っていたが、期待は虚しく、やはり彼の顔はうまい具合に見えない。
(何でもいいから喋ってよっ)
じーっと見つめて―― 睨んでいたが何の変化も彼からは表れなかったので
私はもう一度チャレンジする事にした。
今度は多少ノリを心がけて。
大きく振りかぶる私。
真っ直ぐに相手を見据え第一球を投げた!
「な、なんでジン・トニックなんですか?実はこれ結構強くて又オレをぶっ倒すつもりじゃないですよねぇ?ハハハ」
ちょっと冗談めかして言ってみた。
しかし返って来た言葉は氷の刃だった。
「はぁ?なんで俺がお前如きにそんな面倒臭ぇことしなくちゃなんねぇんだよ、馬鹿なお前は人の話もまともに聞けねぇのか?」
「はっ?」
如きに…
馬鹿なお前…
こいつ
人の事をさらりとニ重に侮辱したっ!
やっぱり前言撤回っ!!
この男は鬼だっ!
鬼王子だ!
悪魔の申し子だっ!!
瑞森レオは顔を遮っていた本を膝元に下ろすと呆れ顔をした。
それから、軽蔑したような見下した瞳を私に向けるとこう言った。
「ジン・トニックはイギリスの植民地時代に作られた飲み物だ。慣れない南国の暑さ対策や、食欲不振対策に作られたカクテルだと言われている。そんなの知ってて当たり前の事だ」
「…」
知る訳無いじゃんっ、
そんな専門知識なんてっ、
ムカつく。
「だから―」
瑞森レオはそこで一旦言葉を遮ると声のトーンを少し低くしてこう言った。
「今のお前には丁度いいだろ」
そして再び本で顔を隠す。
「えっ?」
―今のお前には丁度いいだろ―
その言葉に私はなぜか胸がトクンと脈打つのを感じた。
その言葉の意味って…
私の体を心配してくれてたって事?
トクン…
また小さな胸が脈を打った。
その鼓動を感じて、私は彼のもう一つの内側の顔に気付いてしまった。
あっ…そうか
瑞森レオって
素直じゃないだけなのかも。
「ふふふっ、」
瑞森レオの素顔を少し垣間見た私は、嬉しくなって、思わずほくそ笑んでしまった。
「な、なんだよ」
開いた本の脇から覗く
私の意味ありげな顔に怪訝そうな瑞森レオ。
「瑞森さんて、頭いいんですね」
「は?」
―優しいんですね。
本当はそう言いたかった。
でも、意地っ張りな私は素直に言えなかった。
いや、いつもなら自分が感じた事は素直に口にするのだけれど、
今日は―今は何となく言えなかった。
「頭がいい?」
瑞森レオは聞きかえした。
それから高慢そうにフッと笑う。
「頭がいいじゃなくて、知らない事は調べないといられないたちなんだ。馬鹿は嫌いだからな」
そして左手に持っていたグラスを傾けた。
そうなんだ…
何か意外。
瑞森レオって、お金持ちでルックスもよくて、友達にも恵まれてて(穏やかな名波さんとか)苦労したことのない世間知らずなおぼっちゃまかと思ってたけど、案外努力家だったんだ。
きっとその探究心が、20歳半ばにしていろいろな人に天才クオーコと言わしめる所以なんだろうな。
物知りで、自分に正直―
探究心旺盛で自意識過剰な自分を商売人と言う計算型ニ重人格者―
真夜中に女の子の部屋に不法侵入したり(その結果逆切れしたり)、見下した態度で馬鹿馬鹿言われるのはムカつくし、納得いかない。
でも自分に対してハングリーな所は見習いたいと思うし…
素敵だなぁって思う。
こんな人生猪突猛進能天気娘な私じゃ、馬鹿馬鹿いわれても文句は言えないのかもしれない。
「馬鹿は嫌いか。じゃあ、いつも馬鹿馬鹿言われてるオレの事は嫌いって事ですね」
言って自嘲気味に笑って、頭を掻いた。
「俺は馬鹿は嫌いだ」
瑞森レオは同じ言葉を繰り返す。
(いや、だから繰り返さなくても…)
悲しくなるじゃない。
「それに馬鹿のままで納得してるヤツも嫌いだ」
「はは…」
乾いた笑いが漏れる。
「馬鹿は罪だ」
「は…」
「いや、悪だ」
「…」
そ、そこまで言うか瑞森レオっ!
言い換えた事で「馬鹿」の立場は神にも見放された哀れな存在に代わってしまったぞっ!
悪じゃ懺悔しても報われないじゃんっ!
っていうか
瑞森レオにとって「馬鹿」な私は悪の根源にでも見えるのかっ?
いくらなんでも
酷すぎる。
ちょっとブルー。
いんや
嵐の海のダークブルー。
私は頭を垂れた。
今の私の気分こそ
天国と地獄だよ。
「でも―」
しかし私は次に彼の口から放たれた言葉に、些細な悲しみなど一ぺんに吹っ飛び、クモの糸よろしく天からの光を目にする事になる。そして思わず目を見開く。
瑞森レオは次の言葉を紡ぐ前にふと目を私から逸らした。
「メニューのコピーを撮って、専門書と睨みあってるヤツは嫌いじゃない」
「えっ?」
私は一瞬言葉を詰まらせた。