Cogito〜見透かされた心
その後の私は、瑞森レオに腕を強く引っ張られたまま、彼の愛車が停めてあった駐車場まで引きずられるように連れてこられた。
「瑞森さん、戻らないと…」
足がもつれるように歩きながら彼に言う。
「なんでだ」
瑞森レオは私の腕を引っ張ったまま、振り返りもせずぶっきら棒に問い返してきた。
「なぜって…」
私はこのWデートの話を初めて聞いたあの日の、橙子さんが彼に言い放った言葉を思い出していた。
―これはレオの為でもあるんだけどなぁ―
―彼女を邪険にしたら店の存亡に関わるかもよ―
確か橙子さんはそう言っていたはず。
つまりこのWデートはそれ程大切な事なんじゃないだろうか。
それをこんな状態でキャンセルしたなんて事になったら、きっと馨子さんも残念に思うだろうし、もし馨子さんの叔母さんである櫻井夫人が耳にしたのなら、あまり良い印象は与えないだろう。
そうなったら、瑞森レオにも、お店にも良い結果にはならない気がする。
「お、オレっ、」
私はその場で足を踏ん張って立ち止まった。そして瑞森レオの腕を振りほどく。
「もう大丈夫ですから、やっぱり戻りましょう」
不思議そうな表情をした瑞森レオが振り返る。
「何いってんだ」
凄く不機嫌そうに顔をゆがめる。
「馨子さんも、橙子さんもあんなに楽しそうだったじゃないですか、なのにオレ達だけ先に帰るなんてそんなの酷いですよ。」
頭には少々霞が掛って朦朧としてはいたが、私はしっかりと瑞森レオを見た。
「…」
自分は大丈夫だ、と意思表示をするように力強く、必死に彼の瞳を見つめる私に向かって瑞森レオは呆れたように一つ溜息をもらす。
「言いたい事はそれだけか」
「えっ?」
「なら行くぞ」
「はっ?」
彼は驚く私を後目に、再び腕をとると歩きだした。
「瑞森さんっ!」
(コイツ、私が言っている意味がわかって無いのか?)
(それとも自分が帰れる口実が出来たと思ってるの?)
私は納得できず再び立ち止まると、腕を振りほどき後ろから瑞森レオを睨みつけた。
「何だ!」
その態度に今度は苛立ちを隠さないキツイ口調で瑞森レオが振り返った。
「戻りましょう!」
私も負けじともう一度強く念を押す。
「黙れ」
「オレはもう大丈夫だって言ってるじゃないですか!」
「さっきからうるせえなぁ!帰るって言ってんだろーが!」
「嫌です!だって‥」
「だって?」
瑞森レオが私の言葉に自分を言葉を重ねてきた。
そして訝しげな表情をする。
「あっ、」
咄嗟に自分の口を閉じる。
(お店の存亡に関わるんじゃ‥)
思わずその言葉を口走りそうになってしまった。
でもきっとそんな事瑞森レオに言ったら「お前には関係ない!」とか言われて、もっと機嫌が悪くなってしまいそう。
それじゃ益々彼は戻ろうとしないだろう。
私は無言のまま瑞森レオを見返した。
彼も私を見つめたまま動こうとしない。
そのまま暫く私も瑞森レオも、張り詰めた空気の中で、お互いを見合ったまま一言も口をきかなかった。
◇◇◇◇◇
「いい加減にしろっ馬鹿が」
最初に口を開いたのは瑞森レオだった。
それも吐いてきたのは酷いセリフ。
「馬鹿って言わないでくださいっ!」
こんな時でも、コイツに馬鹿って言われると、ついついいつもの反応で言い返してしまう。
でもお蔭で張り詰めていた空気が緩和したようだった。
「自分の状況が分かって無いやつに馬鹿って言って何が悪い」
「どういう意味ですかっ」
そう憎々しげに尋ねると、彼は又呆れたようにフウと息を軽く吐いた。
そして面倒臭そうに口を開く。
「2回も倒れかけてんだぞ、お前は」
「えっ?」
「いや、あれから降りた後から考えれば3.4回ってとこか」
ボソリと独り言のようにそう言うと、俯き加減で、瑞森レオは顎に指をあてて少し考える風を見せた。
(あれから?…あっ!!)
彼の言った意味が理解できた。
あれからっていうのはつまり―
<ループローリング>から降りた時の事をいってるのか。
あの時も、降りて直ぐ眩暈が起こり、足取りが少し覚束なくなった。
まさかその時から既に瑞森レオに悟られてた?
でもあの時は、ほんのちょっとの間目を瞑っただけで、直ぐに歩き出したから絶対気づかれてないと思うんだけど…
橙子さんや馨子さんにだってバレてなかったし。
そんなに私演技が下手だった?
それとも―
瑞森レオが私をずーっと見てた‥とか?
私はその言葉に少し動揺してしまい、瑞森レオから目を逸らすと少し赤くなって俯いた。
いつもなら、自分が何か罵倒すれば、ああ言えばこう言う状態で言い返してきた私が、突然黙りこくってしまったのを見て、彼は慌てたように口を開く。
「何急に黙りこんでんだよ、気持悪ぃな。オレはただこんな所にいてぶっ倒れでもしたら後が面倒臭ぇって思っただけだ。誰がお前運ぶと思ってんだ、馬鹿野郎」
「…」
やっぱりそうだよな。
うん。
分かっていたよ、そんな事。
この俺様野郎が他人の、それも自分の下僕だと思っているこの私の心配なんてする訳無いよな。
でも少しは女の子として(期待してもいいかな?)なんて思ってもバチは当たらないよね。
まったくやんなっちゃうよ、
この脳みそバラ色乙女。
自分が
悲しい―
フゥ‥
溜息。
それに普通に考えれば、瑞森レオが懸念する気持も分からなくない。
だってここに来る時に橙子さんのバイクで来た私が、もし倒れて動けなくなったのなら、背負って寮まで連れて帰る事になるのは、明らかに瑞森レオだからだ。
背負って帰れるならまだしも、バイクで来ているのだから、恐らく体に括りつけたりなんかしなくては、到底運べないだろう。
括りつける?
いやいやいや、
それは…さすがに
瑞森レオもかなり嫌だと思うが、それ以上に私が嫌だ!
背中に括り付けられた赤子状態で、あの殺人マシーンに乗るなんて、いくらお金を積まれても断固拒否したい。
私は思わず、瑞森レオの体に括りつけられて、まるで風に流される凧のようにヒラヒラと舞う自分を想像してしまい、顔から血の気が失せた。
「何一人でジタバタしてんだよ、お前」
青ざめたまま、向かい側でブルブルと首を振ったりしている私を不思議そうに眺めながら、瑞森レオが呆れている。
「ったく、お前が何考えてんだか分かんねぇけど、勝手に面倒くせぇ事考えて言ってんだったら止めておけ」
「えっ?」
「迷惑だ」
まさか、その言い方って―
私が戻ろうとした理由がわかってるって事?
その言葉に私は思わず顔を上げた。
「!!」
瑞森レオが私をしっかりと見つめていた。
まるで心の中まで覗かれてしまいそうな
鋭く射すような強い光を帯びたサファイアブルーの瞳で―
「とにかく」
一呼吸おいて彼は口を開いた。
そして、私の方へ歩みを進めると再び腕を力強く掴んできた。
「あっ、」
「俺はお前を背負って帰るのだけはごめんだ」
そのまま踵を私に向けると歩き出した。
「分かったら黙れ」
有無を言わさぬ言動。
その威圧感と強引さと、どこまでも続く深い海を思わせる吸い込まれそうな彼の瞳に、私は抗う事を忘れてしまった。
「はい…」
そう言うと静かに頷き、瑞森レオに手を引かれるまま共に駐車場まで行くと、彼の愛車の後部座席に跨りテーマパークを後にした。