Mappa〜ピカソ
「だからお前遅ぇーんだよっ!!」
朝早くからキッチンに金髪王子の怒号が響く。
「すいません…」
私は内心ムッとしながらも彼に一言謝って、先程お店の裏庭の庭園から摘んできたハーブを黙々と千切っていた。
昨日の宣告通り、フロアスタッフである私は何故か早朝出勤を言い渡され、本日からこの我が儘王子の僕となって働いている。
「だから言ってんだろ!食い物なんだからもっと丁寧にやれ!」
彼は相変わらずの睨み具合で私に容赦なく言い放つ。
「これでも丁寧にやっているんですけど…」
他人にそうそう楯突くような私ではないが、何故かいつもコイツにだけは一言言ってやりたくなる。
やはり幼い頃与えられた恨みの報復なのか…?
「口答えしねぇで、とっととやれ!」
そう言い捨てると、彼は私の前に「ドン!」とフードプロフェッサーを置いた。
「…わかりました」
渋々とそれを受け取ると、コンセントに繋ぐ。そして先程皮を剥いたにんにくと冷蔵庫から取り出してきた松の実を入れる。
手元にあるメモを見ながら順番を確認して電源を入れた。
「ウ゛〜ン」というモーター音と共に中に入っている材料が細かく砕かれていく。
今やっている仕事は自家製の《ペスト・ジェノベーゼ》作りだ。
《ペスト・ジェノベーゼ》とはハーブの種類であるバジルのペーストの事で、パスタだけでなく、サラダのべースや肉・野菜のソース、カナッペにとさまざまな料理に合う優れものだ。
松の実が程よく細かく砕かれたのを確認すると、私は一度機械を止め、今洗って水気を良く切ったバジルの葉とオリーブオイル、パルメザンそして塩を加えた。
再び蓋をして回転させると、そのままペースト状になるのを待った。
トゥルルルルルル…
突然お店の電話が鳴る。
その音にびくっとなり、電話へと振り返った。
しかし私はまだお店に入ったばかりなので、竜碼さんとアンジェラから電話に出なくて良い権利を頂いている為、すぐに未だに鳴響く電話から目を逸らし、再びフードプロセッサーへと視線を戻した。
「毎度有難うございます。リストランテ・デリッツィオーソでございます」
滑舌の良い朗らかな声が聞こえた。
「きれいな声…」
成人した男性の声のわりに少し高めで透明感があり、滑らかに流れるような言葉回しはとても上品な紳士に思えた。
両手をプロセッサーの蓋に置いたまま声の主を確認する。
と、そこにはコードレスフォンを持った瑞森レオが立っていた。
(うそっ!あれ金髪王子の声なの?信じられない!)
いつもの彼の声とのギャップに体が仰け反るくらいに驚いた。
私が知る瑞森レオの声と言ったら、「うるせぇ!」とか「遅ぇー!」「ふざけんな!」と、お世辞でもお上品とは言いがたい罵詈雑言三段階で、目の前の丁寧な言葉遣いの紳士と同一人物とは思えない。
(あいつ、他人には猫被るんだ。サイテー!)
っていうか、私も一応まだ会って間もない他人なんですけど…この仕打ちは何!?
私は瑞森レオに悟られないように、横目で彼を睨んでやった。
◇◇◇◇
「…わかりました。では後程伺います」
およそ10分かかった彼と相手の電話は、瑞森レオのその言葉で終わりになった。
彼は受話器を置くと私に振り返り、ズカズカと一直線に近づいてきた。
(な、なに?)
一歩退く私。
「おい!」
「な、なんでしょう?」
「お前今から買出し行って来い!」
「はぁ?」
突然の頼まれ事…いや命令に意味が分からず?な顔を彼に向ける。
「買出しって何処ですか?」
すると彼は溜息を落とし、何故急にそんな事を言ってきたのかを説明しだした。
「日吉青果の配達車両が事故ったらしい」
《日吉青果》とはうちのレストランに野菜や果物を卸している馴染みの八百屋さんだ。
ここの品物は良心的なお値段のわりに良いモノである為、この店ではよっぽどの事が無い限り日吉青果以外の店からは仕入れをしないらしい。
「配達車両が事故った?」
オウム返しに尋ねる。
「そうだ。どうやら接触事故らしいんだが、今日うちに納品する予定だったんだ」
「はぁ…」
未だに何が言いたいか理解できない。
「取り合えず午後には入る予定なんだが、今日ランチで使う野菜と果物が足りない…」
「で?」
だから私にどうしろと?
自分がこれだけ言っても意味を飲み込めていない私に、瑞森レオはいい加減業を煮やしたように怒鳴る。
「ったく、どこまで鈍感なんだよテメェは!足りない物だけ店に取りに行けって言ってんだろーが、分かれよ!!」
(んなもん、分かるかっ!)
だったら何でいちいち回りくどく言うのよ!
…って言うか…
「えっ!?なんでオレが?」
「他に誰がいんだよっ!鈍感!」
いつもの鬼の形相を私に向ける。
(人に物を頼む態度なの?これって?!)
私も負けじと彼を睨む。そしてはっきりと言い放った。
「無理です!」
「無理だぁ?」
「そうです」
彼の目が見開く。
そんな事されても動じない。
「だって場所も分からないし、行けるワケないでしょ!」
そうなのだ。
私が断ったのはヤツが嫌いだからではない。…いやそれも少々。
実際にちゃんとした理由がそこにはあるのだ。
一昨日この町に引っ越してきたばかりの私には土地勘がない。全くと言って良いほど。
ただでさえ地図の読めない女子であるのに、その私に1人きりで初めて行く店に買出しに行けとはなんと無謀な。
下手したら営業時間までに返ってこ来られなくなって、アンジェラや竜碼さんにこっ酷く怒られるのがオチだ。
そればかりか、「市内○○に住む春日輪さんが、買出しに行ったきり行方不明になりました…」なんて天下の市内放送で捜索願いが出されかねない。
そんな事になったら、もう普通に道が歩けなくなって引きこもりだ。
この歳でまだ政府の支援は頂きたくない!
私は瑞森レオを眼力を込めた瞳で見つめた。
彼は私の逆切れ気味な説明を聞くと、暫く無言で私と睨めっこを続けていたが、そのうち顎に手を当て少し考える素振りをしだした。
そして一つの案を私に伝えた。
「そうか…て事は、場所が分かれば行けるって事だよな」
「は?…はぁ」
彼の言葉に少し曖昧に答える。
「よし、分かった」
瑞森レオはそう言うと、カウンターの一番上の引き出しの中から、メモ帳と筆記用具を取り出して、何やら書き出した。
(何してるんだろう?)
出来たばかりの《ぺスト・ジェノベーゼ》を、タッパに移し変えながら、その様子を見守る。
彼は暫くした後、その書き上がったメモ帳を指でなぞって何かを確認していたが、頷いて納得すると、書き込んだ一枚を破りそれを持ったまま私の元まで歩いて来た。
「おい!」
凄く偉そうに呼びかける。
「これやる」
彼は、上の部分が乱暴に破ってあるそのメモ用紙を私に渡した。
何を書いていたのかと覗くと、直線が縦横に数本と、楕円の中に○が三つ並ぶ記号や、その図のあちらこちらに、いくつかの店の名前が見受けられた。
どうやら地図らしかった。
「地図?」
私は顔を上げると瑞森レオに尋ねた。
「そうだ他に何に見える。日吉青果までの地図だ。これなら馬鹿なお前でも分かるだろう」
そして「フッ」鼻で笑う。
「ぐっ…」
「馬鹿なお前」という言葉に多少…いやかなりの引っかかりはあったが、ここで突っ込むと、又彼とのバトルが勃発して無駄に時間を費やすので、ここは軽くスルーすることにして話を先に進めることにした。
「まさか、これを見ながらオレが行くんですか?」
渋々彼に聞くと、彼は平然と「そうだ」と返してきた。
「でも…」
この地図でどう行けと…?
もう一度地図に目を落とす。
先程も言ったと思うが、このメモ用紙には縦に幾つもの線が引いてある。
ただひたすら真っ直ぐに。
そしてその線と交差するようにこれまた横に幾つかの線が引いてある。
勿論 こちらも真っ直ぐだ。
この丁度交差する辺り数箇所に楕円に○三つが入った記号が書かれている。
これは、この形からしても信号機を表しているのは何となく分かった。
…でもこの交差点はいったい何処?
それに、この図の右上辺りに《日吉青果》という名前は書いてあるけど、どうして此処(現在地)…よーするにスタート地点の印がないの?
そのくせ交差点の至るところに、いろんな店の名前が入っている。
この地図…
私はどこからどう行って、何処を通って目的地まで向かえばいいのかしら?
はっきり言ってこの男…
地図書くの
どどどどどどどど下手なんですけど!!
この地図の記号と店名を排除したら、誰もが
「何?今からレトロな○×ゲームでもやるの?」
と尋ねずにはいられないないだろう。
そしてこの図を見せられた全ての人は、恐らく、迷わずに、この交わった直線の間の空間を○と×の記号で埋めていくのだろう…、
それほどデフォルメされている地図なのだ。
お前はピカソか?
ある意味芸術。
「う゛ー」
私は静かに唸って頭を垂れた。
「何だよ」
項垂れる私を見て、この地図の作者は不服そうな瞳を向けてきた。
「あの…一つ質問してもいいですか?」
「なんだ?」
先程渡された芸術的地図の一本の線を指して質問する。
「この線…いえ道と思しきモノは、何処の道でしょうか?」
「店の前」
「では、この道は真っ直ぐ行くと駅に向かうのでは?」
すると芸術家はイラッとした顔をした。
「なんでそうなるんだよ!お前地図も読めねぇのかよ!」
そして地図を逆さに向ける。
「ここの道が前の道だろ?でこの交差点を右折するとこっちが北になるから、次の交差点をこう曲がって、で《日吉青果》だろうが!ちゃんと見ろよ!」
「……えっ?」
私は地図をぐるぐる回す彼を唖然として見つめる。
(おいおいおい方角がいちいち変わるってどういう地図だよ!)
彼の地図は、進行方向が変わる度に、ころころと方向が変わるのだ。
普通地図の上方は《北》
右が《東》で左は《西》
で《南》は下!
これは小学生でも分かる常識!
こんなに地図をくるくる回して歩いていたら事故るわっ!
四方八方から読む地図なんて
やっぱり…アート。
「……無理。絶対分からない」
何事にも全力でぶつかっていく私だが、この地図の件では考える余地もなく匙を投げた。
「ったく、ホンと馬鹿だな、こんなモノも読めねぇなんて」
「読めないって…地図が読めないんです!」
「だから お前が読めないんだろっ!」
「いや、貴方の地図が読めないんですっ!」
「はぁ?言ってる意味が分かんねぇ!」
敢えてここでもう一度弁解させてもらえば、
私が地図を読めない訳ではない!
読めないようなアーティスティックな地図を書く瑞森レオが悪いのだ!
そこの所 誤解しないでもらいたいっ!
それからどの位か私と瑞森レオが《読める》《読めない》の押し問答を続けていると、キッチンの入口から足音が聞こえてきた。
「おっはよー!おっ輪頑張ってんじゃん!」
その声に2人で振り向くと、朝からテンションの高い信吾君が元気な挨拶をしながら入って来るところだった。
「何してんの2人とも?仲いいね」
「「仲良くなんて…」」
「ないよ!」 「ねぇぞ!」
信吾君の聞き捨てならないセリフに2人同時に反応してしまった。
「そうか?」
不思議そうな顔をする信吾君。
「ったく仕方ねぇ!」
その彼の顔を見た瑞森レオは、頭を掻き毟って言葉を吐き出した。
そして
「見習い!お前はここで待ってろ!」
いきなり私にそう声をかけると、何故か急いでキッチンから駆け出して行った。
「なんだレオのヤツ?」
「さぁ」
私達は瑞森レオが去った後を見て、お互いに顔を見合わせた。