Accessione〜デコピン
(もうダメ無理っ!!誰か時間を止めてっっ!!)
心の中で必死に祈る。
と突然私の腰の辺りに何かが纏わりついた。
(えっっ??)
そう思いながらもテーブルに倒れた衝撃を待つ私。
しかし一向にその気配は無い。
「ちょっと、あれ見て!」
「なに?えっうそっ!!」
「マジ?」
ガヤガヤガヤ‥と周りがなにやら賑やかになる。
(なに?それにどうして衝撃が無いの?)
不思議に思いながらも、思い切ってきつく閉じた目を開けた。
「えっ!?」
私の目の前 わずか15cm程度のところに、瞳を大きく見開いて驚いている名波一の顔があった。
腰に纏わりついているもの…
それは彼の右腕だった。
そう私は今、自分の片足と名波一の右腕だけで体が支えられていた。
まるで踊り終わった社交ダンスペアの派手なフィニッシュのポーズのように。
「「………」」
お互い何も言えずただ驚いた顔をして見つめ合う。
そんな2人の様子を、私が倒れるはずであったテーブルのお客様が口に手を当てたり、開きっぱなしのまま凝視している。
「あっ…」
(恥ずかしいっ!どうしようっ!)
次の瞬間
グイッ、と名波一に力強く引き寄せられた。
「えっ…」
彼は私を引き寄せると、丁寧に私を二本の足で立たせてくれた。
「ごめんなさいっ!わ、オレっ、」
慌てて彼から飛び離れる。
今にも心臓が口から飛び出してきそうだ。
「ありがとうっ」
動揺を隠せないまま、慌ててお礼を言う。
「大丈夫?ほんとそそっかしいね君は」
そして名波一はクスッと笑った。
「本当にごめんなさい!もうっ、どうしよう」
頭がパニくって自分が何を言いたいのか分からなくなる。
そんな私に近づくと、名波一は腰を少し屈め私の頭を撫でながら目線を合わせて静かに口を開いた。
「謝らなくていいよ」
真っ直ぐに私を見つめる。
「僕がカバーするって言ったでしょ」
「あっ」
「だから気にする事ないよ」
―-…何かあったら僕がカバーしてあげるから…-―
オープンの時に彼が言っていた言葉を思い出す。
(…本当に助けてくれたんだ)
なんだか嬉しくなってちょっとはにかんでしまった。
「あ、ありがとうございますっ」
その温かみのある彼の言葉に照れながらも、もう一度頭を下げる。
(名波一って、昨日寮に来た時も丁寧にいろいろ教えてくれたし、今だって私の事助けてくれた…やっぱり頼りがいのある優しい人なんだ)
私は心の中で彼の素晴らしさと優しさに感謝した。
「でも…」
しかしそんな矢先、彼はいつもの意地悪そうな顔になると、相変わらず恥ずかしげもなく信じられないセリフを私に投げてきたのだ。
「君って男の子のわりに華奢だから、抱き心地良かったよ」
そう言うとクッと笑った。
(抱き心地が良かった!?)
がっちりと腰に回された名波一の白くて長い美しい腕を思い出す。
私の腰を、まるで大切なモノを支えるかのように力強くそして優しく包みこんだ…
「………な、何言って!」
恥ずかしさで顔が赤くなる。
「はははは」
そんな私を楽しそうに見ると、名波一は去り際にもう一度私の頭を撫でて、長身を翻し歩き去って行った。
◇◇◇◇
バタバタと慌しくランチタイムが終わり、午後3時を過ぎる頃漸く休憩時間となった。
本日の賄い役の信吾君が、個室の椅子に力尽きて座っている私の元へ歩いて来る。
手には彼お手製のバジルペーストのパスタ2つと、ケーキの乗ったお皿を持っていた。
ランチタイムの閉店は午後2時半ということになっているのだが、いつも何人かのお客様が時間を過ぎても店内に残って居る為、私達スタッフはキッチン横にあるスタッフ専用の個室でお昼をとる事になっている。
「輪 お疲れ!ほら飯。あと特別にこいつも持って来てやったぜ、喜べよ!」
信吾君が私の前にパスタと、朝一口くれたチョコレートのケーキを差し出す。
しかし私はそれに手を伸ばさなかった。
何故なら
私の頭は先程の名波一とのアクシデントの事で一杯だったからだ。
腰に回された腕。
触れてしまいそうな程接近してしまった唇。
力強く引き寄せられた体。
(名波一って案外力があるんだ…)
私は頬杖を付いてボーッとなったまま、一つ溜息を落とした。
「どした?何だよボーッとして」
信吾くんはお皿を私の前に静かに置くと、隣の席に座って私の顔を覗きこんだ。
「あっ、信吾くんっ!」
突然目の前に現れた信吾君の顔に、一瞬ドキリとする。
彼は凄く心配そうな表情をしていた。
「何か元気ねぇじゃん、大丈夫か?」
黒目がちな大きな瞳で私を見つめる。
そんな不安そうな彼を見ていると、名波一の事を考えていただけの自分がとても申し訳なく思えて、咄嗟に顔を背けてしまった。
「大丈夫だよ、有り難う」
私がそう言うと、突然信吾君が膝で椅子を押して立ち上がった。
そして私のオデコに彼の温かい手を当ててきた。
「な‥ん‥」
思わず振り返る。
「そんな事言って、ホントは具合悪いんじゃね?」
信吾君はもう片方の手を、今度は自分のオデコに当てる。
「あのっ、ホントに大丈夫だからっ!」
自分の額に伸びてきた信吾君の腕を左手で払おうとする。
「いや、信じらんねぇ!輪お前ちょっと動くな!」
そのまま暫くの間彼は「うーん」と唸って私と自分の額の熱を計っていたが、漸く納得したらしく両手を額から放した。
「ホントに熱は無いみたいだな」
そして屈託のない笑顔をすると
「良かった!」
と言って「ふぅ」と溜息を漏らし、再び隣の席に腰を下ろした。
その嬉しいという感情を隠すことなく体全体で表している彼の様子に、見ているこちらの方が照れてしまって、私は再び顔を背けてしまう。
「だ、だから大丈夫っていっただろ?何でもないんだって」
私は少し照れた顔が彼にばれないように、左手で頬杖を付いて隠した。
「でもさ俺…」
両手の指を組む形にし、その上に顎を乗せると彼は私に話しかけた。
「お前に何かあったんじゃないかって」
「えっ?」
その言葉に振り向くと、彼は真剣な顔して私を見つめていた。心から心配している顔だ。
軽く首を傾げ少し上目遣いな、伺うような、母性本能をくすぐる 甘い顔。
(ドキッ…)
そんな信吾君の真っ直ぐな瞳と出会ってしまい私は慌てて顔を元に向き直した。
「竜兄って仕事になるとスイッチが切り替わって、人使いが荒くなるだろ?これでもかぁーってな感じで仕事押しつけてくるしさ。初めての仕事であれじゃキツイいよな」
彼は申し訳無さそうに話す。
確かに信吾君の言う通りかもしれない。
普段は豪快で陽気な竜碼さんだが、仕事になるともう1つの人格が現れる。
彼は仕事モードになると、かなり几帳面になって言葉遣いも丁寧になるのだ。
こういったお客様相手の職業だから最もだとは思うが、昨夜の歓迎会の時や信吾君と戯れている時の竜碼さんを知っていると、
「何かが乗り移ったんじゃないか?」
「エクソシスト呼んだ方が良くね?」
なんて考えてしまう程人格が変わってしまうのだ。
おまけに人使いの荒らさと行ったら、形容する言葉すら出てこない。
フロアマネージャーだから厳しいのは当たり前だが、何か仕事をやっている最中でも次から次へと指示を飛ばす。
それこそ分身の術でも使わないと捌けきれない。
でも、そのお蔭でレストランの仕事のしの字も知らなかった私は、体で色々な仕事を覚えられるし、彼の適確な指示が私達フロアスタッフの仕事を効率よく回している事も事実だ。
仕事をやり切った充実感もあるし。
だからこそ、私はどんなにキツクてもこの仕事を120%の力でやり抜きたいっ!と思っている。
「そうかも知れないけど、お蔭でオレは仕事が覚えられるし、皆の足手まといにならなくてすむから」
信吾君にはっきりと自分の意見を伝える。
その言葉を聞いて信吾君はびっくりした顔になった。
「輪、お前って凄いな。普通初日でそこまで言えないぜ」
「そう…かな?」
(そんなの普通の事じゃ…ないの‥かな?)
なんか褒められたみたいで、ちょっぴり嬉しくなった。
「そうだよ!大体の奴が竜兄のイジメで辞めちまう」
「イジメっ?」
いきなり就学生レベルの言葉が飛び出す。
「輪お前知らなかった?今日なんてまだ可愛い方さ。これからどんどんエスカレートしてく」
「ホン‥ト?」
私は目を丸くする。
「お前の前にいたヤツは、仕事がとろくてさぁ、寮に帰っても竜兄に痛めつけられてた!」
「そんな…」
想像してしまう。
自分があの優しいはずの竜碼さんにボッコボコにされて傅いている様を。
傅く私をパシリとして扱う竜碼さんを。
そしてヨロヨロになった見るも無残な己の屍を。
瑞森レオだけじゃなく、竜碼さんにまでそんな仕打ちされたら…
(きっと私もうここにはいられないっ!!)
「どうしよう…」
(竜碼さんてあんなに優しくて頼れるお兄さんだと思ってたのに、実際は泣く子も黙る鬼教官だったのか!)
「そう言えばオレ…」
私はランチの時の自分を振り返って不安になった。
それを見て信吾君が不思議そうな顔をして声をかける。
「どうした?」
「オレ、ランチだけで4.5回は竜碼さんに怒鳴られた…」
「えっ、マジで?」
「うん…」
がっくりと肩を落とす。
とその言様子を見て彼は大げさに騒ぎ出した。
「輪やべーぜそれ!!お前完全に竜兄怒らせたわ!」
「えっ!?」
「ディナーからやられるぜぇー」
「そんな!」
「今晩ちゃんと布団で寝れるかな」
「それってどういう…」
しかし信吾君は首を激しく振ると「ハァ…」と溜息をつき黙ってしまった。
(それって…ディナーからイジメがエスカレートするって事!?)
そして私は今晩 自分の布団に着く前に昇天してしまうって事!?
「無理無理無理っ!!どうしよう!オレ謝ってくるっ!」
咄嗟に席を立つ私。
「プッ、」
その隣で信吾君が吹き出した。
「???」
私は信吾君の方へ振り向く。
彼は(もう堪えきれない)と言わんばかりにゲラゲラと笑っていた。
「お前って何でも信じんのな!笑えるっ!」
「嘘なの?!」
私は目を飛び出さんばかりに大きく見開くと、彼を横目で睨んだ。
「わりいわりい!そう恐い顔すんなって」
信吾君はそう言うと、立ち上がって憤る私の両肩に手を優しく添え軽く下へ押すように力を込め、もう一度椅子へ座らせた。
(毎度毎度 名波一と2人して私をからかいおって〜っ)
頭の中で信吾君に向かって拳を握る。
そんな私の頭を彼は軽く「ポンッ」と叩くと、静かに見つめ優しい声色でこう言った。
「輪にはあんな時化た顔は似合わねぇよ。いつもそうやってギャーギャー喚いて変な顔してろ」
「えっ?」
キョトンとなる。
「もし何か悩む事があったら俺に言えよ。俺がお前からかってくだらねぇ事忘れさせてやるからさ!」
呆ける私に今度はデコピンを食らわす。
「いてっ!」
(まさか信吾君…)
さっきの嘘って私を元気付けようとして?
それであんなイジワル言ったの…?
私は彼の顔を見つめた。
「なんだよ輪。まだ怒ってんのか?悪かったよ」
すまなさそうに俯いて頭を掻く信吾君は、さっきの頼りがいのあるセリフを吐いた人物と同じ人物かと思う程、幼く可愛らしく見えた。
(信吾君てこうも色々な表情を持ってるんだ…面白いな)
クスッと笑った。
「おっ、やっと笑った!お前はその顔が一番だぜ!という事で…」
(何が と、言う事で?)
そう思った瞬間
彼はテーブルにおいてあった自分用のフォークを、手に握った。
そして
「いっただっきまぁ〜すっ!」
大きな声で勢い良く言うと、私の前にあったバジルのパスタに自分のフォークを突っ込んだ。
「あっ!それオレの!」
「輪がぐずぐずしてんから悪ぃんだぜ!」
そのまま突っ込んだフォークをクルクル回すと、大きく開けた自分の口の中へ放りこんだ。
「うっめ〜っ!!やっぱり俺が作っただけあるな、今日のは一段と上手いぜっ!ん〜っ」
そして幸せそうな顔をする。
(美味しそうに食べるんだな信吾君て)
子供のように無邪気に美味しそうに食べる彼を見て、笑顔が零れる。
そう微笑んでいられたのも束の間、再び信吾君のフォークが私のパスタ君へ襲い掛かった。
「あげないよ!」
それを咄嗟にケーキ用のフォークで守る。
「今度はこっちがいただきっ!」
片手でフォークを遮ったまま
今度は私が反撃に移った。
そして信吾君の皿へ自分のフォークを伸ばす。
「させるかっ!」
左手で自分のパスタを庇う彼。
「うるせぇ!!」
ビクッッ!!
ギャアギャアギャアと賑やかに私達が小学生の給食時間のようなバトルを繰り返していると、
突然個室の入口から怒号が聞こえてきた。
2人で振り向くとそこには、腕を組んだ瑞森レオが我々を睨んでいた。
「お前ら、まだ客がいるんだからデカイ声で騒いでんじゃねぇ!!」
そしてそれだけ言うと踵を返して、般若のお面のままキッチンへ戻っていった。
「「すいま‥せん…」」
私と信吾君は2人してボソリと小さな声で謝ると、肩をすくめて項垂れた。
こうして私達の貴重なランチタイムは静かに時を刻むのだった。