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過去〜小さなコックさん

「ここが今度のお店?」


「そうだよ」


そう言うと父は木目調の扉を開けて、「さぁ」と言いながら僕を扉の中へと促した。


高らかに響くドアベルと共に扉が開かれると、僕の耳に流れるような美しいアコーディオンの調べが聞こえてきた。

店の中には、この白亜の建物がつい最近作られたと主張するように、木の芳香が漂っていた。


(以前父さんが勤めていたお店とはイメージが違うな…)


それが僕の第一印象だった。


それまで父がいた店は、都会にあるお洒落で高級感あるホテルの中のイタリアンレストランで、まだ小学生だった僕でも、きっちりとネクタイを締め、それなりの格好をしなければ入れてはもらえなかったほどだ。


しかし今僕がいるお店は、イギリスの片田舎で見られるような見事な草花に飾られた庭園と、外壁を清潔感たっぷりの真っ白で塗られ、指し色程度に青色が入っている温かみのある建物だ。


都会にいた僕には、コンクリートで固められている高級ホテルよりも、優しく温かい印象を与えてくれるこのお店の方が、断然好感が持てた。



物珍しそうに辺りをキョロキョロと見回していた僕に、父が声を掛けて来た。


「一、こっちに来なさい」


先程まで僕のすぐ隣を歩いていた父が、気が付くと僕の何歩も先を歩いていた。


僕は小走りで父の元へと向かった。



父と僕が簡単な会話をしながらお店のフロアまで来ると、フロアにあるテーブルに恰幅の良い金髪の男性が、書類を広げて座っていた。


僕らの足音が聞こえると、その男性は、振り向いて父の元へ駆けて来た。


「ケイイチ!キタね」


そして父を抱きしめ、両頬にキスをする。


この光景は以前から見た事があるから、僕はちっとも驚かなかったけど

やはり真近で見ると日本人の僕には、少し刺激が強い気がする。


抱擁をしていた金髪の男性が、父の傍らでその様子を見上げていた僕に気づいた。


彼の不思議そうな顔に父がフォローする。


「この子は息子の一だよ。今年8歳になる」


「コンニチハ ハジメ。ワタシ 二コね。ヨロシク」




彼は笑顔で挨拶してから僕の体を両腕でしっかりと抱えると、意とも簡単に抱き上げた。


大きな体をしているだけあって、僕は軽々と持ち上げられてしまった。


彼は暫く僕を抱き上げたまま、大きくて優しい手で頭をなでてくれていた。

その様子が、なんだかシーズンに良くテレビで目にする、ラップランドのサンタさんと彼に会いに来た子供達の姿のようで僕は少し照れてしまった。


一頻り彼は僕を可愛がると、やっと床に下ろしてくれた。


と、それと同時に外から正午を報せるチャイムが聞こえてきた。


「Sono le 12!」


彼が何か叫んだ。


僕は何を言っているのか意味が全然分からなかったけど、父はその言葉に頷くと、


「一はここで待っていなさい」


と言い残し、金髪の男性と2人だけでフロアから出ていった。




◇◇◇◇


暫くすると、フロアの入口の方から足音が聞こえてきた。


父が戻って来たのかと思い、椅子に座ったまま振り返ると、そこには先程の男性と同じように

金色の髪をした、見た目僕と同じ歳くらいの男の子が立っていた。


「こんにちは」


僕は彼と目が合うと席を立って軽く挨拶をした。


ジーッと僕を睨む様に見つめる彼の瞳は深い藍色だった。


「パパァは?」


藍色の瞳をした彼は挨拶も返さず尋ねて来た。


「パパァ?」


僕は首を傾げる。


「二コだよ」


ぶっきら棒に言う彼。


(二コ…さっきの金髪の人の事だ)


「あ、彼ならフロアから出てったよ」


「そうか」


そう答えると少年は踵を返してその場から消えた。


(彼 何であんなに恐い顔してるんだろ?)


僕は先程の彼の鋭い視線を思い出して不思議に感じたが、もう一度椅子に腰掛けると父の帰りを静かに待つ事にした。



◇◇◇◇


それから5分と経たない内に、賑やかな笑い声と、先程出合った仏頂面の藍色の瞳の少年を連れて、父と二コさんが配膳ワゴンを引いてフロアに戻ってきた。


ワゴンの上には色々な料理が乗っていた。


その後から2人のコックローブを着た男性が着いて来る。


彼らは僕の前までくると、手早くワゴンに乗った色とりどりの料理をテーブルに並べた。


僕の前にシルバーか並ぶ。


「待たせたね一。さあ試食会を始めよう」


そう言うと父は僕と僕の隣に座った少年のグラスにミネラルウォーターを注いだ。

そのミネラルウォーターは微かに炭酸が入っていて、僕の乾いた喉に優しい刺激を与えた。


少年の表情は未だに頑なだった。



父の後から歩いて来た2人が僕達に料理を取り分け始めた。


4種類のチーズが乗ったピザ『クアトロフロマージュ』。

サーモンを生ハムで撒き、それにリンゴのジュレとヨーグルトのソルべを乗せたアンティパストミスト。

モッツァレラやサラミが入った『カルツォーネ』に

ふんだんな海の幸を使った『ぺスカトーレ』


次々に目の前に並べられていく豪勢な料理に、僕のお腹と喉が共鳴した。


「あっ…」


「ハハハ、さぁ好きなだけ食べるといい」


父は僕に笑顔を向けると、一言「いただきます」と言ってからショットグラスに飾られたサーモンに手を伸ばした。


僕も父に続いてその横にあったカクテルグラスに入った薄緑色をしたアンティに手を伸ばす。


小さめなスプーンにそれを器用に乗せると、僕は慎重に口まで運んだ。


トロリとした食感と、甘い香りが僕の口内に広がった。


「美味しいっ、」


夢中になって、もう一口掬うと口の中に収める。


と、今度はシャリシャリとした食感に襲われて、先程まで甘い蜜でコーティングされていた僕の口内に清涼感が広がった。


「!?これ何?果物?」


スプーンを口から放すと、瞬きをしながら呟いた。


「何だよ、そんなのもわかんねぇの?お前馬鹿だな」


突然声を掛けられて驚いて横を向く。

そこには意地悪そうに笑う少年がいた。


「えっ、うん分かんないよ。何が入ってるの?」


僕は正直に彼に尋ねた。


「しょーがねぇなぁ」


したり顔で言う彼。

そしてにやりと不適に笑って、


「グレープフルーツだよ」


自慢げに教えてくれた。


「グレープフルーツ?あ、だからちょっと酸っぱいんだ…でも美味しいね」


僕は少年に微笑み返す。

すると彼は少し頬を赤く染めた。


(あれ?何か赤くなってる…照れてるのかな?)


僕は微笑ましい気持ちになった。


「あ、あったり前だろ!俺がパパァに言ったんだよ、グレープフルーツ入れたらもっと美味くなるんじゃないかってさ!」


そして僕と同じように緑色のアンティを口に含むと、それが口に入ったままスプーンでグラスを指して説明し始めた。


「この緑のヤツはメロンのソースなんだ、メロンて甘いだろ?それじゃ食ってたらすぐ飽きちまう。だから酸味の利いたグレープフルーツが絶対合うって思ったんだ!どうだ美味いだろ?」



彼はそう言うと僕の方へ、自分が持っていたアンティのグラスを差し出した。


僕は「うん!」と頷いて、彼のグラスに自分のスプーンを差し込むとそれを掬った。


「ホンと美味しいね!君って凄いんだね!」


笑顔でそう言うと、彼はへへへ、と嬉しそうに笑った。


「当たり前だろ!お前気に入ったぜ。何ていうんだ?」


初めて会った時には想像も出来ないほどの明るく温かい微笑みを向けて、彼が尋ねてきた。


男の僕でも見惚れてしまうほど美しい彼の微笑みは、まるで英国庭園に咲き誇る大輪の薔薇のように、華やかで圧倒的な存在感を醸し出していた。


今度は僕が顔を赤らめる番だった。


「…名波一」


僕は赤くなった顔を気づかれないように、俯き加減で言葉を発した。


「ん?聞こえねぇぞ、男なんだからもっとデカイ声で言えよ」


彼が苛立ちながら言った。

でもその声は先程のぶっきら棒に言い放たれたものとは違って、何処か柔らかさが感じられた。


「名波一!」


今度は彼にちゃんと聞こえるようにお腹から声を出した。


「そうか、俺は瑞森レオだ!宜しくなハジメ!」


そう言う彼はミネラルウォーターの入ったグラスを僕に傾ける。


「宜しくレオ!」


僕も自分のグラスを持つと彼のそれに軽くぶつけた。




「「カチンッ!!」」




甲高い音がして2人のグラスの中のミネラルウォータがユラリと揺れた。





その日を境に歳が一つしか違わなかった僕らは、お互いに大切な親友となった。




今晩は冴木悠です。

今回は予告通り名波一の過去である、レオとの出会いを書かせて頂きました。

こんな感じでこれからも度々輪以外が主人公になる話も作る予定です。

こちらの方も是非お楽しみ下さい。


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