Arcano〜金髪王子
キッチンの奥まで歩いて行くと、ごちゃごちゃとフライパンやら軽量カップやらが積み重なっているシンクの傍に、何枚かの雑巾を見つけた。
「あった!」
私は小走りに近づいて雑巾を取ろうとした。
とその時、
「うわっ!!」
突然シンクの隣のバックヤードへ続くドアが開いた。
ドンッッ!!
ゴトッ、ゴトゴトゴト…
目の前を白い物体に塞がれたかと思ったら、いきなり何かにぶつかって押し戻された。
「うっぷ、な、何?」
衝撃を受けた鼻を押さえながら見上げると、そこには鋭い眼差しをして私を睨みつける金髪王子の顔があった。
彼は額に絆創膏を貼っていた。
(ま、まさかこれって…)
そう思った矢先、金髪王子が呆れたように口を開いた。
「また お前かよ」
相変わらずキツイ目で見つめる。
(うっわ〜、あまりこの人に関わりあいたくないんだよな…)
「す、すいませんでした」
私は素直に一言謝ると、彼の横を通り過ぎようとした。
昨日の事もあるし…
今 この人に関わったら良くない事が起こりそうな気がする…
足早に彼の元を去ろうとすると、後ろから肩を掴まれた。
「えっ?」
驚いて立ち止まる。
「えっ、じゃねぇだろ。お前取って来いよ」
「何を…ですか?」
意味が分からず振り返って金髪王子の顔を見上げる。
170CM以上はある長身のせいか、彼は158CMの私を上から見下ろすように覗き込んでいた。
「お前 殺すぞ」
「はっ?」
いきなり物騒な言葉をかます彼。
(殺すって何?私が何した?)
この絆創膏といい、やっぱり昨日の事を根に持ってる?
この射抜かれるような蒼いビーム光線と、今にも口から火を吹き出しそうな恐ろしい顔。
それにかなりの威圧感をかもし出しているデカイずう体…
冗談でなく本当に殺されそうだ。
…取り合えずもう一度謝っておこう…。
「すいません」
私は体を彼の方に向けると丁寧に謝った。
しかし彼は益々機嫌を悪くする。
「お前意味分かってねぇだろう…ただ謝ればいいってもんじゃねぇぞ」
(げっ、ばれた!)
「あ、昨日の事じゃ…ここ」
絆創膏が貼ってある額を指す。
すると彼の顔がみるみる真っ赤な般若のお面になって、慌てて自分の手で絆創膏を隠した。
「うるせぇーな!!違ぇよ。お前いいかげんにしろよ!」
彼は顎で床を指す。
「えっ?」
私が指された床を見ると、そこには幾つかの潰れたタマネギが落ちていた。
「あっ!」
「分かったらさっさと持って来いっ!」
「はいっ!」
金髪王子の勢いに押されて一、二もなく体が動いた。
しかし肝心な事を聞いていない。
「あのぉ…」
「なんだっ!!」
まるで、『くわっ!』というテロップが付きそうな形相をして彼が振り返る。
(そ、そんな恐い顔しなくてもっ、)
「タマネギって何処に…」
「バックヤードの倉庫に決まってるだろ!!馬鹿野郎!!」
金髪王子は私の言葉を最後まで聞かずにそう罵倒する。
「は、はいっっっ!!」
(もうこれ以上怒らせたら命の保障はない!)
私はタマネギの場所を確認すると、急いでバックヤードに続く扉を開けて出て行った。
◇◇◇◇
「今日から入ったんだから分かる訳ないじゃないっ!なによ偉そうにっ!」
私は木製の箱からタマネギを取り出しながら呟いた。
今私がいる所は丁度キッチンの裏手にあたる場所で、
ジャガイモやら、タマネギやらの野菜や、フロアで使うナプキンやコーヒーのストックやらが収められているバックヤード…つまりお客様からは見る事が出来ない裏の場所だ。倉庫と言っても良いだろう。
(あの金髪王子。ほとんど初対面の人間に対して馬鹿野郎とはなによ!馬鹿野郎とは!)
心の中で嘯く。
「私は女だっつぅの!!」
それにあの傲慢な態度。
俺は絶対だーっ、みたいな態度とってさ、
「お前は孫悟空かって言うのよ!あの金髪のキント雲ちりっちりにしてやろかっ!」
ホンと昨日からイライラする。
でもこのイライラは奴のせいだけじゃない。
あいつが初恋相手だった自分にもイラつくのだ。
そしてその彼が突然目の前に現れた事にも。
…認めたくはないが、私は動揺している。
「もう、なんで急に現れるのよ!あの金髪王子っ!!」
握っていたタマネギに力が篭る。
「そんなに握り締めたらタマネギ潰れちゃうよ」
背にしていた裏口の庭の方から微かな笑い声がした。
振り返ると、名波一が立っていた。
「名波さん!」
彼は私と同じ制服を着て、手に水撒き用のホースを持っている。
(今の話 聞かれちゃったかな…)
少し不安になる。
「君早いね、今日は初出勤でしょ」
彼は優しい微笑みを投げかけけてきた。
(あの金髪王子の般若のお面を見た後は、名波一の微笑みって地獄に仏だよ)
私は、彼の微笑みから醸し出される癒しのオーラに心がちょっぴり軽くなった。
「ねぇ、さっきの話って…」
ホースを仕舞い終わると、名波一はそう言いながら私の方にゆっくりと歩み寄ってきた。
クスッ、と笑う名波一。
(まさかっ、やっぱり聞かれてたっ!)
顔面蒼白になる。
(という事は、女言葉も聞かれてた可能性が…)
やばいよ!絶対やばいよ!
初日にしてもう契約不履行か?
それはあってはならない事だよっ!
どっ、どうしよう。
私が心の中で慌てふためいている事も知らず、涼しい顔で名波一は切り出す。
「君ってやっぱり…」
女だった…
そう言葉が続くだろうと私は思っていた。
しかし
「面白いね」
名波一はいつものセリフを私に吐いた。
「えっ?」
正体が明かされると思った私は面食らってしまった。
「だって昨日あったばっかりなのに、もうレオにそんな渾名つけるなんて…やっぱり君って面白いよ」
ハハハハと軽快に笑う。
(何だ、聞こえたのってそっちの話だったんだ…)
私は胸を撫で下ろした。
そっちの話なら未だ聞かれても安心。
「金髪王子かぁ…今度から僕もレオの事そう呼ぼうかな」
「えっ、いや、それは…」
そんな事言われたらたまらない。
誰が言い出したなんて事になって、間違いなく私は金髪王子に
《Go to hell!!》されてしまうっっ!!
やっぱりこちらの話もまずかったか。
硬直気味の私を見て名波一はまたクスクス笑った。
「冗談だよ、このことは誰にも言わないよ」
私の近くに天使の笑顔で寄ってくる名波一。
「これは君と僕の秘密だから」
「秘密?」
「そう。だって…」
彼はそう言うと、唐突に私の頭へ手を伸ばしてきた。
「!?な、何す‥る?」
心臓が跳ね上がる。
「なっ、名波さんっ?」
私の脳裏に昨日の薔薇園&カレー事件&彼女宣言の時の急接近した記憶が甦り、案の定頭の先から指の先まで隈無く真っ赤に染まった。
そんな私の顔を覗きこんで彼はニヤリと笑う。
「その方が楽しそうじゃない?」
「へっ?」
そしてもう一度クスッ、と笑って伸ばしてきた手で私の髪をくしゃくしゃにすると、軽く首を傾げ目を細める。
「名波さん?!」
彼は、私の問いかけには返事をせず、美しい漆黒の瞳で私を見つめると
「じゃあ 頑張ってね」
と言って又元きた裏庭へ去って行った。
(楽しそうじゃない?って何が楽しいのよーっ、それにあの笑いっていったい…)
やっぱり最初から聞かれてた??
「どうしよう…」
私の頭の中を異なる2つの考えが交差する。
聞かれた?聞かれない?聞かれた?聞かれない……。
私の運命を決めるであろう二つの答え。
「…でも どちらにせよ」
私は一つの答えを導き出した。
「これから名波一は要注意人物だわっ!」
いろんな意味で。
それから彼には一つ付け足したいっ、
「今度人に急接近する時は、ちゃんとお伺いたてなさいよっ!!」
私は頭の中の《要注意人物リスト》を開くと、赤く熱を持った顔のまま金髪王子の下に《名波一》と書き足した。