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それは寄り添う灯火となった ―Side リクス―

父と母の記憶はもう朧気でしかない。

それでもそれだけはしっかりと残っている、あの日馬車の中で起こった惨事を、思い出したくはない。息途絶えた父と母が自分を庇うようにしていた、あの救助されるまでの瞬間まで。


あのまま死んでしまった方が良かったのではないかと考える時がある。本家の人間も自分の事を厄介者だと思っていた。本家にはもう十分家督を継ぐ子供もいたため、分家の子供など誰も引き取りたがるものはいなかった。自分にはもう家族はいない。そう思った。そんな行き場のない自分を引き取ってくれたのが、ランヴァート家だった。



義姉と初めて会ったときの事は今でもよく覚えている。

最初はものすごく美しく、可愛らしい人だと思った。グレーがかったパープルアッシュは美しく艶めき、幼くも既に完成されたような顔立ちに、こんな人がこの世にいるのかとさえ思うくらいだった。ひと目で思わず魅入って、見惚れてしまった。しかし自分へ向けられるその瞳は、嫌悪と憎悪でどっぷり染まっていた。


義父と義母はとてもよくしてくれた。それこそまるで本当の息子のように思ってくれた。しかし、義姉となった彼女は自分が気に入らないのか忌み嫌い、いじめを始めた。会えば虫けらを見るような目で罵倒してきた。義父母が優しくしてくれればしてくれるほど、それは酷くなる。また彼女は酷く傲慢で我儘で、使用人達にも煙たがられていた。自分も、そんな彼女を軽蔑し、最低な人だと思っていた。


(義姉なんても、呼びたくない)


それから自分は、極力彼女を避けるようになっていった。そしてやがて部屋からあまり出なくなった。



「……――っごめんなさい!!」


――そんな義姉が突然、自分の部屋へと訪れてきた。何をしに来たのか、何をされるのか一瞬身構えたもの、近づいてきた彼女はなんと頭を床につけてものすごい勢いで謝ってきたのだ。これにはあまりに予想外過ぎて固まってしまった。

そしてあろう事か彼女は「許してくれなくていい」と言う。はなから許すつもりもないし、期待もしていない。彼女に関しては関わるつもりもないほど無関心だからだ。嫌い、なんて感情じゃない。しかし彼女の「家族になった」の言葉には激しく嫌悪を抱いた。冗談でも笑えない。その感情が彼女にも伝わったのか、ぐっと顔を悲痛に歪めた。

しかし、それから彼女はなんと自分を『甘やかす』宣言をして部屋を去っていった。何を思ってそう言ったのか――言われて意味がわからなかった。


次の日から彼女は毎日部屋へと訪れに来た。自ら絵本を持参して、読み聞かせをしてくる。これが彼女の言う『甘やかし』の定義なのだろうか。

最初は何を考えているのか全くわからなかった。断らなかったのは、ただ面倒だったから。ただ、この義姉の『お遊び』が早く飽きてくれればいいなと、そんな事を思っていた。



絵本の読み聞かせは懲りずに数日続き、少々うんざりしかけたところで、彼女は突拍子もないものを始めた。それは泥だんご作りだそうだ。公爵家の令嬢がこんな事していいのかと思ったけれど、彼女は至って真面目に泥だんごを作っていた。馬鹿なのかもしれない。そうも思った。


(……あほらしい)


泥を顔にまでつけて必死に泥だんごを作る姿に鼻から息を吐いた。ドレスも泥でぐちゃぐちゃ。見れたものではない。

仕方なく自分も渡された泥を丸め始めたが、彼女に付き合っていくうちに不思議と嫌悪感が薄れていた。隣にいるだけで不快な気持ちと薄暗い気持ちが渦巻いていたのに、ばかみたいな彼女の姿にその抵抗感も薄くなっていった。


最初は何を見返りに動いているのだろうかと疑っていた。こんな事、彼女が心から思うはずがない。

しかし過ごしているうちに、彼女の思いに何一つ偽りはなく、ただ真っ直ぐに自分と向き合いたいというものを感じた。絵本を読み聞かせていたときも、今この泥だんごを作るときも。悪く言えば、絆された。そう、きっと絆されてしまったのだ。


ついに完成して二人の作っただんごを並べ、「できた!」と無邪気に嬉しそうに声を上げた姿に不思議な気持ちになる。そしてその後すぐに彼女のお付きの侍女に見つかり、こっぴどく怒られている姿を見ても、何だかこれまでと違う感情を覚えてしばらく彼女を見つめていた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


泥だんご作りからしばらく、彼女が市井に行こうと言い出した。また突拍子もない。第一公爵家の人間、しかも子供が護衛をつけずに外には出られない。しかし彼女は抜け穴があると言い出し、市井に馴染むための服も用意していた。どこから用意したのかも怪しい。ツテがあると言っていたが、彼女にそんなツテがあるのも疑わしかった。しかし結局ついていく事にする。彼女一人行かせるのも気がかりだった。


市井はとても賑わっていた。明るく、賑やかで活気がある。目に入るもの何もかも珍しく、新鮮だった。そこで、何故だか彼女は慣れたように露店で食べ物を買い、こちらにも分け与えて躊躇なく口にした。まず市井なんて初めて降りたご令嬢がこんなにスムーズに適応するなんておかしい。その姿に驚いてしまう。それに貴族であればそんな簡単に外のものを口にはしないし、こんな低俗なもの、何より彼女が嫌うと思っていた。それなのに彼女は美味しいと頬を緩ませ、夢中で食べる。今までで知っている彼女は一体誰なんだと、自分を疑いたくなった。彼女に勧められ、躊躇しながらも食べた串刺しの肉は、今まで食べてきたものとは全く別の知らない味がして、ものすごく美味しかった。

他にも出店を回りながら、彼女は何か食べたいものはあるかと聞くのでチラチラと物色した。彼女には言えないが、正直串焼きがとても美味しすぎたため、正市井のものを他にも食べてみたかった。そうして少し彼女から目を離し、食べたい物が決まってすぐそばにいた彼女を振り返ると、もうすでにそこから忽然と姿を消していた。



やっぱり嫌がらせだと思った。彼女は何も変わっておらず、今までのように自分を嫌い、市井に一人置いて、自分はこっそりと連れてきていた従者と屋敷に戻ったのだと。しかし、そう思うにもどうにも完全には彼女を悪者には思えなかった。どうやら自分は相当甘ちゃんらしい。自分に向けられていたあの真っ直ぐな瞳を、信じたがっているなんて。


メインストリートへ向かい、彼女を探すように歩いていると、店と店の間に見覚えのあるキーチェーンのようなものが落ちていた。これは確か、彼女の持っていたカバンについていたものではなかったか。

その間の路地は狭く、昼間だが薄暗い。しかし何かを予感して、自分は先に進んでいった。



裏路地は案外奥まで続いていた。薄暗く少し気味悪い。そう思っていると足を止める。何やら言い争うような声が聞こえたからだ。


「嫌! 離して!!」

「あんな所で子供だけで歩いてるからこうなるんだよ」


揉み合っている男たちと、彼らに囲まれた少女の姿があった。屈強な男たちに囲まれている彼女を見つけ、ほんの一瞬足が竦む。そして彼女がこちらを見つけ、ハッとした顔をする。そして必死に首を振り、訴えるように見つめた。


「(きちゃダメ)」


そんな表情をしていた。なんで、そんな焦った止めるような顔――


「あ? ガキがついてきたのか」


そこで一気に男たちのが自分を視界に捉えた。自分も見つかってしまった。その時彼女が叫ぶ。


「リクス、逃げて!」

「でも」

「早く!!」


一瞬彼女のその剣幕に押されそうになった。こんなに必死な姿を見た事はない。それに自分に逃げろだなんて。


「うっ――……」

「嬢ちゃんは静かにしろ」


男に腕を捻り上げられ、彼女の綺麗な顔が歪められた。


「――っ姉様を離せ!!」

「――っ!」


その瞬間、叫んで走り出していた。咄嗟に出た言葉だった。

無条件に守られるだけなんて、なりたくない。『彼女にも』そうだなんて、自分が許さない。許せなくなってしまう。

必死に男たちにくらいつく。『おとうと』と、呼んでくれる声がする。それは酷く不快で穢らわしいとも思っていたのに、酷く胸に染みる。何故が泣きそうになる。

せめて彼女だけでも――


「大人しくしろ! 姉ちゃんを傷つけられたくなかったらな」


彼女を拘束していた男の切り裂くような声が聞こえる。目を向けると、ナイフが突きつけられたのが見える。その瞬間、あの時の記憶がフラッシュバックした。血だまりの中で、両親に庇われていた自分の姿を――

恐怖が全身に襲い、動けなくなる。息が止まった。流れる血は、死を連れる。


――その時、彼女が大きく息を吸って叫んだ。


「火事だーーー!!!」

「っ?!」


突然の行動に男達も動揺する。何が起きているのかわからず、自分は固まったまま彼女をただ呆然と見つめる。すると大通りの方が騒がしくなり、火事が起きているという話が広がっているようだった。

男たちは焦り、足がつくのを一番に恐れ、自分らを置いて逃げ出した。


解放された彼女はほっと息をつく。そして先程までの危ない状況だったにも関わらず、さらりとこちらに向かって騒ぎになる前に帰ろうと言う彼女に抱きついた。彼女は驚いたようにたじろいだ。


「……よかった」


我ながら情けない声だった。安堵の言葉は、心からだった。この2歳しか年の変わらない少女すら、こんなに気丈なのに、自分はこんなザマだ。何もできなかった。守られるだけで、守れなかった。何も変わっていない。

ナイフを突きつけられた本人である彼女でさえ怯まなかったのに。


――嗚呼、自分はなんて無力だ


彼女はそっと、手を回して頭ごと抱くように抱きしめてくれた。それが余計に胸を締め付ける。


「……ごめん何も……」

「リクスは守ろうとしてくれたわ。ありがとう」


その言葉に思わずピクリと固まる。まるで全てを悟っているかのように、自分の心を救ったような彼女。そして彼女はそれ以上言わんとさせて、優しくこちらへ語りかける。


「ねぇ、もう一度、『姉様』って呼んでもらいたいわ」


その優しく甘い言葉に、胸がきゅっと軋んだ。顔を上げれば、一番最初に思った、可愛らしい、あの頃よりも美しさの増した彼女の笑みが映った。最初に惹かれた、変わらない彼女の姿、でもその瞳は初めて会った時とは違い、慈しみに溢れていた。


「これからはそう、呼んでくれる?」


――うん

そう頷くと彼女は嬉しそうに笑った。眩しいくらいに真っ直ぐ向けてくれる視線。そして感情。自分の心の中でそれは本物に変わった。

そしてこの時決意した。


家族だと、言ってくれた義姉(あね)


今度は自分が守りたい。失いたくない


これからは自分が彼女の役に立つのだと。一人だと、必要のないものだと思っていた心に彼女が寄り添った。



帰ってから二人で義父母にこってり怒られたのだが、それも甘んじて受け入れるほど、隣にいる彼女の存在に心強さと酷い安心感を覚えていた。

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