義姉はもう少し親睦を深めたい
「街に行こうと思うの」
「街って……市井に?」
部屋へとやってきたセリーヌの言葉に、リクスは無表情ながら小さく眉を寄せた。あの泥だんご作りから、リクスはセリーヌに少し心を許してくれたのか、そこそこに口をきくようになっていた。
「……勝手に出たら怒られるんじゃないですか」
「いいのよ、バレなきゃ大丈夫!」
じっと見るリクスにセリーヌは自信満々に断言する。
前回泥だんご作りの時に屋敷の外を散策したとき、外へと繋がる隠し通路の様なものを見つけた。恐らくあそこからくぐれば護衛にも見つからず、誰にも気づかれずに街へ出れるだろう。
市井には興味があった。一体この世界がどれくらいの生活水準で、どんな人達が暮らしているのか。それはきっと屋敷でぬくぬく過ごしているだけではわからない。それに、街の方が転生前の暮らしぶりと似ていて慣れているかもしれない。貴族の生活はとても良いが、少し息が詰まる。たまには息抜きがしたい。噂では出店のようなものもあって、普段じゃ怒られてしまってできないような食べ歩きができるらしい。許可を取って護衛と一緒ならそれはきっと止められてしまうだろう。だから抜け出す事にした。学生の頃の帰り道によくコンビニのホットスナックなど食べていたのを思い出してわくわくしてしまう。
「リクスもどう、ずっと屋敷にいるのも飽きるでしょう?」
街に出れば自然と会話は生まれるだろうし、また彼と親睦を深められると思った。提案にリクスが黙る。そして視線を下へと逸らした。これは悩んでいる顔だ。それにつけこみセリーヌは押し通す。
「じゃあこれに着替えて」
そうしてセリーヌが差し出した衣服に、更にリクスは難色を示す。
「……それどうしたの」
「――あるツテでね」
とあるツテからゲットした庶民の服、そしてその時に持っていた宝石の中から換金してもらったお金もある。まあこのツテについてはまた追々話すとしても、義弟はこの用意周到さに、かなりセリーヌを怪しんでいる。しかし渋々差し出した服は着てくれた。
セリーヌも同じく着替え、これでどこにでもいそうな――顔だけは麗しいが――一般庶民に見えるようになった。
こっそりとリクスの部屋から二人で抜け出し、屋敷の裏の庭へと向かう。そこには前回見つけた人ひとりようやく通れる穴があった。
「ここよ。じゃあいきましょ!」
植え込みの木の間に一つある隙間から、二人は潜り出て屋敷の外へと出ていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
植え込みを潜り抜け、坂下を降りればすぐに街へと繋がった。ランヴァート家は王都のすぐ傍に屋敷を構えており、セリーヌの部屋からも、少しだけ街を見渡すことができた。あの窓から見ていた街に来れたなんて、屋敷に囚われの身さながらだったからちょっぴり感動だ。
街はかなり賑わっていた。カフェや洋服、雑貨屋さんなど様々。聞いていた出店も多く道に出ていた。呼び込みの声や、売り子さんの声。広場には歌い子さんや踊り子さん達が踊って皆を楽しませていた。治安はそんなに悪くはなさそうで安心する。
リクスを見ると、ちらりと辺りを見渡していた。彼も街で見るもの珍しいのだろう。
「リクス、せっかくだから何か食べない? 小腹も空いたでしょ」
セリーヌは出店の匂いに釣られながら、串に刺さった肉焼きの店へ寄る。日本で言う焼鳥みたいな感じの食べ物だ。
「ちょ――」
「おじさん、塩味の串焼き2本ちょうだい!」
「おうよ。200ペルだよ」
リクスが少し慌てたように止めかけるが、セリーヌは人の良さそうなおじさんにこの国のお金の換算、ペルを支払った。買った串を「はいどうぞ」とリクスにも1本分ける。
受け取るも、こんな所で買ったもの、口にしていいのかと躊躇するリクスに、セリーヌは気にせずぱくりと口に入れる。
「……美味し〜い!」
思わず頬に手を当てる。やはり焼鳥だ。懐かしい味がする。日本の乙女ゲームだからだろうか、こういう食べ物とかの設定は同じなのかしら。これでお酒があったら最高だったなぁなんて思いながら噛みしめる。
その様子を見ていたリクスも一口口に入れる。するといつもの無表情の顔から、少し目を開き瞳が明るくなったように思えた。
「美味しい?」
セリーヌの問いかけに小さくこくりと頷くリクス。気に入ってもらえたようでよかった。
「他に何か食べたいものとかない? 何でもいいわよ買ってあげる」
そう言うと、リクスは少し躊躇いを見せながらもきょろきょろと辺りの店を見渡す。本当に色々なお店があるから迷ってしまう。しかもそのどれもが家では食べられない、いわゆるB級グルメだったりするものだから、リクスには物珍しく映るのだろう。そんな彼の様子を見ていたセリーヌは、今度は甘いベビーカステラのような匂いに唆られて店の方へ吸い寄せられていく。
悩んでいた彼は目星が決まったようで、セリーヌに声をかけようとする。しかしリクスが振り向いた先にはもう、セリーヌの姿はなくなっていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
あーやってしまった。こんな典型な奴らに捕まるとは
出店の並ぶストリートなら大丈夫だろうと油断していたが、人通りが多いのが逆に仇となり、路地裏の奥に連れ込まれ、男たちの前に追い詰められる。治安がいいと言ってもこういう輩はどこにでもいるのだと思い知る。
「可愛い顔してるなぁ譲ちゃん」
にやにや笑い近づいてくる男にセリーヌは後ずさる。しかし男にその手を取られた。
「嫌! 離して!!」
「あんな所で子供だけで歩いてるからこうなるんだよ」
揉み合っていると男たちの後ろから、こちらを覗く小さな影が見えた。リクスが見つけて追いかけて来てしまったようだ。セリーヌはハッとする。そして必死に首を振り、顔で訴える。
「(きちゃダメ)」
しかしその視線から男たちもリクスの存在を気づいてしまった。
「あ? ガキがついてきたのか」
そこで一気に男たちの標的がリクスへと向かう。
「リクス、逃げて!」
「でも」
「早く!!」
公爵家の令嬢だと分かれば身代金目当てに変わり、殺しや変な事はしないだろう。まあ最悪変な事はされるかもしれないけれど、流石に10歳にもならない少女にアレコレしないと信じたい。しかしリクスは巻き込みたくはなかった。元はといえば連れてきたのは自分だ。必死に叫ぶセリーヌに、押さえていた男が力を込める。腕を締め上げられ思わず顔が歪む。
「うっ――……」
「嬢ちゃんは静かにしろ」
それを見たリクスが思いっ切り男を睨みつけ叫んだ。
「――っ姉様を離せ!!」
「――っ!」
――今、『姉様』って……
リクスが初めてセリーヌを姉様と呼んだ。これまで認めていなかったのか、嫌っているからか、一度も名前や姉とも呼んでくれたことはなかった。そんな彼が今――!
しかしそう感動している場合じゃない。状況は危機的だ。
「ボウズの方もキレイな顔してるじゃねえか。二人揃って売り飛ばせばいい値がつくぜこりゃ」
「やめて! 義弟なの! 捕まえるなら私だけにして!」
リクスを捕まえようと手を伸ばす男にそう叫ぶが、リクスもこちらを助けようと向かってくるために揉み合いになる。一見大人と子供で勝敗がすぐに決まりそうなところ、男の腕を噛んだり、蹴りを入れたりと、リクスは捕らえられながら暴れる。
「大人しくしろ! 姉ちゃんを傷つけられたくなかったらな」
そこでセリーヌを押さえつけている男は彼女にナイフを突き立ててきた。それを見たリクスの目が見開かれ、息が止まる。
二人とも捕らえられてしまって動けない。一か八か、こうなってしまったら仕方ない。セリーヌは頭を巡らす。そして目一杯息を吸って叫んだ。
「火事だーーー!!!」
「っ?!」
男達はギョッとする。突然突拍子もなく叫び出した少女を慌てて黙らせようと取り押さえようとする。それでもセリーヌは叫び続けた。
「火事よーー! 誰か来てー‼」
助けてと叫んだところで、厄介事には関わりたくはないし、危ないと思って大抵の人はやって来ない。しかし火事ならば、火消しの為に要員を呼んでくれたり、集まって見に来たり、近くなら慌てて外へ飛び出してくる。これぞ転生前の知恵。
「火事?」
「どこだ?!」
「こっちの路地から聞こえたぞ」
するとすぐ隣の大通りがざわざわと少し騒がしくなってくる。直にこの裏路地に人が来るのも時間の問題だった。
「おい! 見つかる前にズラがるぞ!」
「ッチ! クソヤロウ」
大通りからこちらに向かってくる足音も聞こえる。幸いな事に男たちはセリーヌ達を残し、急いで去っていった。何とか事が収まったことに安心する。
しかしすぐ向かいは大通りなのに、こんな所で捕まえるなんて馬鹿なのではないだろうか。ふうと息を吐いて呆れながらセリーヌは思う。そしてリクスに向き直った。一見ざっと見たところ怪我はなさそうだ。
「さて、私達も見つかる前に行きましょう――って、リクス?!……」
驚いた事にリクスがセリーヌをぎゅうと抱きしめてきた。その顔は胸に埋めていてよく見えないが。
「……よかった」
くぐもった声が聞こえる。少々、その声は震えていた。初めて見た義弟の弱った姿に、セリーヌは驚く。そしてゆっくり表情を緩ませ、優しく、その頭を抱え抱きしめた。
「……ごめん何も……」
「リクスは守ろうとしてくれたわ。ありがとう」
その言葉にリクスがピクリと固まる。それを知って、セリーヌは優しく語りかける。
「ねぇ、もう一度、『姉様』って呼んでもらいたいわ」
その言葉に、そっとリクスが顔を上げた。翡翠の瞳が、キラキラと煌めいて美しい。その瞳には、柔らかく微笑むセリーヌを映していた。
「これからはそう、呼んでくれる?」
――うん
その問いかけに、リクスは頷いた。その顔は表情こそあまり見えないものの、柔らかかった。言葉は多くなくていい。行動だけで、思いだけで十分だった。これで本当の意味で家族になれたのだと思いたい。彼に受け入れられ、認められたようで嬉しかった。そしてこの可愛らしい義弟を大事にしていきたいと心から思った。そして、もう、何も失わせないよ、と。
それから無事に家に帰ったセリーヌ達だったが、あの抜け穴の前で待ち構えていた使用人達によって捕らえられ、市井に行ったことがバレて両親にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。しかし男たちに捕まったのはリクスとの二人だけの秘密となった。
次回、義弟リクス視点です。