フラグは捨てさせて
セリーヌ・ランヴァート。昔から王家とも交流の深い、王国内でもかなりの力のある公爵家の長女だ。小さな頃から両親に可愛がられ甘やかされ、溺愛されて育ったがため、わがまま放題で、高慢で傲慢な手のつけられない子供になってしまった。そのため使用人からは嫌われているし、外の評判も悪く、この歳にもなって仲の良い令嬢の友達一人もいない。そのうち真の友人と言えるものもできず、公爵家の令嬢とだけですり寄って取り入ろうとしてくる取り巻きだけが増えて来るのではないかと思う。まさに乙女ゲームの悪役令嬢のテンプレートである。挙句、セリーヌはエルナーニ国の王太子の婚約者であった。これも、セリーヌが6歳のときに初めて訪れた王家主催の夜会で、その時お披露目された同い年の第一王子、アンドリュー殿下に一目惚れし、父に頼んで取り付けた婚約なのだ。案の定身分的にも申し分なかったため、王家も了承してしまった。嗚呼ジーザス。着々と悪役令嬢が破滅へ向かう舞台が仕上がってきている。
セリーヌが目を覚ましたと聞きつけ、先程心配して慌てた侍女達にベッドへ戻されたセリーヌの元へ、母マリアンヌと父セドリックが駆けつけた。セリーヌの顔を見るとああよかったと本気で心配して涙を流す母と、安堵の表情を浮かべ抱きしめる父のあまりに過保護ぶりに、セリーヌは苦笑いを浮かべながら「ご心配をおかけしました」と力を抜いて抱きしめ返す。こちらとらただわがまま言うだけ言って勝手に階段から滑り落ちて寝ていただけだ。しかしこの二人の溺愛加減を見ていると、やはりセリーヌがこんなねじ曲がった性格になってしまったのは致し方なかったのではないかと思ってしまう。彼らだけに全てを責任転嫁しては良くないが。
そもそもの話だが、転生したという事は、元の世界では大体死んだからとか、そういう設定が多い。と言うことはもしかして。
広瀬優亜、死んだ?
――というかこれは転生なのだろうか。セリーヌとしての記憶が完全に蘇ってきた今、もしやセリーヌが生きてきたこれまでの9年間も自分が過ごしてきたものなのではないかとも思ってしまう。だとしたら、あんなわがまま放題やっていたのが申し訳ないし恥ずかしい。思い出せば思い出すほど後悔しかないうえ、どうしようもなく頭を抱えたくなるので、深く考えるのはやめておこう。このままいったら間違いなく悪役令嬢として破滅まっしぐらだったに違いない。ああ恐ろしい。
異世界転生ものの小説は好きで多く読んでいた。しかし、オタクをかじっていたものの、乙女ゲームは3、4つほどしかきちんとプレイした事はない。しかも現代のオフィス系を好んでいたため、こういうThe プリンセス系は一度プレイした事があるくらいだ。故に自分にはこの世界感に覚えもないし、ましてセリーヌなんて名前も記憶にない。しかし直感的に思う。
こんな乙女ゲームやった事も見た事もないけど絶対これ乙女ゲームの世界だわ
このまま進めばきっと無理やりこじつけた王子との婚約が仇となり、この国で法律で定められている、貴族皆が16で入学する学園で現れるヒロインと王子が恋に落ちて、その邪魔をする公爵令嬢は何らかの形で婚約破棄され断罪され、挙げ句の果てに殺される。絶対。
そのためにはまず考えれるリスクは全て排除しておかなけれなばならない。将来の自身の進退のために。
もしも王子ルートに入らなかったとしても、その危険因子を取り除いておくに越したことはない。
「婚約破棄を、しなければ……」
なんとしても。
セリーヌは固く決意を胸にした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
襟足に届かないくらいの流れるような美しい金髪は、シャンデリアの光に反射し、よりいっそう輝いている。碧眼の瞳は宝石のような美しさの中に、見るものを魅了する危うさもあり、見つめればその深い青に吸い込まれてしまいそう。セリーヌと同じくまだ10歳と幼く可愛らしさもあるが、酷く整った顔立ちはまるで彫刻のようで、成長したらまたより次はかっこよさに磨きがかかり、魅力を増すのだろう。それこそ乙女ゲームのヒーローに相応しいくらいに。これは確かにセリーヌが一目惚れするのもおかしくはない。
このエルナーニ王国の第一王子、アンドリュー殿下が翌日、ランヴァート家に見舞いに訪れにきた。そもそもセリーヌが10歳を迎える事もあり、近々王宮主催で開催されるパーティーで殿下と並び婚約者として公式にお披露目する予定となっていた。その準備の為に一度顔合わせで訪問しておきたいと言う事もあったのだろう。婚約してからはセリーヌが王子へ会いに行くことがあっても、王子がセリーヌにわざわざ会いに来ることはなかった。夜会でも向こうから近づいてくることはない。恐らく王子もセリーヌを疎ましく思っているのだろうとにらんでいる。会いたくもない婚約者の元へ越させてしまい申し訳ない気持ちもある。そして同時にこちらとしては破滅の危険因子となる彼には極力関わりたくないという本音もあるのだが。
「アンドリュー殿下、私の不注意での事故でしたのに、わざわざお見舞いにご足労頂きありがとうございます」
「頭を上げて。そんなにかしこまらなくていいよ」
ベッドから体を起こし、王子に向かい深く頭を下げるセリーヌへ、彼は優しくそう止めた。恐る恐る顔を上げると、王子らしい微笑みを浮かべ彼はセリーヌを見ていた。おう神々しい。きっと同じ年頃のご令嬢だったら皆頬を染め魅入っているだろう。しかしちらりと視界に映った侍女のアンを見ると彼女も王子に少々見惚れていた。訂正、どの年代の女性にとっても殿下は魔性の魅力のようだ。
「思ったよりも元気そうで安心したよ」
「ええ、ただ少し頭を打って眠っていただけで両親が大袈裟でして……」
そう苦い話に恐縮しながら返事をするセリーヌは、ちらりと部屋にいる侍女と護衛を見る。今この部屋にいるのはセリーヌと王子を抜けばその者たちだけだった。セリーヌはこれを好機と見る。
言うならば今がチャンスだ。婚約の取り消しについて話を切り出すにはここしかない。今後王子に会えるチャンスとしたら夜会などの公式行事しかなく、その時は国王や他の貴族の目もある。できれば二人だけの時に話をつけてしまい、穏便に済ませたい。
「……アン、お茶のおかわりをお願い。できればカモミールがいいわ」
そう言ってアンを一瞬下がらせる。紅茶は用意されていたもののセイロン。わがままを言ってごめん、これでは転生前と同じだと思いながらも、セリーヌは人払いするため命じた。護衛騎士に聞かれるのは仕方ないが、侍女に聞かれるのはまずい。この話が先に父に伝わるのは少々面倒だった。
そしてアンが部屋を出たあと、セリーヌは王子に向き直った。
「……殿下、こんな所でお話する事ではないのですが、お願いがあるのです」
「なんだい?」
にこにこと微笑んだまま、しかしその内心は一切見せぬような笑みだ。幼いながらも底しれないものを感じる。意を決してセリーヌは口を開いた。
「婚約を、取り消してほしいのです」
護衛がどよめいたのがわかった。その言葉に、王子は一瞬驚いたような表情を見せた気がした。しかしそれも一瞬で、王族である為に厳しく指導された彼の表情は崩れない。またいつものような優しげに受け入れるような表情で、セリーヌの言葉を聞く。その心情は全く読めないまま。
「私なんかでは、到底皇太子妃なんて務まりません。国の母になるなんて以ての外」
「そう思うきっかけは何だったのかな?」
王子はそう優しく問いかける。その結論より、まずは理由が知りたいらしい。
彼の探るように覗き込むような視線を受けながら、膝の上に乗せた手を、スカートの上でギュッと握りしめる。
「改心したのです。今までのわがままで横暴な態度がどれだけ周りに迷惑をかけていたか。このままではいけないと。殿下との婚約も、私の我儘で取り決められたようなもの。あの頃の私は実に浅はかで、殿下にもこれまでご迷惑をおかけしました。ですから、」
「婚約は継続するよ」
言葉を紡ごうとした所に、王子は遮るようにそう断言した。実ににこやかな顔だった。
「……え?」
王子の思ってもいなかった言葉にセリーヌは固まる。てっきり二つ返事で了承するものだと思っていた。記憶でも、王子は自分の事を疎ましく思っていたはずだ。もちろん王太子として大っぴらに態度には出さないものの、会話も上手くはぐらかしていたり上辺の笑みを浮かべていたり、自らセリーヌへ近づきはしなかった。むしろセリーヌがしつこく王子につきまとい、ベタベタ近づきに行っていた気がする。
「それでもこの先何が起こるかわかりませんわ」
慌ててとりつこうとしたが、王子は一切引く気など見せなかった。否定を言わせない、その見えない圧力にセリーヌは先を紡げなくなってしまう。しかしセリーヌもこのまま引き下がるわけにはいかない。そしてハッとした。それでは、と声を上げる。
「殿下に他に本当に愛する人ができた時は、私喜んで身を引きますわ! その時はどうか仰ってくださいませ」
必死に懇願するように王子へ願い出るものの、王子は柔らかに笑みを浮かべたままセリーヌの言葉は聞いてないようなのか真っ向から否定される。
「そうだね。これから何が起こるかはわからない。でもセリーヌ嬢、僕は君がいるのにそんな不義理なことはしない。婚約者同士だ。これからはお互いが知れるように、もっと僕からも歩み寄っていきたい。公爵邸にも月に一度は足を運べるようにするよ」
その誰もがうっとりとするような王子らしい笑みにひいと思わず別の意味で声が出そうになる。なにそれ。死が自ら迫ってくるようなんですけど。
引きつるセリーヌに、今日はまだ病み上がりだし、また今度近々来るねと笑顔を見せ、アンドリュー王子は去っていった。セリーヌに反論を言わせず。完全に王子のペースに乗らされていた。愕然とするセリーヌは、この置かれた状況に追いつけていなかった。
そうして王子との婚約破棄の作戦は失敗に終わったのだった。