前日譚
モニター画面に現れた、金色の双眸を目にした瞬間、室町キミコは己の心臓が撃ち抜かれるような衝撃をうけた。
内側からたたくように心臓が脈動している。
パソコンのモニターには複数の画像が並んでいる。
その中の一枚をキミコは瞳孔を見開いて見つめた。
似てる。え、でも……。
瞬きをしないせいでやがて眼球が乾き、しばしばしてくる。
キミコは激しく動揺しながらも、押し入れの中から一抱えほどの箱を取り出した。
なかには、ライオンのキーホルダーや写真集ポストカードなどが丁寧にビニールシートで表面を加工されて収まっている。
分厚いアルバムを手に取り、じりじりとモニターの前に戻る。
アルバムを開くと、さまざまな角度から撮られた一匹のライオンの写真がおびただしい数おさまっていた。
ライオンの名はアッシュ。
キミコがかつて燃えるようなときめきと情熱を捧げた推しライオンだ。
写真を見ながら、もう一度、モニターをみる。
その画像は、どこかの深い森のなかのようだった。
巨大な扉があり、その扉を挟むように獅子の頭部をもつ人型が写っている。鎧をまとい、腰に剣帯していることから兵士のような存在だと推察できた。
獅子頭の左型のほう。獅子の顔が、アッシュに酷似しているのだ。
見れば見るほど、そっくりなんだけど。
アルバムをつかむてのひらが汗ばんできた。
キミコはアルバムを机においた。引き出しから、百均のゴム手袋をとりだして手にはめる。汗で大事なコレクションが汚れるのを防ぐためだ。
手袋をした手であらためて写真集に載っているアッシュと、画像の獅子頭を見比べた。
マズルの形。タテガミの生え際。金茶の瞳。
違いといえば、獅子頭の鬣がドレッドになっており、色が若干異なるくらいだ。
アッシュは黒ずんだたてがみに幾筋が灰色が混ざっているが、画像の獅子頭は、黒に近い灰色の毛並みをしている。
でもそれくらいだよね。違うの……。
ああ、凛々しい目元。
鼻がくっつきそうなほど、モニターの獅子頭に顔を寄せていた時、ノックの音ではねるように椅子から立ち上がって振り返る。
「キミコ? 入るぞ?」
扉が開いて、顔をのぞかしたのは実兄のタクロウだ。キミコは兄に頼まれごとをして、USBの中の画像を印刷するところだったのだ。
「できた?」
「お兄ちゃん!」
「おっ。なんだよ」
とっさに自分でも思っているより声量がでてしまった。兄の目を見つめながら、勢いよく画像を指さした。
「これ。これ、見て」
「ん? ああ、よく撮れてんな」
「こ、のっ、ひと、しってるひと?」
「んん?」
この画像がはいったUSBはタクロウの持ち物だ。つまりタクロウがこの獣人を知っている可能性が高い。
タクロウがこちらに近づいてきて、腰に手を当てて身をかがめ、目を細める。
「これは……あー、そうだ、そうだ。次行く予定の迷宮だな」
タクロウがちらと私の目を見る。それがどうしたという感じだ。
キミコはいら立ちを感じながら、獅子獣人を指でびしっとさす。
「この人! この顔よく見て! アッシュにそっくりなんだってば!」
「あっしゅうう?」
キミコはアルバムをバーン、とタクロウの顔にかざす。
「よく見てよっ。アッシュだよ、私の大好きなHサファリパークのライオンの! この画像の人とそっくりなの!」
タクロウは腕組して首をかしげている。
まさか……私がアッシュのこと大好きだったこと忘れてる??
死んだ時大号泣したのに。
愕然としていると、タクロウはモニターを眺めて説明を始めた。
「このスクショはさ、ぜんぶ。BDJってゲームのなかの写真なんだよ。このライオン頭は、リヤン族って種族で。ああ、そういや、お前。ライオン好きだったな」
ライオンが好きなのではない! アッシュが好きなんだ!!
「興味ある? BDJ。やるなら俺が教えてやるけど」
「えっ」
タクロウが期待するような目でこちらを見てくる。
プレイ? えーっと。ゲームの中の人物なんだよね。この獅子頭の人……。
「そのゲームしたら、会えたりする?」
「もちろん! 最近のVRのAIはすげえぜえ。とくにBDJは、NPCとの交流もメインにしてるから結婚もできるし」
「けっ、こっ……ごほっごほっおえっ」
唾液が気管に入り、盛大にせき込んでしまった。
「おい、だいじょうぶか?」
「だいじょうぶ……」
目じりの涙をぬぐう。少し冷静になれた。
深呼吸して気持ちを落ち着けると、兄にせかされて画像をプリントアウトする。さりげなくアッシュ似のNPCの写真はコピペしておく。
USBと写真をタクロウに渡した。
「さんきゅ。じゃあ、また連絡するわ」
「ん。泊ってくの?」
「いや、帰る」
お風呂に入っている間に、タクロウは帰ってしまったようだ。
兄は隣県に一人暮らしをしており、たまに晩御飯を食べに帰ってくる。今日はそのついでに、プリンタを持っているキミコにUSB内の画像のプリントアウトを頼んできたのだ。
髪をドライヤーで乾かしながら、出しっぱなしだったコレクションの箱を眺めた。
アッシュとの出会いは7年前にさかのぼる。家族旅行でHパークに行った際、サファリゾーンでゆうがに草原にねそべっていた彼を見たのが最初の出会いだった。
すごく暑い日だったと思う。
周回バスのなかは冷房がきいていて快適だったけれど、外は陽炎がたちのぼり、見ているだけで熱波が伝わってきた。
鉄格子がされた窓越しに、ぼんやりと飼育お姉さんの解説を聞いていた。
その時、私が見ていたライオンはぽつりと一匹だけ孤立していた。こちらをじっと注視しているライオンを見ていると、飼育お姉さんがアッシュという名だと教えてくれた。
雄ライオンの人生はけっこうハードだ。
メスに囲まれたハーレムを築けるライオンは一匹だけで、そのほかの雄ライオンはノマドと呼ばれる放浪ライオンとなる。ノマドは兄弟で群れを作るか、一匹だけでサバンナを彷徨うことになる。
アッシュは一人でさすらうノマドライオンだった。
群れに属さず、常に一人。
金色の目がきれいだな、と感想をいうと、ライオンは一匹ずつ目の色が違うことを教えてもらった。
お姉さんはゾーン内にいるすべてのライオンを見分けられるそうだ。私もできるかな、というとできますよ、と笑顔で返してくれた。
それから半年に一度、1ヶ月に一度と、キミコは行くたびに周期を狭めながら、Hパークはにおもむいて、巡回バスの鉄格子越しに、彼を眺めるのが癒しになった。
彼は私の推しであった。
仕事でヘマしても、イライラしてつらい時があっても、アッシュのことを考えてるだけですさんだ心が癒された。
写真集がでれば、たとえ2、3ページだけしか映ってなくても、保存用、観賞用、アルバム用と3冊購入した。
彼は最後までハーレムのボスになることなく、一人ぼっちで寿命を終えた。
孤高を貫いた誇り高い彼との別れに、当時の私は集めたグッズを抱きしめて放心状態だった。
彼の死の後、キミコは抜け殻となって生き続けることになった。
彼以外の推しライオンに出会うこともなくHパークへの足は遠のいた。
それから2年。
アッシュグッズも押し入れの中に埋葬し、すっかり記憶が薄れてきた頃だったのに。
まるでアッシュが生まれ変わったみたい。
干からびてボロボロだった体が、胸の奥からあふれる熱い洪水で満ちていく感じがする。
ぼんやり黄昏ていたら、温まった体が冷えてきて、くしゃみがでた。
思い出をクローゼットに片付け、キミコは布団に入った。
一週間後。
タクロウが実家にやってきた。
この一週間の間に、タクロウがメールで追加の画像を添付して送ってくれたので、よりアッシュとそっくりなNPCとを見比べることができていた。おかげで疑心から確信へと変わった。
間違いなく。彼はアッシュだ。私が見間違えるわけないもん。
タクロウが段ボールを持って部屋に入ってくる。
VR機をセッティングしてくれるのだ。
キミコはタクロウが好きなケーキ屋のモンブランを用意し、珈琲を入れながら、セッティングしていく様子を眺めてた。
うん、私には無理な作業だ。何やってるかわからん。
時間がかかる作業らしく、ケーキを食べて、スマホを触って時間をつぶし、夕食を食べてお風呂をあがっても終わらなかった。
ベッドに寝そべってスマホをいじってると、兄から動画のURLが送られてきた。
「暇ならそれ見て勉強してろ」
イヤフォンをして動画を再生する。
BDJ――Beautiful Dream Journey――
……。
…………。
「よし、いいぞ」
タクロウの声ではっと我に返った。どうやら寝てしまっていたようだ。よだれをこすり、体を起こして胡坐をかく。
「ん、キャラメイクしていいぞ」
「兄ちゃんにまかす」
愕然とした顔をされた。だって眠いんだもの。
「お前、一番の楽しみを……」
「じゃあねえ」
キミコのリクエストをとりいれつつ、適度に調整しながら、画面の中にキミコの分身ができていく。
ハンドネームはリナリィ。
やせ型で、平均よりやや高めの163センチ。肩まである若葉色の髪を細かい三つあみにして毛先は肩口にたれていた。頬には少しそばかすがある。
「じゃあこれ頭につけて一週間寝るように」
「えっ。これを?」
半分瞼が閉じかけいたキミコは、タクロウがさしだしたゴーグルのようなものを受け取った。ケーブルがじゃらじゃらしていて、パソコンにつながれいる。
「プロモみたから分かってると思うけど、BDJはふつーのゲームとは少し違う。自分の分身がプレイする映像を夢として見るんだ」
寝ているだけで勝手にゲームができるなんてなんて便利な世の中になったものだ。
あくまで夢の中を冒険するので、自由に自分の意思でゲームの世界を動けはしないが、おおまかな行動指針はあらかじめ設定可能なようだ。
「このドリーミングヘッドギアで、まずお前の脳波を読み取って分身を作る。だから実際にプレイできるのは1週間後な」
「いっ……けっこう手間かかんだね」
「そ。でも、やってみたらすげえはまるぜ。自分で操作できないのはもどかしいけど、楽だし。壮大な映画見てる気分。俺は毎晩寝るのが楽しみだよ」
一週間後。
タクロウのおぜん立てによって、キミコことリナリィはBDJの世界に足を踏み入れることとなった。