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能楽スクランブル!  作者: 夜宵氷雨
第2章 黒い助っ人
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高校と大学の能楽部事情

「あれ、君は初めてだよね。新入部員かな。僕は、峰雀大学二年の新川。今は、能楽部の臨時コーチ。普段も先輩として指導したりはするけどね。よろしく」

 佳織が返事するより早く、祥平は自分で名乗って、右の手を城之内の前に差し出した。城之内は、表情を変えることなく、右手だけ差し出して握手に応じた。

「二年の城之内透と申します。一応部員ですが、練習も舞台も参加するつもりはありませんので、ご承知おきください。新川さんというと、祥鏡会の……」

「よく知ってるね。ウチがやってるんだ」

「では、田原先生の甥御さんに当たられる方ですか」

「ま、そうなるかな。でも、そんなに硬くならないでいいよ。それにせっかく入部してくれたのに、練習も舞台も出ないなんてもったいない。やってみればそんなに難しくないから、気軽にやってみてよ」

「善処します」

 祥平の誘いに、城之内はわずかに顔を引き攣らせた。

「祥平さん、今日は許可とってるんですか。部外者は立ち入り禁止ですよ」

「大丈夫だって。この前の帰りに宏さん、当日だけじゃなくて、いつでも来られるようにって、申請し直してくれたから。だいたい、花鏡庵は治外法権だって、敦司さんが……」

「自粛中なのに、よく通りましたね、そんな申請。それに、いくら治外法権といっても、今は時期が悪すぎます」

 校舎内にある部室には、通常、生徒と教職員以外、許可された指導者しか入ることができない。卒業生が顔を出す分には問題ないが、それでも、受付での手続きが必要となる。しかしここ花鏡庵は、学校の敷地外にあるため、部外者であっても立ち入りが可能である。扱いとしては、運動部が使用する野球場や各種コートなどの屋外施設と同じであり、これらの屋外施設も、グラウンドを除いては、敷地外にあるのだ。

「一応、大学の方で人が足りなくて、佳織ちゃんにヘルプ頼むってことにしたからな」

 祥平は祥平なりに、瀬川ではなく祥平でなくてはいけない理由を用意したらしい。

「大学は、結構人数いるじゃないですか」

「お囃子できるメンバーは限られてるし、何だかんだで、俺以外だと、佳織ちゃんの方がキャリアが長いじゃん。女子の中では一番だしさ。それに、峰雀出身のメンバーには、俺より佳織ちゃんの方が、ウケがいいんだよ」

「それは、私には気兼ねしなくていいだけでしょう」

 幼い頃から祥鏡会に通う佳織は、中学や高校、大学から能を始めたメンバーより遙かに稽古歴は長い。しかし、学校の中では、後輩であるという態度を崩したことはなかった。

 ちなみに、大学のメンバーの中で一番稽古歴が長いのは、もちろん祥平だが、他の高校、峰雀と並んで進学校と名高い、中高一貫の男子校に通っていたため、中学から峰雀に通っているメンバー達とは、佳織ほど親しくないのだ。

 瀬川の弟勝兵も、高校だけは祥平と同じで同級生であった。だがそこでは、能楽を通じての接点はなく、兄である瀬川の影響で入門し、プロを目指し始めた。入門後に、師匠が祥平の父であると知ったのだ。周囲の勧めもあって大学に通うことになり、峰雀大学へ進んでいる。そのため、年数だけなら峰雀中学から能楽部に入り、そのまま大学まで進んだメンバー達には及ばない。

 しかし、プロになるための稽古を積んでいる祥平や勝兵達には、佳織を含めた他のメンバーは、到底練習量では追い付かない。

「まあまあ、お囃子はいつも通りお願いするにしても、それ以外は、本当に協力してもらうかどうかはわかんないしね。宏さんも俺も、能楽部の、それも他でもない佳織ちゃんの危機とあっては、何かしたいだけだから。もちろん勝も、そのつもりだって言ってたけど。さすがに二人も申請するのは無理があるからな……勝は実弟だから、宏さんの荷物持ちってことで、来るんじゃないかな」

 能楽部がメインで稽古するのはシテ方の舞と謡で、基本的に皆ができる。中・高校の部活でも、大学のサークルでも、舞と謡だけなら、部費の他は稽古用の扇と足袋、舞台に出演する際の負担金がかかるだけである。とはいえ、稽古用の扇はある程度備品としても揃えてあるし、舞台に出演する際の負担金も、小さな舞台なら部費の中から賄える上に、中学・高校は学校からの補助金が出る。大学の場合、舞台に対しての補助金は出ないが、パンフレットに載せる広告を集めることで、負担金に充当できる。また、峰雀ほど歴史のある学校なら、卒業生達からの援助も見込める。足袋だけは、さすがに直接素足に履く物ということもあり、各自で用意しなければならないのだ。しかし、楽器の稽古は希望者のみで、そのための稽古代は各自の負担になるのだ。

 佳織は、部活とは別に幼い頃から小鼓を習っている。最近、シズの勧めで大鼓の稽古も始めた。しかし、佳織のように、恵まれた環境にあるメンバーは、ほとんどいない。中・高校から大学に進んだメンバーは、奨学生を除き、比較的裕福な家の子女が多いため、囃子を習う余裕もあるが、肝心の舞と謡を覚えるのに精一杯で、自身が囃子にまで手が回らない場合もある。ましてや奨学生であったり、他の高校から峰雀大学に入ったメンバーの中には、部費や扇、足袋、舞台料だけでなく、生活費や学費の大部分まで、アルバイトで賄う学生もいるのだ。そんな彼らに、習い手がいないからと、囃子の稽古を強制するわけにはいかないのが実情だ。

 だから佳織が、大学の舞台で協力するのは不自然ではないし、そのために、大学の状況を知る祥平が高校に出入りするのも、当然といえば当然である。それなら勝兵でも問題はないのだが、指導という点を考えれば、祥平に一日の長がある。

「確かに……瀬川先生も、さすがに祥平さんに荷物持ちはさせられませんしね」

 祥平は、友人である勝兵の兄ということで、瀬川を「宏さん」と呼んで敬語で話し、瀬川もまた、弟の友人だからと、普段は祥平を「祥」と呼び捨てにしてタメ口を利いている。しかし、能楽そのものを始めたのは、祥平の方が遙かに早い上に、瀬川にとって祥平は、師匠の息子に当たる。そのため瀬川は、祥央の前や祥鏡会の中など、公の場では、祥平を「祥さん」と呼び、言葉遣いも改めている。そのため、瀬川がいくら免状を持つプロで、祥平がまだ内弟子とはいえ、祥鏡会の関係ならともかく、個人的な荷物持ちをさせるのは、差し障りがある。

「僕は、荷物持ちでも全然構わないけどね。こうして佳織ちゃんに会えるなら」

 祥平の右腕が伸び、佳織の右肩を抱き寄せる。顔が異様に近く、初心な女性なら、緊張で身体を強張らせ、真っ赤に顔を染めてしまうだろう。しかし佳織は、顔色一つ変えることなく、無言のまま肩に乗った右手を強めに叩いた。

「痛っ。扇が持てなくなったら、責任とってね。佳織ちゃん」

 叩かれた手の甲を擦りながら、祥平は尚も佳織に言い寄る。

「自業自得です」

 佳織の冷たい視線に、花鏡庵の空気が、一気に氷点下まで下がった。

 祥平は、縋るようにして、佳織との言い合いに加わらなかった二年生男子に視線を送ったが、城之内は一瞥すると、一人黙々と書類の束を捲る作業に戻った。


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