華麗なる榛木家
榛木家は、峰雀高校から地下鉄で十五分ほど移動した、閑静な住宅街にある。繁華街にもほど近く、古くは武家屋敷が並んだ一帯で、近代に至っては著名な実業家達が邸宅を構えたことで有名な地域。近年ではマンションの建設が進み、かつての町並みは姿を消しているものの、点在する歴史的建造物や邸宅が、わずかにその名残を残す。榛木家もその中の一軒で、一際広く、古めかしい土壁に囲まれている。
「うわ~素敵なお屋敷なのです~メイドさんとかいそうですぅ」
「残念ながら、メイドはいないわね。昔は、住み込みで女中さんや庭師がいたらしいけど。通いのお手伝いさんの他は、定期的に清掃業者と造園業者を頼むくらいよ」
妄想と共に感嘆の声を上げた由梨に、佳織は律儀に返事をする。「住み込みの女中さん」とは、カタカナで言えば要はメイドなのだが、おそらく、由梨が期待するようなメイドではないだろう。女中さん達が写った古い写真が残っているが、着物に割烹着姿だ。通いで来てくれている家政婦の佐藤さんに至っては、ごく普通の洋服。断じて、ワンピースにエプロンドレスといった服装ではない。
「これは……すばらしい、このような邸宅にお邪魔できるとは」
城之内もまた、わずかに目を見開き、感動を表す。
「古いだけの家だけど、どうぞ入って」
佳織は門を開けて、二人の後輩を招き入れる。門の中は丁寧に整備された日本庭園が広がり、落ち着いた佇まいの日本家屋がある。佳織の曽祖母が住む母屋だという。その奥には、比較的新しい現代的な家屋がある。佳織が、母と共に住む離れである。佳織は、自宅の建物を案内しながら、祖父母は別居していること、父は海外に赴任中であること、兄が進学のため家を離れて東京にいることを付け加えた。
母屋から延びる渡り廊下の先に、もう一つの建物があった。母屋よりはやや小さめ、と言ってもあくまで母屋と比較してであり、一般的な核家族が住むには充分な大きさの日本家屋である。建物の外観からすると、母屋より古いだろう。
渡り廊下とは別に設えられた玄関は、建物に対してやや大きめ。それを開けると広めの三和土がある。三和土の左右には、上がり框に続くように板が敷かれ、その上に下駄箱が並んでいる。
玄関を入って、正面の襖を開けると、広々とした室内に、やや小さめの能舞台が現れた。
「ここは、曽祖父が曽祖母のために建てたお稽古用の舞台なの。個人的に使うものだから、少し小さめだし、省略してある箇所もあるわ」
「個人で舞台をお持ちなんて……オッキーみたいなのですぅ」
「細川忠興だけはありませんがね、戦国武将で能舞台を持っていた人物というのは。むしろ、大抵の武将が持っているのではないかと……」
「でも、オッキーも多分持ってるので、いいのです」
城之内の冷静な突っ込みにも、由梨はめげることがない。城之内は、軽く苦笑すると、どこまでも前向きな由梨に、話を合わせた。
「確かに、熊本城には能や茶会を楽しんだとされる広間があったそうですし、隠居後の居城とした八代城にも能舞台はあったようですね。忠興が使ったかどうかはともかく」
「忠興様なら、使ったに決まっています。お茶だけじゃなく、能も好きだったんですから」
ただ、榛木家の舞台は日頃の練習に使われるもので、小規模な内輪の発表会もできるだけであり、武将達が城に構えた能舞台とは、根本的に用途が異なる。佳織ならばともかく、能舞台そのものを初めて見た二人には、そこまで考えを巡らせる余裕など無かった。
「ねえ、由梨ちゃん。この前から気になってるんだけど、その、オッキーって何」
「オッキーは、細川忠興様なのです。忠興様は、一途で優しくて鬼畜で独占欲が強いところが、とっても萌え萌えなのですっ」
細川忠興を語る由梨は、うっとりと恍惚の表情を浮かべる。歴史上の人物を、知り合いであるかのように、随分と親しみを込めて話すものだと、佳織は不思議に思う。
「確かに、細川忠興のガラシャ夫人に対するエピソードは、鬼畜で独占欲が強いと言えばそうだけど……」
答えに窮した佳織は、「戦国武将細川忠興」とその妻ガラシャに纏わる逸話を思い出し、どうにか由梨の言葉に同意する。
戦国時代の武将で、武将としてはもちろん、政治家としても文化人としても名高い細川忠興の正室は、本能寺の変で有名な明智光秀の娘で名を玉という。洗礼名ガラシャがよく知られる女性である。忠興は、玉を深く愛した。本能寺の変によって「逆臣の娘」となった玉であったが、忠興は慣例のように離縁することなく、幽閉して累の及ぶことを避けた程である。また、豊臣秀吉による朝鮮出兵中には、何度も玉に宛てて文を認めているが、その内容は、『秀吉からの誘惑に乗らないように』というものであった。
しかしその愛情は時に行き過ぎ、玉に見とれた庭師を手討ちにしたというものや、玉が、毛髪が混入した食事を隠して料理人を庇ったことに嫉妬し、料理人の首を刎ね、その首を玉の膝に乗せたなど、常軌を逸した逸話も伝わっている。
その直後、佳織の努力は無駄であったと、城之内の口から告げられた。
「榛木先輩、ゆりりんさんが言う『細川忠興』は、歴史上の人物ではありませんよ。戦国時代を舞台にした、女性向けの恋愛アドベンチャーゲーム、いわゆる乙女ゲームですね。そのタイトルで『歌舞いて(ハート)SENGOKU』、通称カブセンというものがありまして、その登場キャラクターです」