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お母ちゃん  作者: satoaki maruyama
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お母ちゃん第2回

お母ちゃんは田舎者です。そして、得てして田舎者にはコンプレックスがあります。そのコンプレックスの反動として「バカにされること、見下されること」を極端に嫌う、という性格が醸造されます。


「バカにされること、見下されること」を極端に嫌う性格が高じますと、次にやってくる感情は「見栄を張る」です。これらはすべて一つの線で結ばれています。


高校の修学旅行のときのことです。お母ちゃんには「特別な行事のときは特別な服装をする」という思い込みがあります。まさしくお母ちゃんにとって修学旅行は特別行事です。


今の若い人は想像できないかもしれませんが、昔のデパートはそれなりの身なりをしていなければ入ってはいけない雰囲気がありました。今ふうの言い方をしますと、上級国民だけに入館が許される交流場所だったのです。長靴で入館するなどもってのほかでした。


そうした感性を引きずっていたお母ちゃんですので、修学旅行には「よそ行きの服装で行く」という発想が当然でした。


修学旅行を控えたある日、お母ちゃんは言いました。


「タカアキ、修学旅行用の洋服を買いに行くから」


お母ちゃんはデパートのバーゲンセール売場に僕を連れて行き、左胸にパイプの図柄が描かれている明るい空色のセーターと、白地に黒い線が10センチ間隔で格子状にデザインされているポリエステル製のズボンと、大人の会社員が履きそうな革靴を買ってくれました。


そのときの僕はと言えば、お母ちゃんのセンスになんの違和感も持つこともなく、ただ従っていました。


さて、修学旅行に行きますと、自由時間というものがあります。自由時間は服装の制限もなくそれこそ自由です。クラスのみんなは思い思いの服装に着替えていました。そんな中、僕はお母ちゃんが買ってくれた洋服に着替えました。


周りの服装をみますと、ジーパンにトレーナーといった当時の若者が好みそうなカジュアルな服装をしていました。「いかにもよそ行き」といった風情の服装をしている人など一人もいません。もちろん、革靴を履いているのは僕だけです。僕だけが「いかにもよそ行き」の服装をしていました。


よそ行きの服に着替えてみんなの前にでたときの、「不思議なもの」を見るようなみんなの目つきが今でもわすれられません。


ですが、みんなが「不思議なものを見るような目つき」でいた理由がわかるのは、その後おしゃれに関心を持つようになった大学生になったときです。気づいたときに初めて、お母ちゃんの洋服のセンスのなさを知ることになりました。


お母ちゃんのセンスを信じてはいけないんだ…。


大人の階段を一歩上がりました。


それから月日は流れ、僕は社会人になり、一人暮らしを始めていました。若い男性が一人暮らしをしますと、恋が始まるのは世の常です。


学生時代のことを少し書きますと、僕が進学した大学はいわゆるお金持ちの師弟が通うことで有名な学校でした。貧乏な家庭に生まれた僕がそんな学校に進学したのは、単純にそこにしか合格しなかったからです。


大学に進んで、僕は初めて自分の家庭が中流以下であることを自覚しました。高校時代まではスポーツに明け暮れていましたので、そんなことを感じる暇もなかったのです。人間、暇な時間ができるといろいろなことを考えるようになります。


実際、周りは親が裕福な人が多かったのですが、そうした人が多い環境で時間を過ごしていますと、育った環境の重要さを認識する場面が多くあります。当時、僕は「結婚するなら、同じ生活水準の人」と心に決めていました。生活水準が違うと一緒に暮らすことは不可能、と思っていました。


そんな僕が一人暮らしを始め恋に落ちた相手は、集団就職で上京し、会社の寮に入っていた可愛い(?)女の子でした。(~_~;)


若い男女が恋に落ち、そして男のほうが一人暮らしをしていますと、子供ができるのは時間の問題です。


そうです。僕は結婚前に子供を授かってしまいました。僕が25才、妻が21才のときでした。

もう社会人として働いていましたし、妻も成人していましたので親の了解を得る必要もなかったのですが、体育会系の感性を刷り込まれていた僕は、一応は「親に報告をするのは義務」とも思っていました。


僕はお母ちゃんに電話をして、お父ちゃんに報告に行くことにしました。


さて当日、人生の大きな節目という認識はありましたので、スーツを着て妻となるべく彼女と実家に向かいました。実家と言いましても、2DKの借家ですが、そこでお父ちゃんに「子供ができたので、結婚する」と告げました。


すると、お父ちゃんは烈火のごとく「結婚もしてないのに、子供ができたとはどういうつもりだ!」と怒りました。行く前から「怒られる」ことも想定していましたので、驚きはしませんでしたが、どのように対応するかを考えていませんでした。


しばらく沈黙がありましたが、それ以上そこにいても仕方ありません。お母ちゃんはなにも言わず黙っているだけでした。僕は、「じゃぁ、帰る」と言って家をあとにしました。


想定していたとはいえ、やはり怒られてしまいますと、気分的に落ち込みます。僕は彼女と二人で駅までの道をトボトボと歩いていました。家から駅までは歩いて20~25分くらいの距離でほぼ一本道でした。


この道を歩くのは久しぶりでした。一人暮らしをするまでは毎日歩いていた道です。途中には初詣でにぎわう有名な神社もありますが、そこは先週書きました、お母ちゃんを自転車から振り落としたところです。


また、神社の向かいには大きな敷地を擁する大学もありました。車が一台通れるだけの一方通行の道幅でしたが、周りが木々で囲まれゆったりとした雰囲気が漂う道でした。




学生時代のことです。夕方、改札口を出ますと雨が降りだしていました。それまで降っていませんでしたので僕は傘を持っていませんでした。空を見上げ、仕方なく濡れたまま歩いて帰ろうと歩きはじめますと、うしろから声が聞こえました。


「あのぉ…」


僕が振り返りますと、そこには二十歳くらいの若い女性が傘を開いて立っていました。


「よかったら、一緒に入っていきませんか?」


言うまでもなく「一緒に入る」ということは、自ずと相合い傘になることです。僕は驚きと戸惑いと喜びと恥ずかしさにいっぺんに襲われ、なんと答えたのか全く憶えていません。ですが、一緒に途中まで帰ったのは憶えています。もちろん、なにかを話したのでしょうが、緊張をしていましたので会話の内容も憶えていません。


その一本道には自宅と駅のちょうど真ん中頃に音楽大学の寮がありました。その女性はそこの寮生でした。つまり音楽を学んでいた女学生というわけですが、音楽の知識など皆無の僕がいったいどんな会話をしたのか、我ながら興味があります。




そんな思い出がある一本道を彼女とトボトボ歩いていたのですが、しばらくするとうしから声が聞こえてきました。


「タカアキィ、タカアキィー」


振り返ると、お母ちゃんが自転車を漕ぎながら僕たちのほうに向かってきていました。



つづく。

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