悪夢の研究所<デーモンラボ> 第2話
ロッソア帝国・・・
懐柔した周辺国では、人々は生きるだけで精一杯な状況下に置かれていた。
そして生きる望みを絶たれる者も・・・
フェアリアとは違い、冬将軍の訪れはひと月も早いと言えた。
荒涼たる平原に、この季節で一番の寒さが訪れた。
「寒いよぉ・・・何か温まるモノはないの?」
幼い子が母に強請る声が聞こえる。
「我慢してね、もう直ぐ日が昇るから」
凍てつく寒さに耐えかねた幼子を抱えた母が、悲し気に夜空を見上げる。
「お母さん・・・眠い・・・」
寒さに震える我が子を抱き、母が頷く。
「そうね、お母さんも。寝てしまいましょうね?」
抱き締めた我が子が眠ってしまうのを、母は悲し気に見詰める。
「このままお父さんの処にまで行きましょう・・・」
凍えた手で幼子を抱いていた母も、やがて瞼を閉じた・・・
寒風が吹く平原のそこかしこで。
逃げ散った親子の亡骸が氷に埋まる。
どこかに安住の地を見つけ出そうとキャラバンを組んでいた民にとって。
この早い冬の訪れは、住む場所もない人々に死を与えた。
行く宛もない流浪の民となった難民にとって、ロッソアの冬は忍び難い苦難を齎した。
不幸な時代。
それはいつの世にでも起きる悲劇を呼んだ。
廃村を出発したルビナス達も眼にした。
遠く霞んだウラルの山々を前にして。
「酷い・・・無残過ぎるわ!」
荒野に点々と屍が転がる。
「ここまで逃げてきた人達の末路・・・・」
ロゼもレオンも。
朝焼けの中に観てしまった。
「行くも死、留まるも死。まさに生き地獄だな」
何を想う事も出来ない。
目の前に転がる数十の亡骸が、告げているのは。
「誰がどう転んだって。巻き添えにするなんて人のする事じゃないよ」
生きていたかっただろう。
どれほど悲しかったのか。
せめて幼い我が子だけでも・・・
想いは天に届かず、悲劇が襲い掛かった。
「この国のお偉いさん達は、何をしていたんだ?
こんな窮状になっているのに、なぜ手を拱いているんだ?」
俺には信じられなかった。
たった一杯のスープさえ与えられていたら。
一夜の暖さえ与えられれば。
死ななくて済んだであろう命が幾らあったのかと。
飢えと寒さで死んで逝くなんて。
人の温もりを知らせられたら、何人が生きていただろうか。
一体この人達がどんな罪を犯したのかと。
「神も何もないよ。あんまりだ、酷すぎる」
せめて一日前にこの場に来れれば。
そう思ったが、自分達が来たところで何かを為せた訳ではない。
全ての人を救えたとは思えない。
偽善・・・偽りの良心。
もし、助けられたとするのなら。
自分の満足感だけ・・・の話。
「根元を断って、変えなきゃ。何の救いも無い」
ぼそりとガッシュが漏らす。
「いつまで経っても弱者は産まれ、どれだけ経っても救われない」
それは分かるが、どうすれば断てるというのか?
「変わらないといけないんだ。
この国も・・・理不尽な世界も」
弱き者が産まれる社会。
根本にあるのは、間違った国の方針。
「俺達はこの目で変わるのを見届けたい。
民が平和に暮らせる姿を。皆が生きることを諦めない世界を」
亡骸は、老若男女問わず凍てついていた。
涙さえ凍り付いて死を迎えた、哀れな姿のままで。
「きっと彼等の現状を、ロッソア皇帝は知らないんだな」
俺がポツリと溢すと。
「知ろうと知るまいと。そんなモノは関係がねぇ!」
赤毛の戦士が応える。
「そうだ!奴等特権階級は下々には興味が無いんだよ!」
ガッシュが率いて来た仲間が、交々言い合う。
「奴等こそが悪魔だよ!
人ならもう少しまともな政治を行う筈だ!」
散々に貶す仲間に言い返さず、俺と二人の少女は肩を竦めるだけだった。
「夜が明けたな。これからは敵の哨戒に気を配らないとな」
敵・・・ロッソアの軍隊に気取られるのが一番厄介なことだ。
たったの二十数名で研究所を襲うのだから。
「もしも発見されたら。
闘わずに逃げるのも、考慮に入れておかないと」
レオンが言うのも尤もだ。
「でも、逃げるって言っても。何処によ?」
ロゼが考えるのも仕方が無い事だ。ここはロッソア領内だから。
「何かでっかい事が起きなきゃぁ、守備部隊は動かないと思うがね?」
ガッシュは一体何に期待するのか?
でっかい事が起きなきゃぁ、研究所は襲えないってのか?
「もう間も無く目的のウラル山脈だぞ?
考えて立って始まらないし、時間を置いてたら私達だって寒さに襲われるわよ?」
レオンは心配していた。
この辺りに詳しい筈のガッシュ達が、意見を取り纏めないから。
「言っただろう?
何かとんでもない事が起きないと・・・始まらないって」
「悠長なことを話している場合じゃないのよ!」
堪りかねたのはロゼッタの方だった。
「やるのならやる!やらないというのなら、私達だけでもやるわよ!」
このままだったら、敵勢力が増勢される危険があった。
「いい?私達が東に向かったのは敵の知る所になってるの。
このまま時間を掛ければ、敵側が有利になるばかりなのよ!」
そうとも思えるが。
「それはどうかな魔女。
正規軍は殆どフェアリアに向けられたと聞き及んでるぜ?
残った軍も逐次投入されているからな。
このまま歳を跨いだ方が良いかもしれねぇぜ?」
知ったような口を利く男が、拙速を誡める。
「冗談じゃないわよ!
こんな寒い野原で、年越しなんてまっぴらよ!」
ロゼの怒りが仲間に向けられる。
「待てよロゼ。
こいつらの言い分にも訳があるぜ?
確かに急ぐのは分かるが、焦ってしくじるよりはどんと構えた方が良いぜ?」
「ルビまでそんなに悠長な話をするなんて。妹ちゃんを早く助けなきゃ・・・」
俺が首を振ったのを観たロゼが口を噤む。
「助けるのは変わらない。
だけど焦って誰かが疵付くのを、観ちゃいられないんだよ。
謀は焦った方が負けだぜ?」
「ルビぃ?!」
気が付いてくれただろう。
俺が焦らない理由に。
指輪に宿る妹が、俺に言ってくれたんだと。
俺と同じ言葉をかけたと、ロゼには判ったんだろう。
「焦るが負け・・・だね?」
「そうさ。チャンスは必ずやってくる・・・もう間も無くね」
俺は西の大地を観て、確信に近い想いを抱いていたんだ。
暗黒の時代。
いつ果てるとも分からない命。
だからこそ。
生きる望みは捨ててはいけない。
ルビナスは最期の瞬間まで諦めずに居られるだろうか?
次回 悪夢の研究所<デーモンラボ> 第3話
君は祈り、彼は導いた。帝国に咲いた小さな花のように・・・輝く<希望>となれるか?




