兄が残した手紙
兄を想い、沈んだ気分で家路に着く。
帰宅途中で声を掛けられる・・・
駅からの帰り道、ノエルは両親から離れて歩いていた。
兄を想い、足取りも重く・・・
「ノエルちゃん!ルビナス兄さんが軍隊に行っちゃったって聞いたわよ?!」
顔を挙げてかけて来た声に振り向くと、同級生で近所に住むナムキーが駆け寄って来た。
「さっきの列車で?行っちゃったの?!」
まだ心何処にあらずやのノエルを捕まえて訊ねた銀髪の少女へ。
「うん、そうなんだ・・・」
遠く線路の果てを振り返って、力なく答えるノエル。
「そ、そうなの?軍隊に入られるって聞いてたけど。急だったよね?」
ノエルの眼に力を感じられず、友人はどう言って良いのか分からなくなったようで。
「戦争になんかならなきゃいいのにね?
そうしたらしばらく我慢すれば帰って来てくれるよ!」
励ます言葉を選びながら、ナムキーがノエルの肩に手を添えて、無理やり笑い掛けて来た。
「帰って・・・そうよね、帰って来るって言ってくれたもん」
蒼い指輪を填めた手を胸に当て、ノエルはナムキーに頷いて返す。
「そうよ!絶対ルビナス兄さんはノエルの元へ帰って来るって!」
手に力を込めてノエルを励ましてから。
「ノエルちゃん、これから家に帰って疎開に取り掛かるの?
私の処はもうすぐお爺ちゃんの家に行くんだけど?」
「え?!疎開って?」
ナムキーの顔を観返して、言葉の意味を訊く。
疎開という、訊き馴染まない言葉の意味を。
「お母さんから聴いたけど、近くこの辺りは戦場になるかも知れないんだって。
ロッソアの軍隊が攻めてきたら、この街には住んで居られなくなるんだって。
だから早く逃げ出してしまおうって話らしいよ?」
戦争になれば・・・ね。と、ナムキーが付け加えた。
戦争になるかも知れない・・・
もう回避出来ないまでに紛争は拡大の一手だったから。
学校でも教師達が避難を薦めていた。
街行く人達も、大きな荷物を担いでどこかに行こうとしている姿が増えていた。
古くから住んで居る人達だけが、離れがたく立ち退きを拒んでいるようだった。
「ノエルちゃんの家も、昔から代々続いて住んでたんだったよね。
戦争にならなかったら戻って来れば良いだけだし、避難した方が良いよ?」
ナムキーはノエル達家族を案じて勧めてくれている。
「そうだよね。お父さんのお仕事がキリが付いたら、安全な所へ行くって話してた。
公務員が真っ先に逃げたら駄目なんだって」
父が運輸局員だったから。
街から避難する人達の、家財などを運ぶ仕事の手配に携わっていたから。
「そっか・・・早く疎開出来れば善いよね?
暫く逢えなくなっちゃうけど、ノエルちゃんはお友達のままだからね!」
「うん。ナムキーちゃんも・・・元気でね」
手を指し出して来たナムキーに応えて、握手を交わし別れを惜しんだ。
「それじゃあ、またここに戻れたら。その時までの我慢だね!」
交した手を放し、友人は手を振り駆け出して行った。
「明日の朝には出発してるから。逢えて良かった!元気でねノエルちゃん!」
涙交じりの鼻声で、走りながらナムキーが教えてくれた。
「元気でねナムキーちゃん!」
別れを惜しんでノエルも手を振って応えた。
先に両親が帰っていた。
玄関を開けて家に入ると、兄と別れた辛さも手伝ってか。
「ごめん、お母さん。
ちょっとだけ横になって来る・・・」
疲れた表情で、二階にある兄の部屋へと入った。
部屋には兄の匂いが残っていた。
出征したなんて嘘のように思えて来る。
「いつ・・・いつになったら帰って来るの?」
きちんと片付けられた部屋。
まるで誰かに明け渡すかのように、整然と片付けられた兄の部屋。
「なによ、ルビ兄さん。まるで誰かに見られたら恥ずかしいからみたいじゃないの」
自分がいない間、誰かが部屋を使っても良いかのように。
本棚には教科書の類が整然と並べられ、使う者に迷惑を掛けまいとの心配りに思える。
兄が何時も大切にしていた十徳ナイフも、机の上に置いてあった。
「兄さん・・・何もかも置いて行っちゃったんだね?」
机に置かれた兄の思い出の品に、そっと触れようと手を伸ばした時。
どうしたはずみか、ナイフが机から落ちた。
「・・・あ」
拾い上げようと屈んだノエルの眼に飛び込んで来たのは。
「兄さんの・・・手紙?!」
机の引き出しに封筒が見え、宛名には自分の名が記されてあった。
「アタシ宛に?」
手に取るのが躊躇われる。でも、開けずにはおれない。
意を決したみたいに、ノエルは便箋を開き読み始めた。
~~ 妹へ
これを読んでいるのなら。
俺がもう出て行った後だろうから、ここに書き残すよ。
ノエル、俺の妹ノエル。
幼い時からずっと引っ付いて離れなかったノエル。
どんどん綺麗に可愛くなるノエルが俺の誇りになったんだよ。
母さんの様に優しく麗しく。
俺なんか敵わない程賢くなったね。
戦争になれば生きて戻れる保証はないと訊くけど、
俺は家族の元へ帰るから。帰って、またノエルに笑って貰うんだ。
馬鹿な兄だと笑って欲しい、魂だけになって帰ったとしても。
最期になるけど。
これだけは約束するよ。
俺はノエルが好きだ。妹が大切だから。
必ず帰って来るって、魂だけになったとしても帰るって。
約束するよ
ルビナス兄より ~~
走り書きで綴られた兄の便り。
ノエルは改めて兄の告げたかった言葉を思い巡らせる。
兄ルビナスは、自分を大切に想ってくれているのだと。
死んでも・・・還れなくとも。
兄はきっと約束を果そうとするだろうとも思った。
読んでいる便箋を持つ手が震える。
指に填めたリングが、心なしか泣いているようにも観えた。
「指輪にも・・・アタシの心が伝わるのかな?」
手紙があった事を両親へ知らせるべく、部屋から出て階段を下りる。
夕闇が迫る街には、何か言い知れない寂しさと静寂が澱んでいる。
人の姿がめっきり減った街には、家の明かりも僅かしか残されていなかった。
「お母さん・・・ルビナス兄さんが。
手紙を残して行ったの・・・」
ノエルは母に見せようと、便箋を右手で差し出した。
「ルビナスが?」
母マルアが手紙を受取ろうとノエルの手に重ねた・・・その時の事だった。
「ノエルっ!主人っ!今直ぐここから逃げましょう!」
目を見開いた母が叫んだのだった。
兄への想い。
兄が残した手紙。
一頻り涙を溢していたノエルに、母の叫びが突き刺さった。
次回 避難しなさい!
急変する事態に、君は咄嗟には動ける筈も無かった・・・




