指輪<リング>
ロゼは俺に指先を見せて問う。
似合っているか・・・と。
師団本部からの回答は、ハスボック軍曹の予想通りだった。
「残念ですが。軍曹の小隊には補給は参りません」
戦車中隊長から告げられても、軍曹は笑うだけだった。
「いや、良いんですよ中尉殿。予備の砲弾なんてこちらに廻す余裕も無いのでしょう」
年嵩の軍曹が笑って応える。
「でも、それでは・・・」
自分よりもずっと若い上官さえ、理不尽な司令部に対し憤りを覚えたのか。
「まるで見捨てた様なものではありませんか?!」
ハスボック軍曹の代弁を言うのだった。
師団は人員こそ居るのだが、肝心要の武器弾薬が不足気味だった。
与えられた戦備に不満を募らせるのは、司令部も同じだろうと。
「いいえ中尉殿。我々に与えられた装備で闘うだけですから」
大隊の生き残りは僅かに11名に過ぎない。
自分達に配るだけの余裕も無いのだろう・・・いや、無駄だと思っているのだろう。
<どうせ、死地へ向かわせるのだから>
軍曹は戦車中隊長へお礼を述べて、小隊に戻っていく。
その後ろ姿を見送っていた中戦車の車長が。
「彼等に贈られるのは名誉なる死・・・だけか」
蒼い目を伏せ気味に、少女士官が嘆く。
「不条理に過ぎやしませんか、車長?」
同じように軍曹を観て、彼女の装填手が訊いた。
「その不条理な戦場に私達も居るのよ。彼等だけじゃないわ」
車長が軍曹から眼を逸らし、彼の持つ最有力の武器を観て。
「いつかは私達にもその日が来るかもしれない。
彼女の様に・・・死に物狂いの戦場へ行かねばならない・・・」
その乗員を想い、自らの最後を予告した。
車長の蒼き瞳には、何かを秘めた様な輝きが燈って見えた・・・
「ねぇ・・・ルビ?」
俺に訊いて来る相棒の指には、輝く妹の指輪が填められている。
「どうかな?似合うかな?!」
蒼い石がキラリと光った。
魔法の石で造られていたなんて、母さんからも聴いていなかった。
家に古くから伝わる指輪だとだけしか、教えられていなかったんだ。
「ああ、多分ね。似合ってるんじゃないかな?」
我ながら気の良い奴だと思うよ。
形見の指輪を、相棒だとは言え他人に渡すなんてさ。
「なによその言い方・・・でも、本当にぴったりと指に合ってるの」
右の人差し指に填めたまま、ロゼが俺の顔に伺って来る。
渡した瞬間から、ロゼの瞳は前とは色が変わって見えた。
黒い瞳孔までも蒼く染め抜かれ、瞳の印象ががらりと変わっていた。
「・・・おまけに髪の色まで、蒼さを滲ませてるもんなぁ」
確か、この指輪を填めた母さんも時々、こんな感じになっていた事があった。
まだ俺が幼かった頃、まだノエルに指輪を渡す前に。
「そう?やっぱり気になる?」
長い髪を手元に手繰り寄せたロゼが、上目遣いに訊いた。
「いや、母さんも。俺の母親も似たような色になってたのを思い出してな」
「え・・・ルビのお母様も?」
ロゼが不意に指輪を胸に抱く。
愛おしそうに、済まなそうに。
「俺の家に伝わる指輪なんだ、妹に与えられるまでは母さんが填めてたんだよ」
教えられたロゼが指輪を額に押し当てて。
「ルビの家にはどんな言い伝えがあるの?」
「言伝え?家訓とか何かか?」
首を振ったロゼが、俺が判っていないと訊き直す。
「君の家には昔から伝えられたお話はないの?
例えば誰かから何かを与えられたとか、守ったとか?」
ロゼが訊いた事に覚えが無いが、
「そう言えば。
親爺が善く言っていた事がある、月夜には魔女が舞うって・・・」
両親と月を観ていた時に聞いた事があった。
「魔女を倒すのは、やはり魔女なんだって。
その魔女が現れるのは月の満ちた晩、月夜には魔女達が舞うんだってさ」
「ふぅ~んっ、なんだかロマンチックなお話だね?」
話半分の処でロゼが口を挟んで来た。
「ロマンチックなのはそこまで。
話はまだあるんだ。
月夜に舞う魔女を倒すのは魔女・・・その魔女を狩る者が居るんだ。
それが・・・俺が受け継いだ家名、月の騎士。
狼が獲物を狩る様に、魔女を狩る者。それが俺の名」
月夜の狼。
ルビナス・ルナナイト・・・俺の本名。
魔女を狩る、狼・・・俺の継承した名。
「ルビ・・・まさか。まさか君にも魔砲力が備わってるの?」
ロゼが驚きの声で俺に訊くが。
「あのなぁ、そうだったらずっと持っていた俺の眼も蒼く染まってるだろ?」
端から魔法使いじゃない。
俺にそんな力があるのなら、初めから使ってる。
「そ、そうよね。そうだよね・・・あはは」
苦笑いを浮かべるロゼが、ノエルの指輪を大事そうに持って。
「必ず返すから。君の宝物だもんね」
「当たり前だ。この地獄から出れれば、賃貸料を請求してやるからな」
冗談めかして俺が言うと、ロゼが一瞬頷いてから・・・
「賃貸料ってさ、夫婦の仲では払わなくても良いんだよね?」
すっとぼけた答えを返して来やがった。
「?!なんのことだ?」
眉を顰めて言ってやった。
「えっ?!いやほら・・・綺麗な石だなぁって・・・」
口が滑ったのか、ふざけたのか。
ロゼは指輪を掲げてくるっと背を向け、何事かを呟いている。
「そうか、ルビナスって名の由来には訳があったんだ」
ノエルの指輪を填めたロゼが俺に振り向き、
「いつかきっと、君の中に眠る力が目覚める。
その時、アタシは君の傍に居られ続けているのかしら・・・ね?」
蒼い瞳で俺に語り掛けて来る姿。
夕日に染まる事なく蒼く光る瞳で。
「俺が何に目覚めるって?俺には何か力があるのか?」
俺の前で、ロゼの髪が舞った。
赤栗毛だった髪が、夕日に輝き金色に見える。
「判らない?じゃあ・・・教えてあげない!」
悪戯っぽく笑う少女。
俺にはその顔が妹と重なって観えていた。
いや・・・死んだ筈の妹が蘇ったかに見えていたんだ。
そう・・・もう二度と喪ってはならない。
・・・愛しき微笑みを・・・
夕日が堕ちる。
闇が来ようとしている。
戦場に、死の姿が再び迫っていた。
その夜は、月の出が遅かった。
陽が落ちた時、あるべき月はそこには無かった。
影を造る星も無く、地上に闇を齎した。
唯、闘う者達に迫るのは死の影。
「敵襲!ロッソアの夜襲だ!」
昼間の疲れで居眠っていた歩哨に気付かれる事なく。
白刃を抜き放ち、音もなく忍び寄って来たロッソアの歩兵達。
師団側面に夜闇に乗じて迫った歩兵に因り、夜襲が決行された。
あっという間に味方陣地に動揺が奔る。
夜襲の報に叩き起こされた若年兵達は、銃を手に取る者と逃げる者とで大混乱に陥った。
部下を掌握出来る士官は殆どおらず、我先に陣地を放棄する者に銃を構えるだけだった。
夜襲はほんの数十人で敢行されただけだったが、その奇襲に因りフェアリア軍は戦意を喪失する結果となった。
陣地を無断で放棄した者には厳罰が下される・・・筈だった。
だが、厳罰を下す筈の司令部要員達が逃げたのでは話にもならない。
夜襲に気付いた勇敢な者達に因り、陣地崩壊だけは免れたのだが・・・
「何だろうルビ、なにか嫌な予感がする・・・」
「ロゼ、何も考えるな。俺達は生き残る事だけを考えれば良いんだ」
夜が開け放たれる前。
夜の間には観えなかった味方陣地を観て。
「間も無く奴等が攻め寄せて来る・・・なのに」
「ああ、いよいよだな。俺達が生き残れるか、味方も当てにならない」
ロゼが心配するのを、励ます事さえ出来なくなった。
俺達の後ろに在った陣地の大半が放棄されているのを観たから。
いつの間にか居なくなった味方に、やり場のない怒りさえも覚えて。
「どうしよう・・・ルビ。
此処に居るのはアタシ達と同じ、取り残された人達だけよ?」
彼等に戦意があるのなら。
彼等と共に闘うのなら・・・
だが。
戦場はあくまでも非情だった。
俺達がどうする事も出来ずにいた頃には。
「「 ウラー ウラーッ! 」」
ロッソア軍の突撃する歓声が津波のように押し寄せて来たんだ・・・
ルビ達の前に再び地獄の門が開かれる。
戦場に安息なんて在りはしないのだから・・・
突然の弾が襲い掛かって来たとき。
俺は意識を奪われてしまう。
そして、俺は来てしまうのだった。
あの霧の中へと。
次回 霧中
君の先祖は何者だったのだ?その霧の中で見たモノとは?!