第七冊 『無感情と感情的に』
陽にとって、朝というものは天敵だった。心地よい目覚め、というものを体験したことがない。最初に訪れるのは不快感か倦怠感。それは体質故か、それともオタクと言う人種の例に漏れず、夜更かし三昧だったせいか。
瞼を開ければ、飛び込んでくるのは洞窟の壁と爆ぜる薪、そしてその近くで佇むフィリアの姿だ。
「……起きた? ヨウ……」
「ん、ぬぅ、おはよう。フィリア」
小さく、だがしっかりと響く声に返事をし、陽は掛けてある布を剥ぎ、重い体を起こす。
周囲を見渡せば未だ寝ているカルムとティアの姿が。実はフィリアは早起き……? なんて考えが一瞬過ったのだが、そうではない。
昨夜の見張りの順番の最後がフィリアだった、と言うだけの事。思い返せば陽は自分の番を終えた後、フィリアを起こしたはずだ。どうやらそんなことも思い出せないほど、脳が麻痺していたらしい。自分の寝起きの悪さが少し嫌になってくる。
ちなみにフィリアは何時もと同じく、背中に剣と盾を持っており、プロテクターなどが少しある軽装だった。というより、寝る時も外していないんじゃないだろうか。服自体は変わっているが。
「よっ、と」
勢いよく立ち上がれば、首をぐるりと回し、同時に身体を思いっきり伸ばす。体中の骨がポキポキと心地よい音を立てた。それを数秒続け、一気に脱力すれば、気持ちのいい疲労感と共に眠気が一気に覚めていく。しかし、昨日の疲労は少し残っている。まだ意識が遠いような感覚があった。
「アァ……ふぅ」
「……眠い? 別に、まだ二人、起きてないから、寝ててもいいよ……」
「いや、遠慮しておく。これ以上寝てたらフィリアに申し訳ないし、起きられないような感じがするからな」
フィリアの魅力的な提案を断り、陽は浅く息をつく。
まだ二人が起きていないのだから、活動を始めるような時間ではないのだろう。むしろ、先に起きることが出来て僥倖といった所だ。後に起きるのは申し訳ない気がして成らない。
少し逡巡した後、陽は貯め水を飲むことにし、焚き火の近くにある貯水用の道具(水筒みたいなやつ)に近づくと、同じく近くにある気のコップに注いで呷った。
カルム達が持っている道具の一つだ。とはいっても神製道具ではない。その水筒の底部分に『魔石』と呼ばれる『常時魔法発動鉱石』が置かれているのだ。
というのも、魔石とは魔力を注ぎ続ける限りその魔石に宿っている魔法を発動し続けてくれるという便利道具。これは人間が作り出したらしい。例えば、火魔法を込め、魔力を流せば炎が出る。単純なものである。その水筒に使われているのは水魔法の派生形、氷魔法。そのおかげで水がずっと冷たいままらしい。
神製道具との違いと言えば、『神しか扱えない技術』と『人間でも扱える技術』という違いだろう。魔石とは、どちらかと言うと、生活が便利になるものだ。地球で言う電気がスイッチ一つで付く、などと似ているだろうか。
「つべたっ……」
陽は思わずコップから口を離し、頭を押さえ表情を歪める。
とても冷えていた。当然だ。氷で冷やしているのだから、キンキンに冷えている。一気に呷った数秒前の自分を呪いつつも、陽は全て飲み干して口を拭った。
そのままもう一回水を汲むと、焚火を中心に、フィリアの向かい側に座る。特に理由はない。座りたかったのと、こういう場合は向かい側に座るのが当たり前だと思ったからだ。
フィリアは枯れ木を焚火の中に放り込んだ。パキンッ、と言う音と共に爆ぜる。
陽は再度コップの水を飲んだ。
……何をすればいいか分からない。準備でもすればいいのだろうか。朝食の準備でもすればいいのだろうか。二人を起こさない、という事はフィリアが起こしていないのでわかるが、冒険の心得など分からなかった。
ならば────と、陽はコップの中身を全て飲み干すと、もう一度口を拭い、口を開いた。
「フィリア」
「……? ……なに、ヨウ……?」
「君のことを教えてもらえないか?」
唐突な陽の提案に、フィリアは首を傾げながら、その無表情を少し緩める。
別に変な意味ではない。自己紹介の延長線上、とでも言えばいいか。カルムやティアの事はある程度理科敷いたつもりだが、フィリアの事はまだまだ知らないことが多すぎる。食いしん坊しか分からない。
「あ、別に下心とかないよ? ただ、三人のことを知りたいんだ」
「……いいよ。けど、なにを、いえば、いい……?」
「じゃあ、俺が質問するから答えてくれ」
「……わかった……」
フィリアはまだ不可解そうに首を傾げながらも、陽の話を承諾した。そして身構える。
といっても、内容は当たり障りない普通の内容だ。本来その人の特徴や性格などは日常を過ごしていく中で判明するものであり、言葉や会話で判明するわけがない。
「……好きな食べ物は?」
「……パン……」
「飲み物は」
「……水……」
「職業は?」
「……冒険者……戦士……」
「……特技は?」
「防御、突進。大食い」
「……魔法適正は?」
「……土……」
・ ・ ・
「好きな色は」
「……水色……」
「……カルムとユースティアとの関係は?」
「……幼馴染……」
「……運動は好きですか?」
「……好き……」
「……ご、ご趣味は!?」
「食事」
「さいですか」
────なんだ、これ
誰かが見たら確実にそんなことを言いそうな光景である。フィリアは言葉が少ないので、一々返事をするのも時間がかかる。いや、それを不快に思う事は無いのだが、質問をするにしてもやりずらいことこの上なかった……最後の『食事』だけ、滅茶苦茶速かった気がするが。その割に好きなものはとてつもなく簡素である。
─────と、陽が思わず苦笑いしていると、フィリアはその表情を卑屈で染めていた。
「……ごめん……ヨウ……」
「ん? え? 何が?」
「……私…会話、得意じゃない、から……迷惑……かけてる。みんな、にも……」
「!?」
────薄っすらと、その目頭には、雫が浮かんでいた。どうやらコンプレックスだったらしい。陽は少し、踏んではいけない地雷に足を掛けてしまったようだ。それも、割と大きい奴を。
「あ、ああぁ! ごめんごめんごめん! いや、別に泣かせるつもりじゃなかったんだけど! いや、なんかごめん! ほんとごめん!」
いきなり慌てふためきながら陽は笑顔を浮かべ必死に謝罪する。フィリアの手に剣が無ければ、まるでか弱い女の子を陽が泣かせたような図だ。
女の子を泣かせてしまったという罪悪感と、女の子と接することのなかった陽の経験の浅さが相まって、なんだか初心な男子みたいな感じになってしまった。
「……う、うん。ごめん。迷惑かけて……」
────が、慌てる男を見て、泣いていた女の子が笑う。と言う展開は発動しなかった。当然だ。その展開はある程度『信頼』と『友情』が育まれた男女の中で起こる出来事であり、陽とフィリアの間にはそれはない。
いまだ涙目のフィリアに陽は呼吸を整えて、
「……んにゃ、それはそれで、フィリアの美点だろ? それに」
そこで、一度言葉を切り、陽は出来るだけ頭を働かせた結果、出た行動をする。
「『俺は、フィリアの無口なところを、悪いだなんて思ってないよ』」
「!」
わざとカッコつけた風に笑い、陽は言い切る。嘘を見抜くことの出来るフィリアだからこそ、利用できる手だ。これによって彼女は陽が嘘をついていないことが分かる。
少なからず、周りからも迷惑だと言われていたのだろうか。ティア、カルムは幼馴染で理解があるからいいにせよ、それ以外は別だ。さらに、嘘を見抜く能力を周りがどれだけ知っていたかは知らないが、まるで機械の様なフィリアを、不気味に思う人間も多かったのかもしれない。
陽は、自分で言うのもなんだが、少し変わった考えをしていると思って居るので、フィリアのような人間でも引いたりはしない。
フィリアは少し驚いたように涙を拭い、目を丸くする。もっとも、この驚きは、『自分の欠点を認めてくれた』、ことに対してではなく、『自分の能力を利用された』、という事に対してだろう。そこまでメルヘンチックな展開は期待していない。現実に有っても気味が悪いだけだ。
「……そういえば、ヨウって、嘘つかないよね……」
「つく必要がないからな。フィリアは俺のことどう思って居るのか知らないけど、俺は結構、三人の言信頼してるよ?」
────信頼しないと、いろんな意味で死ぬからな。
とは言わないで置いた。ちなみに信頼しないとストレスでマッハ+魔物に殺される、と言う意味である。まあ、それは初日の事であり、今は本当に信頼しているが。
「……そっか……うん。立ち直、った……」
「そりゃよかった。うん……」
陽は手に持ったコップを指で弾くと、地面に置き、立ち上がってフィリアの方へ近づくと、手を差し出した。
「これから仲よくしようぜ。フィリア」
「……?……手……?」
「ああ。親睦を深めたから、仲間としてよろしくっていう」
握手である。
これが礼儀だと思ったのだ。仲間として意思を統一したのだったら、それの証となるものが必要になる。この世界にとって、握手が一般的かは知らないが、『お願いします』という意志表示をするのなら、これが一番だと思ったのだ。
フィリアも陽の意図をくみ取ってくれたのか、抱いている剣を置き、立ち上がってその手を取ってくれた。
「よろしく。フィリア」
「……うん、こちらこそ……」
数秒握手をし、終え、陽は手を離すと、再びコップの置いてある場所に戻り、中身を煽る。慣れない行動をしたせいか口の中が渇いていた。
その後は、少し雑談をした。まだカルムとティアは起きてこないようで、せっかく仲良くなったのだから、会話を楽しみたかったのである。
陽の好きなものなども教え、他愛無い世間話を繰り返していたところ、フィリアが「あ……男の子であるヨウに少し聞きたいことがあるんだけど……」と、少し遠慮がちに尋ねてきた。心なしか、表情が硬い。『男の子の』と前置きするからには、まあ、それなりに何かあるのだろう。陽も雰囲気に倣ってコップを置く。
「どうした? 変な事でもない限り答えるぜ?」
「……うん……えっとね、なんて言ったらいいんだろう……」
フィリアは顎に手を当てて考えているようだ。その口からは屡々「……直接……?」とか「……いやでも……」などと悩ましい声を出している。陽はその隙を見計らい、貯め水をコップへそそいだ。
そして、フィリアは意を決したように口を開く。
「……うん、やっぱり直接言うね……?」
「ん、ああ」
と言われても、何の話かも分からないから曖昧な返ししかできない。陽は返事をすると、コップの中にある水を口に含み……
──────あ、これ水飲んじゃアカン奴
「私ね、カルムのことが好きなの……」
「ぶっふぉぐわぁっぉ!」
水を吐いた。
「びっくりしたぁ! いや、何にびっくりしたって、自分の水を吐く音の気持ち悪さにびっくりしたよ! 新種の生き物みたいだった!」
「……化け物……?」
フラグ的中。あまりのテンプレっぷりに、第三者が見たら親指を立てそうな程見事だ。水はしっかりフィリアの居ない方向に吐いたから良いものの、思わず自分でも驚くような反応をしてしまった。
まさかのカミングアウト。確かにフレンドリー、とは言ったが、まさかの恋愛相談である。
陽は口を服で拭うと、咳払いをして話を始めた。
「……で? 何故そんなことを言ったんだ?」
「……あ、うん。改めて言うけど、私、カルムが好きなの……それで、ね? 男の子のヨウだったら、カルムの好きなものとか、好きな事とか、分かるかな、と思って……ティアに、それとなく聞いたこともあるけど、やっぱりうまくいかなくて……ほら、好きなこと、分かったら、共通の話題が出来るかもしれないし……」
「なるほど。そういうことか……」
コップを置き、フィリアの話を聞いて陽は納得する。
このメンバーの男女比は1:2だ。かと言って意中の異性に直接聞くなどありえることもなく、ティアに聞いても自分と同じ女性なのだから、案は似たり寄ったりなのだろう。
それに、だ。普段言葉をあまり話さないフィリアが、態々長い言葉を話してまで、相談してくれたのだ。それは、少なからず期待しているという表れだろう。そうなれば、無下にできるわけもない。しっかりと考えるべきことだ。
「そうだなぁ、カルムが好きと言えば……やっぱり魔法か? 前に聞いたら『休日は魔法ばっかり研究してる』らしいから……『命の源よ、言の葉に応え、姿を現せ』……火球」
詠唱をし、説明するために火球を生み出す。大きさは手のひらサイズ。込めた魔力もそれほど多くない。熱くないのか、と最初は陽も思ったが、不思議なことに熱くない。というのも、自分で生み出した魔法は、魔力が変換されたものだ。そこには詠唱した本人の魔力が色濃く残っている。つまり、ある程度自分の生み出した魔法には、耐性が生まれるのだ。
当然触れば熱いが、少し近づけた程度ではあまり感じない。そして、魔法とは詠唱した時点で目標物に向かっていくと思われがちだが、この世界の魔法は本人の意思によって操作される。先ほどと同じく、自分で生み出した魔法には自分の魔力が残っている。そして、魔力はある程度操作できる。なので、生み出してから短時間や数メートルぐらいならば、魔法自体も操作できる。
それを利用すれば、今現在陽が行っている様に、掌に火の玉を浮かせる、なんて芸当もできる。
「……そういえば、カルムは、魔法ばっかり考えてる……たまに、睡眠とか忘れるらしいし……」
「ははっ、そりゃ重症だな……っと」
魔法の師が暗い部屋で緑色のツボをかき回しながら、むにゃむにゃ詠唱している場面を想像。そのうち魔女とか魔王とか名乗りだしそうだ。
陽は火球の操作持続時間が切れそうになったので、急いで地面に捨てる。どれぐらい操作できるのか、と言うのは魔力量によって微妙に変化するため分からない。だが、後何秒ぐらいか、と言うのは分かるのだ。それは、温度である。魔力が残っていることにより温度が抑えられているのだから、熱くなってきたら時間が切れる合図だ。
「……むぅ……『空の下に広がる陸よ、微小の恩恵を再現せよ』─────『土製贋作』」
フィリアは詠唱をし、目の前の地面に土魔法中級────土製贋作を発動させる。陽は使うことの出来ない魔法だ。知識だけ付いてしまった。
手の辺りに魔力が集中。地面の一部が変形していき、徐々に形を成していく。
この魔法は、土によって剣や槍、盾などという、主に武具の類を生成する魔法だ。込める魔力によって硬さや精巧さなどが変化する。今回フィリアが作り出したのは、カルムがいつも使っている愛用の─────『皇帝の杖』という、途轍もなく厨二感が漂う杖だ。
フィリアの作り出したのは土の為茶色だが、本物は全体的に黒が散りばめられ、先端の方は白い鉱石が螺旋状に設置されており、高級感はしないが、強そうである。皇帝、と名のついているだけはあるのだろう。
「……はぁ、全然再現できない……」
「そうか? 土にしてみればよくできているとは思うが……」
フィリアはため息を付きながら、土の皇帝の杖を見る。確かに、本物に比べたら凹凸も少ないし若干形も崩れているのかもしれない。だが、材料が土であることを考えれば十分良作と言えるだろう。だが、それでは満足出来ないらしい。
「……でも、カルムなら、本物に見たいに、作れると思うから……」
「まぁ、確かにそうかもしれないが、作ったの初めてなんだろ? だったら上出来じゃないか。土製さえ発動できない俺に比べたら滅茶苦茶すごいと思うぞ? って、なんだか上から目線だったか?」
「ヨウ……ううん。ありがとう」
励ましになったかは分からないが、ヨウの言葉に薄く微笑を浮かべるフィリア。まだまだ落ち込んでいる様だ。
何かないか、と陽は考える。今フィリアは魔法、と聞いて自分の得意な土魔法を行った訳だが、本人は満足していない。だとすれば、状況を利用して─────
「そうだ。だとしたらさ、フィリアもカルムの授業を受けてみたら?」
「……授業……? いつも、ヨウが受けてる……?」
「あぁ」
陽が提案したこと。それは、フィリアも一緒に授業を受けてみる、という事だった。共通の話題が欲しいけど、魔法の事が得意ではない、と言うのならば、学べばいいのだ。学ぶ途中にカルムと会話できるし、学んだ後もカルムと魔法の話で盛り上がれる。一石二鳥である。カルムの負担が増えるのかもしれないが……そこは我慢してもらおう。
「……うん、いいかも……わかった。明日から、私も授業受けてみる……」
「ああ。その時はよろしくな。また何かあった時は相談してくれよ?」
「……ありがとう。ヨウ……」
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「……」「……」
「……ねえ、ティア」
「……どうしたの? カルム」
「……完全に出るタイミング失ったけど……」
「……とりあえず、喜んでおきましょう友情が育まれたことに」
「そうだね」
「うん」
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「さあ! 今日も楽しい愉しい魔法の時間だ!」
「ニュアンス、違うよ?」
場所と時間は変わって就寝前。その日の探索はなぜかやたら張り切っていたティアとカルムによって、早急にノルマが終わった。なので探索は早々に終了して雑談や食事に興じていたのだ。
そしてやってきた『苦労人カルム君の魔法講座の時間(陽命名)』。フィリアの参加は次回から、という事になった。
初級魔法の練習がほぼなくなった今では、習慣となった授業である。お陰で陽は大分魔法について詳しくなった。初級魔法から始まり中級、上級、聖級。聖級までしかカルムは知らないのでそれ以上教えられないらしいが、そこまでの知識なら大分ついた。『初級魔法活用講座』の方ではなく、『全魔法知識』の方である。
中級を唱えた瞬間に魔力切れ(魔力版、酸素切れ)に陥り、気絶したのはいい思い出である。それで荷物が再度燃えかけたのも……まあ、いい思い出だ。
家は焼いてない。と言うか家がない。
「さて、今日解説していくのは、魔法の発動条件についてだ」
「お願いしまーす」
妙に先生ばっているカルムのテンションに合わせ、陽も生徒風に頭を下げる。カルムはローブから、『皇帝の杖』を取り出し、地面に着けた。
「では、魔法の発動条件は複数あるけど、陽はどんなのを知っているかな?」
「発動条件……? 詠唱と、魔石ぐらいしか分からないな」
指折り数えようとして、二つしかないので中断。魔法を発動させる際、陽が今まで見てきたのはこの二つだ。言葉によって魔力を使いたい魔法の属性へと変換する『詠唱式魔法』。それと、魔法が込められている魔石に魔力を込めることにより発動させる、『常時魔法発動鉱石』だ。
「そうだね。今まで僕が使っていたのはその二つだから、陽が知っているのは二つだけだろう。けど、有名なのでは、もう一つあるんだよ。それは魔法陣さ」
「魔法陣……」
カルムはその杖をしっかり握ると、その場に円を書き始める。というより、杖で地面を抉り始める。そのまま何やら不思議な紋章や模様を書けば─────というより、魔法陣を書き終えれば、カルムは陽の方へ向き直った。大きさは半径一m半、といった所だろうか。意外に大きい。
「魔法陣、っていうのは、詠唱式の前に流行っていた魔法の発動方法。こうやって陣を書く事が詠唱の代わりに成る。今刻んだのは火初級:火球さ」
「なるほど。つまりその魔法陣に魔力を流せば」
「そう。火球が発動する」
頷く陽に対し、カルムは皇帝の杖の先端を魔法陣に触れさせると、魔力を込める。
ゴウッ!
瞬間、爆ぜる音共に魔法陣の中心が光り出し、カルムの目の前に火球が生成された。ふわふわと浮く小さい火の玉。カルムが掌を差し出すと、導かれるように火球は上に浮かんだ。
「こんな風に魔法が作られる。要するに、言葉の詠唱を省く役割を持つんだよ。それぞれ魔法によって大きさとか複雑さが異なるけど、一度刻んでしまえば魔力を込める限り無限に使える、というものさ」
「へぇ……結構便利なんだ。だって、これさえあれば詠唱とか必要ないんじゃない?」
カルムは首を振って否定する。その顔はまるで『僕も昔、そう思って居たよ……』なんて言いそうだった。
「そうでも無いんだ。さっき言ったけど、魔法によって大きさや複雑さが異なる。見ただろう? 初級でもこの大きさなんだ」
「あー……つまり、上級とかに成ると?」
「半径十メートル超えるよ」
「なるほど」
だとしたら、確かに詠唱式の方がいい。一々魔法を発動させるたびにそんなものを描いていたら、手間がかかりすぎる。魔物の戦闘なんかでは致命傷だ。描いている間に噛み殺される光景が目に浮かぶ。
魔石ならば物体に刻むなどして持ち運びできるが、初級で一mも場所を取るのだったらどれだけかさばる────ん? 魔石?
「っていうか、魔法陣って魔石の完全劣化版じゃない?」
「おっ、気づいたかい? そう。魔法陣っていうのは、魔石が発見されてからはほとんど使われなくなった方法なんだよ。魔法の難しさによって大きさが変化するのは同じだけど、魔法陣が種類によって形を変化させないといけないのに対し、魔石は魔法を込めるだけ。明らかに便利差が違うんだよ」
そこが、魔法陣と魔石の違いらしい。
だとするのならば、完全に魔法陣が要らない子だ。詠唱式と魔石の方が便利で、魔法陣のいいところが一つもない。
「だからといって、魔法陣に使い道がないわけでもない」
「そうなのか?」
「うん。四種類の魔法を覚えているかい?」
そういわれ、陽は前に言われた四種類を思い出す。確か────
「───『攻撃魔法』、『回復魔法』、『召喚魔法』、『変化魔法』……だったか?」
「そうそう。実は、その中の一部は、魔法陣でしか発動できない魔法があるんだ。例えば、召喚魔法と一部の変化魔法がそれにあたる。ええっと、少し難しいかもしれないから、頭使ってね?」
「!? わ、わかった……」
思わず言われ、陽は身構える。今までの魔法講座の中で、そんなことを言われたことはなかったので、驚きだ。
カルムは「そこまでしなくていいよ」と苦笑いすると、説明を始める。
「召喚魔法と一部の変化魔法が魔法陣でしか使えないっていうのは、『魔法発動までの過程』が問題なんだよ」
「過程?」
「そう。詠唱式っていうのは、言葉を紡ぐことによって魔力を魔法に変換する。魔法陣と変化魔法はそれが出来ないんだ。つまり、言葉によって変換できない。理解できるかい?」
「ああ、一応大丈夫だ」
「続けるよ。例えば、火球を詠唱式で発動させようとすると、詠唱、変換、発動っていうプロセスがある。けど、召喚魔法は特殊なプロセスを持っているから、詠唱式で出来ない。と言う訳さ。そのプロセスは魔法陣では再現できる」
長い説明が終わり、カルムは一息つく。
対する陽は分かった様な分からない様な、微妙な様子だ。つまり、こういう事だろうか? 召喚魔法は魔法として発動するまでに通常とは違うプロセスを辿るから、そのプロセスを再現するには詠唱、詰り言葉ではできない……そういうことだろう。きっと、そうである。
「……なるほど。了解。じゃあ、魔法陣は召喚魔法と一部の変化魔法を使うために利用されるから、価値無し、っていう訳じゃないんだな」
「そうだね。けど召喚魔法なんて召喚士や一部の物好きしか扱わないし、変化魔法は暗殺者やお忍びの人間しか使わないから、利用価値が低いことに変わりはない。僕も二度三度使ったきりだよ」
カルムは短い詠唱で水を出すと、魔法陣を消していく。
その魔法は陽も使ったことがあった。水初級:水球だ。もっとも、その威力は陽の二、三倍といった所だが。
「……けど、ちょっと待て。魔法陣を使いこなせれば、俺でも上級魔法が使えたり?」
「いやぁ、それは無いかな」
「だよなぁ……やっぱり、魔法陣だろうが詠唱だろうが、適性が必要な感じか?」
「いや? 魔法陣の場合、適性がない人が魔法を使おうとすると、体内の魔力が全部吸い取られて……最悪の場合、死に至るね。うん」
「─────いや、こわっ……!」
今宵最大の恐怖と共に、陽の控えめな叫びが木霊した。




