第二冊 『先行き不安洞窟』
陽が洞窟に入り込んだ瞬間、ゴブリンたちは追ってこなくなった。というより、入れないのだ。文字通り人間一人分しかない洞窟の穴は、ゴブリンの頭でっかちでは入り込めないのである。そのうえ、ただでさえ知恵の低い(はずである)ゴブリンにとって、集団行動など意味をなさない。
「き、危機一発とはまさにこのことだなぁ」
「「「「グギャァァッ!」」」」
洞窟の穴に二匹同時に頭を突っ込み、抜けなくなってしまったのだ。殺し合いや狩りであれば本能が働くのかもしれないが、今行われているのはただの逃走。意味をなさないのは当然である。
それによって、外の光がなくなって中が見えなくなるのかと言われれば、そうではない。なぜならば、
「やれやれ助かったってぬぉ!?」
─────陽の見える範囲、洞窟全体に淡い輝きを放つ鉱石が、そこら中に散らばっていたからだ。光の色は水色。目に優しいと評判の色である。洞窟の大きさは、見える範囲でも相当大きい。これは鉱石が光っていることでようやくわかるのだが、視界以外でも相当広い。
「はぁ〜、確実に迷いそうだな……壁沿いに行くか」
不安げな呟きを残し、陽は歩みを開始する。言葉通り、冷たい壁沿いを伝ってだ。いくら光があるからといって、全体が見えているわけはない。方向や場所がしっかりわかるように、壁に手を当てながら歩いて行く。
洞窟の中は静寂で包まれていた。
近くに生物は確認できず、ただ陽が一歩踏み出すたびに響く靴の音しか聞こえない。耳を澄ましてみれば、どこからかピチョンという音が聞こえてくる。どうやらそう遠くない場所に水場があるらしい。いや、ピチョンという音なのだから、水が漏れだす場所、もしくは溜まり場があるのだろう。なんにせよ、ありがたい情報だ。
周りには依然として変化はない。たまに分かれ道などはあるが、どれも同じようなものだ。ただ光り輝く鉱石だけが存在している。ずっと水の音は聞こえているものの、草木、食材、生き物などは存在していない。冷たい空間が続いている。
一応、鉱石も調べてみた。
叩いたり、先ほどの銅のナイフで衝撃を与えてみたり。そうすることでわかったのだが、この鉱石、叩くと光が増すのだ。叩いたり部分が数十秒間光り輝き、その後光が淡く戻って行くのだ。光るペンでお馴染みの、サイリウムのような仕組みである。
そのサイリウムを砕いて持っていき、道が分からなくなった頃に投げて明かり代わりにする。そう言った行動を繰り返した中で、分かった事実がある。
やはりこの洞窟、途方もなく広いのである。サイリウム鉱石(仮)を投げて壁に当たったこともなければ、這って行った壁が行き止まりになることもない。だからと言って一本道というわけではなく、人の手が入っていない天然の洞窟になっているようだ。とてもではないが、サイリウム鉱石が無ければ歩けない。
だがしかし、サイリウム鉱石を砕いて持っていった事により、壁を伝って行く必要もなくなった。というわけで普通に洞窟を進んでいるのだが、やはり生物がいない。水も音だけで見当たらない。これではなんで洞窟に入ったのか疑問に思ってしまう程、拍子抜けである。
そうして歩いていると、時々壁に何か書かれているのを発見する。
「……?」
サイリウム鉱石を叩き、その壁を照らす。場所的には他と全く変わらない壁。だが、そこには壁画のような何かが書かれていた。いや、それこそが俗にいう壁画なのだろう。
まず、カラフルだ。
赤、青、緑、黄色。様々な色彩で描かれているようで、同じ光景ばかりだった陽にとっては嬉しい。その壁にはこんな絵が描かれていた。
まず、目に入るのは真っ赤で書かれた龍である。翼を大きく広げ、空中(この場合、絵に地面と判断できる絵があった)を羽ばたきながら、その口から炎を出す。
地面では角の生えた大きな生物や(多分魔人とか魔族とか言われる種族)肌色で銀色の何かを着ている人間(おそらく騎士か其れに属する者)、緑色が特徴的な弓を持った生物(これは十中八九エルフだろう)、などなど。
恐らく、これは龍の種族が他の生物を蹂躙する様子が描かれている壁画だ。
なんだろう、龍はこの世界、若しくはこの島(?)において、絶対的な力を示していたのであろうか。しかし、壁画になっているところを見るとそれは昔の出来事なのかもしれない。なんにせよ、この洞窟、過去に生物が居たことは確定した。まあ、どれぐらい昔かはハッキリしないが。
「ッは……!」
正直言って、陽は少し嬉しくなった。
龍が、少なくとも存在していた可能性に、だ。異世界が好きな人間にとって、龍、なんて代名詞とも呼ぶべき存在には、憧れを抱かずにはいられなかった。
しかし、残念ながらそれ以上、壁画は見つけられなかった。壁を伝って少し歩いてみても、変化は見つからず、陽はそれ以上何かを見つけるのを諦め、壁に目印と成るような傷をナイフで付け、同じように歩き出す。
すると、その時だった。広場のような、円形の場所に出たのは。
「おっ……!?」
サイリウム鉱石がそこら中に散らばっており、天井も、壁も光源があるおかげで見やすかった。実はこのサイリウム鉱石、採取してしまうと、叩かないと光らないが、取らない限り自動的に光るようなのだ。
それはいい。円形の広場には凸凹は少なく、比較的歩きやすい。
だが、注目すべき点はそこではない。
その円形の広場の中心、青い何かが身を屈めて何かを食べている。その青い何かは陽が広場に入ってきたのに気付くと、耳、だろうか。その部分をぴくぴく動かしてこちらに視線を向けた。
そのまま立ち上がる、というよりは態勢を起こすと、「ガウァッ!」と吠え、陽を、体と同じ青い目で睨んだ。
犬、いや、狼だろう。青い狼は体が大きく、陽の腰ほどの高さがある。全身が青に包まれていたが、その口元だけは何か紅い液体で汚れていた。
(……狼型の魔物か……)
知識から見れば、心の中でつぶやいた通り、狼の魔物。しかも、どこかで聞いたことがある。食事中を邪魔された野生の狼はひどくイラついていると。どうやら不幸な時に踏み込んでしまったらしい。
だがしかし、逃げようとしても難しそうだ。狼から逃げれると思う程、陽は楽観的ではない。そもそも生き方も環境も違う。秒で追いつかれて終わってしまうだろう。
陽は脂汗を流しながらも、左手に持つサイリウム鉱石を上空へ放り、右手に持つ銅の剣を両手で握る。
放ったサイリウム鉱石が落ちた時、狼は我慢ならないとばかりに唸り声をあげ、陽へと突撃してきた。
(……はぁ!?)
狼が突っ込んでくる。だが、それは常識を外れた速度で、だ。なんと、その体から閃光を発しながら、ジグザクに突撃してきた。光が目の前で走ったと思った瞬間、目の前には大口を開けた狼の姿が。
陽は何とか銅の剣を自分の前に突き出し、狼に剣を噛ませる。
警察犬の特集などで見る様に、ガードするのだ。そして自分は横に移動すれば、狼は銅の剣から口を離し、陽の横を通り過ぎる。
「はやっ、過ぎるだろ……」
正直見えなかった。
油断していたわけでもなければ、どこかを向いていたわけでもない。ただ狼に集中していたはずなのに、早すぎて目が追えなかった。
「グルアァッ!!」
再び叫びを上げながらジグザグに移動する狼に対し、陽は先に剣を構える。
だが、流石に殺し合い素人の陽の作戦など、簡単に破られてしまう。狼は銅の剣に噛みつくと、そのまま陽の腕から吹き飛ばそうとした。
「ちょっ!?」
「グルルッルルル!」
予想外の行動に陽が驚きの声を上げるが、それを無視して狼は首を振りながら剣を取り上げようとする。が、陽の剣を手放したくない、という意志が勝ったのか、狼は諦めて、剣ごと陽を吹き飛ばした。
地面に叩きつけられながらも、何とか体勢を直して狼を睨む。
「……ぅ……」
全身が痛い。少し前のゴブリンから逃げるだけの行動ではなく、今回は本当の戦闘。だが、そんな感想や感傷に浸る間もなく、次の攻撃が来た。
同じジグザグ突進。だが陽の体は最早満身創痍だ。
しかし、他に取れる行動もないので同じ行動を取る。剣を前に構え────ふらっと、体の力が抜ける感覚がした。そのせいで、陽は剣を前に突き出す形になってしまう。
其れに驚いた狼は少し身を引くが、最早突進しているので直すこともできず、陽の剣が口の中に入っていく。
そのまま狼は死ぬ────いや、まだである。
狼の喉を銅の剣が切り裂く前に、狼が陽の腕を噛み切れば、まだ狼が生きる可能性はある。狼はそれを本能的に気付いた様で、少しづつだが、口が閉まり始めた。
それを自覚した瞬間、陽はあらん限り手を伸ばす。
「ぐぅ!」
これ以上伸びないと体が悲鳴を上げても、骨ごと伸ばすイメージで一心不乱に手を伸ばす。
幸運なことに、成功したらしい。陽の腕にガコンッ! という感触、次の瞬間、鈍い感覚と共に銅の剣が狼の喉に入っていく。
「キャウンッ!」
「ぉぅ」
その瞬間、閉じかけていた口は動かなくなり、一瞬狼の身がビクンッ、と痙攣したかと思うと、情けない断末魔のような声を出した。
剣を持っている陽の腕が真っ赤に染まり始めた。喉を切り裂いたことで噴出した血が、陽の腕を中心に、顔にまで掛かって行く。
「……」
その光景を見て、陽は何も言えなかった。後悔がある訳でも、動物の死を目のあたりにして悲しくなったわけではない。罪悪感も、無い。だが、初めて動物と殺し合って、なんとなく、何も言えなくなった。血が噴き出す、光景を見ても、なんとなく、黙っていた。
この感情を何と言ったらいいか分からない。何かぐちゃぐちゃで、言葉に表せない何かだった。ただ、意外にも。あっさりしていた。元々殺そうと思って居たのだ。もうそれ以上、何も思わなかった。もやもやは残るが、それだけ。
当たり前だ。陽が元いた世界では、恐らく普通の人間。生物や人を殺すのが日常の世界でなかったのは感覚的にわかるし、自分も平和や日常が好きで、特別なことに憧れる少年だった、はず。
そんな陽が、逆に、生物を殺して『何も思わなかった』で済んでいるのだ。むしろ結果的には良い。
いまだ噴き出す血を尻目に、腕を抜こうとして、つっかえる。思ったより深く刺さっていた様で、両手を使ってようやく剣は抜けた。
一瞬強く血が飛び出て、胴体を濡らす。
そこで、陽は見てしまう。
(─────死んで、いない?)
狼型の魔物は、生きていた。かと言って、再び襲い掛かってくるわけでもない。
逃げようとしていた。喉が切り裂かれ血が噴き出す中でも、必死に足を動かそうとその肉体に似合わない子犬のような声を上げながら、ただこの場から逃げようと姥貝ていた。
リアルだ。これ以上にないほどリアル。生物がどのように殺されかけ、どれだけ生きようとしているか、どれだけその傷が痛いか、それを目の当たりにしている。
簡単じゃあ、ない。物語なんかでは切って、切れて、死ぬ。そんな風に簡単に描かれているが、現実がそんな訳なかった。
これは命の取り合いだ。
これは命の奪い合いだ。
これは命の殺し合いだ。
簡単に望んでいい事でも、簡単に考えていい事でも、無い。
「アァ……気持ちわりぃ……」
胸の中がぐちゃぐちゃして、何を考えているのすら定かではない。殺した時点では、『まるで物語の様だ』と思って居た時点では、驚く程度。しかし今回は───いや、いくら言葉を重ねたところで、現状は変わらない。陽は何も考えることなく殺した。これが事実だ。
───陽は思った。
物語なんかでは、結構主人公が、最初の戦闘で簡単に魔物を殺し、へらへら笑いながら生活している。そんな、そんな奴。
「───まともな、考え方してねえよ……!」
作り話だから、という問題ではない。いや、作り話だからこそ、作り話に憧れている陽だからこそ、思ったのだ。多くの異世界転生系主人公は、生物を殺すことに躊躇がない。
陽は覚束ない足取りで、もがいている狼の魔物へ近づく。そして手の中の銅の剣を両手で握り、それを勢いよく振りかざした。
鈍い音共に、血が飛び散り、肉が切断される。
今度どこそ、狼の魔物は死んだ。その身を散らして、陽に命を捧げた。だけど、陽はその命を活かすことは出来ない。だから、せめてもの償いとして、陽はその肉を少し切り分け、口の中で咀嚼した。
「……ぅ」
筋が多くて噛めたものではない。
血が溢れて口の中が気持ち悪い。しかし陽は何とかかみ砕き、喉を少しずつ鳴らしながら食べた。
「……」
手を合わせて、感謝を伝える。
これで狼の魔物が救われたわけでもないし、陽がやったことが晴れるわけでもない。ただ、魔物を殺したのだから、何となくこうするのは礼儀だと思っただけだ。体に変化はない。異常は無いようだ。
陽は口を拭って、今一度狼の魔物を見つめ、そして歩き出した。
その時、耳にぴちょん……ぴちょん……という音が聞こえてくる。どうやら、狼の声で聞こえなかったが、水源はこの近くにあるらしい。陽はそれを認識すると、なるべく床に散らばった血を踏まないようにしながら、進み始める。
陽君の行動を見て『え、きもっ』と思った方もいるかもしれませんが、安心してください。自分もです。
まぁ、『こういう人なんだな』と思っていただければ。此処までの行動はなかなかしませんので、次回も見てくれると幸いです。




