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最弱で駆ける道  作者: 織重 春夏秋
第一章 『始まりの洞窟』
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第十四冊 『絶望の一歩手前』

 未来とは、等しく誰にでも広がっていくものだ。ただし、中身は人によって異なるが。その未来が輝かしいものか、恐ろしいものか、あるいは変化の無い退屈なものか、それはその未来を歩み人間の生き方次第と成ってくる。


 だからこそ、人は努力をする。端的に言えば、『頑張る』のだ。幸せに成りたいから、夢を叶えたいから。はたまた不思議なことに、何の欲望も夢も無いのに努力をする人間もいる。そういう人物の心境は、生き死にと同じである。


 というのも、『死にたくないから生きている』人間がいる。それと同じで、努力をしなければ何かが終わる。人生、人間関係、生活、それ等が終わる。つまりそういう人間は『終わりたくないから努力』をするのだ。


 終わらないための努力、夢を叶えるための努力。それに目的や大きさの違いは有れど、努力、という点ではすべてが同じだ。

 ならば、努力の先が全て同じなのか、と言われればそれは違う。


 努力をしても結果に結びつかないことはある。よく誰かが『それは最後まで努力していないからだ』という言葉を吐くことがあるが、それは滑稽だと言わざる負えない。それを信じて最後まで努力を貫いた人間だろうと、結果に結びつかない事はある。

 

 けど、そこまで努力したらもう遅い。努力が無駄だと悟る頃には、もう既に引き返せるところでは無いだろうからだ。引き返せない努力は努力とは呼べない、努力と呼べる努力は無駄。非常に残酷で残忍で愚かな現実である。確かに、努力した本人は結果に結びつかないものだったとしても、それで満足かもしれない。あるいは『過程が大切だ』と言い出し、努力そのものに魅力を見出すかもしれない。


 だが、それは他人にとっては唯の笑いものだ。そして、現実……社会にとってもだ。結果の出ない努力を認めてくれる現実などない。努力の友情も、根性も、何もかも。全ては結果を持って、初めて意味がある。

 過程に価値を見出すのは、大概努力を辞めて、結果を諦めた愚か者に過ぎない。


 夢を叶えた者の多くは『自分には才能は無かった』、なんて言う。そして、『努力さえすれば必ずかなえられる』と。だが、すべからくその者達は才能が有った。才能があるからこそ努力という物は意味がある。どんな成功の裏にも、才能と努力は半々に宿っている。


 そんなことを言う人々は、本当に才能が無い人間のことを理解できない。偉そうなことを言い、出来ないものを『努力が足りないから』と見下す。それは余裕が有るからだ。才能が有り、活躍できる場があるからこそ、そんなことを言える。本当に追い詰められたことが無いから、そんな楽天的なことを言える。


 そんな人たちだって、成功したから『努力のお陰』と言う。だが、失敗した場合、『どうせ才能』と言い捨てるのだ。

 もちろん例外もいる。というより、成功している人は例外が多い。だが、ある程度の人数はそんな風に全てを否定する。成功すれば『努力』、失敗すれば『才能』。それは虫が良すぎるという話だ。


 ─────ならば、ソラシロ ヨウならどうなのだろうか。『才能』は無く、『努力』も出来なく、突然与えられた龍神の力だけを持っているヨウは。果たして、自分の望みを叶えられたのだろうか。答えは簡単だ。『自身の怠惰と傲慢により、望みの全ては砕け散った』。


 一つの行動で七つの大罪を二つも含むなんて、逆に珍しい────なんて、くだらない言葉すら出てこない。ヨウは才能だろうが努力だろうが、どっちも嘆くことは出来ない。何故なら選択よりも前の段階で躓いたからだ。

 その二つは行動を起こすことで初めて選択できるし、意味を持つ。だが、何もしない者に何を選ぶ権利はない。


 ヨウの場合は、まさにそれだ。『何もできなかった』ではなく、『何もしなかった』のである。行動すれば解決できる問題を己の怠惰で実行に移さず、天津さえ逃げ出し、ティアとカルムとフィリアの命を無駄に散らした。


 何故、逃げてしまったのだろうか。あのまま逃げずにいれば、楽に成れたかもしれないのに。裏切り者に成らずに、仲間のまま死ねたかもしれないのに。けどもうその道は。ヨウより生きているべきである三人は、もう既に物言わぬ肉片へと変わった。


「なんでだ……」


 ────ヨウは、いつの間にかフィリアの場所を離れて洞窟内を歩き回っていた。肉体のお陰か疲労は訪れず、ただただ歩き続けている。後ろから何かが追ってくる気配はない。気配は無いのだが、何かが追ってきている感覚があった。だから、逃げている。


 手に握っている本は、血を浴びたはずなのに、新品の様だった。


 追ってくる何かに捕まりたくないから逃げている。死にたくないから生きている。死に勇気がないから生きている。いっそのごと死ねたらどれほど楽だろうか。だけど、死ぬことは許されない。もう意味の無いことかもしれないけど、『命を大切にする』と誓ったティアに対する、最後の礼儀だ。


 死ぬことは許されない。例えどんなに醜くなろうとも、ヨウが死ぬことだけは許されない。

 『生き物は他の生き物の『死』で形成されている』、まさにその通りだ。ヨウは三人の死を経て今生きているのだから。


「なんでだ……どうして……」


 全身を返り血や自分の血で濡らしながら、ヨウは懺悔の様にその言葉を呟き続ける。眼の焦点の定まっていない状態は、ある種の狂気さえも感じさせた。いや、もう既に狂っている。誰も助けられなかったヨウの心は既に狂っている。


「──────」


 無限迷宮を彷徨っている気分だ。本当に、この洞窟はどこかおかしい。終わりがない。変化は有れどどこまでも続いている。それで思い出すのは洞窟の外に居た『青い鳥』─────幻影鳥ハッピーバード。これもカルムから教えてもらった知識だ。ちなみに幻影なのにハッピー、というのは、『幻影を見ていると幸せになれる』といった、危ない方向の意味の様だ。


 あの鳥は、曰く、自分の正体を知らない者だけに有効な固有魔法オリジナルマジック:幻影魔法を使う魔物らしい。ヨウにかけられていたのは『方向感覚を失い、永遠と同じ道をぐるぐると回る』幻影だ。その、『正体を知らない者にだけ有効』という性質から、『初見殺し』とも言われている。そして初見の相手に気づかれたら己の魔力が暴走し、死に至るという。


 正体さえ知ってしまえば何の脅威も無いただの美しい鳥なのだが、初見ではまず敵わない。初見で対抗できるのは『異常に勘が優れている者』か、『初見ではあるが幻影鳥ハッピーバードについて事前に知っている者』、或いは『幻影に対し特殊な耐性を持っている者』だけらしい。ヨウは例外だ。


 オタク知識を持っていたことにより、幻覚だと気づくことが出来、それが功を奏したのだ。もしヨウがオタク知識、詰りは魔法などの超常的力に関心が無かったら、あのまま彷徨い続けて死んでいたかもしれない。


「ッ─────」


 突如、空間に感じる違和感に目を見開き、焦点の合っていなかった眼に生気が戻る。

 空気が変わる、というのを感じ取り、全身の筋肉が一瞬硬直した。疲労のせいか、それとも緊張のせいか、背中を汗が伝うのを感じる。


 圧倒的な存在感が近づいてくる。だが、さらに感覚的にわかるのが、今感じられている存在感は龍神の力による『五感強化』のお陰という事。強化された五感によって感じられている。つまりは以前のヨウなら感じられなかった、という事だ。


 そして、それは飽くまで『存在感』であるという事。オークを目の前にした時の『恐怖感』は感じない。微妙にだが、その違いは大きい。恐怖と緊張、どちらがマシかと言われれば、それは断然緊張であるからだ。


 ぞわ、っと、毛が逆立つ。同時に、獣特有の臭さが漂ってきた。これも龍神の血からだろうか、普通の人間よりも鈍いヨウにとって、この程度の臭さも漸く確認できるレベルなのだ。

 だが、不思議と後ろに逃げる選択肢は無かった。というよりも、もう『逃げ』と『対峙』が浮かんだ時点で、それはもう目に前に立っていて。


 ─────それは、洞窟の暗い色と同化する様な、漆黒の体をしていた。

 大きい、巨躯はオークにも匹敵するだろうか。何の因果か、この洞窟には大きい魔物が多い様だ。ぶっとい体を持ち、伸びる四本の足も太い。ヨウの胴体ほどありそうだ。体色は岩と同化する様な黒と砂色の縞々。全体的に、体はライオンみたいである。当然、尻尾も生えている。


 顔は熊の様。鼻の形も牙も、熊そっくりだ。だが、耳が無い。さらには鼻の上に鋭い刃の様な角が生えていて、根元部分に二つの穴が開いている。そこが音を聞き取る器官だろうか。刃は人の持つ刀の様に長く、『穂先に止まった蜻蛉を切った』という伝説がある蜻蛉切りをイメージさせた。もっとも、あれは刃ではあるが槍だが。地球の生物の面影があるのに、どこか異様だ。


 その魔物────カルムから教えてもらっていない。それほど珍しい魔物か、或いは新種か、若しくは洞窟に生息するはずの無い魔物か。


「──────ルァアアアアアアアッ!!」

「ッ……おいおい」


 何にせよ、敵であることに変わりはない。


 ゴウッ! という空気が悲鳴を上げる咆哮。それによって熊の魔物がいる地面がペキッと少し砕け、破片と共に衝撃波がヨウまで届いてくる。直接的ダメージは無いが、強風を体に浴びた感覚。思わず声が出る程で、一体どれほどの肺活量をしているというのか。


 咆哮が病めば、攻撃が飛んでくるのは当然。熊の魔物は頭を思い切り振り上げると、地面に向って思いっきり振り下ろす。鼻の上の刃が地面に触れた瞬間、衝撃と共に地面を這う斬撃が発生し、ヨウに向って真っすぐ伸びてきた。魔力を込めた斬撃、恐らく何かしらの魔法、若しくは固有能力によるものだろう。


「ひ、飛閃─────!?」


 思いついたのはティアの放っていた剣術の其れ。だが、飛閃は空中を飛ぶものだし、ティアと熊の魔物のこれでは、洗練度が違う。魔物の飛ぶ斬撃ならぬ『這う斬撃』は、何となく荒いように見えた。技術的に、だ。殺傷能力は相違ないだろう。

 ヨウは反射的に横っ飛びをする。先ほどまでいたところを確認すれば、地面が五十㎝ほど抉れていた。恐ろしい威力だ。触れたら即座に真っ二つ、確実に予想できる。


「避けるしか……」


 額を流れる汗。相手は低い体制のまま、こちらを睨んでいた。飛び出すタイミングを狙っているのだ居るか。

 問題が発生した。それはヨウに抵抗する手段がないことだ。龍神の力があるだろ? と思うかもしれないが、使い方が分からない。身体能力は強化されているようだが、凡人がいきなり超次元な力、それこそ龍『神』の力なんて、扱えるのだろうか。


 そして、次に度胸がない。熊の魔物の攻撃を掻い潜り、その肉体に攻撃を叩きこむ自身が無い。さらには武器もない。今までは鉄の剣などを使っていたが、今は素手だ。自然と、拳に力が篭る。


 熊の魔物が飛び出した。


「ッ、オオオオオオオオッ!」

「グルアァッ!」


 大きく魔物が飛び出し、弾丸の様に突っ込んでくる。ヨウは再び全力回避しようとするが、くっ、と、服が魔物の刃に引っかかり、そのまま捕まる。魔物はヨウを刃で捕まえたままぐるぐるとその場を回ると、首を振ってヨウを飛ばした。


「ガハッ!」


 十数m吹き飛び、全身を地面に打ち付けて停止する。

 本来、刃が服に引っかかれば切れるものだ。だが、熊の魔物は側面を引っかけることにより、ヨウを捕まえた。それなりに知恵が働く様だ。


 そして、吹き飛ばされたが魔導書は離さなかった。打開策があるとすればこれである。龍神の魔導書。本来なら、この身体能力があれば熊の魔物を倒せるのかもしれない─────身体能力を使えば倒せる?


「……」


 その瞬間、ヨウは思ってしまった。間違いかもしれない、無茶苦茶かもしれない、けど、一度思ってしまった。魔導書を使う、つまりは、身体能力を使わず、魔導書に頼るという事だ。それは即ち……ある種の逃げに該当するのではないのか?


 確かに、戦闘には勝てるかもしれない。確かに、生き残れるかもしれない。実際戦場では、逃げるなんてものは立派な戦法だ。

 だけど、それはまだ熊の魔物に怯えている。言うなれば、道具の力を使った勝利である。それは自分自身の勝利とは言えない。


 何より、ヨウはまた逃げることになる。


 それは逃げだと、同じことを繰り返すのかと。


「グルアァゥ!」

「ッ────」


 考え事をしている暇なんて無い。

 熊の魔物は巨躯に似合わない軽やかさで跳躍し、空中で一回転すると頭を大きく振る。刃から魔力が溢れ出し、空中を巨大な斬撃が駆けてくる。


 ─────どうする。


 ヨウは後ろに下がることで回避しようとするが、飛ぶ斬撃が地面を抉り、その衝撃で少し後ろに飛ばされた。態勢を崩す事は無かったが、それでも隙が出来る。

 熊の魔物は見逃さない。まだ回避行動を取る余裕がないヨウに対し、再度弾丸の様に突っ込んでくる。


 その攻撃は避けられない。足を動かそうにも、遅すぎる。第一回避行動を取れても、攻撃の範囲から逃れられうか怪しいところだ。

 そうすれば、取れる行動は決まっていて。


「ッ─────アアアアア!」

「ガァッ!」


 咆哮と叫び、ほぼ同時に響き、拳と刃が激突する。衝撃波が交互に発生し、ポロポロと小石が転がろ音がする。

 ヨウは拳を持って、熊の魔物の刃を迎え撃った。拳では負けるだとか、そういう考が浮かぶ余裕はない。だが、実際は、拳はしっかりと刃を抑えた。が、流石に無傷とはいかず、刃が少しめり込み、骨に到達する前で止まっている。


「くっ────!」


 思わず大声を上げそうになるが、戦うことへの恐怖に比べれば大したことは無い。

 ヨウが拳を引けば、相手も後退し、姿勢を低くしながらこちらを睨んでくる。


 身体能力のお陰か、抉れた肉が徐々に再生していくのが分かる。感覚としては、抉れた部分に向って肉を押されている様な感じだ。だが、目に見えて回復はしない。ぎりぎり感覚的に治っているというのを感じられる程度。通常、十分で塞がる傷が八分で塞がる、そんな差だ。


「遅い……」


 だが、これで漸く『戦い』という次元まで到達することができた。抵抗することもなく、逃げ回るだけだったが、今度こそは、拳を持って打ち合った。

 大げさな表現だろうが、これでもう、ヨウが逃げ出すことは無いだろう。


 だが、それが今更何の意味がある。


「なんで……今なんだ。遅すぎるだろがあぁッ!」


 思わず叫びが出てしまう。分かっていたはずなのに、そんなこと分かり切っていたのに。己の肉体を使った高いに、そして強敵との戦いに向かい合えたからといって、今更何の利点がある。遅すぎるのだ、あの時、オークの時にこういう行動を取れていれば、フィリアは無理にしても二人は助けられたかもしれない。


 怒りが沸く。

 自分に、龍神の力に、オークに、熊の魔物に。 


 熊の魔物は、四肢を大きく動かし突進してくる。そしてある程度間合いに入れば、頭を大きく振り、再び這う斬撃を生み出す。先ほどよりも大きい。どうやら相手も、本気の様だ。

 先ほどよりも近くなっている距離、増大された斬撃に対し、ヨウは空中に跳躍することで回避、そのまま相手に近づけば、その体に蹴りを叩きこもうとした。


 先ほどまでなら思いつきもしないし、無理な芸当。飽くまで普通の感性を持っているヨウが強化された体を完全に掌握出来るわけがない。が、今は怒りで少し正気を失っている。こんな行動が出来たのもその影響だろう。


 魔物はやはり、刃を持って対抗する。

 蹴りと刃が激突、負けたのは当然蹴りだ。ヨウは弾き返され、地面をごろごろと転がり、壁に背中を打ち付ける。幾ら蹴りに威力があるからと言って、ヨウは空中。相手の体勢を崩す=攻撃を防ぐことに繋がるのだから、対策の仕様はいくらでもある。


「チッ!」


 ヨウが体勢を直す前に、魔物は刃を角の様にして突っ込んでくる。突進、だが当たれば体に穴が開く。先ほどの様に受け止めるわけにもいかず、しゃがんだ状態のまま横っ飛びに回避する。

 魔物の驚愕の声とともに、壁がベキリッ、と嫌な音を立てる。だが、別に崩れた訳では無い。魔物は刃が壁に突き刺さってしまい、慌てている。


 何も言わず体勢を直し、ヨウは蹴りを熊の魔物にお見舞いする。それによって壁に埋まっていた刃は抜け、魔物の体は先ほどのヨウの様に吹き飛んだ。

 段々と、龍神の体の使い方が分かってきた。やはりかなり強力なようで、唯一つ今分かることは、魔力を込めたら威力が上がるようだ。現に今も、足に魔力を込めて攻撃した。


「グルァ!?」

「……」


 言葉も浮かんでこない。

 ヨウは足と腕に魔力を込めると、地面を粉砕しながら相手に迫る。普通ならあり得ない速度、だけど今は、その感覚をしっかりと認識できる。


 吹き飛んでいた魔物は立ち上がろうとしたようだが、ヨウはそれよりも先に、その体に拳を叩きこんだ。どちらかというと、横に、というよりは、地面に振り下ろす感じだ。

 攻撃を直接受けた魔物は声を漏らしながら、地面に激突する。べごんっ、という音が地面からして、魔物はのたうち回った。


「グルアァァアアッ!」

「─────終われぇえええええッ!!」


 これで最後、とでも言うように咆哮と怒号が交差する。

 ヨウは相手が立ち上がるよりも早く、その顔に拳を叩きこむ。骨や肉が砕ける音が確かに聞こえ、拳がずぶずぶと中にめり込んでいく。


「ガッ──────」


 柔らかい肉を穿ったのを感じれば、ヨウは頭から手を離す。瞬間、頭から鮮血が噴き出て、ヨウの体は血に染まった。さすがにそのままもアレなので、少し距離を取る。

 そして、一番血に染まった、魔物を殺した・・・腕を見る。


「……やった、な」


 満足感も無い、何も無い。

 この力をオークの時に使えていたらどれだけよかっただろう。そんな嘆きも、もう遅い。ヨウは声も漏らさず死んで逝った熊の魔物に対し、ただ一言、


「ありがとう」


 そう呟いた。心は晴れない、けどれ、ヨウはこれからも生きていく。その前に一つだけ、やりたいことがあった。


「……せめて」


 思えば、ヨウはフィリアとカルムが死んだと所は見ているが、ティアの死んだところはしていない。だから、


「……せめて、死に顔だけでも拝んでやる」


 拳をギュッと握り、宣言する様に呟く。

 あの少女の、死体。正義でもなければ礼儀でもない。だけど、最後に一回だけ、ティアの姿を見る。それはある種の使命感でもあった。


 何より、謝らなければいけない。あの時逃げてゴメンと、許されないだろうが、それでも。彼女は生きろと言った、だから、ヨウが生きるためにも。彼女の言葉を守る為にも。


 ヨウは、ティアをもう一度この眼で。死体が残っていたら、この手を持って埋葬しなければならない。


「……まってろよ」


 其れだけが、ヨウに残された唯一のやるべきことだ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 状況を整理しようと、ヨウは思った。


 状況というよりも、自分の力の整理だろうか。龍神の力、と言われても、今では身体強化し変わらない。また次何時、熊の魔物様な強敵に遭遇するとも限らないのだし、力がある分に越した事は無い。

 そう思って行うのは、魔導書を見ることだ。


「……」


 ヨウは現在、洞窟の壁に寄りかかって、魔導書を開いている。

 魔物はとりあえず火球ファイアーボールで燃やし、埋葬しておいた。そして、服は近くの川──────以前、狼の時にも利用した川で洗っていた。やはりあの川の水は少し違うようで、洗えば血があっさりと取れたのだ。


 同じ川、と言ったが、確証はない。ただ血が落ちたことから言っているだけであって、真相は分からない。だが、川があって助かった。水玉ヴァッサー・ウナ・パーラ……水属性の初級魔法、詰りは普通の水では洗い流せないので、川が無かったら今でも血まみれの状態であったかもしれない。


「……龍魔法……くそっ」


 魔導書を開き、ページをぱらぱらと捲るヨウの顔は険しい。

 というのも、確かに魔導書には魔法の名前、詠唱が書いてあった。だが、使い方、級、魔力量……それらの項目が書いてなかったのだ。


 大問題である。名前が分かれば何とか使える魔法もあるが、内容が分からない魔法を使えば何が起こるか分からない。ないとは思うが、自爆や暴発、そんな魔法を使ってしまったら死んでしまう可能性だってあるのだ。


「下手に詠唱できないな……」


 どれが強いのか、どれが弱いのか。その線が明確でない以上、詠唱は控えた方がいいかもしれない。しかし、何も行動しないというのも論外。となれば、慎重に魔法を選ぶ必要がある。

 ヨウは魔導書の文字の中、なるべく短い文を見つけようとした。


(……爆炎……古の残骸……冥王の息吹……駄目だ、強そうなやつしかない)


 捲り捲って探しても、凶悪そうな言葉と長文だらけ。かと言って短文を選ぼうとすれば、より難しく邪悪な言葉。『再来』だとか、『強襲』とか、そんな単語ばっかりだ。

 やがて、最初の方へ戻り、漸く使えそうな魔法を見つけた。


「……これにするか」


 魔法名:『龍神の剣』。詠唱:『龍の剣よ、腕に宿れ』。

 短く、危険な要素が感じられない魔法だ。いや、剱だとか腕だとか書いてあるのだから、攻撃力があるのは間違いないだろうが、それでも危険度はそれほど高くないだろう。


 ヨウは魔導書をしっかりと開き、その文字を唱え始める。


「……『龍の剣よ、腕に宿れ』……龍神の剣!」


 ─────ヒュウッ、と空間を切り裂く音が聞こえ、空中に剣が現れた。


「ッ、っわ」


 ヨウは本を落とし、慌てて剣を握る。

 美しい剣だ。鞘、装飾や特殊な色などは全く無いが、何物も受け付けないが如く白く輝き、自分自身という剣を主張している。長さは80㎝~90㎝、剣にしてはそれなりの大きさだ。重さを全く感じさせない程軽く、握ってみても、前から使ったいた様に馴染む。


 魔導書に従うならば、龍神の剣。名称などは分からない、いや、もしかしたら『龍神の剣』、という名前なのかもしれない。もしかしたら名称があるのかもしれないが、とりあえずは『龍神の剣』だ。まさか剣を召喚する魔法とは驚いたが……この剣は龍神が使った居た物なのだろうか?

 

「……いい」


 軽く振ってみる。音も無く、反動も無く、この異世界に来てから握った中で、間違いなく一番の武器だ。もしかしたらこの剣は龍神が扱いやすい様、調整された剣なのかもしれない。だからこそ、使いやすい。考えられる可能性である。


 ヨウは左足に力を入れ、地面を砕く。細かい破片と微妙な大きさの破片が多数生成され、その中でも一番大きい、拳大より少し小さい石を持つと、それを空中に放った。

 瞬間、剣を構えて一閃。スパンッ、という音共に真っ二つに両断された。


「おおっ」


 思わず声を漏らすほど。

 乾いた音を立てて地面に落ちる石を見れば、断面が綺麗すぎる程だ。実際に触ってみても、サラサラとしていて、自分が、武器を使って両断したとは思えない程正確。


 しかも、本来剣という物は当たり前だが、石を切る様には出来ていない。いくら異世界の剣であっても少し傷ついていたり、どこか汚れたりしていたのだが、龍神の剣は汚れ一つない。熊の魔物の刃、ティアの神製道具アーティファクトの剣、それ等がこの世界に来てヨウが見た最高峰の剱だが、その二つに追随する、若しくは勝るかもしれない剣だ。


「……でも」


 ────だが、そう心で感じた時、自然と剣に力が篭る。ふと、脳裏で思ってしまったのだ。この剣があれば、オークを倒せるのだろうか、と。何度でも何度でも振り返り続ける。恐らく、あの逃げた瞬間をヨウが忘れる事は無い。それは許されない。


 恐らく、いや、確実に、この洞窟内にはあのオークがまだいる。

 其れと対峙した時、ヨウは戦わなければいけない。それはある種の運命だ。


 オークを倒さない限り、ヨウはこの洞窟を出ない。


 誰とも約束したわけでもなければ、強制的でもない。絶対必要でもないし、殆ど自殺行為。だけど、こればっかりは譲れない。何の才能も持っていないし、異世界転生する主人公らしい行動なんて一切できないヨウではあるけれど─────こればっかりは、けじめだ。


 ヨウは『魔法:龍神の剣』の一つ下に書いてある、『龍神の剣:収納』を発動させる。空中に溶ける様に剣が消えていった。この魔法は、『出現』と『収納』、ワンセットの魔法である。収納機能とは便利だ。


「……『生物は他の生物の死で出来ている』」


 誓いの言葉の様に口ずさみながら、ヨウは歩き続ける。ティアから伝えられた言葉、何となく、この言葉は記憶に残っていた。


































 数日後、ヨウはオークを見つける──────



























 ──────まだ、生きているティアと共に。


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