孤児の少女と大泥棒
ずいぶん昔のお話です。
今よりも戦争が多く、貧しい時代でした。
長い戦争が終わり、町はずれの孤児院には親を亡くした子供たちが集まっていました。
大人達は毎日を生きるのに必死で、自分の家族を守るので精一杯。
そんな状況ですから孤児院に十分な食べ物はありません。
しかも、悪いことに孤児院を経営している牧師はどこかに居なくなってしまいました。
きっと悪い未来しか描けなくなってしまったのでしょう。
結局、その孤児院には沢山の子供達が残されました。
孤児の中でも年長の少女は牧師の代わりに孤児院をきりもりし、時には優しい母の役目を、時には厳しいお姉ちゃんとして子供達を育てる事にしました。
働くことができる子供達は、毎日朝から晩まで大人たちに交じって仕事をして、少ない稼ぎながら、自分よりも年下の子達に食べさせていました。
それでも食べ物は足りません。
「ミーシャおねえちゃん。ぼく、ひもじいよ」
育ち盛りで、我慢の利かない小さな子供たちは、お腹が空いては年長のミーシャにわがままをぶつけます。
お腹が空いてどうしようもないのですから仕方ありません。
「あしたはもっとたくさんの食べ物をもらってくるね」
笑顔でそう言う彼女は、その一方で年下の子供達に嘘をつかなければならない事を苦しく思っていました。
すでに彼女の分の食べ物は他の子供達に分けてしまっています。
お腹が空いて泣きわめく幼い子供達を寝かしつけた後、彼女はへとへとになって何もない食堂に戻ってきました。
「……今日も、何も食べられなかったな」
彼女は寂しそうにつぶやくと、背の高い戸棚の奥からリンゴを一つ取り出しました。
それをテーブルの上に置くとじっと見つめてお腹が膨れるのを待ちます。
食べ物が無い日は、こうして食べたつもりになって、気を紛らわせるのが彼女の習慣でした。
ある日の事。
その日は見事な満月でした。
彼女は子供達を毎日のように寝かしつけていたのですが、その日は孤児院で一番やんちゃな男の子が起きて居ました。
お腹が空いて、それから月の光が眩しくて、目が覚めてしまったのです。
彼はふと、ミーシャが食堂に向かうのを見かけたので着いて行きました。
それから、彼女が戸棚から何かを取り出しているのを見つけました。
赤いリンゴです。
彼は怒りました。
自分たちが食べられるものと言えば腐りかけたチーズや、カビの生えたパンばかり。
それでも食べられるだけ良い方です。それらを子供たちと奪い合うようにしています。
彼女がテーブルの上に乗せたそれは、赤くてきれいなつやのあるリンゴです。きっと甘くて果汁たっぷりでとても美味しいのです。
もうかれこれ何年もあんなにきれいなリンゴを食べたことはありません。
彼はこっそりと扉の陰から彼女の様子を見ていました。
もし彼女がそのリンゴに手を付けようものなら、飛びだして奪ってしまおうと思っていました。
……しかし、ミーシャはそのリンゴに手を付けず、しばらく見つめた後にため息をついて、再び子供たちの手の届かない戸棚の高い所に戻しました。
彼は少しだけほっとしました。
ミーシャがとても優しいことを知っていたからです。
彼女の事を嫌いにならなくて済みました。彼は母のように優しいミーシャの事を疑ってしまった自分を恥じて、とぼとぼと寝床に戻りました。
ミーシャは窓を通して映る満月を見ながら、お祈りの日である事を思い出します。
突然いなくなってしまった牧師様の習慣は、毎日夜になると、銀の燭台に火を灯して祈る事でした。
彼女は神様の事を信じて居る訳ではありませんでした。
――そうしていると牧師様が帰ってくるかも知れない。
そう思って彼女は毎日祈る事にしていました。
だけれど、お腹が空いていて落ち着いて祈る事はできません。
これから幼い子供達をどうやって食べさせていけばいいか、そればかり考えてしまいます。
ミーシャは、あまり食べなくても成長してしまう自分の身体を見て少し暗い気持ちになりました。
女性として成長した今の自分であれば街の賑やかな場所に働きに出て、もっとたくさんのお金を手に入れる事が出来るでしょう。
辛いかもしれませんが、子供達を飢えさせるよりはいいと思っていました。
彼女が祈っているその姿を、とある泥棒が見ていました。
大泥棒として名を馳せた男です。
彼は猿のように軽やかな身のこなしと、器用な手先を使った大泥棒として、これまで数知れない盗みを働いていました。
時には国の宝物庫に忍び込み、国中の兵士と言う兵士から追いかけられたこともありました。
それでも彼は無事に逃げ切り、国から国へ盗みを繰り返しながら渡り歩いていました。
今日の彼の狙いは銀の燭台のようです。
「寂れた孤児院にしては随分立派な燭台だ。あれを売ればひと財産になる。当分の間良い思いをすることができるに違いない」
そう思った彼は毎日孤児院を観察して、盗み出すチャンスをうかがっていました。
完璧な盗みにはとにかく下調べが重要だと、彼は知っていました。
一カ月間じっくりと孤児院の様子を見て、盗み出すタイミングをはかっていたのです。
その一カ月の間に、色々な事が判りました。
――昼間の内は毎日誰かしら子供達が居てなかなか手強いという事。
――少女が毎晩燭台を出しては祈っている事。
――それから、彼らがとても貧しくお腹を空かせている事。
「……」
彼はふと、幼かったころの苦しい記憶を思い出しました。
貧しさのせいで何も口にすることができず、仕方なく盗みを始めたのが彼の泥棒の始まりでした。
食べられない苦しさはよく知っています。
それでも、大泥棒である以上、孤児である彼らに情けはかけてはいられませんでした。
盗むと決めた場所からは、必ず盗むのが彼の主義でしたから。
今日も遠くから観察していましたが、彼は目を見張りました。
その日は少女が祈りを終えた後、たまたま燭台をしまい忘れたのです。
――チャンスです。
彼はそれを見逃しませんでした。
手慣れた手つきで窓の鍵を外し、物音一つたてずに、影のようにするりと部屋の中に滑り込みます。
そして、彼は燭台に手を掛けました。
そこで驚きました。
銀だとばかり思っていたその燭台は、良く見ると『鉄』でできた偽物でした。
表面を丁寧に磨かれていたそれを『銀』と勘違いしてしまったのです。
目が効かない自分を悔しく思う大泥棒でしたが、それよりもここまで輝くほど鉄を磨いた少女の事を憎らしく思いました。
大泥棒である彼の目をあざむく結果となり、彼の誇りはとても傷付けられました。
だから彼女に仕返ししてやりたいという気持ちが彼の心を埋めつくしました。
大泥棒は代わりに彼女の大事なものを奪ってしまおうと悪い笑みを浮かべ、彼女達が寝ている寝室の方を見やりました。
◇
次の日の朝、孤児院は大騒ぎでした。
ーー皆が起きて見ると台所の床に大きな小麦粉の袋が何袋も。
食台の上には新鮮な野菜や果物が山のように。
それから空っぽだった戸棚は長持ちするチーズの塊で埋め尽くされ、とにかく沢山の大量の食料が所狭しと置かれていました。
ゆうに何カ月も十分に暮らして行ける量です。
「姉ちゃん! 何これ!」
ミーシャは全く身に覚えが有りません。
降って沸いた幸運に、喜びはしゃぎまわる子供達と一緒になって目を丸くしていました。
その時です。
銀の燭台に小さな紙片が挟まっているのに気が付きました。
孤児達の中で唯一文字の読める彼女は紙片を開き、目を通します。
それには小さく、こう書かれていました。
『俺の目をだますとはほめてやろう。
しかし、大事なものは頂いた』
書いてある事の意味が分からず首を傾げるミーシャでした。
大泥棒は彼女が毎日のようにリンゴを見つめては戸棚に戻している事を知っていました。
だから彼は彼女にとって大事な物を盗んでいきました。
――もう必要が無くなった、綺麗な赤く塗られた木彫りのリンゴです。