プロローグ
暗闇の中を走り続ける。今夜は満月、月明かりに照らされた獲物を逃がさぬように俺は跳躍する。
「はあはあはあはあ……」
追いついた俺は女の前に立ち、懐から苦無を取り出し、刃を向ける。女は怯えるように俺を見るが構わず、言葉をかけた。
「聞く、3日前にふもとの村で村人数人が殺される事件があった。お前はその事件について知っているはずだ話せ」
「な、何言っているんですか!いきなり刃物を投げつけて、追いかけてくるなんて!私はそんなの知りませ……」
言葉を続ける女の服に苦無を当て、一気に下に降ろす。服はすぱっと切り裂かれ、女の胸があらわになる。女は俺に敵意をむき出しにした、それは胸を見られた事の羞恥心からではない、自分の正体が明らかになったからだ。女の体には無数の痣のような物がついていた。それは、一見すると傷口のような物にも見えた。だが、そのうちの一つがゆっくりと開いていく。
「否。貴様は人間ではない」
開かれた痣から目玉が現れ、こちらをぎょろっと睨んでくる。次々に開いていく瞳が俺を捕らえていく、俺は持っていた苦無を女に振るが、その瞬間女は後方へと跳躍し、距離を取った。
「対象を確認、文献、観察結果から百々目鬼と判断する」
俺は苦無を対象に向かって投げる、百々目鬼は体をねじって避けると、そのままの勢いでこちらに突進してきた。振り上げられた腕からは俺を捕らえようと無数の瞳がこちらを見てくる。一回、二回、三回と振り下ろされた腕からの攻撃を紙一重で躱していく。俺は距離をとり、今の一撃で破られた外套の前を開き、忍ばせて置いた苦無を手に取り百々目鬼に向かって投げつけた。またしても超人的な速度を持って苦無がよけられる。どうやらあの瞳が俺の苦無を見切っているらしい。
「ただの軍人じゃなさそうだけど、そんな玩具いくら投げても私には当たらないよ……さあ、大人しくしな。あんたの目玉をえぐりとってから殺してあげるからさあ!」
「否。死ぬのは貴様だ、そしてこれが最後だ」
下品に笑う妖怪に俺は外套から二つの苦無を取り出し同時に投げつけた、苦無は百々目鬼の横を通り過ぎていき、暗闇に消えていった。その様子に下卑た笑いを浮かべ突進してくる。俺は空手のまま、左腕を後ろに回す、次の瞬間……
「ぎにゃあああああああ!」
腹部を背後から貫かれた百々目鬼から悲鳴があがる。苦無で貫かれた事により動きが止まり、腹部からはドス黒い血が吹き出てくる。
俺は右手を頭上に掲げ、真下へと振り下ろす。
「ごひゅ……」
頭上より飛来した苦無が脳天に突き刺さり、百々目鬼は動きを止めた。俺はゆっくりと近づき、腹部から苦無を引き抜く。血が溢れ、苦悶の表情を浮かべた百々目鬼に苦無を突きつけ言葉をかける。
「もう一度聞く、お前たちの目的は何だ?村で何をした?」
「…………」
観念したのか蚊の鳴くような声で喋り出す。なるほど、どうやらただの殺人が目的ではないようだ。俺は妖怪から背を向け歩き始める、血で汚れた苦無を軽く振る、背後で殺気が膨れ上がり、その瞬間俺の頭上に影が現れた。
「死ね!軍の犬が!」
「犬?……否」
俺は振り返り様に拳を握り、すれ違いざまに十字を切る。俺の背後で着地した百々目鬼はギギギと首をこちらに向け、そのまま崩れ落ちた。頭に刺さっていた苦無はまるで生き物のように、その脳天へと埋まっていた。
「お前は……化物……か?」
消え入りそうな百々目鬼の言葉に俺は答える
「俺は大日本帝国軍払暁機関 外一小隊所属 高峰伊吹」
俺は苦無を引き抜き、妖怪に向けて軽く振り、外套にしまう。
「そして、俺は犬ではない……猟犬だ」
その言葉を残し、俺は歩き始める。動かなくなった百々目鬼の体と首を残して。