一、
――――ある時、生が生まれた。或いは、死が生まれた。
季節はわからない。わからないからこそ、風は涼しく感じられる。何せその季節の暑さがわからないのだ。たとえそれが暑かろうが寒かろうが、それは涼しく感じられる。仮に季節が夏だったとしたら彼は半袖を着るし、冬だとしたら長袖を着る。彼はそれなりの常識人だ。
町に溢れる気配は酷く暗鬱で、町に住む人間はまるで壊れたかのように死んだ顔をしている。果たしてこの町は生きているのだろうか、と疑いたくなるほど皆々死相をしているのである。あながち間違っていないのかもしれないが、それは彼には関係のない話だ。
桐条智葉は所謂下校中であった。彼は夏服を着ているのだから、おそらく季節は春の終わりがけから夏なのだろう。肌を撫でる風は気分を害する程に生ぬるく、どちらかと言うと空気というより液体に触れているようだった。
ただただ暑い。少し帰りを遅らせてみたのだが、夜にも関わらず風は冷たくない。なんというか、溶けてしまいそうである。もしかしたら半分くらい溶けているかもしれない。
智葉の周りを歩く人間も彼と同様に死んだ顔をしている。見た感じは全く溶けていないからおそらく自分も溶けていないだろう、と思う
ああ、今日もこのまま思いながら、道を歩く。変わらない日常とはこれほどまでに、変わらないものと思うと、少々飽々してくる。何か面白いことがあれば、このつまらない日常に刺激ができるのではないのだろうか。
しかしながら世界は理不尽で、そう簡単に願って叶うものではない。
気がつけば不気味な町の中にある自宅に着いていた。
別に智葉は非日常を望んでいるわけではない。至って常識的な考えの持ち主である。自分の住む街で殺人など起こってほしくはない。この狭い空間にそういう人物がいると知ると恐ろしくなってしまう。当然智葉はそんなのではない。
家は一人だ。誰もいない。親はどこかに行ってしまった。今までよく生きてこられたものだと感心してしまうほどに長い間だった。
変わらず自宅の周りは暗いし、狭い。夜も更けている。寝ているのか、それとも人間が存在しないのかは智葉には興味が無い。人付き合いほど面倒くさいものはない。かねてよりの考えだった。
とまあ、一連の流れは全て予兆であって、これといって今から起こるであろう出来事とは関係がない。
誰もいない自宅の鍵を開ける。静かな空気が外のぬるい空気と混ざり合い、中の空気が汚されている様に感じる。いつものとおりなのだから何の違和感もなかったはずだろう。ただ見知らぬ靴が玄関にさえ無ければの話だが。
居間の扉を開けると、女の子がいた。白髪か銀髪か、美しくしなやかな髪の毛が彼女の細い、女性らしい身体つきを映えさせている。それがわかるのは彼女がほぼ裸に近いからだろう。下着は付けているのだから興奮はしない。智葉は男である。
「誰だお前は」
この家の主である智葉がそう問うのは当然だろう。
「誰よ、あなたは」
裸の女が言う。聞きたいのはこちらだと言うになぜそれを問う。この女の言語理解能力を疑いたくなる。
「俺か? んなの知るか」
すぐにでも出て行ってほしい女に対して心優しい態度をする必要も無かろう。
彼女がなぜここで着替えをしているのかは全く理解ができない。理解したくもない。最近の痴女はここまでするのか。もう少し穏やかにしてほしい。
「そう、ならいいわ」
そう言って彼女は着替えを続ける。ふと見れば服は脱いでいるものの、替えの服が見当たらない。真性の変態、もしくは露出狂なのだろう。
もうどうでもいい。
放っておいて、買ってきた豆腐を貪る。彼女は後から外に捨てておけばいいだろう。これで一件落着である。