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劇的世界群

自称悲劇の

作者: シャット

「私は」



 その少女は、優美な唇に微笑すらも浮かべながら静かに言葉を紡いだ。



「私はね、悲劇のヒロインでなければならないの」



 その言葉が、俺と彼女の始まりだった。

 血みどろで倒れこむ彼女の両親。ぼろぼろになって死んでいる兄や弟妹。強盗に襲われた一家の生き残りである少女は、家族の生き血をその身に浴びながら微笑していた。


 その姿は、どこまでも美しく──



   ◇



「私はね、悲劇のヒロインでなければならないの」



 その少女は、やせ衰えた顔つきでありながらかすかに笑って言葉を吐き出した。



「残酷な死に方をした両親のためにも。幼くて死んだあの子たちのためにも。ただひとり生き残ってしまった私が、みんなを置いて幸せにはなれない」



 凶悪犯にその身を攫われ、同じく監禁された女性たちが次々と暴行され命を落とすなか辛くも救出された彼女は、長い拘禁生活の苦労を感じさせない笑顔で言葉を重ねた。



「だから私は。あのひとたちが不幸なまま亡くなったように、彼らの不幸を裏切らないように、不幸せでなくてはならないの」



 限りなく悲痛なその言の葉に、俺が返すことができるのはただひとつ。



「……それは嘘だよね」



 彼女はただ、微笑み続けるだけだった。



   ◇



「私はね、悲劇のヒロインでなければならないの」



 両手を後ろで縛りつけられたその女は、身体のあちこちに傷を残しながらも微笑んでいた。



「幸せでないということは、すでに私を定義づける事項のひとつになっている。不幸でない私は、もはや私ではない」



 突如として占拠された銀行内。犯人たちは酷く獰猛で、当初は人質をひとりずつ拘束していたが、それだけでは飽き足らず。銃を乱射し、人質を殴り、蹴っては哄笑した。幾人もの犠牲者を出した黒覆面の男が何人目かの生贄として女に暴行を加えている最中に、強盗は制圧された。

 打撲痕に塗れていながら、端から血を流した唇を緩めて女は言葉を続ける。



「だから私は。不幸である私という私で在り続けるために、不幸であり続けなくてはならないの」



 彼女自身を規定しているその口述に、俺が返すことができるのはただひとつ。



「……それは違うよね」



 それでもただ、彼女は笑っていた。



   ◇



「私はね、悲劇のヒロインでなければならないの」



 身体中傷つけられ擦り切れていながらも、弱々しくその女は笑みを浮かべていた。



「その悲劇に陶酔するために。悲劇の中にいる自分自身に酔いしれているために」



 女性を襲う連続殺人鬼。刃物も鮮やかな策略も用いることなく、単に鈍器で死ぬまで殴り続けるその手口。魔の手にかかり殺されかけた彼女はすんでのところでその身を救われ、瀕死のままで笑っていた。



「だから私は。その陶酔がなくては生きてすらいられないから、悲劇に自ら身を投じるの」



 どうしようもない絶望を孕んだその願望に、俺が返すことができるのはただひとつ。



「……それは正しくないよね」



 それでもなお、彼女は微笑むだけだった。



   ◇



 ありとあらゆる災厄に、その女は襲われていた。

 ありとあらゆる困難が、その女を襲っていた。


 ただ傷つくだけではなく。心を傷つけられるだけでもなく。何度となく暴力に晒されて。幾度となく信じた誰かに裏切られ。自然災害に巻き込まれることも、人の起こした事件に巻き込まれることも数知れず。ぼろぼろにぼろぼろを重ねたようなありさまで。


 それでもなお、彼女は笑っていた。

 どれほどの苦難のあとにも笑みを浮かべていた。


 そんな彼女を、俺は助け続けた。


 どんな苦境にも。どんな状況でも。知ったそばから駆けつけて。ただひたすらに。懸命に。彼女を襲う悲劇を覆そうとした。悲劇を、喜劇に変えたかった。


 そうして長い時が流れて。

 とうとう俺は、それを口にしてしまう。



   ◇



「きみが悲劇のヒロインでいるのは、俺のせいなんじゃないか?」



   ◇



「なにを言っているのかしら。私は、みんなのために」

「確かにきみの家族は不幸に亡くなった。でもそれが自らも不幸になる理由だと、きみは思っていないだろう」

「不幸じゃない私なんて私じゃなくて」

「不幸でなくともきみはきみだと、きみ自身がよく知っているはずだ」

「私は悲劇に陶酔していて、」

「きみが浮かべる笑顔は、陶酔しているようなそれではない」

「でも、けれど、」

「確実に言えるのは。たとえきみが悲劇のヒロインなのだとしても、その悲劇をきみは楽しんでいるわけでも、受け入れているわけでもないということだ。だって」

「…………、」



「だってきみは、()()()()()()()()()()()()



 そう指摘されてもなお、彼女は。

 ただ泣きながら笑って、微笑みながら泣いているだけだった。



   ◇



 最初から、ずっと──

 両親を亡くしたときも。きょうだいを亡くしたときも。誘拐され監禁されたときも。強盗に拘束されたときも。殺人鬼に襲われたときも。どんな事件のあとにも。どんな苦痛のあとにも。

 彼女は、笑顔を浮かべながら、涙を流していた。



「きみがつらいのだとわかっていた。きみが苦しいのだとわかっていた。それを自覚しているのか、いないのか──つらいことを覆い隠して笑うきみの、その内側の悲しみが想像すらできなかった。だから俺は、きみを助けた」



 助け続けた。



「そして、どうしてもわからなかった。それほどつらいのだとしたら。想像もできないほど苦しいのだとしたら。そうなのだとしても、どうしてそれほどに笑っていられるのか」

「…………」

「どうしてもわからなくって……けれど考えていて、ひとつだけ気がついたんだ。共通点に」



 彼女を襲ったありとあらゆる悲劇の、その共通点に。


「どんな悲劇でも。どんな絶望でも。どれほどに暗い世界であっても──()()()()()()()()



 ()()()()()()()()()()()()()()



「それが、理由なんじゃないかって……そんなふうに俺は、()()()()()()んだ」

「そう、だね──そのとおりだよ」



 果たして彼女は、笑みを深めて──初めて本当の意味で笑ったような、そんな気がして。



()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()



   ◇



「私が悲劇の渦中にいれば、あなたは私を見てくれる。私を助けにきてくれる」

「当たり前だろう」

「それがとても、とても嬉しくて……けれど同時に怖かった。あなたはいつまで、私を見てくれるのかって」



 だから彼女は、巻き込まれ続けた。傷つき続けた。



「私が悲劇のヒロインならば、あなたは私を愛してくれる」



 彼女が悲劇のヒロインでなければ、俺は彼女のことを見ないだろう、だなんて──



「そんなわけが、ないだろうが」

「……そうかもね」

「悲劇の中にいるかどうかなんて関係なかった。実際にはきみが苦しんでいるのがつらかった、というのは確かだ。けど、たとえそうでなくたって」



 あの家の中で、血染めの笑顔を浮かべる、どうしようもなく美しいその少女を見たときから──



「俺はきみを愛していたんだから」



 だからあれが、俺と彼女の始まりだったのだ。



「確かにそうなのかもしれない。悲劇の中にいる必要はなかったのかもしれない。でもね──その考えを確信に変えることは、私にはできなかった」



 苦しんでいなくても自分を見てくれるかもしれない──本当に?

 つらいときでなくとも傍にいてくれるかもしれない──本当に?



「だから私は。あなたが私を愛してくれるという確信を得るために、悲劇のヒロインでなければならないの」

「なら、俺も同じように返そう」



 一歩、彼女へ向けて歩みを進める。



「きみが悲劇のヒロインであっても、それとも喜劇のヒロインであっても──そんなことには関係なく、俺はきみのヒーローでありたいんだ」



 そうしてそのまま、その肢体を抱き締めた。



「私が悲劇のヒロインならば、あなたは私を助けてくれる」

「たとえ悲劇の渦中でなくとも、同じようにきみを愛そう」

「私が苦しんでいないときだと、あなたが私を見てくれないかもしれない」

「もしきみが幸せになりたいと思えたら、その隣を一緒に歩いていきたい」

「…………ッ」



 少しだけ彼女の笑顔が歪んで、泣き出しそうな目が細められた。



「あなたが助けにきてくれることが、どうしようもなく幸せだった。どうしようもなく嬉しかった。けれど、そんな関係がいつまでも続くはずもないともわかっていた。だから、」



 彼女の片手が俺を抱き締め返すかのように動いた。もう片方の手が懐に差し入れられた。そして。



「だから、ここで終わりに──」



 そして懐から取り出した手を俺の背に回して。



   ◇



 銃声が鳴り響いた。



   ◇



 こんな終わりが訪れるのだということは、なんとなくわかっていた。

 たとえどれほど言葉を尽くしたところで、もはや彼女は悲劇のヒロインであることをやめられない。ずっと演じ続けてきたその虚像は、すでに彼女の本質に近づいている。

 彼女が言っていたことも、嘘ばかりではなかったというわけだ。

 だから。



「だから私は、悲劇のヒロインとして──愛する人を自らの手にかけて、あなたと一緒に人生を終える」

「だから俺は、きみのヒーローとして──きみのことを抱き締めたままで、きみと一緒に人生を終える」



 それが最善の選択だと、彼女が信じて行動しただろうように、俺もまた信じた。

 最良の選択ではなかったとしても、最善の選択ではあるのだと。


 互いのことを抱き締めたまま、俺と彼女が崩れ落ちる。銃弾に貫かれた胸から流れ出る血を、彼女の熱とともに感じる。



 そうして。

 ありふれた自称悲劇のヒロインと、ありふれたヒーロー気取りの物語が幕を閉じる。











「悪役の悪役」という作品はこの短編のIFとなっております。そちらも合わせてお楽しみください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読んでいてなんとも表現できない気持ちになりました。凄い素敵なお話でした!
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