プロローグ 10月のある日
魔法少女モノです。そこまで長くはなりませんが、ある程度纏まった量になります。一週間に二三回、一話二千文字単位で更新します。よろしくお願い申し上げます。
もう一人のヒロインのお話もよろしくです。
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何気ない一日だった。
誰もが今日も一日始まり、そして終わると信じている。そういう幻想が当たり前に通じそうな、いつもと何も変わらぬ夕暮れ時だった。
平日の夕暮れ時ということもあって商店街には買い物帰りらしき主婦や、学校が終わった中高生の姿がまばらに見えた。その数は時間を経るごとに少しずつ増えていき、やがて小さな町の小さな商店街らしい、慎ましやかな活気に包まれていく。
日常が当たり前にそこにはあった。
だからその光景を正しく理解できる人間はほとんどいなかった。
老婆が踏切の中に倒れていた。踏切は商店街のすぐ近くに設けられており、モールとモールの区画を隔てている。それはもはや日常の一部を形成しており、踏切というものが、危険という異常性を安全な日常から切り離す役割を担っていることなど、誰も意識していなかった。
踏切はけたたましい音をたてながら、人の流れを絶つように行く手を阻む。遠くから地面を激しく打つ車輪の音が聞こえる。巨体を軋ませながら、その人工の怪物は老婆の肉と骨を断ち切ろうと風を切ってくる。
それは、日常に潜んだ異常な事態だった。
決して人知を越えたハプニングというわけではない。むしろ新聞の小さな記事になっていたり、五分間のニュース番組で報道されていたりと、ありふれた部類だったはずだ。
だが、その事態を正しく理解し、対応できる人間はいなかった。助け出そうと考えた勇気ある若者もいたが、鋼鉄の奏でる轟音に怯んでしまって固まったままだ。
誰しもが、「誰かが助けるはず」という期待を胸に抱き、それが他力本願であることを自覚していながら、その光景を見つめている。
老婆の姿を見つけた運転士が急ブレーキをかける。しかし間に合わないことは自明だった。その場にいた全員の気持ちを代弁したような、悲痛なブレーキの金切り声が響く。老婆は倒れたまま動かない。息をのむだけの群衆。運転士は目をつむる。自らの不運を憎み、彼はブレーキを目一杯入れ込んだ。
かちり。
空間に一瞬ノイズが走った。
時は再び流れ出す。
電車は、ゆっくりと、肉を食いちぎるようなもったいぶった速度をしばらく保ち、止まった。
観衆は大部分が目を覆い、怖いもの見たさもあってか一部の人間が止まった電車に近寄っていく。そこには死体か、血溜まりがあるはずだった。おそるおそる彼らは、車輪の下をのぞき込んだ。しかしそこには肉片も血溜まりも、何もない。老婆の体は粉々に吹き飛んでしまったのだろうか。彼らの脳裏に、より刺激的な光景が浮かんだ。だが、いくら探してもそこには何もない。電車の中の乗客たちは何事かと、バランスを崩して倒れた他の客を介抱しながらあたりを見渡している。
「無事だ! 誰か救急車を!」
その時踏切の向こう側から、声が聞こえた。どうやら電車を挟んで向こう側にいた通りすがりの男性のようだ。喜びと驚きに満ちたその声に、緊迫していた空気がわずかに弛緩した。
「早く呼べ! 意識はないままなんだ!」
男性は急かしてそう叫ぶ。緩みかかった空気は再び張りつめ、我に返った数人の通行人たちが五体満足ながら倒れれ込んでいる老婆のもとに向かっていく。人々が動き出し、老婆を助けようと、怒号を飛ばしあいながらも連携していく。
その光景を、一人の少女が見つめていた。古ぼけた貸しビルの壁に寄りかかって、手持ちぶさたそうにあくびをもらす。
年の頃は十代半ばといったところだろうか。中学生か高校生か、判断に迷うようなあどけなさがまだその顔つきには残っている。ただその髪の毛は金色に染めあげられており、マスカラをつけた目元はそのつり上がりかたも相まって、少し背伸びをし過ぎた不良少女、といった感じだった。皺だらけの柄物Tシャツにダメージジーンズ、履いているスニーカーの紐は擦り切れている。あまりにもラフすぎるスタイルだ。まるで近所のコンビニに買い物にでてきました、といった感じ。
もちろん商店街の中にコンビニなどはない。
「ノルマ達成?」
彼女は傍らにいる誰かにそう話しかけたが、残念ながらそこには人影はない。どこを見渡しても彼女の近くに人の姿はなく、強いて言えば足下に鳩が歩き回っているくらいだった。周りから見たら独り言を呟いているだけに見えるはずだ。
(今日のノルマはあれでいい。お前にしちゃ大魔法を使ったな)
声は男のものだ。しかし周りの人間には聞こえない。彼女の頭の中にだけ響く声だ。
「で、あとどのくらい残ってるわけ?」
延びきった爪の手入れをしなきゃ、と彼女は手元をいじりながら・・・・・・今夜の夕食のメニューを聞くように、そう言った。
(あと七十年五ヶ月と七日分だ。節約してるからそうは減ってないぜ)
「なんだ、別に時間停止なんて大したことないんだね」
(バカいうなよ、二週間は寿命が縮まったぞ。こんな風に使ってたらお前はすぐにあの世行きだっての。オレ様の忠告はたまには聞けよな狩屋三咲)
フルネームを呼ばれた彼女は眉をひそめて、不快感を露わにする。
「名字呼ぶなって言ったでしょ。唐揚げにするよ?」
足下の鳩ににらみを利かせ、彼女はそう毒づく。しかし声の主は涼しい顔ーーいや、涼しい声のままだった。
(この個体を始末してもオレ様は死なない。また違う動物になってしつこくつけまわすだけだ。知ってんだろが。オレ様に死ぬって概念はねえよ)
「わかってるよ。バカだなぁ、冗談もわかんないわけ? だっさ、鳥類だけあって低脳じゃん」
まくしたてるように、少女は挑発する。鳩は真っ赤な目をくりくり動かしながら、くちばしで彼女のスニーカーをつつき始めた。
(お前な、オレ様はお前ら人間より高次元の存在なんだぞ。それがこうして鳥畜生に身をやつしてまで口利いてやろうって言ってんのに・・・・・・有り難いとは思わねぇのか)
「知らない。ってか靴傷つくからやめて」
(傷なんてもうついてんじゃねぇか。今更一つ二つ増えたからって騒ぐなよ)
少女は呆れ顔で鳩を見つめるが、肝心のソレは間の抜けた顔をしているだけだ。
狩屋三咲と呼ばれた少女はため息をつき、背中を壁から離すと雑踏の中に足を進めていく。
(おい、帰るのか?)
いきなり歩み出した少女に戸惑い、鳩に成り代わったナニモノかが問う。
少女は鳩に一瞥を向けると、その質問に答えた。
「ばっかじゃん。帰る場所なんてありゃしないっての」
声は虚しく喧騒に飲まれて消える。
その後ろ姿を鳩の姿をしたナニモノかが首を傾げつつ見守っていた。
(続く)