2話
エステルたちは協議の結果、最初に砦を肉眼で見に行くことになった。
「その魂の結晶が壊れないなら、まとめて吹っ飛ばせて楽なんだけどな」
躍斗は愚痴るように呟く。
自身の不便な力が恨めしい。
蟲は人の魂を喰らい、結晶化する。
しかし、その結晶は非常に脆く、少し落としただけでも壊れてしまうらしい。
「じゃあ、その魂を取り戻せば、人は生き返るってことか?」
魂。それの結晶化という時点で少し話が突飛だが、この世界ではそこまで突飛な話ではないらしい。
この世界では、幽霊や魂の研究が進んでいるのだ。
魔法には興味を示したレオナだったが、こちらは身体を震わせ「何も見ません」と全力で拒否している。
しかし、躍斗の質問にエステルは首を振った。
「もともと、飲み込まれた時点で人の身体はボロボロだからね……。人の身体に魂を戻してもどうにもならないよ」
「じゃあ、その記憶を見られるっていう人はどうして……」
「例外だったんだよ。完全に飲み込まれる前に身体は助け出されたからね」
それで魔法で調べたところ、魂が半分残っていることに気付いたとのことだった。
魔法は魂と強く関連しているらしい。
「魔法を調べていったら、最終的にはそっちも調べていかないといけないよ」
エステルが言うと、レオナは見るからに気落ちしていた。
平和な会話である。
馬車に揺られながら、ふと周囲を見渡してみても平和に見えた。
蟲が環境を率先的に破壊しないせいなのか、ここが滅亡寸前に追い込まれているというようには見えない。
そもそも蟲は動物を襲うことがなかった。
そのせいか、鳥や動物たちはこの大地を変わらずに生きている。
「そもそも熱量がどこから来てるのか、まだわかりません」
とはレオナの話だ。
「生物が生きるためには熱量が必要です。蟲たちにとっては人間がそれなのかと思いましたが、魂を喰らうと言いますし……。その魂も結晶化して保存しておくとかで、意味がわかりません」
「まあ、そりゃあなぁ」
おかしなことだらけではあるが、いちいち驚いていては心臓が持たない。
受け容れることが重要だった。
「少しでも情報を仕入れたいところですね」
「できることであれば、この偵察で全部終わらせたいところだ」
しかし、そう簡単に上手く行けば苦労はしない。
砦がギリギリで見えてきた場所に馬車を止め、そこから観察。砦の外には蟲が十五匹ほどいた。
「やっぱりいるんだよね」
「物見の者に遠くから見てもらったが、魂結晶は入り口付近に無造作に置かれているとのことだ。どれが目的の魂か、そこまではわからない。もっとも半分だけであれば、大きさですぐわかるだろうが」
エステルとシモナはここからのことを話し合っている。
「魔法で姿を消すのは確定としても、気配がなぁ……」
エステルが頭を掻いて悩んでいた。
「気配、ですか」
レオナが尋ねる。
「うん。あいつらはこっちが姿を消すってことをわかってるみたいだしね」
「気配を消す魔法ってできないんでしょうか?」
「そのためには、連中がどうやって気配を察知してるかっていうのを調査できないとね……。そこがわからないと魔法でいくらやっても、効果はあんまりないよ」
「音や匂いでは?」
「それらを消す魔法を併用したんだけどね。すぐに気付かれてる。姿を消しても見えてるってことはないと思うけど、十メートルも近づけば反応されるね。察知すれば襲ってくるし……」
難題だ。
「逆に言えば、あいつらは感覚がめちゃくちゃ鋭敏なのか?」
「かもしれませんね」
だとすれば、音響兵器が使えるかもしれない。
「だとしたら、あいつらに凄い音をぶつけたらどうなる?」
「一度魔法でやったことがあるらしいが、効果はなかった。味方の兵の士気だけが下がった」
シモナが素っ気なく説明してくれる。
「そうか、ダメか。聞き取る周波数が違うのかもしれないけど……」
「それに魂結晶が音の衝撃で壊れたとの報告もある。実際に壊れた原因が音かどうかは不明だが、やめておいた方がいい」
どちらにしても、現時点で躍斗の力には出番がない。
毒ガスを流し込むのもてかもしれないが、これもまずは試してみないことはわからない。魂結晶が毒ガスに冒される、というのもあり得ない話じゃないのだ。
魂結晶の情報が少なすぎる。
魂結晶については蟲が現れてからの問題のためか、研究もあまり進んでいないという。
「夜に彼らの活動が鈍るという話をしてましたが、それは感覚もですか?」
「いや、逆に鋭敏になるようだ。気配の察知だけは早い」
レオナの質問に、シモナが答える。
はっきり言えば、どうにもならない。
「誘き寄せるのはどうでしょうか? できる限り遠くまで誘き寄せて、ヤクト様がそれを壊滅させるとか」
「なるほど。現在、砦にいるのは十五匹。十匹以上を引き寄せてくれれば、あとは私の方でどうにかできるな」
レオナの提案に、今度はシモナは興味を示した。
しかし、今度はエステルが疑問を呈する。
「だけど、誘き寄せてからどうするの? 誘き寄せた人が逃げる手段を考えないと、ヤクト様の災害に巻き込まれるわけだし」
「でも、ヤクト様の近くにいれば守られるのでは?」
すると、エステルたちは躍斗の方を向いた。
「ああ。あの膜みたいなヤツか」
「アレって何なんだろうね? 魔法の力も多少感じるけど」
エステルは興味津々だ。
「災害を召喚した場合、必ず出るよ。自分が巻き込まれないためじゃないかな。意識して出してるわけじゃないけど」
「でも、あの膜って蟲の身体も通しませんでしたよね。熱、衝撃、そういったものが遮断されてましたし。音は遮断しませんでしたけど……」
レオナはよく見ていたのか、ちゃんと覚えているらしい。
「じゃあ、ボクとヤクト様とレオナさんが誘き寄せる係で、シモナが残りをやっつける係で」
「ざっくばらんだな」
「そのぐらいで充分だよ」
しかし、そんな作戦にレオナは難色を示す。
「わたしたちが馬車で逃げるとして、それが八匹残った場合、シモナさんが危険です。最低でも十匹を確実に引き寄せる必要がありますよ。できる限り、多くを引き寄せないと。その上、一キロか二キロ、できればそれ以上を逃げる必要があります。ヤクト様が範囲を狭められるとはいえ、その影響は外に出ます」
実際にそれは大きな問題だった。
以前、街の外で軽い地震を再生したことがある。躍斗のいた世界であれば震度一とされる程度の小さな地震。
それを範囲を狭めて使ったが、揺れた範囲を調べたところ、影響範囲はほとんど変わらなかったのだ。
「地震を一点に押し止めたところで、エネルギーは変わりませんからね」
とレオナは説明してくれた。
そのため、地震を引き起こす場合は被害を出さないことを最優先にする必要を躍斗は感じているため、やはり広大な土地が必要だった。
「うーん……。蟲を確実に引き寄せる手段かぁ」
「むしろ、わたしたちが確実に逃げられそうなら、エステルさんはシモナさんについた方がいいのでは? エステルさんは転送魔法でどんな状況でも逃げられるでしょうし」
「襲われてから転送魔法かぁ。精神が乱されると魔法って、上手くいかないんだよねぇ……。大丈夫だとは思うけど」
「だとすると、危険は冒せませんね。他に転送魔法をひとり融通してもらって、どちらかに、という手段も考えたのですけど」
そんな中、躍斗は少し気懸かりなことがあった。
「そもそも連中を引き寄せることができるのか? 人を襲ってくることは確かなんだろうけど」
「そもそも今まで試したこともないですから。蟲とは真正面から戦うか、逃げるか。その二択です」
シモナの考えは猪突猛進にもほどがある。
なまじ、ひとりだけで戦えるからこそ、そんな考えに陥るのかもしれない。
「まとめて蟲を葬るのが魔法という手段のみで、それもエステルさんの使う魔法以外は威力的に心許ないとなれば、そもそも引き寄せる意味もあまりないですからね……。人相手であれば」
と、レオナは口にする。
「渓谷とかに誘き寄せて各個撃破とかはダメなのか?」
躍斗はそう自分の考えを話してみたが、レオナは首を振った。
「ある程度、壁に登れるって話ですからね。実際、家にも登ってましたし。各個撃破は戦闘の基本ですが、現時点の戦力差でそれを成そうとすると、蟲の身体が二匹入れない洞窟ぐらいでしか迎え撃てませんよ」
とても限定的なシチュエーションだった。
少なくとも実用からは程遠い。
「……今日は諦めた方がいいと思います」
レオナがきっぱりという。
「レオナさんがそう言うなら」
エステルはレオナの言い分を随分と信頼しているようだった。
シモナも続いて頷いた。
確かに彼女の口にする作戦というか、情報は信用できる感じがする。
結局、この日は帰るということになったが、
「でも、そのどこまで引き寄せることができるかどうか、それは試してみましょう」
というレオナの発案で、実験をすることになった。
自分たちが馬車に乗ったまま、蟲のいる砦に接近。
蟲が動き始めたらすぐに逃げる。
そして、どこまで付いてくるか、という実験だ。
「わかった。任せてくれ」
御者を担うシモナが自身満々に言う。
「もし、大量の蟲が二キロ先まで追ってくるようなら、ヤクト様、災害の再生をお願いします。小規模な爆発が望ましいです」
「了解」
「二キロ以内に追いつかれてしまった場合は、エステルさん、どうにか転送魔法を」
「ん、わかった」
「もし、二匹か三匹ぐらいしか来なかった場合、シモナさんにお任せしてもいいですか?」
「心得た」
自分たちの役割を確認し合う。
そして、シモナは颯爽と鐙を動かし、大胆に蟲の前へと姿を現した。
蟲たちは一斉に躍斗たちを注視する。しかし、まだ動く気配がない。
蟲の細かいところまでが見えてくる百メートル付近になって――蟲が動いた。
まるで機械のように一斉に蠢く。今まで体勢を低くしていた蟲たちが立ち上がったのだ。
立ち上がった蟲たちは、こちらを攻撃目標と見定めたかのように突撃してくる。その数、およそ十二匹。
もし、誘き寄せることができるのであればと考えていた、理想的な数字だった。
「捕まってて! はっ!」
シモナが鐙を巧みに動かして、急ブレーキするかのように馬擬きを反転させる。
その勢いで後ろの車はドリフトでもするかのように振り回された。
躍斗たちは言われたとおり、しっかりと捕まり振り落とされないようにしている。
Uターンした勢いのまま、馬車は駆けた。
シモナも無茶な操作にも拘わらず、車を引く馬擬きは不平ひとつあげず、力強く前へ出る。
Uターンの間だけ、蟲には近づかれたがそれ以降は少しペースを落としつつ、蟲と同じ速度を保つ。
ただ、ここから躍斗たちの目論見は崩れ去った。
三百メートルを過ぎたところで、約半数の蟲が車を追うのをやめ、砦の方へと戻っていったのだ。
五百メートルを過ぎたところで、追ってきた蟲は止まり、反転。同じように戻っていく。
一キロを過ぎたところで追ってくる蟲は一匹もいなくなっていた。
速度は蟲と一定に保っていたにも拘わらず、だ。
「単純な手だったとはいえ、蟲がこうもこちらを警戒するように効率的に行動するなんて……。指揮官でもいるんですかね」
蟲の追撃が終わり、速度を落とした車の中でレオナが呟く。
「頭がいいんだよ」
「……蟲の頭がいいなんて。恐ろしいことです。元々、地球上の生物が同じ大きさになったら一番強いのは虫とも言われてましたしね……」
レオナの表情は晴れない。
「ただ、一斉に攻撃をやめるのではなく、徐々にやめていったのは気懸かりですね。蟲とは思えないんですが……」
「普通の虫みたいに単純だったら……さすがにボクたちもここまで追い込まれてないんじゃないかな」
「……もっともです」
ここから蟲を引き寄せるための手段を講じる必要が出てきた。