4話
エステルの寝室も、普段からそれなりに使われていたようで生活の可能な部屋だった。
アンティークのようだったがベッドもあり、そこに少女を寝かせて躍斗は一息吐く。
未だに頭の中では情報の嵐が氾濫していた。収まるには当分時間がかかるだろう。
少なくとも割り切ることは必要だ。
これは現実である。
ここは日本ではない。
地球ですらない。
ファンタジーのように魔法がある。
人類を脅かす生物がいる。
そして、躍斗の手にはその生物を一網打尽にできる力がある。
いや、生物どころではない。
その気になれば、この世界を滅ぼすこともできる力だ。
もし、地球と同じ程度の規模の星なのであれば、ラージマハル・トラップ、シベリア・トラップ――数億年前に起きた火山活動でも引き起こせば環境すら一変して、人類を含めた相当な種類の生物が死に絶えることになるだろう。
おそらくあの蟲も、火で溶かされた、水に弱いという生物的な弱点を持っているのであれば絶滅する生物として例外ではない。
「世界を滅ぼす力とか……魔王かよ」
正直、笑えなかった。
魔王として召還されていた方がまだ納得がいく。どちらにしろ躍斗からすればファンタジーだ。
しかし、この全身で感じる現実感は、これが夢でもファンタジーでもない、リアルだということを刷り込んでくる。
その上、躍斗が扱えるのは災害だけではなかった。扱えるのはエネルギー全般なのだ。自然発生の災害だけではない。その情報がすべて頭の中に叩き込まれている。脳に辞書でもインストールされたかのようだ。
「それでも……」
世界を救うという話には実感がない。
まだ世界の実態を掴んでいないからだろう。
ただ、襲われた蟲が、あんなものが大挙して攻め寄せてきたらと思うとぞっとする。
この力で役に立てるかもしれないと安請け合いしたかもしれない、と若干の後悔は残った。
それでも、元の世界に戻らなければならないという目的がある。
そして、幼馴染みとの未来を取り戻すためにも、やるべきこともできたのだ。
「う、ん……」
しばらくして、少女が目を覚ました。
「大丈夫か? 気分悪かったりしないか?」
「ヤクト様……。わたしは……」
「気を失ったんだよ。いいから少し休んでて。君もたぶん、俺と同じ世界からここに来たんだろうし。混乱してるでしょ?」
「は、はい。お手数おかけします。すいません、御世話もできずに……」
「いや、それは忘れてくれていいから。そのまま寝てるといい」
身体を起こそうとした少女を、躍斗は止めて強引に寝かせた。
「でも、思い出しました。少しの上に、よくわからないんですけど」
そして、身体を寝かせながら少女は語り出す。
「わたしの名前、レオナ・クライチャって言います。でも、あんまり名前は重要じゃなくって……」
「いや、重要だよ。名前は。ようやく名前を呼べるし。あんたとか君とか、そういうのも味気ないだろ。……えーと、レオナ」
「そ、そうですね……ヤクト様」
小さく呼吸をして、レオナは再び口を開いた。
まるで聞いてほしそうな顔をしていたので、躍斗は黙って聞き入れる。
「色んな記憶が細かくぶつ切りされたようにあるんです。その中でも一番新しいのは、欧州戦争中……ですね」
驚くべきところではあるのだが、躍斗からすれば驚き疲れてすぐに受け容れてしまった。自身から見れば過去の人がいても、異世界へ来てしまったことに比べればもはやどうってことはない。
ただ、欧州戦争中といわれても躍斗はピンと来なかった。
「……いつ頃の話? 西暦で……って、西暦はまだ一般的じゃないか?」
「いえ、わかりますよ。わたしが元いたのは、1943年だと思います」
その年で欧州戦争中と言ったらひとつしかない。
「だとすると、第二次世界大戦中、か」
「第二次、世界大戦……?」
「ああ、1943年だとしたら俺からすれば相当前なんだよ。俺は2020年が最後の記憶だからね。その頃にはその頃の戦争は第二次世界大戦って呼ばれてる」
「2020年。わたしからすると相当、未来の話ですね」
彼女もまた肝が据わってきているのか、あまり驚かない。
「じゃあ、あの時持ってた小型の通信機らしきものは、その時代の?」
「よくわかったな。俺の時代になると軍で使ってたような無線通信がかなり一般化してるから。個人が電話を携帯してるんだよ」
「小型化は世の常ですが、あれが電話ですか。すごい時代になるんですね」
それから少し沈黙が流れた。
レオナはあまり未来のことについてを聞いてこない。興味がないわけではなさそうだが、頭の中で今の情報を反芻しているようだった。
「レオナは、どこの国の出身なんだ? ヨーロッパなのは確かなんだろうけど」
「ドイツ、だと思います」
彼女が喋っている言葉がドイツ語には聞こえないし、日本語のように聞こえている。
ただ、エステルは召喚された時、世界に馴染むようなことを言っていたので、言語は違っても意思の疎通ができるようになっているのだろう。
「ただ、ドイツ語以外にも英語とか、フランス語とかの記憶が逐一あるのでなんとも……よくわからないです。でも、ドイツ語が一番多いですね。ヤクト様はどこの方なんですか?」
「日本だよ。戦争中はドイツと同盟国だった、ね」
「日本ですか。でも、それなら名前も納得です。それに顔立ちもアジアの優しい人という感じがします」
「優しいは余計だよ」
「そんなことないです」
お互い、小さく笑い合う。
「妙なことに巻き込まれちまったな」
「そうですね。その、すごく困りました……。記憶がないですけど、あんな蟲に襲われて……死ぬかと思いました」
「だよなぁ」
その上、レオナはどうしてこの世界に来たのか不明だ。
躍斗はエステルに呼び出されたという理由がある。突飛な話だが、本人がそう言っている以上、それを信用するしかない。
「あんな蟲とか、人の身には余るよなぁ」
「徒手空拳だとそうですね。でも、ドイツの機甲師団がいれば勝てそうですが」
「でも、この世界だと火薬も見つかってないんだよな」
「その代わりに魔法が発達したのかもしれません。……元の世界で言ったら頭を疑われそうな予想ですね」
「まあ、空想の世界での代物だしな。ここの世界のものがどういうものかさっぱりわからんけど」
「少なくとも、この世界の人たちには対抗できる手段がなかった……ということでしょうね。文化レベル的に言えば、1800年代に火薬もなく銃もなく、戦車みたいな化け物が出てきたような状況でしょうから。戦車よりも装甲車に近いかもしれませんが」
そう考えれば、熟練の戦士六人で重火器もなく、どうにか車一輛に勝てるのなら御の字だろう。
「あの蟲がどういう生態なのか。生物である以上、繁殖をするでしょう。それがどのぐらいの頻度で発生するのか……。ただ、進化学的にはあんなものが突然現れたとは思えませんし、そもそもあの巨体を維持するだけでもかなりの熱量が必要です。突然変異だとしても、だとしたらなぜ増えているのか、どういった事象なのか――」
流暢になってくると同時に顔が興奮したように赤くなっていく。
「おい。少し休んだ方がいいぞ。ただでさえ、慣れない世界なんだから」
「でも、このまま手をこまねいていたら」
「そりゃそうだけど。なるようにしかならないよ。エステルたちが帰ってこないと、この世界のことはまだわからないし……ひとつずつやっていこう」
躍斗が安心させるように言うと、レオナはひとつ息を吐いて眉根が元に戻った。
「ヤクト様は落ち着いてらっしゃいますね。わたしと同年代のように見えるのに。未来の人はみんなそうなのですか?」
「そういうわけじゃないと思うけど……。ただ、割り切った方がいいとは思うからさ。悩むだけじゃ前に進めないから。それに休むことも大切だ」
「それは経験に基づくものですか?」
「さあ、どうだろう。ただ単に楽観的なだけかもしれない。元々、今の日本人は平和ボケしてるとか言われてるしね」
「くす。そうなんですか」
小さく笑って、レオナは掛け布団から手を出してくる。
「これから……よろしく、お願いします」
躍斗は少し照れながらその手を握り返した。
それからすぐにレオナは寝息を立て始める。手を握ってからあっという間だった。
ただ、とても安心したような表情で、気持ちよさそうに寝ている。
「やっぱり無理してたんじゃん」
寝てる割には結構な力で握られ、手を離すことができない。
「……ま、いいか」
結局躍斗はエステルたちが戻ってくるまで、その小さな手を優しく握り続けた。