11話
白い吹雪が、すべてを飲み込んでいく。
一ヶ月半近い、ヨーロッパ全域にまで影響を及ぼしたイギリスでの寒波は、慢性的な国力の低下を招いた原因とも言われている。
さらに終わり頃には豪雪まで降って、首都機能を含めて様々なものが止まった。
その豪雪が、1500匹の蟲を完全に白色で覆っている。
無慈悲に。
容赦もなく。
蟲の黒く鈍く光るそれを白で塗り上げた。
90秒後。
あれほど気味悪く蠢き、ひしめき合っていた蟲の姿はもうない。
動かない、何も物言わぬ、ただの死骸と成り果てていた。
凍った肢は身体を支えることができなかったのか、次々と崩れ落ちていく。
一匹だろうと、1500匹だろうとおかまいなしだった。
躍斗たちの周囲には雪が数メートルほど積もったままとなっている。
「ぐっ……」
しかし、その代償。
躍斗の身体に強烈な怠さを感じた。
少し頭もぼんやりしているのか、意識を保っていないと倒れそうだった。
貧血のように、視界が白に染まっていった。
躍斗は頭を振って、その怠さや目のピントを取り戻す。
その横、イジンカは開いた口が塞がらないようで、黙り込んでいた。
そして、躍斗の傍にいたシモナは――鬼気迫る顔で戦っていたシモナは……力を失ったかのように地べたに座り込んだ。
「……な………………ぜ…………」
ブツブツと小さく呟く。
そして、座ったまま躍斗に顔を向け、
「なぜ死なせてくれなかった!」
そう、怒りの表情で声を張り上げた。
その目には涙すら浮かんでいる。
死に損ねたことが、悲しい悔しい不本意不覚無念心外――そう言わんばかりの複雑な表情だ。
それは助けられたことに対しても同じ感情だろう。
だが、そんな感情を向けられようと、躍斗が言おうと決めていた言葉はたったひとつだ。
「何を勝手に、死のうとしてるんだ!」
単純明快だ。
そんな何も考えていないかのような躍斗の反論に、シモナは立ち上がり躍斗の胸ぐらを思いっきり掴む。
「私は……っ、私はっ……! 死にたかったんだ! 兄を目の前で失い、親族たちを目の前で失い、これ以上、私に何をしろと言うんだ!」
嗚咽しながら、彼女は叫ぶ。
まさに慟哭というような、泣き方だ。
「私には何もできない! こんな武器ひとつで何ができる! 私には英雄の真似などできない! 期待を寄せられたところで何もできない! せいぜい十匹程度殺すのが関の山だ! それでは何も変わらない! ならば、私を兄上のところへ行かせてくれ!」
「ダメだ……」
躍斗は凄まじいほど疲労した身体に鞭打って、シモナの両肩を掴む。
「なんで、だ……! もう、世界は終わるじゃないか……。蟲に蹂躙される……。いくら抗っても無駄じゃないか……」
「無駄なんかじゃない。この戦いは勝てるんだから!」
「この戦いを勝ってどうなる!? 次は!? その次は!? 耐えきれるわけがない! この島に来たのは3500匹程度だぞ! 大陸には十倍以上、いや、百倍近い蟲たちがいるんだ! その上連中は、その数をあれから未だに増やしているだろうさ! 今回を倒せたとしても、今度はさらに多くなるだけだ! その手の知恵だけは奴らは持っているんだから!」
彼女は出会った時から、最初から諦めていた。
どれだけエステルが励ましても。
どれだけレオナが軍事力の底上げをしても。
どれだけ躍斗が強力な力を見せても。
彼女の冷めた目は一切変わることがなかったのだ。
一貫して、諦観を纏っていた。
遠征軍に参加したというシモナがどんな地獄を見てきたのかは、躍斗にはわからない。
どれだけの絶望を味わって、国に戻ってきたのかはわからない。
ただ、想像することしかできない。
「だから……死なせてくれ……。私は、もう、疲れたんだ……」
国でもっとも強い騎士。
そんな彼女が泣きながら、そんなことを訴えている。
もしかしたら彼女はとうの昔に心が折れていたのかもしれない。
強かろうと、力を持とうと。
彼女は地球の常識で言えば、まだ成人をしていない。
ただのひとりの少女でしかないのだ。
そんな彼女は国から、残ったベルカ家唯一の騎士として期待をかけられ。
戦って。
戦って戦って。
戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って。
ずっと戦い続けてきたのだ。
終わりの見えない戦いを全速力で駆け抜けてきた。
しかし。
レオナがいても。
躍斗がいても。
終わりは未だに見えない。
未だに世界を救うための道筋すら照らされていない。
それは闇の中を突き進むが如く、だ。
むしろ……別の道が光に照らされている。
「ヤクト様……だから、お願いだ……。この世界を滅ぼしてくれ……。王たちを、騎士を、民たちを人として死なせてくれ……。蟲に蹂躙されて魂結晶と成り果てるなんて……。だから……この世界を、滅ぼす、救世をしてくれ……お願い、だから」
この世界を滅ぼすという道が、輝いているのだ。彼女の中では。
まるで救いを求めるように。
躍斗に世界の滅亡を願うシモナ。
今の彼女の気持ちがわかると言ったら、彼女に対しての侮辱になるだろう。
しかし、滅亡させてくれという気持ちがわからないと言っても嘘になる。
どちらにしろ。
躍斗は、その願いを聞き届けるわけにはいかないのだ。
「お断りだ」
「ならば……せめて死にに行かせてくれ……。せめて少しでも人を守って死んだと言わなければ兄さまに、顔向けができない」
「死んだ時点で顔向けできないだろう。お前は……騎士の役目を放棄するんだから」
「……違う! 騎士の役目を放棄!? 私は……数秒でも蟲を止めて、それから死ぬんだ!」
「そんな滅びの美学なんざ糞喰らえだ」
そう語ると、シモナが躍斗の頬を引っぱたいた。
小気味いい音が響く。
ただ、かなり強く殴られたようでかなり痛い。
肩を掴まれ体勢が不十分だったにもかかわらず、躍斗の歯が飛んだ。
「よそ者の貴方に何がわかる!」
「よそ者だからわかるわけねぇだろ。この世界じゃなんだ? 死に急いで責任を放棄した騎士を天国に連れて行くような倫理観でもあるのか!?」
「そんなものあるわけない! 世界を救えるような力があれば死ぬものか!」
シモナはさらにもう片方の頬を引っ張った。
躍斗の頬は両方とも赤くなっている。
ただ今回は歯は飛ばなかった。
躍斗も相当痛みを感じてるし、身体に纏わり付くような怠さで今にも倒れそうになっているが、それでもシモナの肩から手を外さない。
「……だったら力を付けてくれ」
「なんだと?」
「この島に来る蟲は常に撃退する。何十年でもだ。その間にお前が力を付けるんだ。百万の蟲を屠れるぐらいに……!」
「い、言ってることが無茶苦茶だ!」
「ああ。そうだろうさ。お前を死なさないための詭弁みたいなものだからな。だけど、ここで死ぬよりかはそうした方が遙かに建設的だ」
「なんだ……なんで……そこまで! よそ者なのに……!」
「よそ者なんて言わないでもらいたいもんだ。俺はもう決めた。今決めた。この世界を救うまで、蟲を駆逐するまで元の世界には帰らない。この世界を滅ぼす以外に、帰る方法が見つかったとしてもな」
「な……!」
「覚悟を見せろっていうなら、今見せたぞ」
躍斗とて無茶苦茶なことを言っているのはわかっている。
それに自分の中でもここまで無茶をしている理由も判然としない。
ただ。
躍斗の手には、使い方次第で人を助けるための力がある。
その力があるのに。
近しい人を見捨てて、死んでしまうのを見過ごすなど。
できるわけがなかった。
「口だけならなんとでも――」
「だったらこれが終わったら誓約書を書いてもいい。確か魔法にあるんだろ? 契約違反を犯したら強制的に罰則を受けさせるような代物が。ちょっとした会話の時だったけど、エステルにも聞いた。それで苦しめるなり殺せばいい」
「あ、う……」
そして、躍斗は少し目を細める。
優しく問い掛けるようにシモナに真正面から見据えた。
「なあ、シモナ。お前が死んだら、悲しむヤツがいるんだ。そこにいるイジンカだってそうだし、エステルは間違いなく泣くはずだ。お前を失ったら、この国のすべてが終わるぞ。仮にこの戦いに勝っても、心で死ぬ」
「……私に戦い続けろというのか? 死ぬことも許されないというのか?」
「むごい言い方だけど、そういうことだ。だけど、それはお前だけじゃない。エステルも、レオナも、王子も住民たちもこの世界の人たちすべて。誰ひとり欠けてもこの世界を救うなんて無理だと思う」
「……そんなの」
「だから、一緒に背負っていけばいい。俺もエステルもレオナもイジンカも……お前ひとりに重責は背負わせない。一緒に背負っていけばいい。魔法だってようやく使えそうになったんだからな。レオナなら時間をかければもっといい方法を思い付く。エステルだって魔法を開発するかもしれない。その頃にはイジンカだって、立派な上級騎士だ」
そう言い終えて。
ふたりの間に静寂が訪れる。
風の音。
それだけが耳へと流れていく。
そして、シモナは躍斗の胸からゆっくりと手を離した。
「信じて、いいの?」
か細く、縋るようにシモナは躍斗に問う。
その姿はまるで普通の少女のようだった。
「少なくとも世界を滅ぶ時までお前を見捨てないって誓うさ。泣き虫の騎士さん」
「……ば、ばか」
シモナは顔を真っ赤にしてぷいと逸らした。
さすがにちょっとクサかったか、と躍斗も頬を掻いている。歯が折れていたせいか、痛みで顔をしかめた。
「あ、と、その……も、申し訳ありません」
「恩人に……その上騎士が手を上げるなど……」
「気にしてないからいい」
「で、ですが……」
「とりあえず、敬語はもういいから。それとそんな些末な話は後だ。今は蟲たちを駆逐しないといけないからな。とりあえず1500匹は潰したから残り2000ちょっとか」
シモナが呆れたような表情になる。
「なんでそこまでこの世界に入れ込んでいるんだ……?」
「葛葉が……守った世界だからな。俺が見捨てるわけに行くかよ」
「……大事な人だったんですね」
「まあ、な。俺が守るべきヤツだった。それがこっちに来て英雄とかな。それが一番実感湧かないよ」
躍斗は小さく笑う。
そこへ固まっていたイジンカがようやく立ち直った。
「や、ヤクト殿、レオナ殿から連絡です!」
イジンカが自分の持っていた小石大の石を投げてくる。
それは小型の通信石だ。
それを受け取ると、
「ヤクト様! 何をやってるんですか!」
説教が待っていた。




