8話
前回の圧勝以来、王家主導による蟲との戦いは順調に進んでいるようだった。
ふたつの上陸ポイントにいた蟲を蹴散らし、その地点を抑えた王都の軍は、半日かけて転送石を設置。
そこを中心に陣地を設営した。
王子としては、できることであれば城塞都市にしたいということだったらしい。
だが、現時点でそこまでの資材はなく、すぐにできることでもない。
そのため、落ち着いてからということになった。
そんな戦果をエステルから聞きながら、レオナと躍斗は今日もこの世界に関する本を読んでいる。
今や彼ら自身の出番はなく、すべて王家の戦果だった。
「それにしても、そもそもなんで王都やエステルさんの領地も、城塞都市じゃないんですか?」
蟲に対しては城壁が有用。
これに対して世界が気付いていれば、もう少し安全だったのかもしれない。
蟲は五メートル以上の壁を登れないのだから。
しかし。
「気付くのが遅れたんだよ。五メートル以上登れないってことに」
「でも、一年もあれば住人を働かせればどうにかなったような……」
「国が最初にやる気を失っちゃったから。私の方もそこまでのお金も資材もなくて、お手上げだったし。隆起させた土が元に戻らないようにできればいいんだけど」
こればっかりはエステルにもどうにもならないものだったらしい。
ただ、そこに対して危機感の欠如はあったのだろう。
それでも今はすべてが順調だ。
ここでは勢いに任せてもいい。
レオナは自分にそう言い聞かせるように「大丈夫なはず……」と呟いた。
ちょっとやそっとの事態であれば、策略や罠で覆すことも出来る。
その上、躍斗の災害の力まであるのだから。
そんな話をしながら、さらに朗報は続く。
魔法のさらなる効率化。
装備の質の向上。
兵の練度の上昇。
それらすべてが今、花開き、蟲を圧倒しつつある。
島の中央に陣取っていた蟲も駆逐された。
転送石も設置されたという。
この島に確認されていた蟲はほとんど刈り尽くしたとのこと。
数匹、どこかに隠れているが、見つかるのも時間の問題だろう。
もしこのままいけば、大陸側に進出し、橋頭堡を作り上げることもできる。
そうすれば、またそこから大陸側の地図を元に作戦を立てて、蟲の駆逐をしていくのだ。
その絵図を、誰もが心の中に思い描いていた。
しかし。
この世界の人々は、それでもまだまだ甘かった。
エステルも。
シモナも。
躍斗も。
レオナですら。
ここからの事態を予見することすらできなかった。
いや、予見など不可能だっただろう。
情報は命だ。
その情報がなかったのだから、どうしようもない。
その情報を知っていれば、レオナは別の策を立てていたかもしれない。
いや。
あるいは、諦めていた可能性もある。
蟲という生物は。
誰が考えていたよりも、恐ろしい生物なのだ。
もっとも。
その情報を知る術が、この国になかったのも事実である。
朝日が部屋の中を照らす時間。
エステルの家にあった通信石が、強烈な声で何かを伝えている。
その瞬間――砲撃音が響いた。
聞こえてきたのは、通信石からと、そして、外からもだ。
『西の沖に船団多数! 島の岸壁が砲撃されています!』
「船団!? 被害は!?」
すぐにエステルが対応する。
『現状、皆無。船から砲撃するのみで、人家までは遠いです! ただ、砲撃で崖が崩れ始めています』
「……砲撃してくる相手は、まさか魔法使い!?」
『いえ! 船に乗っているのは蟲です! 間違いなく! 見たことのない船です! 蟲が、口から砲撃を!』
「口から!? 魔法!?」
『わかりません! ですが、黄色い弾のような光はその可能性があります! 着弾すると爆発する性質を!』
「……船団が見える位置で待機! 危なくなったらすぐに逃げてこっちまで戻って!」
『了解しました!』
通信石からの連絡が終わり、今の話を別の通信石に伝えてからエステルはふうっと溜息を吐く。
「どうしたんですか!?」
レオナに質問をされ、今の話をエステルが伝えると……レオナは途端に青い顔になった。
「砲撃能力!? 船による渡航能力は聞いてましたけど」
「ボクも初めて聞いたよ! でも、人家に被害は出てないって……」
まだ誰も死んでいないという話を聞いても、レオナの表情は晴れない。
「その砲撃能力で……まさか新しい上陸ポイントを作る気では……!? いや、でも、それなら上陸ポイントを砲撃した方が……」
そうレオナが呟いていると、さらにエステルの元に通信石から連絡があった。
これ以上、悪いことばっかり起きないで……というエステルの呟きは脆くも崩れ去る。
『北に船団多数! 上陸域に設営された陣が破壊され――』
『南東に船団が! 凄い砲撃で――』
これ以上ない凶報だ。
通信石からは朗報がまったく入ってこない。
『西です! 崖が崩れて土と石が海に流れ込んでいます! 上陸点ができあがって……!』
あっという間に。
すべてが覆されていく。
奪ったはずの上陸ポイントはすべて奪い返され。
新たに上陸ポイントを作られ。
島には数え切れないほどの蟲が上陸。
そこにいた兵士たちは多少の犠牲を出しながらも、辛うじて逃げることが出来た。
しかし、彼らが無事だったのは上陸した蟲たちが、そこから動こうとしなかったというのもあるだろう。
まるでいつでも潰せるから、とでも言うように、蟲たちはそこに居座った。
北に約1500匹。
南東に約1300匹。
西に新たに出来てしまった上陸ポイント南東に約850匹。
3000以上の蟲が入り込んでしまった。
元々、島にいたのは100匹未満。
100匹に攻められたら王都は持たないと言われているというのに、だ。
今の軍事力なら100匹程度なら、どうってことはなかった。
多少増えたところで、相手にもならない。
しかし――。
3000匹など耐えられるはずもない。
その上、砲撃能力などという想定の外の力。
それですべてが、狂った。
レオナの予想も、何もかも。
何よりも誰よりも。
レオナ自身が蟲を侮っていたことを、思い知らされた。
エステルの家には沈痛な空気に支配されている。
「………」
「………」
「………」
レオナも躍斗も誰も言葉を発することができない。
あっさりと蹂躙された。
ひとつずつ積み重ねていった軍事力を、まるで嘲笑うかのように。
「砲撃可能な蟲とか……どんな蟲ですか」
レオナが乾いた声で呟く。
「今まではいなかったはずだよ……。少なくとも、この島にボクたちが閉じ込められる前は……」
「見逃していたんじゃないんですか?」
「さすがにそれはないよ、ボクらの目はそこまで節穴じゃない!」
「ですが、結果として……!」
微かに不穏な空気を感じ取った躍斗は、すぐに制止した。
「やめてくれ。ここでいがみ合っても仕方ないだろう」
エステルもレオナも、自分の発言に気付き、居たたまれない顔をする。
「……はい。すいません、エステルさん」
「こっちもごめんなさい……。でも、本当なんだ。今まであんな蟲は見たことない」
ふたりの口論はひとまず沈静化した。
だが、この状況が続けば、いつまた再開されてもおかしくない。
「進化したってことじゃないのか? あるいはこの世界や環境に適応したか」
躍斗はふとそんな言葉を口にする。
「……こんなに早くですか? 三年で生物は進化したりしませんよ。もっとも、蟲には当て嵌まらないのかもしれませんけど」
進化とは本来、長い年月をかけて行われるものだ。
また、必要なものを得ることが進化というのも違う。
例えば、地球の生物で言うキリン。
彼らは高い場所にある食べ物を食べるために首を伸ばすよう進化してきたわけではない。
偶々生まれた首の長い動物が、高い場所にある食べ物を食べられるがために淘汰を免れ、生き延びてきてキリンになったに過ぎないのだ。
少なくともレオナや躍斗の頭にある進化論はそうなっている。
すべては環境によって、先鋭化した動物が生き延びた結果に過ぎない、と。
しかし、それでは蟲が突然砲撃能力を得たというのもおかしな話だった。
ひとつ、心当たりを躍斗は語る。
「あるいは、魔法を使えるようになったとか」
「なるほど……その可能性なら」
魔法は形容魔力と発現魔力があれば可能。
蟲がそれらを持っていれば、使うことも不可能ではないのだ。
魔素が人にしか扱えないというものでもない。
それでも謎が多すぎる。
そんな目を向けながら躍斗はエステルに問うた。
「魔法はそう簡単に習得できるものなのか?」
「……龍がいた時や魔王がいた時は、そこらの魔獣が使えたって話だったけど」
「人間以外にも使えるってことか」
「だけど、蟲が使ったって話は今までにも聞いたことがないよ……」
魔法かどうかはわからない。
何にせよ、事実なのだ。
砲撃してくる蟲に、3000匹以上の蟲。
これが島に入り込んだことは。
「そもそも船の操縦はどうやってるんでしょうね……」
それこそ上陸された後では些末な謎だ。
「……今の兵力でどれぐらい倒せるかな?」
エステルが小さな声で問う。
「500……いえ、400倒せれば御の字でしょうね」
ただ、それはこの国――シュッツガルドという国の兵力での話だ。
躍斗は自分の手をじっと見る。
災厄の詰まった、自身の手を。
「俺の力だったらどうだ?」
ふと躍斗が尋ねる。
レオナはあまりいい顔をしなかったが、それでも頼らざるを得ないのだ。
「上陸ポイントを広域で殲滅する代物が必要です」
レオナが冷静に言う。
「1500匹以上を殲滅する災害が」
「あるとは、思うが」
「ただ、バラけている今じゃないと厳しいです。もし、今の状況で――」
悪い連絡はさらに続く。
『北の上陸ポイントに到達した蟲たちが進軍を始めました! まっすぐに王都を目指しています!』
通信石から突然の連絡。
さらに次々と、他の上陸ポイントの蟲たちも王都を目指し始めたという。
「エステル!」
シモナがエステルの家に駆け込んできた。
「西の上陸ポイントから王都まで、ここは通り道になる! 蹂躙されるぞ!」
彼女も通信石からの情報を聞いてやってきたらしい。
エステルはグッと唇を噛み、しかし、すぐに立ち上がった。
「逃げるよ! 今すぐ街の人たちに避難の準備を! 転送魔法を使うから転送石の近くに集めて! 魔法使いたちが全力で往復して避難させるから!」
エステルの伝達は瞬く間に伝播し、駐屯していた魔術使いの兵士たちが、次々と町民たちを王都へと転送していく。
その様子を見ながら、躍斗がレオナに尋ねた。
「なあ、ここで災害を使って迎え撃ったら……」
「ダメです。もうすべての蟲たちが王都に向かっているんですから……」
レオナにとってもっとも理想的だったのは、彼らが動かないことだった。
如何に蟲が多かろうと、躍斗の災害の力はそれを上回る。
少し時間を空けて個別撃破できればなおいい。
あるいは、進軍をしてきたとしても一日二日の間隔を開けて、それぞれが王都に到達でも構わない。躍斗たちがやるべきは、個別撃破なのだから。
しかし、一斉攻撃では大きな問題が出てくる。
蟲が目指すは王都。そこで災害を起こせば、確実に王都側にも被害が出る。
戦争は勝てばいい、全滅させればいいというものではない。
これからも生き続けるためには、それだけではいけないのだ。
ここでの蟲がこの世界のすべてであれば、多少の犠牲を強いてもいいだろう。
人の天敵がいなくなり、復興だってゆっくりとできる。
しかし、蟲は大陸側にまだまだごまんといるのだ。
戦争はこれで終わるわけではない。
生き延びるためには、できる限り被害を出さずに必要があった。
「わたしたちに残されてる希望はヤクト様が、広域災害で三隊いる蟲たちを個別に全滅させること。その三隊ができる限り一日間隔で別々に来ることを祈る。それ以外にありません」
しかし、今はさらにもっと最悪のケースなのだ。
三隊の蟲たちがそれぞれ王都に向かって、王都到着のタイミングもバラバラという形。
躍斗が全滅させるのは一日に一隊が限度。倒しても次が襲いかかってくる。
仮に二回目の災害を再生したとしても。
三隊目で蹂躙される。
「でも、王都に攻めて来るタイミングがズレたら、結局――」
「それで、また二回目を使うつもりなんですか?」
レオナが心配そうな、それでいて怒っているような目を躍斗に向ける。
「あの時、ヤクト様が死んでしまったかと思いました。わたしはそんな風にはしたくありません」
「そんなこと言ってる場合じゃ――」
「言ってる場合です。ヤクト様が死んでしまえば、この世界は本当に終わります。だから、その一回で全滅させないといけないんです」
「二回再生で死ぬとは限らないだろう!?」
「二回で死なないとも限らないんですよ!」
レオナが涙目で叫んだ。
「前回のは運がよかっただけかもしれない! この世界を救うためにはヤクト様の力が絶対に必要なんです! ヤクト様は死んだら駄目なんです!」
叫んでから気まずくなったのか、レオナは目を伏せて顔を逸らす。
小さな声で「すいません」と呟いた。
「……レオナは、なんでそんなにこの世界を救いたいって思ってるんだ?」
そんなレオナを見て、ふと躍斗は尋ねる。
彼女の救世に対する気持ちはかなり強い。
元々、そのために喚び出されたはずの躍斗などよりもずっと。
すると、レオナは目を開けて躍斗を見つめる。
そして、「確証はないですが」と前置きして、語った。
「わたしも、救世召喚魔法で喚び出されたはずの、召喚者だからです」




