5話
2011年3月11日。
14時46分18秒。
小学校で午後の授業中、突然の揺れが襲った。
教室をまるでシェイカーのように振られたような数分間。
生徒たちは机の下に隠れたものの、支えきれずに机を倒してしまった生徒も多かった。
その度に教師は必死になって机を元に戻して支える。
その場にあったあらゆるもの――ロッカーや花瓶、テレビが倒れ、凄まじい音と共に破壊される。
隣の机の下に隠れた葛葉は泣いていた。
もうやだ、かあさん、たすけて。
躍斗は、それを泣くなと力強く励ました。
「こんな地震、すぐに終わる」
と。
すると彼女はすぐに泣き止み、鼻声で「うん、やっくん」と素直に頷いた。
同じ幼稚園を過ごしたふたりは常に一緒に行動し、昼寝の時間も必ず隣同士で仲睦まじく過ごしていた仲だ。
家も近く、小学校に上がってもそれは変わらない。
葛葉は躍斗に「やっくん」と呼びながら常に付き従い、躍斗も葛葉を従える。
だけど、葛葉もまた躍斗にとっては欠かせない、そんな仲だ。
躍斗の言うようにすぐに終わることはなかったが地震は一旦収まった。
「電話が通じないんです。テレビも壊れたし、何が起こったのか……」
学校は混乱していた。
初動が遅れ、生徒たちを学校から出したのは、相当遅かった。
気付けば地震の二次災害――津波は目の前に迫っていた。
学校から出た躍斗たちは商店街を必死に逃げる。
津波をやり過ごすことのできる高台はこの商店街を抜けた先にあった。
しかし、高台は遠い。
高台の上にいる人たちは、早く早くと学校関係者に怒号を飛ばす。
躍斗は葛葉を必死に引っ張りながら高台へと向かっていた。
極度の焦りと、あと少しという一瞬の油断。
商店街の十字路で、葛葉の手が躍斗からするりと抜け落ちた。
手の勢いが突然なくなった葛葉は体勢を崩し、うつぶせとなって転んでしまう。
市街地を蹂躙してきた津波が、横合いから彼女の身体を攫った。
一瞬、立ち止まった躍斗を併走していた教師が抱きかかえ、高台へと向かう。
葛葉を、置き去りにして。
波に呑まれた葛葉は、どうにか壁に掴まっていたが、とても危うかった。
溺れるように手足をばたつかせる。
少ない体力で水面の上にある空気を求めていた。
「た……すけ、……て、や、っくん……!」
躍斗に助けを求めるような顔つきで。
しかし、それも長くは続かない。
葛葉は何かを掴むように水面上に手を伸ばして――ゆっくりと沈んでいった。
それが、葛葉を見た最期の瞬間だ。
「………」
衝撃的すぎて、躍斗は口に出すべき言葉を失っていた。
エステルは躍斗の表情を見て、さすがに訝しむ。
「ありえないだろ……」
絞り出せたのはその程度の言葉だった。
「ど、どうしたんですか。ヤクト様」
エステルが心配そうに躍斗を見つめる。
しかし、その顔も言葉も頭の中に記憶できない。
楠葛葉なんて、そんな名前の奴がそんなにいるとは思えない。
死ぬ間際に召喚されるという条件も満たしている。
日本語のような名前。
躍斗自身がここに来ている以上、同じ世界から喚ばれていても不思議ではない。
第一、レオナなど同じ世界でも時間が違っている。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「な、なんでしょう」
「この英雄様って何百年前の話なんだ?」
「正確には四百二十年前の話ですね」
躍斗からすれば戦国時代、関ヶ原の合戦が起こった年だ。
「この世界って魔法あるけど、不老不死とかそういうのってある?」
「いえ、ありません。その手の魔法研究はここでも大陸でも禁忌になってます」
「平均の寿命ってどのぐらい?」
「五十五歳ぐらいですね」
だとすれば、生きてはいないだろう。
躍斗としては実は五百歳などという突飛な展開を薄く期待したが、それもなかった。
この世界に来た葛葉の身体がこの世界に順応しようがしまいが、寿命が五十五歳ではどうにもならない。
「英雄は最後、なんで旅に出たんだ?」
「わ、わかりませんかもしれません」
何か妙な言葉をエステルが口走るが、どうも口を割りそうにないので躍斗は諦めた。
「そうか……。にしても、英雄って来た時は本当に子供だったんだな」
「……え?」
「…………え?」
エステルが戸惑いの声をあげる。
「英雄様は喚び出された時、確か十六歳と言ってたはずですけど。成人ですよ」
「は?」
「いえその。は? と言われましても。公式の文書にもそう書かれてますし。それに英雄様が召喚されてから一年経って………………結婚もしましたからね」
ふと躍斗は疑問に思う。
もしかして、全くの別人? と。
「写真とか、絵ってないの?」
「写真がよくわかりませんが、絵なら全部城にありますよ」
「悪い。連れてって見せてくれ」
確かめられずにはいられない。
そんな躍斗の迫力に、エステルは「つい」といった様子で頷いた。
どこかの高名な画家が描いたのか、写真のようにはっきりとしていた。
巨大な額縁の中にいる少女は、簡素な鎧を着て椅子に座っている。剣は足下に転がっていた。どういう状況なのかはわからないが、綺麗に描かれていた。
「無理矢理、連れて来させたみたいで悪いな」
躍斗は隣にいるエステルに小さく頭を下げて詫びる。
「いいってことですよー。救世主様のお願いですからね」
「だから救世主様ってのはやめろっての」
ここは城内の中でもかなり入り口付近の区画のようで、誰でも入れるわけではないが、同行者が城に入る資格さえ持っていれば入れるらしい。
奥に行けばさらに豪奢になるのだというが、この広間だけでも息を飲むほど美しい。
暖かい色で描かれた絨毯は石の冷たく硬い感触を完全に消している。
しかし、こんな場所でありながら周囲には兵士がほとんどいない。
エステル曰く、ここに割くほどの余裕がないということだ。
それでもシモナの家が近衛兵として王の傍に仕えているので、暗殺の危険などはないらしいが。その上、反乱をするほど気概のある者もいないらしい。
当然だろう。滅び行くことが決まった国など、誰も欲しがらない。
「で、これは似てるのか?」
「うん。多少の違いはあるけど、どの絵も大体こんな感じだよ」
朧気に似ているような気がしないでもない、というのが躍斗の偽らざる思いだ。
しかし、これだけでは断定できない。
「映像があるって言ってたよな?」
「うん。ちょっと口利きして持ってきたよ」
そう言ってエステルはガラスのように透明な石を持ってきた。
エステルがすぐ近くのテーブルにつき、その上に石を置く。
長方形に象られたそれは、約三センチほどの厚みを持っていた。
躍斗もエステルの対面に座る。
「リィレフ」
エステルがその石に手を当てて何事か呟くと、その石の上にうっすらと何かが映し出された。
ところどころ歯抜けだった部分が徐々に埋まり、その中で映像が再生され始める。
音声まで再生されて、躍斗の知る動画にそっくりな代物だ。
その映像は、どうも英雄とその仲間たちが船で見送られるところだった。
「英雄様! 葛葉様! どうか、あの龍を倒してくだされ!」「葛葉様! 信じております!」「ディアナ! 英雄様の足を引っ張るなよ!」「エリアス! 英雄様をしっかりとお守りしろよ!」「お願いします!」
そんな中、葛葉と呼ばれた少女は魔法使い然とした少女、おそらくはディアナと銀の鎧を着込んだ騎士、おそらくはエリアスのふたりに、何かを求められているようだった。
そもそも録画の構造がわからないため不明なことも多いが、撮っている場所が遠いせいなのか、その小さな会話の内容はほとんど聞こえてこない。
その会話が終わると、英雄の少女は少し恥ずかしそうにして剣を掲げた。
「必ず、龍を討ち滅ぼして帰ってきます!」
と、少し舌っ足らずな声で力強く告げる。
そして、彼女は颯爽と接岸された船に乗り込もうとして……なかなか乗り込もうとしない。
船なのか水なのか、苦手なのがどちらかはわからないが、船に乗りたくないのがありありとわかった。
そのうち笑いが広がっていくが、英雄の少女は気恥ずかしそうに笑みを浮かべるだけだ。
そして、意を決したのか、英雄たちは全員乗り込み、船は港を出て行く。
映像はそれで終わった。
「そう言えば、まったく聞いてませんでしたけど、どうして英雄様に興味を?」
映像が終わってエステルがそんな質問を躍斗へ投げる。
「……俺の幼馴染み……かもしれない」
「えっ?」
エステルの表情にはどういうことですかと書かれたが、それは躍斗が知りたいところだ。
躍斗は掻い摘まんで、葛葉のことを語る。
そして、一緒に気になったことを尋ねた。
「なんで成長していたのかは、ひとまず置いておこう。ただ、この何百年も前の時代に、俺と同世代の人間が召喚されるっていうのはあり得るのか?」
すると、エステルはあっさりと頷く。
「あり得なくはない、かな。この召喚魔法は時間にも干渉して処理をするから……」
1900年代を生きたレオナが、今の世界に十代でここにいて。
2000年代を生きた葛葉が、今の世界では四百歳以上。
「色々と滅茶苦茶だな」
「魔法はその滅茶苦茶に指向を与えて収束させていくものだからねぇ……」
そんな話を聞いても躍斗は理解できない。
「ただ、やっぱり見れば見るほど葛葉としか思えない。俺は子供の時の葛葉しか知らないけど、あの絵や映像の中のあいつには子供の頃の面影があるし、声だって似ていた。俺の壮大で盛大な勘違いって可能性もあるけど……」
一緒に過ごしていた幼馴染みが、別の世界で英雄となっていた。
その上、子を成して行方不明。
様々な思いが躍斗の胸に去来する。
龍は怖くなかったのか、とか。
生活に困らなかったのか、とか。
元の世界に戻れなくて、どんなに悲しかったのか、とか。
しかし、すべてはここでは遠い過去の話だ。
「葛葉……幸せだったのかな」
エステルはすぐに答えない。
「……英雄様は恥ずかしがり屋で、記録も残さなかったし、文章も残さなかったからね。でも、うちの古文書では英雄様をずっと称えてたよ。最初は愚痴ばっかだけど」
「何か残ってないの?」
「使ってた剣や鎧はお城の宝物庫にあるけど……あ」
何かを思い付いたように手を叩くエステル。
「シモナの家に何かあるって言ってた気がする」
そう言われて躍斗はテーブルから立ち上がった。




