天骸百合 その3
11月30日
卓袱台に置かれた湯呑が倒れた。鈴蘭が思い切り卓袱台を殴ったからだ。幸い、中身は空だったため、机を拭く手間は省けた。鈴蘭は声を搾り出すように言った。
「・・・私たちを馬鹿にしてるのですか?そんな命令、聞けるわけ無いですよ。」
彼女の拳は怒りに震え、今にも部長に飛び掛らんばかりだ。もちろん、私だって納得はしていない。憤りも当然感じているが、先日感情が爆発したせいか、幾分か冷静に部長の話を聞くことができた。ただ、問題は風嵐君の方だった。話が始まってから、ただの一言も喋っていない。暗がりに鬼を繋ぐが如く、粛々としている。
この状況を作り出した原因は言わずもがな、今回の案件の真相と、それに対して生徒会が出した結論と部長の選択である。蔓延しつつある不信感を少しでも塞き止めるために、真実を隠匿しようと画策した生徒会は、ハウンドにその協力を要請した。部長は、部員を人質に取られ、やむ無くそれを承諾したらしい。ほのぼのと笑いながらそんな話をできるはずもなく、昨日に引き続いて今度は鈴蘭の怒りが爆発したのだ。
鈴蘭が卓袱台に身を乗り出して部長に詰め寄った。声を荒げ、乱暴に胸ぐらを掴んだ。
「ふざけんじゃねぇですよ!私は死んでもお断りです!」
言いながら部長を突き飛ばし、彼女はそのまま部屋を出て行ってしまった。場の空気は相変わらず重く、風嵐君も黙りこくったままだ。部長は倒れ込んだまま、唐突に言った。
「まぁ、当然よね。ぶん殴られなかっただけまだマシだわ。」
「・・・部長は運がいいです。これがもし昨日だったら、首を刎ねられていますよ。」
「一生分の運を使い切った気がするわね。暫くは事故に気を付けるわ。」
そんな軽口を言いつつ部長は起き上がり、お茶を啜った。それから、こんなことを口にした。
「それにしても、驚いたわ。てっきり侘助が最初に食って掛かってくると予想していたんだけど、まさか鈴蘭とはね・・・。体調でも悪いの?」
風嵐君に対する挑発とも受け取れる発言だ。どうしてそう、自ら溝を深めるような発言をするのか。この前私に相談してきたのは何のためだったのかと、そのことについて詰問したくなってくる。だが、彼女の言葉に対して、風嵐君は怒らなかった。穏やかとも呼べるような表情で湯呑を傾けながら、こう答えた。
「・・・政治の話に首を突っ込めるほど、俺は賢くねぇよ。それに、他人の選択に対して俺がつべこべ言っても仕方ねぇだろ。大局を見定めた会長さんの判断は正しいし、アンタの決断は結果的に俺たちを救うことに繋がる。その選択に反発する人間も居りゃあ、感謝する人間だって居るはずだ。そして、得する人間と、損する人間も生まれる。」
「・・・・・・得をしたのは私たち、つまり学園。」
「損したのは星屑姉妹ってわけね。それって、遠回しな嫌みになってない?」
苦笑いしながら言う部長に対して、彼は「そうじゃねぇさ」と、やはり涼やかな様子で否定した。何やら、今日の彼は異様に冷静だ。