渡瀬秋桜 その3
夜顔さんの髪は肩にかかる程度の長さで、前髪はヘアピンでセンター分けにしている。前から見ると至って普通なのだが、問題は後ろから見た時だった。頭頂部のやや下から襟足にかけての部分が異常に跳ねているのだ。寝癖と呼ぶには余りにも攻撃的なその髪は、妹さんの縦ロールと同様にとても特徴的だった。それに、この寝癖は只者ではない。異常な程の強度と鋭さを誇っており、下手に触るといとも容易く皮膚を貫かれる、らしい。そのくせ、夜顔さんに対しては一転して従順であり、彼女が触る場合においては人並みの髪に変貌する、らしい。最後のほうが曖昧なのは、私が伝え聞いた話であって、実際にこの目で見たわけではないからだ。もしかしたら、噂話に尾ひれが付いているだけかも知れないが、これが本当ならば、なんとも個性的な髪じゃないだろうか。
ふと触ってみたくなり、彼女の髪に手を伸ばした。単なる興味本位だったが、夜顔さんは慌てて後頭部を押さえて椅子ごと後ろに下がった。
「不用意に触ると怪我をしますよ!?ちょっとした好奇心のせいで指に絆創膏を巻く羽目になった生徒が何人いるか・・・!」
冗談で言っているわけではなさそうだ。なんとも個性的な髪だった。
「ごめん、ごめん・・・。それじゃあ、取り敢えず話し合いを始めようかしら。」
私が言うと、夜顔さんは居住まいを正した。背筋が伸び、顔付きも真剣なものになる。
「・・・ハウンドと執行部は、既に動き始めています。その証拠として、今朝から家の前に何人かが張り込んでいました。」
「それだと、外出の時大変だったでしょ?囲まれなかったの?」
「いえ、それは大丈夫でした。おそらく、強行は控えるように指示が出ているのでしょう。穏便に事を運ぶというよりかは、機を伺っている、という感じですね・・・。」
ミルクティーを飲みながら彼女の話を聞く。おそらく、執行部のトップである生徒会長の指示だろう。妹さんを絶対に家から出さないようにしているらしいが、何時までもそうしているわけにはいかない。証拠は出揃っているのだから、焦らずゆっくり出てきた所を抑えればいいと考えているに違いない。急いては事を仕損じる、ということなのだろう。
「ふむ、そういうことなら、まだ時間はありそうかも・・・。ただ、向こうには頭脳派が勢揃いしてるから、あまりのんびりもしていられないかな。どのタイミングで強行路線に移行してもおかしくはないからね。で、ここで必要になってくるのは、風嵐くんの意図を読み解くことだと思うの。何故、私を選んだのか。単に腕っ節が強いから、なんて安直すぎる理由じゃないはずだわ。」
「・・・そういえば、先輩は『俺の信頼している人間が直接的、間接的に協力してくれるから、そいつらを頼れ』と言っていました。仮に、直接的な協力者を渡瀬先輩とするなら、次に探すべきは間接的な協力者でしょうね・・・。誰か心当たりは?」
彼女の問いに、私は思わず唸ってしまった。彼女の考えはおそらく正しい。相手は学園が誇る二大勢力だ。私たち二人でなんとかできるとは到底思えない。それに、彼女の言葉が正確ならば、風嵐くんは複数の協力者の存在を仄めかしている。まず間違いなく、まだ協力者はいるはずだ。ただ、そんな人物に思い当たる節はない。たぶん、夜顔さんにも心当たりはないのだろう。私は再びティーカップに口を付け、整理してみた。
私と風嵐くんの共通の知人で絞っていく。山茶花くん。いや、彼はハウンド側だから、これは有り得ない。夜須くんも知り合いだが、それほど親密ではない。あの人じゃない、この人じゃないと候補を削っていくと、あっと言う間に行き詰まってしまった。こうして考えていると、彼の交友関係の狭さが露骨に出てくる。
なんてこった、あっさり詰んだ・・・。頭を抱えそうになったとき、一人の男のことが頭に浮かんだ。
「・・・まさか、雷桐さん、じゃないよね・・・?」
もしそうなら、彼は本当に性格が悪い。小姑なんか目じゃないほどに、だ。