エピローグ 雷桐カツヒコ・御原カゲキヨ
午後3時、喫茶店『蒼々《そうそう》』の店内は相変わらず閑散としていた。カウンターに座りコーヒーを飲む常連客が一人と、奥のテーブル席に着いて談笑をする男女。そして、陽の光が差し込む窓際のテーブル席で向かい合わせに座る男が二人。雷桐カツヒコと御原カゲキヨである。雷桐はアイスコーヒーを飲んでおり、一方の御原は、空になったグラスに付いた水滴を指で突いている。店内に入って30分程経ったが、二人の間に会話はない。
沈黙を破ったのは、御原だった。頬杖を付いて窓の外を見ながら、唐突に口を開いた。
「・・・兄貴、一体何の用だ?オルトロスのことなら、もういい。俺はアンタの足下にも及ばなかった。器じゃなかったんだ。オルトロスはアンタに返して、俺は抜ける。」
御原の声には覇気がなく、目標を見失ったような目をしていた。雷桐は小さく溜め息を吐いて、アルミの灰皿を手に取った。タバコでも吸うのかと目を向けた次の瞬間、御原の頭に衝撃が走った。灰皿で頭を殴られたのだ。突然の音に、カウンターに座る常連客と奥の男女が驚いて振り返った。いきなりのことに御原が目を丸くしていると、雷桐が昔を懐かしむように話し始めた。
「あの事件から、もう一年が経つのか。早いもんだな。あの件がきっかけで俺はオルトロスのリーダーを降りたわけだが、俺にとっては丁度良かった。元々、オルトロスは近隣のグループに馴染めない不良たちの寄せ集め、小さなグループだった。それが次第に肥大化して、今では関東最大の暴力団である関鬼連とも顔馴染みだ。けど、さすがにデカ過ぎだ。俺のキャパを超えてる。今までギリギリ持っていたのは、真島が居たからだ。そこへ来て、あの事件が起こった。これは、天啓に違いないと思った。お前の時代は終わりだ、潮時だと神様が仰ったのさ。それで、お前にオルトロスを預けようと決めた。」
一頻り話した後、雷桐はアイスコーヒーを飲み干した。そうして、空になったグラスを置くと、マスターにホットコーヒーを二つ淹れてくれと頼んだ。無言で頷くマスターを横目に見ながら、御原はやはり弱気な口調で返した。
「・・・繰り返すようだが、俺には無理だ。器じゃないんだよ。俺が連れてきた新入りは全員抜けちまったし、さんざっぱら迷惑かけた古参組には顔向けすらできない。このまま俺がリーダーを続けちまったら、いずれオルトロスは空中分散しちまう。」
「さっきから器、器と・・・。何度同じ言葉を繰り返す気だ?あのな、俺が長い間お前を側に置いていたのは、お前が俺には無いものを持っていると感じたからだ。俺は、お前にリーダーとしての在り方を見せたつもりだ。あとは、お前がそれをどう捉え、どう活かすかでしかない。それに、古参の奴らのことなら心配いらない。一応、俺からも口添えしておこうと思ってあいつらと話したんだが、あいつら、こう言ったのさ。御原は俺以上の器だ、御原が二代目なら誰も文句は無い、ってな。だから、安心して後を継げ。」
雷桐の言葉に、御原は黙って頭を下げた。そこへ、ウェイターがホットコーヒーを運んできた。二人の前にそれぞれカップを置き、代わりに空になったグラスを持ってカウンターの奥に消えていった。
「本来なら、こういうのは酒なんだろうが、俺は下戸だからな。代わりと言っては何だが、これが、お前の引き継ぎと同時に、俺の引退を告げる一杯だ。」
そう言って、雷桐はカップを手に持った。御原も同様に自身の前のカップを持つ。二人とも、自然と笑みが溢れていた。互いにカップを軽く触れ合わせ、こう言った。
「乾杯。」